第9話 遭遇

 声のしたほうへ顔を向けると、そこには予想した通りの人物がいた。


「舞さん」


 俺がそう呟くと、隣にいる有坂が驚いたように目を見開いた。

 ちょうど舞さんの話をしていたところだから驚くのは無理もない。


 まさか当人が登場するとは誰も思わないしな。

 しかも有坂にとっては恋敵になるわけだし……。


 三角関係の当事者が揃ってご対面というわけだ。

 舞さんに会えたのはうれしいけど、無性に居た堪れなくなってきた……。


 まあ、三角関係の中心にいる俺が原因なんだけどさ……。

 舞さんに対する想いを諦めきれないのも、有坂の気持ちを知りながら都合良く利用しているのも全て俺自身だから、完全に自業自得です……。


「偶然ね」

「そうだね。舞さんは買い物?」

「ええ」


 このショッピングモールは舞さんの自宅の最寄り駅から三駅しか離れていない。

 なので、買い物に来た舞さんと遭遇してもなんら不思議ではない。


 とはいえ、まさか出くわすとは思っていなかったから少しだけ動揺してしまった。――表面にはおくびにも出さなかったが。


「悠くんはデート?」


 舞さんがちらりと有坂に視線を向ける。

 すると、なぜか罪悪感が押し寄せてきた。


 なにも悪いことはしていないのだが、一応、舞さんにアプローチしている身なので、ほかの女性と二人でいるところを見られるのは後ろ暗さがある。


 でも、舞さんには嘘を吐きたくないから正直に答えるしかない。


「……うん」


 一瞬言い淀んでしまったのは大目に見てほしい……。


「……そのジャケット、新しいやつ?」


 居心地の悪さから逃れるように話を逸らす。


「ええ。この間、買ったのよ。良くわかったね」

「舞さんのことならどんな些細な変化でもわかるから」


 今日の舞さんは白のセーターの上に黒のジャケットを着ていて、そこに黒のスラックスとパンプスを合わせている。手にはハンドバッグを持っており、耳には照明に反射してキラリと輝くピアスを身に付けている。


 うん。今日もかっこいい。好き。

 大人の女性の色気がありつつも、クールな印象を周囲に与えている。

 やっぱり舞さんにはこういう格好が似合う。


 百六十センチ後半の身長と長い手足を持つスタイル抜群の舞さんには、余計な装飾は必要ない。素材がいいとシンプルな服装でも良く映える。まるでモデルみたいだ。


 まあ、舞さんならなにを着ても似合うと思うし、どんな格好をしていても俺は好きなんだけどね!


「かっこ良くていいね。仕事ができる大人の女性って感じで、良く似合ってる」

「ふふ、ありがとう。でも、女の子とデートしている時にほかの女性のことを褒めたら駄目よ。今はその子のことだけ見てあげて」


 息子にするような優しい口調でたしなめる舞さんの姿に、俺は寂しさに包まれる。

 やはり舞さんは俺のことを息子としか思っていないようだ。少しくらい嫉妬してくれてもいいのに、と拗ねたくなってしまう。


 大人の余裕を保っている舞さんを妬かせることすらできない現実に、男として、彼女に想いを寄せている身として、非常に情けなくなる。


 どれだけアプローチしても、舞さんには全く効果がないのだろうか……? と少し弱気になってしまう。――まあ、舞さんのこういうクールなところが好きなんだけど。だからこそ余計にもどかしくもある。


 だが、はなから無謀なアプローチだということは理解している。


 息子のようにしか思われていないことも、二十個も年が離れていることも、既婚者だということも、母の親友だということも、全てわかった上でアプローチしている。


 駄目で元々だ。そう簡単に諦めたりはしない。

 というか、そんな簡単に諦められたら、こんなに恋心を拗らせてはいないしな。


「それはその通りだけど……言わずにはいられなかったんだよ」


 話を逸らすのが目的で言ったことだが、別に嘘や誤魔化しを口にしたわけではない。

 純粋に舞さんの私服姿が魅力的だと思ったから、素直な感想が自然と口から出ただけだ。


 まあ、だとしても、舞さんの言う通り有坂の目の前で言うことではなかったのかもしれない。


 俺に想いを寄せてくれている彼女からしたらおもしろくないことだろうしな――と自身の軽率な行いを反省しながら有坂に視線を向ける。


 すると――


「わたしは気にしてないよ?」


 全く気にした素振りがない有坂が笑みを零しながらそう言った。


「……そうか。すまんな」

「ううん。大丈夫だよ」


 有坂の安心させるような温かみのある笑みのお陰で罪悪感にさいなまれずに済んだ俺は、安堵してほっと胸を撫で下ろす。有坂に嫌な思いをさせるのは俺の本意じゃないからな。


 今日は有坂を楽しませるのがなによりも優先すべきことだったはずだ。

 彼女を疎かにしてしまったことに対する埋め合わせのデートなのだから――と本来の目的を改めて心にきざむ。


「お気遣いありがとうございます」


 舞さんに頭を下げる有坂。


「余計なお世話だったかな……」

「いえ、そんなことありません」

「そう。なら良かったわ」


 安心したように微笑んだ舞さんは、「そういえば、自己紹介がまだだったわね」と思い出したように呟く。


「私は悠くんのお母さんの友達で、篠崎舞と言います。よろしくね」

「有坂澪です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 舞さんが先程よりも更に柔和にゅうわな笑みを向けると、有坂は小さく笑みを零しながら丁寧にお辞儀をした。

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