夜を呑む

A:君が好んで飲んでいた、キャラメルマキアートの甘い香り。

正直に言えば、あまり好きじゃなかった。


A:最低気温マイナス2度。

地面の雪は、踏めばガリガリと音を立てる。

深夜零時。

窓から零れる灯りを確認し、音を立てないように階段を上がり、到着のメッセージを送る。

静かに開いたドアの向こう、君が不満気な顔でこちらを睨む。

コンタクトじゃなくメガネ、いつも巻いている髪はキツく三つ編みされている。


B:「寝ちゃうところだった。」

A:「ごめんって。」


A:テーブルの上のノートパソコンは今し方まで作業中だったことを示す。


B:「締切近いんだけど、全然進まなくて。」

A:「それなのに呼んだの?」

B:「…刺激が欲しかった、から?」

A:「何それ、どういう意味?」


A:君の身体からは、誕生日に恋人から貰ったと言うボディソープの甘い香りがした。


B:「ふふ、冷たい。」


A:いいながら、ぺたぺたと頬に触れる。

掌の僅かな体温が心地いい。


B:「よし、書くぞ。」

A:「明日は何もないの?」

B:「うん、だから徹夜するつもり。寝てていいからね。」

A:「さんざん運動したってのに、タフだね。」

B「書ける内に書かなきゃ。勢いが逃げてっちゃう。」

A:「煙草吸ってくる。」

B:「賢者タイム?」

A:「転生してくる。」

B:「異世界に?戻って来てね、寂しいから。」


A:君はそう言ってキャラメルマキアートを啜ると、キーボードを叩き始めた。


A:ハッカの香りと白煙が澄んだ空気に溶けていく。

月は高い位置からこちらを見ていたし、星は曖昧に瞬いていた。


A:君の書いた物語の主人公になりたかった。

深夜二時。


A:会えるのは君が呼んでくれた時だけ。

こちらから連絡する事はできない、しちゃいけない。

そういうルールだから。


A:部屋に戻るとキャラメルマキアートの甘い香りがした。

キーボードのタップ音が繊細なリズムを刻む。


A:「帰るよ。」

B:「え、泊まっていかないの?」


A:君はこちらを見ることなく言葉を返す。


A:「もうここには来ない。呼ばれても、来ない。」


A:キーボードを打つ手が止まる。


B:「え、どういうこと?」

A:「異世界から現実に戻りたくなった。君が作る物語は好きだったよ。でもこの身体は生身の人間だからさ。」

B:「…ごめんなさい。」


A:好きとか欲しいとか言えば、違っていただろうか。

いや、何も変わらないだろう。

君にとって恋人は、そう呼ばれる通りの存在だった。

俺(私)はそうじゃない。


A:四時

何処かで早起きの雀が鳴いている。

遠くから聞こえるのは高速トラックが走る音。

凍り付いた地面に自由な歩行を奪われながら、君の家を離れる。

頬に、冷たい風がナイフで傷つけるように触れた。


A:自動販売機のボタンを押す。

キャラメルマキアートの隣、ブラックコーヒー。




・・・ End ・・・
















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