11話 幼き少女

「わ、分かって……た?ひ、ひかり……そ、それって、どういう……?」


 流石さすがの俺も動揺を隠せなかった。

 いや、こんなに動揺したことは今までに無い。


「ひかりはね、ずっとパパが必ず迎えに来てくれる……そう思ってにいたの。パパが部屋に入って来た時怖いって思ったけど、それは間違いで、すごく温かくて優しく光るパパがの」


 富沢も黙ってひかりの話を聞いている。


「ああ、パパが迎えに来てくれた……ひかりはとても嬉しくて安心して、目を覚ました時は病院にいたの。それからはパパと一緒にいれる事が嬉しくて嬉しくて……毎日温かいパパの光に包まれていたの」


 俺はフラフラして倒れそうなひかりを腕に抱えた。


「ひかりはパパが本当のパパと思っていたんだけど、スマートフォンを買ってもらってラジオドラマを聴いてる時にお話の中で『娘が誘拐された』って言っていたの」


 富沢と俺はハッとした。


「ひかりは気になって『誘拐』って言葉を調べたの。そしたら、『人を連れて行くこと』ってスマホが教えてくれた。ひかりはその瞬間、ある記憶が頭の中に戻ってきたの」


 空模様が変わってきた。

 厚い雲が太陽を遮り、湿った風が吹いてきた。

 遠くの空から雷の音が微かに聴こえる。


 も無いが、俺はまるで自分の心の中のようだと思った。



 ひかりが語ったまだ幼い頃の話だ


 あまり裕福では無かったが、小さな家で家族3人慎ましく生活していた。


「パパ、ママの作ったハンバーグおいちぃね」


「そうだね、ママの料理はどれも美味しいね」


 その少女は父の膝元で嬉しそうに食事をしていた。


「ママも早くおいで〜」


「はぁい、お待たせ。今日は秋刀魚さんまが安かったの。私たちの夕食はこれね」


「いいね、ビールに合う」


 父親は秋刀魚の塩焼きの身をほじり口にするとビールで流し込んだ。


「うん、最高だっ」


「パパ、メガネがズレたよ〜」


 少女はキャッキャッと楽しそうに笑い声を上げた。


 RRRRR……


「あ、ごめんなさい。ちょっと電話が……」


 母親はキッチンで電話を受けた。


「はい、もしもし……はい、はい……分かりました。では、失礼します」


 母親は少し俯き、顔をしかめて食卓へ戻ってきた。


「誰だったんだい?」


「あ、えっと……町内会長よ。週末の集まりの事でちょっとね」


「そうか。ほら、冷める前に食べよう」


「そうね」


 3人は仲睦まじく幸せに暮らしていた

 ……その日の夜中までは。


 ピンポーン!


 ドンドンドンッ!


「スミマセーン、開けてもらえる?」


 時計は午前2時を回ったところだった。


「誰だ?こんな夜中に……」


 夫は起き上がり眼鏡を掛けた。


「貴方、ちょっと待って!私が出ます!」


 妻が焦った様子で玄関へ走って行った。

 しかしながら、当然夫も後を追い玄関へ向かった。


 母親はチェーンロック越しにドアを開けていた。


「奥さんこんばんわぁ!」


 ガラの悪そうな男が二人、ドア越しに見える。


「困ります!家には来ない約束でしょ?それに……週末にって話だったでしょ?!」


「あのね、奥さん……約束なんて守らないんですよ、ウチらじゃなくて奥さんのような人はね。とりあえず、チェーン外せ」


「おい、誰だ?この人達は……」


「あ、貴方……」


「あ、旦那さんですか?初めまして、の者です。いやね、お宅の奥さんホストにハマっちゃってウチで金借りてんスわ。知りませんでした?あの、ドア開けて貰えます?」


「ほ、本当なのか……お前?」


「貴方、ごめんなさい!うぁぁぁっ」


 泣き崩れる妻を見て、夫は深いため息をついた。

 そしてチェーンロックを外し、二人の男達を玄関に入れると、板の間で土下座をした。


「妻が……申し訳御座いませんでした!必ずお返しします!」


「あー、旦那さん偉いねアンタ。でもね、金借りたヤツはみーんな言うんですわ……ってね」


 男はポケットに手を入れながらしゃがみ込み、土下座する父親に顔を近づけた。


「で、アテはあるの?利息含めて900万よ?」


「きゅ、900……は、はい!生命保険を解約して、残りは退職金を担保に他から借用します!なので、もう少しだけ待って頂けませんか?お願いします!」


「ほぅ……出来た夫じゃねぇか、奥さんよぉ。旦那さんに免じて待ってやるとするか、俺も鬼じゃねぇからよ。じゃ、また来るわ」


「あ、ありがとう御座います!」


 夫は震えながらドアを閉め、チェーンロックを掛けた。


 泣き崩れる妻を黙って見つめる夫……


 ゆっくりとしゃがみ込むと、妻の肩に手を置いた。


「借金返済して、また一から頑張ろう。3人で生きていこう」


 夫の言葉に妻は子供のように泣きじゃくり、顔を上げることが出来なかった。



 生命保険を解約し、退職金を担保に他のローン会社から金を借用した。


 男達は約束の期日に訪れた。


流石さすが旦那さん、期日を守って用意するなんて滅多にいないですよ」


「いえ、とんでもない。本当にご迷惑をお掛けしました」


 夫は深々と頭を下げた。

 妻は固まって動かない。


「ところで、期日を延長した分の利息は用意出来てます?」


「え?……」


 夫は驚き顔を上げた。


「え?じゃないでしょ!アンタが待ってくれってお願いしたんだろ。その間の利息が増えるのは当然でしょ?」


 夫は一瞬顔をしかめたが、思ったより生命保険の戻りがあったので、そこから支払う事にした。

 もうこの男達とは関わりたくない。


おっしゃる通りです。それで利息はおいくらでしょうか?」


 男は3本指を上げた。


「えっと……30万ですね。ぐにお持ちします」


「おい待てコラッ!ゼロがひとつ足りねぇだろ!300だよ、300万!」


 固まっていた妻は震え出した。


「そ、そんな暴利じゃないですか!」


 男は夫の胸ぐらを掴んだ。


「お前、俺を馬鹿にしてんのか?こっちはその女に金貸して、しかも期日延ばしてやって、組長にボロクソに絞められたんだよ……それって俺らが悪いの?」


 男は血走った目で睨みをきかせる。


「そう言われると……でも、本当に無いんです。後120万しか残ってない……何とかそれで勘弁して貰えませんか?」


「おいおい、今度は値切りかよ?全くどうなっ……ちょっと、兄貴っ」


「あ?なんだよ、仕事中だぞコラッ」


「あれ!」


 下っ端の男が廊下の奥を指さした。


 そこには少女が顔を覗かせていた。

 騒ぎで目を覚ましたのだろう。


「あれれ、可愛いお嬢さんだねぇ?」


 男はニタリと口角を上げた。


「い、いや、娘は関係無いでしょ!」


「あ?関係ない?アンタ父親だろ?家族だろ?だったら娘ちゃんも関係あんだよ!」


 男は夫を殴り飛ばした。


 夫は床に倒れ込み口から血を流した。

 しかし直ぐに起き上がり、土足で上がり込んできた男を押さえ込む。


「か、勘弁してください!娘は、娘だけは!」


「じゃあ残りの180万今すぐ出せよ!120万じゃ足りてねぇだろうが!」


 夫は必死で押さえ込む。

 妻は娘の名前を泣き叫ぶ。


「逃げて!お部屋に入って!」


 しかし少女は動けない……いや、動かなかったのかもしれない。


「旦那さん知ってる?娘さんくらいの歳の子は、アジアの変態大富豪に人気なんだぜ」


「ク、クソッ!この外道め!警察を呼……え?……」


 夫は腹部に違和感を覚えた。

 そしてゆっくりとソコに目をやった。


 腹部にはナイフが刺さっていた。


 徐々に痛みを感じる夫……

 顔色は青ざめ、床は赤く染ってゆく。


「じゃあ、旦那さんバイバイお疲れさん」


 男は夫の腹部を何度も刺した。


 妻は発狂して大声を上げた。


「おいっ!黙らせろ!!」


 妻はもうひとりの男に、ワイヤーのような物で首をめられた。


 ギリギリと音を立て、次第に首がしぼられていく。


 血が滲み、ワイヤーを伝いポタポタと床へと落ちた。


 顔は紫色になり、苦痛の表情のまま妻は絶命した。


「ふぅ、疲れた」


「おい、1軒前に回収してきたの幾らだっけな?」


「えっと、400ですね」


「て事は、400+900+120=1420万か。それと……」


 男は少女を見た。


 少女は泣きもしない、怯えもしない、ただただ固まっていた。


 男は少女に近づくと、片手で担ぎ上げた。


「お嬢ちゃんは、お兄さんがしちゃうね」


 男は不敵な笑みを浮かべ、頭の中では少女の値段を計算していた。


「おい、ちょっと来てくれ」


「はい、兄貴。何でしょうか?……あ、あれ?」


 駆け寄った下っ端の男の腹部にナイフが刺った。


「え?……何で?」


「悪ぃな、金とお嬢ちゃん持ってトンヅラするわ。組長に場所チクられたら面倒だからよ、だから悪ぃな」


 飯田はバツの悪そうな顔で、下っ端を何度も刺し、片付けた。


 そして飯田は女の住むアパートへと足を運んだ。


 誘拐された少女ひかりは、突如悲しみに襲われ泣き出した。


「うわぁぁん!パパとママに会いたいよぉ!」


「ちょっと!うるさいガキね!」


「まぁ落ち着けよ。ほら、お嬢ちゃんはそっちの部屋に入ってな」


 飯田はひかりをとなりの和室へ投げ入れた。


「大体アンタがブローカー仲介人に知り合いがいないからこのガキの処分に困ってんだろうが!何とかしろよな、使えねぇ男だ」


「そんな怒るなよ、その内探して来るからさ。今はヘタに動けねんだよ、組長が厳戒態勢で俺を探してるみてぇだからよ。まあ、シャブでもやって機嫌直せ。な?」


「チッ……ったく」



 これがひかりの監禁生活の始まりだった。


 もっと早く依頼が来ていれば……


 もっと俺がマトモな人間だったら……


 俺は自分を責めた。


 ひかりと出会った時俺は同情し、せめて楽にしてやるとしか考えていなかった。


 あの時、ひかりを撃っていたら……


 いや、あの時ひかりが俺を救ってくれなければ……


 何故もっと早く出会えなかった……


 もっと早くにひかりを救ってあげたかった……


 いつの間にか、涙が零れていた。


 けど、降り出した雨で涙は隠せた。


 ひかりは気づいていただろうが、富沢刑事には涙を見られずに済んだ。


 富沢刑事も黙り込み下を向いて、クシャクシャの髪の毛から雫が垂れていた。















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