第11話 負い目

◆ ◆ ◆


「――大人の女性って感じでかっこよくて、優しそうな人だったね」


 去っていく舞さんの背中を眺めている有坂が感慨深げに呟く。


「綺麗な人だったし、氷室君が舞さんのことを好きになった理由がわかった気がした。もちろん、表面だけでの感想だけどね」

「そうか……。俺はただただ居た堪れなかったけどな……」

「そうなの? 平然としているように見えたけど」

「平静を装っていただけだ」


 そりゃあ、セフレとデートしている時に、想いを寄せていてアプローチしている女性と出くわしたら気まずいに決まっているだろう。

 いくら舞さんが俺と有坂の関係を知らないとはいえ、気まずさは変わらない。――まあ、完全に自業自得なのだが……。


「有坂が意味深な言い回しで「と仲良くしていますよ」と言い出した時は、さすがに肝が冷えた」


 溜息交じりそう言った俺は肩を竦める。


「はは、ちょっと意地悪したくなっちゃって……」


 苦笑しながら頬を掻く有坂の様子に、俺はなにも言い返すことができなくなってしまう。


 彼女にとっては恋敵が突然、目の前に現れた形になる。

 しかも、その恋敵が原因で、俺にはいつまでたっても曖昧な関係を続けてさせられている。


 そんな状況だったのだから、有坂にとっては複雑な気分になってもおかしくない。

 俺に意趣返ししたくなっても、舞さんに意地悪したくなっても仕方がないだろう。


「ごめんね?」


 有坂が申し訳なさそうに俺の顔を覗き込む。


 いや、有坂はなにも悪くない。

 ――悪いのは俺だ。


「……お前の立場だったら不満の一つや二つくらい零したくもなるだろ。そもそも悪いのは俺なんだから、気にするな」

「氷室君が気にしていないならそれでいいけど……」


 そう口にした有坂はなぜか渋面になる。


「納得できないと言いたげだな」

「そういうわけじゃなくて、ただ……」

「ただ?」


 口籠る有坂に続きを促すと、彼女は顔を伏せながら言いにくそうに呟く。


「……ただ、わたしにも後ろめたさがあるから」


 有坂の口から出た言葉は、俺が全く予想していないものだった。


「氷室君はわたしのことを都合良く利用していると思っているかもしれないけど……」


 有坂はそこで一旦言葉を止めると、ゆっくりと顔を上げた。

 そして俺と目線を合わせながら続きの言葉を口にする。


「むしろ、わたしのほうが氷室君のことを利用していると思っているよ」

「――は? お前が? お前が俺のことを利用しているって?」


 いやいや、鬱積うっせきしたもやもやを吐き出すためにセフレとして都合良く利用しているのは俺のほうだぞ? 有坂は好意につけ込まれて利用されているだけだろ。


「わたしは氷室君がずっと抱えていた想いを告げることができずに苦しんでいるのを知っていながら、その気持ちにつけ込んで構ってもらって渇いた心を潤して、あわよくば自分の虜になってほしいと願っているから……」

「……それは悪いことなのか?」


 好きな人に構ってもらいたいのは誰だって同じだろうし、振り向いてほしいと願うのも自然なことだと思うのだが……。


「現に今も舞さんと一緒にいたいはずの氷室君を拘束して、貴重な時間を奪っているし……」


 確かに舞さんと一緒にいたいのは事実だが、別に拘束されているとは思っていない。むしろ一緒にいるのは俺が望んでやっていることだ。――罪悪感から逃れるためにやっている埋め合わせだろ、と指摘されたらなにも言い返せないが……。


「俺は俺で今この時間を楽しんでいるから、お前が気に病む必要はないぞ」

「……本当?」

「ああ。さっきも言ったが、俺にとってお前は特別な存在だからな」


 不安で揺らいでいる有坂の瞳を見つめながら答えると――


「もう……ずるいよ」


 有坂は照れを隠すように顔を逸らした。


「そういう思わせぶりな態度で平然と甘い言葉を囁くところが本当、罪作りだよね、氷室君って」


 照れと呆れが混在して複雑な表情になった有坂はそう呟く。


「無自覚なのはわかっているけど……」


 図星だった俺は、溜息を漏らす有坂に「悪い……」と反射的に答えていた。


「まあ、そんな氷室君の言葉に容易たやすく満更でもない気分になるわたしもチョロくて情けないんだけどね……」

「それは別に情けなくないだろ。好きな人の言葉に一喜一憂するのは誰だって同じだろうしな。まあ、俺が言うことではないかもしれないが……」

「ふふ、ほんとにね」


 有坂が自嘲してしまう原因を作ったのは俺だ。

 だから彼女からしてみたら、お前が言うな、とツッコミたくなる状況だろう。


 しかし幸いにも有坂に気分を害した様子はなく、むしろ楽しげに笑みを零した。


「氷室君を一喜一憂させるのが舞さんじゃなくて、わたしだったら良かったのにな……」

「……」


 顔に影が差した有坂が寂しげに呟く。


 寸前の笑みはなんだったのかと思うほどの変化に、俺は呆気に取られてしまう。

 そのせいで反応が遅れてしまい、沈黙が場を満たしてしまった。


 だが有坂に気にした素振りはなく、変わらない調子で言葉を続ける。


「氷室君って舞さんと話す時は言葉遣いが柔らかくなるみたいだし、わたしにもそうなってくれると嬉しいな、って少し思っちゃった」


 確かに舞さんと話す時は言葉遣いが柔らかくなる。

 でもそれは意識してやっていることではない。身体に染みついてしまった癖みたいなものだ。


 誰だって成長する過程で大なり小なり言葉遣いが変わると思う。

 大人っぽくなったり乱暴になったり変わり方は人それぞれだろうが、今と昔で言葉遣いに違いがあるのは俺にも当てはまることだ。


 生まれた頃から一緒にいる母親同然の舞さんが相手だと無意識のうちに甘えてしまい、昔の感覚で喋ってしまうのかもしれない。要は子供っぽくなるということだ。


 ――もしかして、こういうところが原因で舞さんに息子としか思われないのでは……?


 なんせ俺は自他ともに認めるマザコンだからな。――まあ、実の母が相手だと言葉遣いが柔らかくなることはないが。


「別に好きな人が相手だから言葉遣いが柔らかくなるわけじゃないぞ?」

「そうなの?」

「ああ。親に甘えているようなものだからな」

「……なるほど?」


 口ではそう言う有坂だが、納得していないのか首を傾げる。


「舞さん以外が相手の場合は基本、今の話し方をしているからな。もちろん狙ってやっているわけではなく、無意識にだが」

「つまり、舞さんだけ特別ってこと?」

「確かに……そういうことになるのか……?」


 意識してやっていないからこそ特別なのかもしれない。そうじゃなければ、多分、舞さんに対しては意識的にほかの人と同じ言葉遣いをしているはずだ。


「なんか……ちょっと悔しいな……」


 ぽつりと呟いた有坂は――


「わかっていたことだけど、やっぱり舞さんは強敵だなぁ……」


 少し声量を上げてそう零すと、身体が脱力した。


「……」


 立場上、返す言葉に窮してしまう。

 この場合、どう言葉をかければいいのだろうか……?


 そもそも俺になにか言う資格があるのか?

 元凶の俺に励まされても腹立たしいだけだろうし……。


 なんてあれこれ考え始めた矢先に、有坂がおもむろに口を開いた。


「もっと氷室君にとっての特別になりたいから、わたしを彼女にしてくれないかな……?」

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