第4話 花のような

 大きなリボン。これは上級生のお姉さまから頂いたお揃いのリボン。ハナはそれを綺麗に結んで、化粧台の前で確認する。少し頬紅と唇にも薄く紅を引いた。


「ハナ」と母が廊下から呼ぶ声がした。


「はい。ただいま」と言って、立ち上がって、廊下に向う。


「大原さんがいらしてるの。早くなさい」


「はい」と言って、急いで玄関に向かった。


 そこにいたのは山本正雄だった。


「あ…の」


「大原の使いで来ました」


 母はお手伝いのウメさんが「大原さんだそうです」と言ったのを聞いて慌てて私を呼びに来たらしかった。


「あの…今日は観劇に向かうと聞いていたのですが、ご都合が悪くなったんでしょうか?」


「ええ。急な仕事のようで。それで僕に迎えに行くように言われたんです」


「山本さんが?」


「劇に連れて行ってくれないかとチケットも預かってます。その後の食事には来るそうですよ」


「失礼ですけど…大原さんのお知り合いで?」と母はようやく理解したようで話に入ってきた。


「これは…失敬しました。お初にお目にかかります。大原の大学時代の学友で、山本正雄と申します」


「私の英語の先生なんです」とハナは母に説明した。


 大原が仕事でイギリスにいる間は正雄から習うように言われたと伝えたが、あまり良い顔をしなかった。しかし大原に言われたということで、母も無碍にはできずに「まぁ…そうですか」と口では納得したようなことを言った。


「では表に力車も用意してますので、お嬢様をお預かりします。帰りは大原が送るそうなのでご安心ください」と頭を下げた。


 人力車は二台用意されていて、同じ車じゃなくてハナはほっとした。しかし今日、正雄が来るなんて思っても見なかったから、それはそれで緊張する。正雄にしても大原にしてもどちらにしてもまだハナは家族以外の男性に対して慣れていなかった。

 二台の人力車は快適に走り、駅で止まる。

 ここからは電車に乗るようだった。

 男の人と二人で出かけるなんて、初めての経験でハナはやはり俯いて地面を見てしまう。


「ハナさん…」


「はい」


「清のこと、好きになれそうですか?」


 突然、聞かれて言葉が出ない。


「あいつは、ずっとハナさんが好きだったみたいですよ」


「え?」


「去年の桜が咲いてた頃ですかね? すごく可愛い女学生とすれ違ったって言ってました。あの清がそんなこと言うのも珍しいなと思って。まぁ、でもすれ違っただけの話だから特に何も聞かなかったんですけどね。でもどんなに可愛かったか、説明してくるんですよ。桜が舞い散る中、ぱっと明るい笑顔に目が惹かれたらしく…その人は髪はおろしていて、大きなリボンがついてて、そして何やら楽しそうに友達とおしゃべりしながら歩いてたって。表情豊かでくるくる変わるとまで言ってたかな」と言いながら、笑いを堪えていた。


「それが私? ですか」


「みたいですよ。ちょうど学校から出てきた時にすれ違ったみたいで…。それであなたのこと分かったんでしょうね」


「他にも素敵な方がたくさんいらっしゃるのに」


「さあ…僕は見てないからなんとも…。でもそこから面白かったですよ。彼のありとあらゆる人脈を使って、あなたのこと、許嫁はいないか、とか…家の事まで調べましたからね」


「そんな風には…。私が英語が少し得意だから…それで…ちょうど良いからと思ってました。でも大原様ほど英語ができなくて自信を無くしてました」


「英語は…あなたとデートするための口実です」


「デートの口実?」


 デートという割には真剣に教えられて、全く自分のできないところがはっきり分かってしまった。

 

「そして僕が英語教師に任命されたのは彼がいない間に変な虫がつかないかと言う監視役としてですよ」


「そんなことは…」とハナは思わず正雄を見た。


「どうか不器用な彼のことを嫌わないであげてください」


「嫌うなんて…。私の方がふさわしくないのかと」


「好きな人と結婚できるから舞い上がってるんですけど…。どう接したらいいのか分からないみたいで。今日だって本当は自分が行けばいいのに、自分が行ったら、ハナさんを俯かせてしまうって言って。本当は仕事なんてないんですよ」と正雄がため息を吐きながら言う。


 その様子が呆れたようでもあるけれど、大原に対して深い友情を持っていることが分かって、ハナは思わず笑ってしまう。


「山本さんっていい人なんですね」


「僕に惚れないでくださいよ」と軽口を叩くので、ハナはすっかりおかしくなった。


「じゃあ、山本さんのこと、お兄さんと思っても? 私、お兄さんがいなくて、いたら良かったのにって時々思ってたんです」


 ハナには五つ下の弟、一郎がいた。可愛い弟でみんなに愛されて育っている。ハナのことを慕ってはくれているが、男の子だからきっと一郎も兄が欲しいと思っているに違いない。ぜひまた我が家に来て欲しいと正雄に言った。


「兄でもなんでもいいですけどね。できは良くないですよ」とつまらなさそうな声で言った。


「嬉しいです」とハナは逆に笑った。


「確かに大原が言うように、あなたの笑顔は花が咲いたように周りが明るくなりますね」


 そう言われて、思わず頰が熱くなるのを感じた。にこりともせずに言う正雄がなんとなく癪に触って、


「名前がハナだからですか?」と精一杯言い返してみた。


 一瞬、間が開いて、正雄は笑い出した。それを見て、ハナも一瞬、戸惑ったが、自分の言ったことが面白かったのだと思うと嬉しくなった。正雄といると、リラックスできる。婚約者じゃないと言うだけで、こんなにも緊張しないものなのだ、と不思議に思った。

 ハナが笑い終わった正雄を見上げると、優しい笑顔がそこにあった。

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