つるとんとん

上等な絹の織物はいらんかね、そう言うて男は反物を売りに来た。

なるほど、確かにこれは見事な品物だ。

いいだろう、言い値で買おう。いくらだい?

すると男は、随分と控えめな値段をつけた。

いいのかい、こっちが丸儲けするばかりだ。

「いきなり大金を手にして、怠け癖がついたらいけねぇ。暮らせるだけありゃ十分さ。」

男はそう言って金を受け取ると、颯爽と店を出て行った。

あんな風に言えるってぇ事は、あの男は今、幸福で満たされてるって事なんだろうなぁ。

先月妻を病で亡くし、鬱々と暮らす自分にとって、なんとも羨ましい事だった。


早速、織物を反物として店に並べた。

安く手に入ったものの、値段はそれなりにつけさせてもらった。

煌びやかだが、派手過ぎない、品のある光沢。そしてなんとも言えない柔らかな肌触り…はてさて、絹だけでこうなるものだろうか。

長年この商売をしてりゃ、品物がどれだけ価値のあるものかよく分かる。

あの男はまた来ると言っていた。売れたらその時に、追加で渡せばいい。


翌日、得意先である代官の奥方から呼び出しがかかり、品物をいくつか見繕って持っていく事になった。

目利きが出来る奥方だ、丁度いい、あの反物も持って行こう。


「素晴らしい品が入りまして、是非おめに入れていただきたく。」

見るなり直ぐだ。奥方はそれを手に取った。

今回呼び出したのは、この度嫁ぐ娘に着物を仕立てたいからだと仰る。

なるほど、それならこれはおあつらえ向きだ。

奥方は提示した値段より多く支払ってくれた。それだけの品物だと言う。昔、似たような反物を見た事があるのだと。

それは奥方が江戸城大奥で奉公していた時の事。北の方様が寝所にてお召になっていたものに瓜二つなのだそうだ。


店に帰ってからあの男を探させた。どこのどういう職人なのか。出来ることならうちの店の専属となって欲しい、そういう欲が出た。

しかし探せども見つからず半年が経った。

諦めた頃、男は変わり果てた姿で店に現れる。

あの日の幸福そうな表情とは一転。 不幸のどん底にでも落ちたような顔をしていた。


差し出された反物はあの時同様に見事なものだったが、どうにも男の様子が気になって仕方ない。

おめぇさん、一体どうした?何か不幸でもあったのかい?…言いたくないんならいいんだが。


「嫁の具合が悪くてな…。もういつ倒れてもおかしくねぇってのに、いくら言っても機織りをやめねぇんだよ。生活に困ってるわけでもねぇってのに。自分にはそれしかできねぇなんて言いやがって…。」


なるほど、この見事な品は奥方の手によるものだったのか。

ならばほら、これは前に持って来てくれた品物の追加代金だ。これで薬や、滋養のあるものを買って行くといい。


「ありがてぇけどよ、効かねぇんだよ。どんな高ぇ薬を飲ませても。何故かあいつにゃ効かねぇ。」


ならば医者にはと尋ねたが、生憎、その奥方が嫌がってダメなのだという。身体を他人には見せたくない、そう言うのだ。


「機織りさえ止めてくれりゃ…。せめて、何か手伝わせてくれと申し出るが、部屋に入るな、近寄ってはならんと…。」


なんだいそりゃ、旦那にも見せられない秘密を隠してるって事かい。…とは言え、そんなに心配なんだったらそっと覗いてみたらいいだろう。何か体に負担がかかるような事をしているのなら止めなきゃならねぇ。そうだろ?


「…一度でも覗いたら出て行くって言うんだよ。俺は何がなんでも離れたくねぇからよ、覗けねぇんだよ。」


そう言うと男は頭を抱え、大きく一つ、溜息をついた。

これは一体どういうことか。その奥方とは何者なのか。

男がまたお代を断って来たので、私は無理やり押し付けるように持たせた。

金さえあれば、という事もある。

これは奥方への報酬なんだ。持っていけ。


男はそれきり、姿を見せることはなかった。


反物を広げる。

銀糸で刺繍されたかのような美しい鶴が一羽、雪空を飛んでいく。

美しくも哀しい、そんな印象を受けた私はそれを店には並べずに、妻の位牌がある仏壇に置いた。

病になった妻も、かの奥方と同様に私にその姿を見せまいとした。

『美しいまま貴方に残りたい。』

か細い声でそう言っていたことを思い出す。


丁稚が庭の福寿草が咲いたと知らせに来たから私は庭へ降りた。

雪の間の山吹色、陽の光を受けて艷めく姿の美しい事。

そうか、春が近いか。

そう呟いた時、鶴の鳴く声を聞いた。

ふと空を見上げると一羽、陽の光を背にして飛んで行く。

はぐれ鳥だろうかと見つめていると、すぐ後から何かが。

それはゆっくりゆっくり降りてくると丁稚の手に乗った。羽根である。

白い、柔らかなそれを手に取るとあの布とよく似ていた。




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