第14話 とまどい
清の家に招かれたハナは緊張して椅子に座って、全く動けなくなってしまった。水色の地にピンク色の牡丹が描かれた振袖に白い帯をしているが、手を膝の上に置いたままで固まっている。
目の前に清の母がいるからだった。黒地に白い百合の着物を着ており、帯も黒で僅かに見える赤い帯揚げがハイセンスなおしゃれに見えた。
涼しげな目は清に似ている。
「ハナさん?」
「はい」
「お着物は…それだけ?」
そう聞かれて恥ずかしくなった。どこかおかしかったのかもしれない。
「後は普段着で…」
「そう。じゃあ、ドレスなんてお持ちじゃないわね?」
「…はい」
「大原家ではね…外国の方をもてなす事も多いの」と言ってため息をついた。
そしてふと窓の方に視線を投げて、
「お洋服にも慣れてもらわなければいけないわ」と言った。
「…はい」
「召し上がれ」
そして目の前に置かれた何だか見たことのないケーキにフォークとナイフに戸惑った。
「…いただきます」と言ってぎこちない手つきでケーキを切ると、ため息をまた吐かれた。
「清さんはどうして…あなたを選んだのかしらね? 苦労するのに…」
面と向かってそう言われるなんて思っても見なくて、悲しくなった。
「…すみません」
視界が歪んで、握った拳の上に涙が落ちた。
「あなたは清さんが好き?」
改めてそう聞かれて、ハナは俯いた顔を上げられなかった。
「…ごめんなさいね。意地悪なことばかり言って。清さんは…あなたのこと好いてるようですけど…。あなたはこれから大変なことを耐えられるくらい好きかしら?」
やはりハナは顔を上げられないままだった。
そうこうしているうちに清が家に帰ってきた。
「ただいま戻りました」と言う声がして、そのまま応接室に直行したのだろう。
「こんばんは、ハナさん」と声をかけられる。
俯いたままで「こんばんは。お邪魔しております」と挨拶をした。
「…どうかされましたか?」
「…いえ。あの…」
「お母様が何か意地悪なことをされたのですか?」と清が自分の母に向かって聞いた。
「あなたは、どうしてハナさんをこの家の嫁にしようと思ったのです? 苦労するとは思わなかったんですか?」と清にも母は正直に聞いた。
「…それは」
「
これには清も黙るしかなかった。本気で好きだったがハナの気持ちを考えてはいなかった。いつもいつも釣り合いが取れていないと不安がっていた彼女の気持ちに寄り添っていなかった。自分の気持ちだけで押し切ろうとしていたことに気がつく。
「ですが…。ハナさん以外とは結婚をしたくありません」
その気持ちに嘘はなかった。清はハナの手を取って「行こう」と言って、玄関に向かう。
「あの…でも」と言ったが、清は止まらなかった。
玄関について草履を履く時にようやく手を離してくれた。
「私、やはりお母様に謝ってきます。こんな失礼なこと…」
冷静になると確かにこれではまるで駆け落ちと同じだと清も思った。
「すみません。僕の方こそ、冷静になれずに」と言って、履きかけた靴を脱ぐ。
「いいえ。私が…悪いのですから」とハナはそう言って、微笑んだ。
泣いたような笑顔を見て、清は無理をさせていると思った。思ったが、どうしてもハナを手放せない。ハナと清は元の応接室に戻った。清の母は暗くなっていく窓を眺めていた。
「先ほどは失礼いたしました」とハナが頭を下げる。
ゆっくりとハナの方を見て、微笑む。
「私…個人的には本当に可愛らしいお嬢さんだと思ったのよ。でも…覚悟があるのかしら? それが知りたかったの」
「それは…正直、まだ分かりません」と言うと、清の母は口の端で笑った。
「本当に正直ね」
「…あまりにも大原様とは違い過ぎて。それはずっと思っていることです」
「そう…。そうよね。じゃあ…少しずつ慣れて。分からないことはなんでも聞いて」と母が言った。
「はい。よろしくお願いします」と頭を下げた。
「僕からもよろしくお願いします」と清も頭を下げた。
「ケーキが残ってるわ。召し上がれ」と言って、席を立って部屋を出て行った。
そしてしばらくすると女中が暖かい紅茶を入れ直して来てくれた。ケーキの食べ方は清に教えてもらう。清の母もそれなりの名家だが、やはり苦労をしたらしく、それを心配してのことだった、と聞いた。ケーキはバタークリームが乗っていて、甘くて、こくのある不思議な味わいだった。
「ハナさん…」
「はい」とケーキを口に入れるのをやめて、フォークを皿の上に戻した。
「ごめんね」
清に謝られて、ハナは背筋を伸ばした。すると清が席を立って、ハナの横で屈んだ。ちょうどハナの目線に合わせるように顔を持ってくる。
「君を苦しめる事になっても手放せない」
そして唇に唇が触れて、ハナの息が止まった。そしてそれは嬉しいというより戸惑いだった。
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