第10話 憧憬

◆ ◆ ◆


 偶然ショッピングモールで悠くんと遭遇した私は、彼の隣にいる女の子――澪ちゃんと自己紹介を交わした。


「澪ちゃん、これからも悠くんと仲良くしてあげてね」

「はい、もちろんです」


 はにかみながら頷いた澪ちゃんは――


「それはもう……と仲良くしていますよ」


 含みを持たせた言い回しをしながら、悠くんに意味深な視線を向ける。

 すると、悠くんは気まずそうに視線を逸らした。


 澪ちゃんの視線にはどのような意味が込められているかわからないけれど、悠くんの表情から察するに、なにか後ろめたいことがあるのかもしれない。


 二人の間には特別ななにかがあるのだろうか?

 もしかしたら私に知られたくないことだから、悠くんは気まずそうにしているのかもしれない。まあ、悠くんも年頃の男の子だから、母親同然の私には知られたくないことが一つや二つあっても不思議じゃない。


 澪ちゃんが悠くんに向ける意味深な視線の意図が多少なりとも気にはなるけれども、あまり踏み込まないほうがいいのだろう。


 そもそも私は悠くんの交流関係に介入する気がない。交流関係を親にあれこれ口出しされるのは鬱陶しいだけだからね。もちろん、悪い人たちと関りがあったら全力で介入するつもりだけど。


 それにいくら悠くんが私に懐いてくれているとはいえ、適切な距離を保たないと嫌われてしまう。

 女として悠くんに好意を抱かれるのは困るけれど、親として好かれるのは嬉しい。だから今後も親子として仲良くしていきたい。


 とはいえ、悠くんは親子としてではなく、異性として私を求めているのだけれど……。


 あ~、駄目だ……。

 最近は考えごとをすると、悠くんが私のことを一人の女として好いてくれている事実に意識を持って行かれてしまう。顔を会わせる度に女として求められるから、どうしても意識せずにはいられない。


 そのことに満更でもない自分がいるから余計に――うん、やめよう。気がついたらまた悠くんとの色恋について考えてしまっていた……。

 悠くんと特別な関係になるわけにはいかないし、私にはそんなつもりがない。だから気を引き締めて悠くんと接しよう。お互いのためにも。


「澪ちゃんみたいなかわいい子が仲良くしてくれるなんて良かったわね、悠くん」


 一先ず悠くんと澪ちゃんとの会話に集中することにした私は、雑念を隠しながらそう口にした。


「それに関しては本当に恵まれていると思ってる」


 感慨深げに頷く悠くん。


「あら、素直なのね」

「事実だから誤魔化す必要ないでしょ」

「それはそうだけど、ちゃんと伝えるのは偉いと思うわよ。悠くんの年頃だと恥ずかしがって誤魔化してもおかしくないと思うから」

「まあ、俺は気持ちを伝えたくても伝えられない苦しさを知ってるからね」


 うぐっ……。

 それを言われると返す言葉に困ってしまう……。


 幼い頃から私のことを好いてくれていた悠くんは、想いを告げることができずに苦しんでいた。だからこそ、伝えられる時に伝えることの大切さをわかっているのだろう。


 ちゃんと気持ちを伝えるところは感心するけれど、苦しむ原因になった身としては非常に複雑な心境だ。


「実際、俺にはもったいないと思うくらい、いい奴なんだよ、有坂は」

「そんなことないよ」


 首を左右に振った澪ちゃんは――


「わたし、そんな大層な人間じゃないよ?」


 と苦笑しながら呟いた。


「そんなに自分を卑下することはないだろ」

「そうよ。自分を卑下する行為は、自分のことを好いてくれている人を侮辱する行いだもの」


 悠くんのフォローに乗っかって私も言葉を重ねるが、すぐにお節介だったかもしれないと思い至った。今日、会ったばかりの私が口を挟むことではなかったかもしれない。


「……ごめんなさい。また余計なお世話を焼いてしまったわね……」

「いえ、自分を卑下するつもりはなかったんですけど、そう受け取られても仕方がない言い方でした」


 気まずそうに頬を掻く澪ちゃんは、ふと思い出したように「あ、でも……」と呟く。

 そして、照れくさそうにはにかみながら続きの言葉を口にする。


「わたしは舞さんみたいな美人でかっこいい女性になりたいんです。なので、理想の自分と今の自分にギャップを感じて、無意識のうちに落ち込んで卑屈になっていたのかもしれません」

「あ、ありがとう。でも、澪ちゃんもかわいくて美人さんだと思うわよ?」


 澪ちゃんの口から飛び出た予想外の言葉に私は一瞬だけ動揺してしまい、恥ずかしながらどもってしまった。


「ありがとうございます。でもやっぱり、どうしても理想の姿に憧れてしまいます」

「そうね……。そんな簡単に割り切れることなら初めから憧れたりしないものね……」


 私も若い頃は自分にはない物を持っている人に憧れたものだ。

 それこそ高校生の頃は、可憐でありながらも色気と知性があって、コミュニケーション能力が高く人気者だった麗子に憧れた。


 ――でも今は違う。

 大人になるにつれていろいろと経験して視野が広がり、ありのままの自分を受け入れられるようになった。

 あまり自分を卑下すると、私のことを好いてくれている人が悲しむことと、自分に魅力があるからこそ好かれていることに気づいたからだ。


 それ以降は自分と他人を比較しなくなった。

 そして自分と向き合って自己研鑽に努めた。


 とはいえ、別に自分に自信がなかったわけではない。当時は若さ故のどこから来ているのかわからない謎の自信があった。

 それでも自分にはない物を持っている人に憧れてしまうのが、人間という生き物なのだと思う。


「有坂には有坂の魅力があるだろ」


 そう、悠くん言う通り、澪ちゃんには澪ちゃんの魅力がある。

 それは私にはない彼女だけの魅力だ。


 若さはもちろん、艶が合って光沢のある黒髪、ハリがあって潤いのある肌、たるみが一切ない完璧な肉体、化粧なんて必要ないのではないかと思わされるほど整った顔立ちなど、どれも私が持ち合わせていない物である。


 澪ちゃんの姿を見れば見るほど、私は年を取ったのだな、と思わされてしまう。


「初対面だから内面についてはなにも言えないけれど、外見に関しては私にはない物をたくさん持っているから素直に羨ましいと思うわよ?」


 まあ、顔立ちの良さに関しては私も負けていないと思うけれど。


「そうなんですか……?」

「ええ、そうよ。もし私が澪ちゃんと同級生だったら、憧れたり嫉妬したりしていたかもしれないと思うほどだもの」

「それは嬉しいような、怖いような……」


 複雑そうに苦笑する澪ちゃんは、そう言いながら再び頬を掻く。


 確かに女のやっかみほど厄介なものはないので、澪ちゃんが複雑な心境になってしまうのは良くわかる。

 でもさすがに未成年相手に負の感情を抱いたり、ぶつけたりはしないから、私の口から出た言葉は含むところのない純粋な称賛だ。


「それじゃ、デートの邪魔をしたら悪いから、私はこれで失礼するわね」


 他意はないことを知らせるために澪ちゃんに微笑みかけた私はそう口にすると、悠くんに視線を向ける。

 そして――


「悠くんもまたね」


 と声をかける。


 すると、悠くんは小さく笑みを零しながら「うん」と頷いた。


 そうして別れの挨拶を済ませた私は、その場を離れて買い物に戻るのであった。

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