26.終わらぬ戦い

「逆手……まだまだ届きそうにないわね」


 模擬戦での出来事――。

 アシルによる不意をついた攻撃は、シィルミナの右手を狙ったものであった。その攻撃は狙い通りシィルミナの右手に入ったことで、シィルミナは利き手である右手を封じられてしまった。

 

『時間がないわ。一気に決着をつけてあげる』


 模擬戦と言えど、時間が迫れば“引き分け”として終了となってしまう。

 時間の迫る中でシィルミナは、アシルに決着をつける宣言をした後に、左手で剣を握るのだった。

 そこで繰り出したのが、逆手だ。


『私も……いつか……』


 空はオレンジ色の雲に覆われていた。

 夕日を隠そうとした雲の間から、漏れた光で作り出された幻想世界。

 そんな空の下、剣技場でひとり呟くシィルミナは、アシルが現れるのを待っていた。剣を逆手に握った自身の左手を見つめながら……。


「はぁ……はぁ、すまない……、遅くなった」


 彼女の前に、アシルは姿を現した。

 走ってきたのか、彼の額には汗が滲んでおり、両膝に手を置いて息を切らしていた。

 急いで来たことで、どうやらアシルは、彼女の様子をはっきりと見ていなかったらしい。

 アシルの声を聞いて驚いたシィルミナの表情も、咄嗟に隠した逆手の剣にも、気づくことはなかった。


「別に構わないわよ。走ってきたの?」

「あぁ……、なかなか……話が……終わらなくてな」

「確かロイだったかしら?対等に接してくれる良い友達ね」

「そう……だな」


 息が整ってきたのか、アシルは呼吸を遅くして深く、深呼吸をするように息を吐く。

 そうして落ち着いたのか、丸めていた背中を伸ばして、シィルミナの顔に視線を向けた。


「大丈夫なの?」

「すまない、もう大丈夫だ」

「そう。ならいいけれど」


 シィルミナはアシルの顔を見て、大丈夫そうだと思うと、アシルに背を向けて離れていく。


「怒っているか?」

「……………怒っている?私が?」


 自身に背を向けて歩くシィルミナには、順手で握られた剣がある。アシルはその様子を見ると、離れていく背中に向かって言葉を投げ掛けた。


「その……左手に」

「あ、これね。右手がまだ少し痛むのは事実よ。でも怒っていないわよ。言ったでしょ?あなたを選んで良かったって」

「そうだけど……」


 シィルミナは、アシルから少し離れた位置で振り返り、アシルに左手の剣を向ける。それはいつもしている、稽古開始の挨拶のようなものだ。


「私は完全に油断していたわ。それをあなたは裏切ってくれた。だから私も答えて……」


 アシルに向けて突き出した左手の剣、シィルミナはその剣から手を離して、くるっと手を裏返す。


「逆手を出したのよ」


 一瞬にして、逆手に切り替えて見せた。


「正当なやり方じゃなかったけどな……」


 模擬戦、授業と言っても剣技と剣技のぶつかり合いだ。そこで綺麗なやり方ができない自分の弱さを後悔するように、アシルは視線を落とす。


「あら、別にいいじゃない。周りがなんて言っても、剣先を向け合っていたのは、私とあなたよ。口先だけの綺麗事なんて私は嫌いだわ。あなたがどうかわからないけれど、少なくとも私は、結果的に嬉しかったわ」

「結果的に……、勝ったからか?」

「いいえ。………私が勝つことはあなたもわかっていたはずよ。あなたと戦ったからこそ、予想していなかった展開になった。他の人が相手なら、あのようにはならなかったでしょうね。だから嬉しかったの」

「途中で手を抜いたのは、そうして欲しかったってことか?」


 シィルミナはアシルとの模擬戦で、途中に決闘した時と同じ攻撃を繰り出した。相手を追い詰めるわけでも、手を抜く訳でもない。剣同士をぶつけ合うだけの連続攻撃……。


「あれね、……………頭にきたのよ。あなたを“見習い”だと好き勝手言っている人たちにね」

「俺の……ため?」

「前に見せた攻撃なら、あなたはすぐ気づくんじゃないかと思ったから、やってみたの。手を抜いたと言われればそうだけれど、少なくとも好き勝手言っている人達には、『アシルがシーナの攻撃を的確に受けている』と見えるでしょ」


 シィルミナがあの場面で繰り出した攻撃は、一度受けたアシルと、シィルミナと同格の実力を持つ生徒からすれば、シィルミナの攻撃をアシルが的確に防いでいると見えただろう。

 彼女はアシルに染み付いた“見習い”という印象を変えたいという思いで、すぐに勝負を決めに行くのではなく、長引く展開にしたのだ。


「だから……か」

「その後、右手を封じられたのは本当に予想外だったわ。足を引っ掛けられた時、私は手を抜いていた訳じゃなくて真剣だった」

「逆手には、全く対応できなかったけどな」

「私自身も、まさか逆手を使うなんて思っていなかったわ」


 シィルミナは剣を握っている左手に力を入れて、重心を低くして構える。


「これだけは、はっきり言えるわアシル。――――綺麗事ばかり並べている人たちより……」

「……………っ!?」


 一瞬、背筋が凍るような感覚を感じたアシルは、咄嗟に剣先をシィルミナに向ける。


「あなたの方が、手強いわっ!!!」

「……………なっ!!!」

「この状況にしたのはあなたよ、アシル。今日は逆手の練習に付き合ってもらうわよっ!!!」


 濃くなる曇り空と、少しずつ光が途絶えて行く剣技場。

 静けさに飲み込まれていく世界の地面に、アシルが倒れ込んで『降参だぁぁ!!!』と叫ぶまで、シィルミナの猛攻が続いたのだった……………。


 そして、夜の出来事――――。

 自室に戻ったアシルは、言葉や模擬戦と稽古の疲れ、全てを失っていた。


「ま……………まさか」


 アシルの目の前に広がった現実は……………、


「これ……は……」


 “奇跡“か――。


「うぐっ!?……………な……ん…だっ……、目の前がゆが……で……………ぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」


 “絶望”か――。


 ガラスが割れる音、椅子が倒れる音、そしてドンッ!!という鈍い音が、アシルの部屋に響いたのだった……。

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