16.埋まらない差

「…………」


 夕焼けに染まる空の下、アシルが剣技場へと入ると一人の剣士の姿があった。

 剣を両手に握り、構えたまま目を瞑って動かない。

眩しい夕焼けに照らされながらも、剣を構えて立つ剣士の姿に呼吸を忘れてしまうアシル。


「来たわね」


 そう言ってアシルの方に振り向く剣士はシィルミナ。

 青白い綺麗な髪色にはオレンジが混ざり、アシルを見つめる視線には静かな気迫がある。


「そりゃ、約束だからな」

「安心して。まずあなたを強くすることが目的になるから。そしたら本格的に私の相手をしてもらう」

「お手柔らかに頼むぞ」

「それはあなたの努力次第」


剣を握る手を両手から右手に変えたシィルミナ。そのまま剣先を自身の右下へと下ろして話を続ける。


「あなたの力は、昨日見せてもらったわアシル。まずあなたに足りないのは踏み込み、初動の甘さよ。さぁ、構えなさい」


 理解できていないアシルと、鋭い眼光で相手に圧をかけるシィルミナ。

 腰から抜き、ゆっくりと剣を両手に握って剣先を相手の鋭い眼光へと向けるアシルに対して、彼女は全く構えることをしない。


「……………?」


 ――――と、アシルが気を抜いた瞬間だった。


 ザッッ!!!と砂ぼこりとともに片足を引き、右足を踏み込んだかと思うと、5メートル、4メートル、3メートルとシィルミナは距離を縮めてくる。


「なっ!?!?」


 はっきり見えたのは足がというその部分だけ。

 それ以外は一瞬だけぼんやりと見えた両手に剣を握ってこちらに襲いかかるシィルミナの姿。

 不意を突かれた上に頭で考えようとしたおかげで、アシルの反応は遅れてしまった。唯一できたのは剣先を倒して振り下ろされる剣に足して少しでも身を守らんとする姿勢のみ。


「はぁぁぁぁっ!!!!!」


 練習用にできている二本の木製剣。

 それらはカンッ!!という音がする寸前で止まり、アシルは相手の剣や身体から風を感じる。


「あなたの動きはわかりやすい。相手に悟られないように無駄は捨てないといけないのよ」

「…………」


「(吸い込まれそうだ)」

 彼は心の中でそう感じた。

 そして同時に『こんなのに追い付けるわけがない』とも思った。


「これが……本気か」

「残念、こんなの本気じゃないわ。ただの基礎の延長線。そのうちにこのくらいはできるようになるわ」

「…………」


 彼は今、言葉を失うという体験をしている。

 そして、『無理だ』という感情が彼の心を埋めている。


「アシル。この稽古のことを甘く見ていたでしょ?私は本気よ」

「あまく……見ていたようだな」

「早速やるわよ。まず踏み込みから」


 こうして、シィルミナとアシルの日々は幕を開ける。


「違う!!もっと、もっと強く!!」


 アシルは恐る恐る踏み出す。あまり力の籠もっていない一歩。

 何度も何度もやり直しを言われる。

 片足を強く出せても、もう片方の足が後ろに滑ってしまう。


「そこで片足ずらさないっ!!」


 その姿勢と動作がどこか覚束ないのは、剣を握ることに努めている証拠からだろう。


「神経を集中させてっ!!!」


 剣を握る自分の両手を見て何度も何度も、投げ出したいという想いが湧くアシルだが、それを必死に堪える。いや、そうしなけれらならなかったというのが正しいだろう。

 堪えながらもシィルミナの声を聞き、その言葉に誘われるように身体を動かす。


「基本的なことはこれでいいわね。じゃあ次に『私に当ててみなさい』」

「はっ?」


 その言葉で我に返ってきたように目の前に広がる現実を見つめるアシル。

 映るのは剣を腰に指したまま堂々と立つシィルミナの姿。


「私は剣で防ぐことはしない。使わないわ。私の髪の毛一本にでも当てることができたら今日は終わりにしてあげる」

「え………えぇ?」


「(まさか……そんなことが……)」

 いくら自分が弱いとしても、髪の毛一本にも当てられないほどじゃない。彼の身体は勝手にシィルミナのことを剣を持たない弱者として捉え、剣を構えはするが、【躊躇い】が生じていた。


「(すぐに終わせたい)」

 残念ながらそんな考え方は、すぐに砕かれることとなった。


「はぁぁぁぁぁっ!!!!!」


 先程やっていたように、強く踏み込んで、そして素早く相手に向かって飛び込む。

 しかし、簡単に躱される。髪の毛にすら当たることなく……。


「っ!!!!!」


 自分の思った以上の勢いが出てしまったため、飛び込んだことは良かったが、止まる際に少しバランスを崩すアシル。

 その間にシィルミナは相手との間隔をアシルが飛び込む前と同じくらいに離す。


「はぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」


 何度も何度も襲いかかっては躱される。

 追撃を考えても、ことごとく避けられて、全く当たる気配がない。

 躱しては離れ、躱しては離れてを繰り返すだけのシィルミナ。彼らの間隔は変わらずとも、アシルの攻撃の間隔は少しずつ縮まり、早くなってくる。

 理由は、彼が自分を忘れてきていたからだった。


「(目を瞑ってても避けられるってのかぁぁぁ!!!!)」

 彼の感じているのは屈辱と怒り。

 途中で知ってしまった。相手は躱すだけじゃなく、目を閉じて躱しているのだと。


「(絶対に当ててやる)」

 という思考が彼のすべてを埋め尽くし、演じるということや剣への想いも忘れている。


「今日はここまでね」


 やがて、西の山に太陽が隠れる。

 結局この日は、すべての攻撃をシィルミナに躱されたアシル。


「くっ…………」


 自分の身体が自分のものではないような感覚に襲われているアシルはしばらくその場に立ち尽くす。

 しばらくしてから剣技場を後にして、寮へと向かうアシルは小さく、

 

「剣なんて……」


と、呟いた。

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