第131話 伝説的な終幕
風が吹いた。
宙に浮かんだ扉を開いたら、中から風が吹いてきた。屋内からぶわりと、髪を揺らすほどの強い風が。思わず目を瞑ってしまったけど、長くは続かなかったので芥は目を開けた。
すると、まだ扉を開いただけだというのに、周囲の景色は一変していた。一転して、変わっていた。
「ダンジョンのギミックか?」
「何分、私たち全員SSクラスを攻略したことがないのでわかりませんわ」
「でも、外と比べたらすごい穏やかな感じだねー」
扉を開けてみればそこは、草原の広がる空間だった。どこまでも広がる草原と、草原を包み込むように広がる青空に囲まれた場所。
どことも知れない場所に迷い込んだ三人は、遠くにぽつんと立つ一軒家を見つけた。一軒家と、傍に立つ木と、木陰にあるベンチ。
そこに座る二人を、彼女たちは見つけた。
「……まさか、ここまでくるなんてな」
「期待してた通りってそこ言ってほしいもんだ。久しぶりだな、死神」
「ひーくぅぅん!! 会いたかったよぉおおお!!!」
感動の再会……と、言うには少々温度感に差があった。それこそ、ここにきてとどめていた感情のダムが決壊したかのように、涙交じりに非佐木の元へと駆け寄る芥であったが、しかしその再会は非佐木が前に突き出した手によって遮られてしまう。
「ちょっと待ってくれ。こっちの芥が起きちゃうから」
「……あ、う、うん」
こっちの芥と言って非佐木が目を向けたのは、芥としては初対面となる真っ白な少女――白芥であった。
ダンジョンが作られるようになった原因にして、世界を蝕むウィルスの親玉。
この世のあらゆるモンスター災害の元凶は、しかし穏やかに非佐木の肩に体を預けてすやすやと眠っていた。
そんな彼女を慈しむように、彼は向かってきた芥を止めた手を動かして、白芥の方を揺さぶった。
「おーい、起きろ芥」
「ん……ん? なに、ひーく……っ!!」
寝ぼけ眼におきた白芥は、しかしすぐそばに近づいていた芥の存在を見つけた瞬間に、その意識を覚醒させた。
自分たちの、自分たちだけのための空間に侵入してきた異物。
彼女にとって、それは非佐木と自分を引き離す障害に他ならなかった。だからこそ、敵意と殺意をもって彼女は手を前に出す。
ウィルスとしての機能を、行使するために。リソースを放出し、データを投影し、手駒となるモンスターを出現させるために――
「それはだめ」
「……え?」
「受け入れようよ、芥。俺たちは負けたんだ。君が最強の守護者として用意したかつての俺が負けたからこそ、彼女たちはここに居るんだよ」
「う、うそ……そんな……嘘だ!」
「嘘じゃない」
しかし、白芥の攻撃を非佐木が遮った。
その様子を見ていた未若沙は、凶月事件の際にモンスターが自分に襲い掛かって来た時のことを思い出し、(そうやって止められるなら止めてくれよ)と内心でもやもやしつつ、その様子を見ていた。
まあ、そんな乙女のもやもやはともかくとして。
負けた、と非佐木ははっきりと口にした。はっきりと、彼は言ったのだ。
それはつまり――
「……私たち、もう一緒に居られないの……?」
白芥の下から、非佐木が離れてしまうということだった。
ふむ、となずなはその成り行きを見ていた。そして未若沙は、自分たちの予想が正しかったのだと、そっと密やかに胸をなでおろした。
ダンジョンの攻略の結果、非佐木が取り戻せなければ、自分たちが今までやってきたことは何だったのか、と言いたくなる。その可能性もあった以上、非佐木の無事と、そして敗北による目的の達成がはっきりしたのに、彼女たちはひとまず安堵したのだった。
「ね、ねぇ……ひーくん」
「どうした?」
非佐木は、芥を芥と呼ばなかった。おそらくは、白芥に配慮してのことだろうけれど、少しだけ芥の胸が痛む。
まるで、自分が偽物で、あっちが本物だと言われてるようだったから。
いや、実際そうだ。あちらが本物で、自分が偽物で、それはどうしようもない事実なのだ。だから、だから――
「え、えと……そっちの芥ちゃんも、一緒に帰れないかなーって……どう?」
非佐木から離れたくないという気持ちは、痛いほどによくわかった。
偽物の芥が思う非佐木の恋慕が例え偽物だったとしても、それは本物である白芥が抱いた恋慕なのだ。その想いに、偽りなんてない。
だからこそ、彼女は非佐木と一緒に居たいはずなのだ。結果が、京都崩壊と凶月事件という大災害になってしまっただけで。
彼女の根本にあるのは、非佐木に対する愛情だったはずなのだ。その七歳の見た目らしく、好きな人と一緒に居たいなんて……そんな、想いがあったはずなのだ。
それを無理矢理引き裂くなんて結末は、しかし芥が考える大団円の中にはなかった。
「あら。異なことをおっしゃりますわ」
「いや、おい、それは……」
そして、その言葉にはなずなも未若沙も驚かずにはいられない。なぜなら、彼女たちの最終目標は、地上に顕現したウィルスの下から非佐木を取り戻すというモノだったからだ。
悪とまでは言わないモノの、この世界に対する侵略者を、非佐木が一人で食い止めているというのだから、彼女たちからすればその元凶と対峙し、ともすれば非佐木と共に戦うシナリオまで考えていたほど。
それが……彼女を連れて帰る? 世界を侵食するウィルスを? モンスターの元凶を? 何時だって暴走現象のような災害を引き起こせる、真正の怪物を?
はっきり言って、正気の沙汰じゃない。
そもそも、彼女の今の状態は、ウィルスの本能としてこの世界を侵食する意思を、非佐木と共に居るという恋心で上書きしているものではなかっただろうか。
もし、連れて帰ることができたとして……ウィルスの本能が暴走しだしたらどうなるのだろうか。
そんなもの、時限爆弾と変らない――
「んー……ちょっと説明が難しいんだけど、多分大丈夫だと思うんだよね」
「おい、せめて根拠をしっかりと持ってから言ってくれよ、そういうのは。世界の命運がかかってるんだぞ」
「ごめんごめんひーくん。でもさ、ほら。私が世界滅ぼすぞーってなってないから、大丈夫なんじゃないかなって思ってさ」
「……は?」
は、と芥の言葉に思わず呆れてしまった非佐木であったが、しかし続く未若沙の捕捉によって、芥の提案がただの愚考ではないと判断した。
「つまりあくたんが言いたいのはあれだろ? こいつが煉瓦の死体に適当なデータと白芥のデータを入れて作られた偽物なのに、ウィルスの本能に毒されないってことは、意外と大丈夫なんじゃないかってことだろ?」
「そうそうそういうこと! ほら、私って芥ちゃんの要素けっこうあるんじゃないかなーって思ってさ。一応、偽物だし? だけど、全然そんな世界を壊してやろうなんて思ったこと無いしさ。だから、そっちの芥ちゃんも、そんなことにならないんじゃないかなって思って……ひーくん?」
「……いや、ちょっと待ってくれ」
判断が難しい。
確かに、芥の言うことにも一理ある。彼女が白芥の偽物である以上は、必ず白芥としてのデータが、因子が多分に含まれるはずだ。
それこそ、非佐木同様にクラス5に至れたのだから、確実に彼女の中には白芥としての――ウィルスとしての因子が内在しているし、その量は、少年Xとの戦いで飛び出してきた麻木や非沙美のような少量ではないはずだ。
いや、麻木や非沙美が芥を構成するデータのどれ程を占めていたのかはわからないけれど、目の前で二人が消えたはずなのに、芥が芥として成立している時点で、そう多くなかったのは確かだろう。
それに比べれば、非佐木への恋慕を抱くほどに本物に近い彼女は、多くの因子をデータとして保有している。ウィルスそのものではなくとも、半ウィルスと言えるほどには、持っているはずだ。
だというのに、その本能に囚われていない。ただ――
「俺たちは、その根本を探れない」
それは、イレギュラーにして異物たる芥だからこその特性かもしれないのは言わずもがな。白芥にまでそのルールが適用されるとは、判断しきれないのだ。
今更芥を解剖してその内側を知るわけにはいかないし、そもそも内包されたデータを確かめる術があるのかすらわからない。
麻木と非沙美が芥から飛び出て来たのだって、いったいどんな条件と因果が絡まり合った末に生まれたのかわからないほどの奇跡なのだ。
その確率を確立することさえできな程の奇跡から、逆説的に彼女の内側を推測することはできても、確定させることはできない。
だからこそ、この話は難しいし、迂闊にはなれない。
「一つ疑問があるのですけれど、よろしいでしょうか?」
ただ、ここにはこの少女がいた。難しいことを考えるよりも邁進する猪ガールが。
変に推測を含めるよりも、その考えを補強することを、或いは間違いだと考えるための答えを重ねるやり方で。
彼女は答えに近づこうとした。
「どうした、なずな」
「いえ、単純に……10年前と、凶月事件のほかにも、
そういえば、と思い出されたのは、彩雲ダンジョン突発性暴走現象。確かに、10年前と凶月事件が白芥のしわざだとすれば、こちらもまた白芥の仕業になるだが――
「え、えと……あの時は……ちょっとだけ、みんながひーくんと一緒いてズルいって思ったから……」
嫉妬である。
どうやら、白芥は嫉妬の果てに、あのような災害を起こしたらしいが……それについて、未若沙は別の視点を持った。
別に、白芥が嫉妬して災害を起こすような危険なやつだとは思いはしたが、彼女の思考が七歳児程度ならば、嫉妬に駆られてそんなことをしてしまうのもさもありなん。如何せん、出来る暴力の幅が大きすぎたのだ。
ともかく、白芥の八つ当たりは一先ず横に措いておいて、未若沙は思った。
「外のことを認識していたのか?」
ふと、気になったのだ。
「あ!」
その疑問に対して、静かに芥は思い出した。今まで、といういよりも、今の今まで一度も思い出すことのなかったそれに。
「そ、そういえば……暴走現象の時に、白い影見てたかも……」
「え?」
「まじ?」
「う、うん。だって、貴方を通して、私は、ひーくんたちのこと見てたから……」
「……あー……話が変わって来たな」
芥を通して、外の様子を見ていたという白芥。その言葉によって、未若沙の判断は大きく覆った。
というよりも。
「あくたん。お前が監視役だ」
「えぇ!? どういうこと!? ……いやまあ、私が見てれば芥ちゃんが地上に戻れるっていうならやるけど……ずっと見てなんかしてられないよ?」
「いや、ずっと見てる必要なんてねぇよ」
果たして、そんなことを語る未若沙は何を思ったのか。ただ、程なくして非佐木も同じ結論に到達したのか、ちらりと白芥の方を見た。
「つまり、こっちの芥が使ってた繋がりを使って、芥の中に芥を内包させる……ってことか」
「……はい?」
「ほら、さっきお前の体から非佐木の両親出て来ただろ。それの逆をするんだよ。ま、何が起きるかはわからねぇが……どうする?」
当然の如く疑問符を浮かべる芥に対して、未若沙がわかりやすく捕捉を入れた。
元々ウィルスである白芥は、データとしてこの世界に存在している。ならば、その情報をそのまま、煉瓦の死体にデータを入れ込んだように、芥の中に入れ込めば、いいのではないのだろうか、と。
「それ、大丈夫なの……?」
「わからん。わからんが……これで一つ、解決することはあるな」
「解決することって……ああ! 私が最初に言ってたこと?」
「そう。もし、芥がウィルスの本能から逃げることができる仕組みがあるとすれば、それはお前の中にしかない。だが、そっちの芥がお前の中にそのまんま入っちまえば、その仕組みにあやかって、本能から逃れられるかもしれねぇ」
可能性はある。ただ……芥の中にあるウィルスの因子、その割合が高まって、そもそも意味がないなんて結果になる可能性もある。
ここまでくると、神のみぞ知るとしか言いようがないけれど……ただ、何の枷もなく白芥を連れ出すよりも、無事である公算は高いはずだ。
「一応聞いておきますけれど、そちらの芥は凶月事件の主犯でありますが……世間様がお許しになられるのでしょうか?」
「あんな大事件を一人の幼女が起こしたとか誰が信じるかよ、まな板。それに、ダンジョンの暴走現象は巷じゃ災害だ。分類は地震や津波と同じだぜ? 今の時代、魔女狩りなんて流行りじゃねぇ」
確かに、流行り病や災害が魔女、或いは悪魔の仕業とされ、そういった異分子を処刑する風習があったのは確かだけれど……高度に情報化された現代において、そのような与太話はむしろ信じられない。
被害の規模が大きければ大きいほどに、個人の裁量から逸脱し、たった一人の犯行だとは信じられなくなる。
というよりも、人間の犯行だということ自体が、信じられなくなる。そして、白芥はその正体はともかくとして、見てくればかりは神秘的ながらも、彼女は七歳の少女でしかない。
愛らしく、純朴で、かわいい幼女でしかない。
果たして、彼女が京都を崩壊させた大災害を起こしたと言って、誰が信じるか。
「それに、あーしからしてみれば故意とも言い切れねぇだろあれは。どっちかってーと事故だぞ事故」
「まあ、確かに、責任を追及したところで、そこの幼女に何か責任が取れるとも思えませんわ」
事故。
確かに、彼女としては愛しい彼に会いに来て、愛し合いに来ただけなのに、暴走現象が起きてしまったのだから、事故でしかないだろう。
「……嫉妬って事故なのかな?」
「言うなあくたん。ここであの芥と戦闘になったり、そのせいで世界が暴走現象に包まれるたりするよかマシだろ」
「ま、まあ……それもそうだけど……」
疑問を浮かべる芥に対して、未若沙は言わないお約束をこっそりと耳打ちした。いやまあ、芥としても救いたい人物を救う方向に話が進んでいるのだから、文句はないのだけれど。
それに、日本には少年法というものがある。見てくればかりは七歳児の白芥ならば、適用内のはずだ。
まあ、結局のところ――
「この際、世間の目は措いといて……芥。できるか?」
そういった非佐木は、白芥の方を向いて言っていた。
「で、出来ると思う、けど……そうしたら、ひーくんと一緒に居られる?」
「まあ、そうだな……」
白芥からのそんな問を聞いて、ちらりと、非佐木は今度は芥の方を見た。一緒に居られるかという話に、彼は――
「……頑張ります」
「もー!」
彼は、結論を濁したのだった。
その様子を、もしかすれば彼の両親はへたれだのなんだの言っていたかもしれないし、この場に彩雲高校の悪友が揃っていれば、告白だのなんだの騒ぎ立てていたかもしれない。
ただ、ここに居るのは三人の女子。
その誰もが、只ならぬ思いを非佐木に寄せている。
だからこそ、暗黙の了解とでも言おうか。一緒に居るという言葉を濁し、頑張りますと語った非佐木の言葉を、誰も深く追求しなかった。
(ま、まだ負けてない。まだ負けてないはずだよな死神ィ!!)
(が、がががが頑張るって……どういうことひーくん!? 期待しちゃってもいいの!?)
(ふむ……今度は料理対決も楽しそうですわね)
若干一名、どこかずれた思考をしているけれど……彼女もまあ、その気持ちに気づいていないだけで、当然の如く非佐木と共に居る未来を想像している一人である以上は、無関係ではいられない。
ともあれ、ともかく。
そんな非佐木の煮え切らない態度は措いておいて。
「えと……芥、ちゃん?」
「……ごめんなさい」
「え?」
「ひーくん、独り占めしちゃったから……」
白芥を自分の中に入れる。方法はともかくとして、その目的をもって芥は、彼女へと近づいた。
すると、少しばかり申し訳なさそうに、白芥は謝罪をしたのだった。
そんな白芥の姿をほほえましく思いながら、芥は――
「大丈夫だよ。ひーくんはかっこいいからね。独り占めしたくなっちゃうのも仕方ないよ」
「うん。ひーくんかっこいい」
「だから、今度は二人占めしようか。私と、貴方で」
「うん」
二人の手が絡み合う。すると、不思議なことに白芥の気配が希薄になっていった。薄れていく。静かに、沈み込むように。
そして、芥の胸に飛び込むかのように白芥が消えたかと思えば、そこに白芥の姿は無くなっていた。
「……大丈夫か、芥?」
「んー……特に何かが変わったって感じはしないかなー」
「そうですか。それは重畳ですわ」
果たして、こうして一連の事件は終わりを迎えた。
芥と白芥の融合。そして、非佐木の帰還という、結末をもってして。
『おい、クソガキ! なにお面してんだよおい!』
「うるさいぞ狗頭餅。戻ってきて早々調子に乗るな」
『はっはー! 顔を隠したいから俺出したくせに、いいきになってんじゃねぇぜクソガキ!』
「くっ……」
はてさて、狐狗狸子の面で顔を隠さないといけないほどに赤面している少年のことはともかくとして。
「大団円、かな?」
案じていた未来は――世界中のダンジョンが暴走するなんて未来は訪れず、一息を突いた芥たちは、そのままの帰路についた。
その結果を大団円と捉えた彼女であるが、案ずることなかれ。
この結末だけでは、大団円というには少しだけ足りない。
この物語は、エピローグをもって大団円となる。
しかし、それはすぐ訪れるような、簡単な未来ではなく、すぐに取り戻せるような、簡単な結末ではない。
だからこそ、時計の針を少しだけ進めよう。
十年後の。
物語の終わりまで。
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