12話 秘密
「
富沢刑事は苦笑いで俺を見ると、目線をひかりに向けた。
「ひかりちゃん、おじさんもさ家族を殺されたんだ……とても大切な妻と娘だ。刑事なのに何も出来なくて、助ける事が出来なくて……悔しくて悲しくて」
富沢は俯いた。
きっと雨に紛れ泣いている。
ひかりは彼の話を黙って聞いていた。
「やがてその悲しさは怒りに変わった。犯人を見つけ出して殺してやるってね。その時からおじさんは刑事では無くなったのかもしれない」
富沢は何故家族を失ったのか、
「とにかくおじさんはひかりちゃんのパパを悪いヤツだと……犯人だと勘違いして追いかけた。でもそれは間違いだった。キミのパパは、愛を持った素晴らしい男だ。本当にすまなかった」
富沢はひかりを見ていたが、その言葉は俺に向けたモノだった。
ひかりは両手を前に出すと、富沢の顔にそっと添えた。
「刑事さんも辛い事があったんだね。でも大丈夫だよ、いつか刑事さんにも光が見える時が来る……そしたら心が温かくなるよ」
ひかりは少し悲しそうな、でも力強い顔で富沢に微笑みかけた。
富沢はひかりの両手に自分の手を優しく添えた。
そして……声を上げて泣いた。
雨音でもかき消せない程の大きな声で……
暗い雲に覆われた空を見上げ、荒れた呼吸を整えると、一歩後ろへ下がり
「武村恭二さん、大変申し訳なかった。俺は感情に任せて、勝手に犯人に仕立てあげて酷い仕打ちをしてしまった。無理やりアンタを捕まえて、家族を失った辛さから逃げたかったのかもしれない。本当にすみま……」
「富沢さん、貴方は優秀な刑事だ。簡単な言葉で片付けてすまない。察してくれると助かる」
「ああ、分かってる……」
富沢は悲しげな表情をかろうじて笑顔にかえていた。
それを最後に富沢刑事とは会っていない。
きっと報われる……温かい光に包まれる日が来る。
俺はそう願った……いや、ひかりがそう言ったんだ。間違いない、彼の心が晴れる日は必ず訪れる。
やがて雨は止み、雲の切れ間から光が差し込んだ。
「びしょ濡れになっちまったな、ごめんなひかり」
俺はひかりの濡れた髪の毛をタオルで拭いた。
「うへへっ、シャワーみたいで楽しかったよ!ウチには無いから」
ひかりは
「早く帰ってお風呂に入ろう!風邪をひいちまう!」
「あー、いい湯だったねパパ。ひかり喉が渇いた」
頭にタオルを巻き下着姿で板の間に座り込んだ。
「あ、冷蔵庫に目黒さんから頂いたラムネが入ってるぞ」
ひかりは慣れた動きで冷蔵庫まで行き、ラムネを取り出した。
家の作りや物の配置を全て記憶しているので、何処かにぶつかることも転ぶことも無い。
「ぷはぁー、うめぇー!」
「コラッ、ひかり!美味しいでしょ!」
ひかりは頬っぺを膨らまし返事をした。
「あ!そういえばお爺ちゃんは?後で遊びに行こうよ」
「あ……えっと、目黒さんね。……なんか旅行に行ったみたいよ?!」
ひかりは俺の慌てふためいた言葉に何かを感じ取った。
「なんで旅行に行っただけなのにそんなにアタフタ答えるの?それに貧乏ゆすりしてる」
ひかりは俺の小さな動きも感じ取れる。
人並み外れた感覚、能力を持っている。
ある意味、暗殺者の素質のようなモノがあるのだ。
勿論、裏の世界には行かせない。絶対に!
まあ、本人はそんな事に興味すら無いのだが。
まして自分が酷い目に合ってきたから、嫌悪している。
「ねぇ、お爺ちゃんに何かあったの?パパなんか変だもの。秘密がありそう……」
ひかりは顔を近づけて俺の様子を伺う。
そして遂に、俺について質問してきた。
「パパは農家屋さんの前は何のお仕事してたの?ひかりを助けてくれたから、ずっと警察屋さんだと思ってた。でも、刑事さんの話を聞いてるとパパはそうではなかったのでしょ?」
俺はラムネの蓋を開けた。
ビー玉が落ちてカランッと音を立てると、炭酸の勢いで少しラムネが噴き出した。
俺は構わずラムネを一気に飲み干し、喉の渇きを癒した。
「なあ、ひかりすまない……その質問の答え、もう少し待ってくれないか?近いうちに必ず答えるから」
これが今の俺に出来る精一杯の返事だった。
「うーん……分かった、いいよ!その代わりに目黒のお爺ちゃんがお出かけした所に連れて行って。旅行じゃない……なんかイヤな感じがするの」
「えっ?!ちょっ……ちょっと待て!危なそうなところになんでひかりが行くんだよ?」
俺は酷く動揺した。
確かに話せない事は多く、ひかりに心配ばかり掛けてはいるが……なんとか回避しなければ!
参ったなぁ……何かないか?
考えろ……考えろ、俺。
「あっ!そうそう!目黒さんにタロウの餌やりを頼まれているんだ!それにひかりはゴスペルサークルに行かないと……だろ?」
俺は思わず唾を飲み込んだ。
「むぅー、それもそうね。タロウが可哀想だし。じゃあパパがお爺ちゃんを連れて帰って!ひかりに考えがあるの……」
30分後、俺たちはゴスペルサークルの会長兼聖歌隊リーダー
高級住宅地にある二階建てのお宅で立派な門がある。隣接する車庫には高級車が2台並んでいた。
「ねぇパパ、ピンポンひかりが押す」
「ハイハイ……」
俺はひかりをインターホンの高さに抱き上げた。
ピンポーン
「あらっ、ひかりちゃん!」
どうやらカメラでこちらを確認したようだ。
楠田さんは玄関のドアを開けると、サンダルで広い庭を小走りで掛けてきた。
「武村さん、ひかりちゃん、こんにちは。今日はどうなされたのかしら?」
俺はペコペコと何度も頭を下げ挨拶をした。
「あのね、今日はお願いがあって来たの。実はパパが急なお仕事が入って都心に行くから、楠田さんの家にひかりを泊めて欲しいの」
俺は心苦しい気持ちで楠田さんと目を合わすことが出来なかった。
ただただ頭を下げる。
「あら、そうだったの?!泊めてあげたいのだけど、私も婦人会の旅行で今から出掛けるのよ。本当にごめんなさい」
楠田さんは逆に申し訳なさそうに頭を下げた。
「いやいやいや!とんでも御座いません!突然現れて図々しいお願いをしてしまい申し訳御座いません!」
俺は何度 頭を下げただろうか……
「あっ!そうだわ、ちょっと待っててね」
楠田さんはそう言い残し、家の中へと戻って行った。
暫くすると、また小走りで門までかけて来た。
「お待たせ、ひかりちゃん」
楠田さんは眼鏡を直しながら、息を整えた。
「今ね、チョンさんに連絡してみたの。そしたら快諾してくれたわ!武村さん、これ住所書いてきたから」
なんと人間のできた方なのか、ひかりの為にこんな親切にしてくれるとは……そりゃ会長も務まる訳だ。
「えー!やったぁ!ソダムちゃんのお家にお泊まり出来るんだ」
楠田さんは更に、沢山のお菓子が詰まった袋をひかりに渡した。
俺たちは楠田さんに御礼を言うと、チョンさんの家へと向かった。
助手席で貰ったお菓子を早速食べるひかりは、大好きなチョンさんの家へ行けるという事でご機嫌だ。
「なあ、ひかり。本当にパパいなくて大丈夫なのか?」
「何言ってのさ!待ってろと言ったのはパパでしょ!それにひかりはもう7才だよ!全くぅ、結婚してあげないぞ」
「……あ、そう」
全く……大人びたのか、子供じみてるのかよく分からないなぁ。ていうか、意味不明な言葉で言いくるめられた俺も俺だが……。
それからものの5分程で到着した。
二階建てで8部屋くらいある、ごく普通のアパートだ。
ひかりはチョンさんの住む203号室のインターホンを押した。
「あ、ひかりちゃん!待ってたよ〜!いらっしゃい」
「ソダムちゃん!」
ひかりは満面の笑みでチョンさんにハグをした。
チョンさんを間近で見たのは2度目だが、真っ白なTシャツ、アップにした長い黒髪、何の
「ひかりね、楠田リーダーにお菓子貰ったんだ。一緒に食べよう」
「わぁ、美味しそう」
チョンさんはひかりの食べかけのお菓子を少しクスクスと笑いをこらえて受け取った。
「あの、突然の事ですみません!どうしても外せない用事で……」
「あ、いえ!全然大丈夫です!私、ひとり暮らしで友達もいないのでひかりちゃんが来てくれて嬉しいです」
「ねぇねぇ、ソダムちゃん!コレ見て!」
ひかりはウサギのぬいぐるみをチョンさんに見せびらかした。
「わぁ、大きくて可愛いね!誰に貰ったの?」
「えへへ、これはね去年サンタさんに貰ったんだよ。ひかりは灯油をお願いしたのだけど、なんかオマケでくれたみたい。名前は
チョンさんと俺は顔を見合せ苦笑いした。
「あ!そうそう、私洋菓子店でお仕事してるんだけど、余り物のケーキを頂いたから食べましょう……あの、もし良かったら武村さんもご一緒にいかがですか?」
チョンさんは俺の顔色を伺っているようだ。
「えっと、あの俺は……あ、ボクは急ぎますので……」
「何よ!パパ!一緒に食べていきなさいよ!」
ひかりはいつ間にか家の中へ入り座布団に腰を下ろしていた。
結局俺はチョンさんのお宅にお邪魔する事になった。
「あ、この音!もしかしてテレビ?触ってもいい?ウチはテレビ無いからさぁ」
「勿論いいわよ」
チョンさんはその間にケーキと珈琲を用意してくれた。
「へぇー、テレビって温かいんだね?!薄っぺらで、ちょっとピリピリしてるぅ」
ひかりはこうやって色々な事に興味を持ち、知識を増やしていく。
その事に気付いたチョンさんもそんなひかりに視線を向けていた。
「さ、準備出来たよ。食べましょっ!ひかりちゃんはアップルジュースでいいかな?」
「わーい!」
俺たちは、ケーキをご馳走になり暫くの間談笑した。
「チョンさんはいつ日本へ?」
「二年ほど前です。最初は都心にいたのですが、物価とか家賃とかが高くて……一年前にここへ越して来ました」
「そうなんですね!何故来日したんですか?語学とか?日本語がお上手なので」
「いえ、そういう訳では無いのですが……ちょっと、捜し物を……」
チョンさんは少しうつむき加減で答えた。
これ以上の
「あ!ひかりね、毎日パパとお風呂入ってるんだぁ。今度3人で入ろうよ!」
「そうなんだ?!いいわね!……あ、いいわねって……そ、そういう意味じゃなくて……」
チョンさんはアタフタして、ケーキのフォークを床に落とした。
「あれ?ソダムちゃん確かクリスマス会の時もフォーク落としてたよね」
「あ、そうだったね。ウフフッ」
ひかりはチョンさんに心を開いているようで、とても和やかな雰囲気だ。
俺も安心して出かけられる。
申し訳なかったが、タロウの事も一緒にお願いして玄関先で頭を下げた。
「ねぇパパ……絶対に帰って来てね」
ひかりは不安げな表情で俺の手を強く握りしめた。
「当たり前だ、ちゃんとお爺ちゃんと二人で帰ってくるから」
俺が手を握り返すと、ひかりは安堵して微笑んだ。
別れ際、ハグをすると俺は車で都心へ向かった。
急いでも4時間は掛かる。
何も起きてないといいが……
俺はハンドルを握り締め、アクセルを踏み込んだ。
気が付くと陽は落ちて、前に見える幾つものテールランプが俺の気持ちを焦らせた。
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