第123話 伝説的な新月


 一月住ぬる二月逃げる三月去るというように、年明けからの三か月はあっという間に過ぎ去ってしまう。


 光陰矢の如し。暮れた日の数を数えられるほどに余裕のない彼らは、対策と鍛錬と準備を怠ることなく続けた。


「みんな、準備はできた?」


 そして来る三月。決戦の日。


 12月に決心して結成されたSSSクラスダンジョン『月天魔境』攻略部隊は、叢雁のサポートを受けてこの日のためにレベルアップを積み上げていた。


 もちろん、そのすべては非佐木を助けるため――


「宣伝よし! 機材よし! スポンサーよぉおおし!! さ、これでいつでも準備万端だね!」

「なんのだよ、ミル」

「もちろんバズる準備に決まってるじゃーん」


 とは、言い切れないのが此度の攻略メンバーである。


 というよりも――


「第二部隊から第七部隊まで配置は完了している。あとは、君たちメインの第一攻略部隊の準備さえ終われば、作戦は始まる」


 非佐木を助けるという、言い換えれば難易度SSSクラスダンジョン『月天魔境』を攻略するという旅路は、叢雁篝ということの始まりにして出遅れた男の参戦によって、かなり多くの人間を巻き込んだ大作戦へと発展していたのだ。


 いやはや、多くの人間を巻き込んで、とは言うけれど、元々この作戦が成功した暁には、世界中の人間を巻き込んだダンジョン災害が相次ぐ以上、最初から世界を巻き込んだ作戦と言えるのだけれど。


 ともあれ、この戦いは、芥たちだけの戦いではなくなってしまった。


 叢雁篝プロデュースの大規模作戦にまで膨れ上がった結果が、これ。


 七つの部隊に分けられた、S、Aクラスの間引きを担当するような強力な冒険者たちを招集した、大作戦なのだ。


「き、緊張する……」


 そんな言葉を零すのは、バックアップを含めて千人以上の人間が関わっている本作戦における中心人物にして重要人物。


 推定される最後の戦いにおける立役者である、廉隅芥である。


 芥。もとい、ケシ子。


 依存性の高いモルヒネを分泌し、麻薬取締法によって栽培が禁止されているケシに由来するその名前は、まさしく普通では見ることのできないような高嶺の花。


 一度見れば、もう一度見たくなる。


 ここでしか見ることのできない、高嶺の花。


 見てはいけないと、あってはならないと隔離された花。


 ともすれば、吹けば飛ぶような塵芥なのかもしれないけれど。それを、アイドルとして芥子に変えたのは、他ならない彼なのだ。


「……」

「どしたのケシ子ちゃん」


 果たして、芥にそんな知識があるのかは不明であるが、そんな思いを込めて非佐木が残した彩雲プランテーションとしての芥の名を呼ぶのは、ここにきてそわそわとテンションを上げているミミであった。


 ミルチャンネルがリーダー『ミミ』

 本名を南向麦という彼女は、今年で高校三年生になる受験生筆頭であった。


 今回の作戦が三月にまでもつれ込んだのは、やはりそういった層への気遣いが最大の要因か。ただ、三か月という準備期間は不足を埋めるには十分な時間であり、叢雁はこの時間を駆使して最大限の備えをしたわけではあるが。


 ともあれ、そうしてあらゆる試験を乗り越えた彼女がテンションを上げているのは、やはり受験シーズンを乗り越えたことが大きそうだ。


 随分と調子がよさそうだ。それこそ、羽が生えて飛んでいきそうな勢いである。


 だからこそ、その余裕を持った目は、余裕がなさそうな少女を捉えたのだろう。


 心配そうに俯く芥を見つけたのだろう。


「大事な作戦前に気を落としてたら、楽しめる視聴者も楽しめなくなっちゃうよ。ほら、先輩に何でも言ってみなさい」


 とはいうものの、あわよくば頼りになる先輩というイメージを作りたいだけのミミである。できるのならば、この作戦の主役の座も奪いたいぐらいの想いを抱いている彼女である。


 無論、それができないからこそ、サポートに回っているわけなのだが。


 ともかく、過去に、具体的には夏に、芥の前でかなりのキャラ崩壊を含めた醜態をさらしているミミであるが、優しい芥はまだまだミミを頼りになる先輩と認識していることもあって、その胸に抱く迷いを芥は素直に吐露した。


「ほ、本当に、やっちゃっていいのかなって」

「……まさか、この期に及んでまだ世界がどうのとか考えてる感じ?」

「実は……はい……」


 やはり、自分勝手になり切れないのは、芥らしいというかなんというか。薊の涙によって吹っ切れたはずなのに、それでもなおこの判断が正しいのかどうかで、彼女は悩んでいたらしい。


 ただ――


「えいっ」

「痛っ!?」


 その態度は、ゲラゲラ同様に自分勝手の極みに位置するミミにとって、かなり拙い姿に見えたようで、お仕置きとでもいうかのような手刀が芥の後頭部へと襲い掛かったのであった。結構全力目で。


「な、何するんですか先輩!?」

「あー……正直、こっからいうことはオフレコでお願いしたいし、本当に柄でもないことなんだけど……馬鹿じゃないの?」


 果たして、二人のやり取りをいつも通り後ろから見ていたミルチャンネルの参謀キタこと北野原は、そこまで直接的な言葉を使ったミミの姿に目を丸くした。


 他人の前でいい子ぶることに長けた……いや、それこそ仮面をかぶることに徹していたミミが、それをやめた。それも、いつものメンバーだけじゃない場で。作戦をするにあたって、自分たち以外にもたくさんの冒険者がいるような場で。


 その事実に、大きな衝撃を受けたのだ。


 もちろん、芥も驚いたが――


「いい? はっきり言うけど、余計なお世話なんだよね」


 彼女が驚き切るよりも先に、ミミは文句を口にする。


「ダンジョンが暴走する? モンスターに襲われる? はっきり言っちゃえば、そんなもので死ぬ方が悪いよ。はっきり言いきっちゃえば、そうなる可能性を忘れてのうのうと生きていた方が悪いんだよ」


 なんとも極端な言い草だ。ただ――


「だって、30年前にそれで痛い目を見ているはずなのに、そうなる可能性を考えないことの方がおかしいでしょ。完璧なんてないならなおさら」


 間違っているとは、言い切れない話だ。


 30年前。突如として発生したダンジョンに対応できなかった人類は、間引きの条件白も知らずにダンジョンを放置し、世界各地で暴走現象を多発させた。


 世界革命と呼ばれる現象にして、世界の常識を一新した大事件である。


 そんなことがあったのに、今まで通りに生きようとする方がおかしいのだと、彼女は語った。


 平穏無事な明日なんて、誰も保証してくれるはずもないと。


「だから私たちは備えるんだよ。私は私であるために、私として活動するために、その障害となるものを容赦なく叩きのめす。入念に準備をして、最大限に考慮して、その上で明日を平穏無事に生きるために務める。自分勝手に。自己満足に。自分のためだけに」


 当然のように彼女は語る。


 平穏無事な明日を誰も保証してくれないのならば、自らが保証しようと。明日も明後日も来年も、自分が自分として生きるために、生きていられるために。


「それに」


 続ける。


「下手をしたら世界中で暴走現象が起きる……だっけ? 馬鹿馬鹿しい。そんなもので、人間が滅びるわけないでしょ」


 続けて、言い切った。


「……え?」

「芥ちゃぁん……もしかしてだけど、暴走現象が起きたらみんな何もできずに死んじゃうと思ってない? 馬鹿にしてくれちゃって」


 果たして、それが馬鹿にするの範疇に入るのかはともかくとして。


 しかし、彼女は言った。人間が滅びるわけがないと。


 確かな根拠を添えながら。


「そんなもの、30年前にとっくに人類は経験してるでしょ。それも、ジョブとか冒険者とかがほとんどいない30年前に、それでも経験して、乗り越えて、それっぽい今までを続けてるんだよ?」


 30年前。それは、ダンジョンが現れた時代にして、ジョブというダンジョンに立ち向かうシステムが出現した時代でもある。当然ながら、ダンジョンが現れた瞬間に、それらジョブについている人間など当然存在しない。


 鶏がいなければ卵はないし、卵が無ければ鶏は生まれない。


 それでも、突如として現れた脅威を人類は乗り越えたのだ。乗り越えて、その上でそんなことを気にしなくてもいいような世の中に戻したのだ。


 ならば――


「だったら、今回の件だって何が起きたって問題ないはずだよ。どうせ、人類はそうやって乗り越える。だから、余計なお世話なのさ」


 さて、それは果たして、ミミなりの励ましだったのだろうか。それとも、うじうじと悩み続ける後輩に苛立ったミミが当てつけに怒っただけなのか。


 後ろで見ているだけのキタにはわからない。わからないけれど――


「……わかりました。そう、ですよね」

「そうそう。なんなら、芥ちゃんが見せればいいんだよ。モンスターなんて大したことないって、世界で一番難しいダンジョンを攻略してさ。どうせ、配信してるんだし」

「はいっ!」


 俯いていたはずの芥の視線は、いつの間にか前を向いていた。まっすぐと、これから乗り込むであろう凶月ダンジョンに浮かぶ月を、見定めていた。


 だからこそ、キタも何か言葉を挟むことなく、静かに突入準備を進める。


 撮影機材を確認し、スキルを確認し、ジョブを確認し、メンバーを確認し、作戦を確認して。


「ミミ。万端だ」

「了解」


 すべての準備が今、終わった。


「よっし、じゃあ発起人として挨拶してよケシ子ちゃん!」

「あ、は、はい!」


 芥からケシ子へ。先輩から同業者としての態度に戻したミミは、快活に準備を終えたチームメンバーたちの前に芥を出した。


「え、えと……」


 もちろん、作戦開始前に演説をするなんて予定はなかった以上、突如として回ってきてしまった出番に困惑する芥であるが――しかし、その目に迷いを浮かべながらも、それでもなお前を向いて言うのだった。


「私は……私は、私のためにひーくんを助けます。なので、私を助けてください。ひーくんを助けてください。そのために、力を貸してください!」


 芥らしいと言えば芥らしい演説は、ここに集まる第一部隊――彩雲プランテーションを中心として、ミルチャンネル、鬼弁組、DSFのメンバーが集められた空間に響き渡った。


 歓声は上がらない。だからこそ、緊張した面持ちでごくりと芥はつばを飲み込んだわけだが――


「何今更なこと言ってんだよ、ケシ子」


 未若沙ことショーコは、そんなことを言ってにやりと笑った。それに続くようにして、なずなことレオクラウドが声を上げる。


「ま、今更ですわね。元から、ここに居るメンバーはそれを目的として集まっているわけですし」

「まあまあ、ケシ子ちゃんも緊張してたんだからさ、その中で必死にひねり出した言葉を無碍にしてないであげてよ」

「でも、もうちょっと何か言うことはあったと思うぞ、俺は!」


 はてさて、彩雲プランテーションの面々につられて、それぞれのメンバーが口を開き始めたところで、下手なことを言った芥の羞恥心は限界を迎えた。


「と、ともかく。みんな頑張りましょー!」


 戻りたくも戻れない過去の後悔を隠すようにやけくそな声を張り上げた芥の言葉を最後にして、彼らの準備は完了した。


『よし、それじゃあ始めようか』


 後方指令官として席に着いた篝の声が、配布された通信機から聞こえる。


 そして、作戦は始まるのだ。


 空に輝く月を落とす作戦が。


『それではこれより、新月作戦を開始する。皆、時間も忘れて居座るお月様にはさっさと退場してもらって、早々に夜明けを迎えようか』


 伝説を救うための戦いが、今始まった――


 

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