第122話 伝説的な推測
「SSSクラスダンジョン『
今のなお積み立てられる書類の山を見下ろしながら、一息をつくように篝は筆をおいた。
凶月事件を皮切りにして、ダンジョンに関する様々な界隈が忙しなく動いている。そのあおりを受けて、ダンジョンを商売道具にしている篝が代表取締役を務めるアドベントフロンティア社も多忙を極め、篝には筆をおいている時間なんてないはずだ。
しかし、改めて彼は、自分の下に届いた一通のメールを見て、そう独り言ちた。
「おそらくは、京都ダンジョンを基礎としてウィルスの本体が世界に浸食した形で生まれたダンジョンだろう……あの浮かぶ月は、推定される白芥が保有する力の塊。予測でしかないけれど、予測しかないけれど、あの月の中に非佐木君がいる」
世界初の難易度であるSSSクラスダンジョンに分類される『月天魔境』は、やはり世界にどこにも見ることができない特異性で満ち溢れている。
その最たる例は、地上を侵食したダンジョンであるというところだろう。本来であれば屋外を模した環境型ダンジョンだろうと変わらない在り方として、『ダンジョンは地下に存在する』という法則がある。
あらゆるダンジョンは入り口のみが地上に露出し、地下にダンジョン内部という名の異空間が広がっている、というのが、ダンジョンにおける一つのルール。
しかし、事件を由来として凶月ダンジョンと呼ばれるようになった難易度SSSクラスダンジョン『月天魔境』はその限りではない。
本来であれば地下に展開されているはずのダンジョン内部を地上に形作り、京都市南部を中心として京都を呑み込んだのだ。
そして、呑み込んだ京都市を睥睨するように、空には一つの凶月が漂っている――
「前代未聞のダンジョンだが……しかし、京都ダンジョンとの類似性を見過ごすことはできないな」
京都ダンジョンの夜を支配していた太歳征君と凶月ダンジョンの空を漂う凶月。この二つの共通点は見過ごすには余りにも大きすぎる。
「空に浮かぶ月の様に、おそらくは共通する項目が幾つかあるはずだ」
篝がいつかに読んだ漆喰のダンジョン研究資料には、ダンジョンを檻と書くと同時に、穴を塞ぐ栓と表した記述もあった。
推測するに、モンスターの出現地点は、同時にこの世界にウィルスの親玉が顕現するための穴でもあるのだろう。そして、穴の大きさによってダンジョンの難易度が変化すると考えられる。
そして、京都ダンジョンという穴を伝ってその親玉は此方へとやってきたわけで、しかし世界を滅ぼすという本来の目的を忘れて、彼女は非佐木との同居生活を楽しんでいるわけなのだが。
ともかく、そこから予想を派生させた結果、篝は凶月ダンジョンとは、おそらくは白芥が非佐木との愛の巣を守るために建てた城壁なのではないかと考えた。
もちろん、それがすべてではないのだろうが……ダンジョンとは、ウィルスを閉じ込めるという漆喰が生み出した構造物である以上、本来はウィルスが持つ性質ではない。とすれば、ウィルスがこの世界に顕現した上で、しかしダンジョンとして京都市に居座っているということは、白芥がダンジョンという性質そのものを、ウィルスの力で食い学び、反映させたと考えられる。
ならば、彼女は手近にあったダンジョンを食べたはずだ。ダンジョンとは何かを学ぶために。
果たして、それが例外だらけの京都ダンジョンだったというのは何の因果かはわからないけれど、ビルのような上下階層が生成されていないことによって、ダンジョンの総面積が高難易度にしては狭いことは不幸中の幸いか。
問題は――
「京都ダンジョンのギミックがそのまま組み込まれている可能性が高いな」
京都ダンジョンのギミック。
それは、恨みつらみとでもいうべき死後の念を、モンスターが自分を殺した冒険者に与えてくるというもの。
蓄積された怨念は状態異常として発露し、より多くのモンスターを殺した冒険者を苦しめる。
「いや、待てよ……」
京都ダンジョンは、ただそのギミック一本で三十年という長い期間、攻略されることなくSSクラスダンジョンとしての地位を保っていた。
それは偏に、それほどまでにそのギミックの対策が難しく、どうしようもないギミックであるということだ。
しかし――
「非佐木君が彩雲プランテーションに挑ませると言った以上は、確実な攻略手段があるはずだ。無茶ぶりで挑ませることにエンターテインメントが生まれる場合もあるが……彼の場合、攻略を目的として動いていた。なら、必ず攻略法があって、彼はそれに気づいていたからこそ、芥君の借金返済のロードマップの終着点に、京都ダンジョンを選んでいたんだ」
敵の死体を積み上げて、状態異常を積み上げる。
果たして、そんなギミックに対する有効策とは何か。もちろん、ジョブのパワーでごり押しするなんて、策も何もないようなことを非佐木が考えていたのならば別だが(事実、多くのダンジョンは彼のクラス5ジョブ〈死神〉と固有スキルの組み合わせが発揮する理不尽なパワーに否応なく叩きのめされているのだが)――軍曹として、友人として、彼のダンジョン攻略を最も近くで見ていた篝は、非佐木が無策で挑むわけがないと信じている。
つまり――
「あの三人の誰かが、そのカギを握っている」
彼は気付いた。
既に気づいていた彩雲プランテーションの特別性に、彼女たちにしか凶月ダンジョンは攻略できないという可能性とは別に、新たなる可能性に彼は気付いた。
そして、感嘆する。
「君は、五月の時点でここまで考えていたのか?」
やはり、彼は伝説だ、と。
どれほどの策略があり、どれほどの計画があり、どれほどの陰謀の上に、彼のSSクラスダンジョン攻略の実績があろうと、やはりそれは、彼の持つ才能があってこそだったのだと。
だからこそ、だからこそ――
「君は、世界に使い潰されていいような人間じゃない。ここまで頑張ったんだ。もう少し、自由に生きていいはずなんだ」
遠く京都で今もなお、世界の崩壊を食い止めている英雄に向けて篝はそう独り言ちた。
◆◇
「最も肝心な話をするぞ」
神奈川県彩雲町のとあるカラオケ店にて。
「肝心な話というと……ダンジョン攻略におけるポイントでしょうか」
「普通なら、その前に世界に対する覚悟とか云々が入ると思うんだけどね……」
「それを承知で集まってもらった奴らに、二度もいう必要はねぇだろ」
肝心な話と口火を切ったのは未若沙。
それはなずなが言ったように、凶月ダンジョンを攻略するうえで最も重要なことという意味であり、決して芥が今のなお迷っている、非佐木を救うと白芥を敵に回し、世界を危険に晒すかもしれないという可能性の話ではない。
ここに集まっている誰しもが、それを理解し、それでもなダンジョンに赴く意志をもっているのだから、改めて言う必要もないだろうと未若沙は語った。
「というと、凶月ダンジョンのギミックの話だったりするの?」
「いーや、それよりももっと重要な話だ」
ミルチャンネルのリーダーである南向麦が思った疑問に対する未若沙の回答は否定だった。
ギミックよりも重要な話。
もちろん、篝が養子にしてまで囲ったほどの才能を持ち、非佐木をして自分を除いた同年代で最も強いと言わしめた未若沙は、篝が気づいた凶月ダンジョンと京都ダンジョンの共通性には、当然の如く気づいている。
その上で、同様のギミックが登場する可能性にも気づいているのだが――それを差し置いて、ここに集まった凶月ダンジョンを攻略する同志たちに通達しなければいけない話があった。
あってしまったのだ。
「あーしは、凶月事件の際、白芥と同道する死神を見た。その時、白芥の攻撃を受けたあーしは、それから続いて死神の攻撃を受けたわけだ」
すぐにでも思い出せるほどに、未若沙の脳裏に深く刻み込まれたあの日の記憶。
非佐木を最後に見た、後悔ばかりの記憶。
それが、とある一つの可能性につながるヒント。
「死神は手に持った銃であーしを弾いたんだ。飛んできた弾はあーしを貫通して、動きを止める。血に塗れたあーしを見下ろして、最後にあいつは、銃口をあーしの額に向けて、どんっ。視界は暗転、気づいた時にはベットの上……さて、聡いあんたらならわかると思うが、この話にはおかしな点が二つある。わかるよな?」
訊ねるように未若沙が語る。突き付ける。ここに集まるのならば、この程度のことはわかるだろ? と。ゲラゲラと笑うように、彼女は訊ねる。
それが、この場に居る自尊心の塊のような配信者に火を点ける最善の方法だと理解しているから。
「相変わらず癪に障る……」
呆れながら、南向は答える。
応える。
「武器で攻撃できている点がまったくもって理解できん! おかしいというのはこの場所だな!」
ただし、答えたのは、自信満々に応えたのは、鬼弁組がリーダー三月誠也だった。
はたして、横から言葉を取られた南向のじろりとした視線が三月へと送られるものの、そんなマイナスな視線も何のその。景気よく喋る三月は止まらない。
「ダンジョンにて配布される武器は地上の物を須らく傷つけることはできない。それは人間も当然であって、攻撃した端から灰と化す……ならばこそ、銃をもって、銃弾をもってして、君を攻撃し、傷つけることができていること自体がおかしいということだろう!」
三月の言った通り、冒険者があらゆるジョブに共通するスキル〈武器召喚〉によって召喚する武器は、ダンジョンにおけるモンスター専用のアイテムであり、それを使って地上の物を傷つけようとすれば、その瞬間に灰になるというルールがある。
ともすれば、それもまたダンジョンを作った漆喰が設定したルールなのだろうけれど、しかし未若沙を攻撃した非佐木には、そのルールは適用されることなく、放たれた弾丸は未若沙を貫通しダメージを与えていた。
「ただ、疑問はそれだけじゃないよね」
はてさて、拙速は巧遅に勝るという言葉を跳ねのけるようにして、遅ればせながら、南向は続く疑問を議題にあげる。
「未若沙ちゃんが頭を貫かれた。もしそれが真実だとするなら、それが暴走現象の真っただ中の出来事なのだとするなら、それはつまり、私たちが集まるのはカラオケじゃなくて、未若沙ちゃんのお墓の前ってことになってたはずだよ」
「確かにそうだな! ダンジョンの中ならいざ知らず、暴走現象中のダンジョンの外で頭を銃弾で貫かれたのに死んでいないというのは疑問でしかない!」
うざったらしそうに三月を見る南向の目は、笑顔と人当たりの良さで評判の彼女を知る人物が見れば、目を疑うような光景だ。
配信画面、或いは学園では、明るくユーモアがある完璧人間として人望を集める南向麦。
しかし、その裏の顔はゲラゲラをして真っ黒と言わしめるほどに腹黒い。
なにしろ、彼女は人の注目を集めることに欲を出す自尊心の塊で、そのために日々、自らを偽って笑顔を絶やさず、人当たりのいい性格を演じているのだ。
――まあ、逆説的に言えば、その仮面があっさりと消えてしまうほどに、取り繕う必要性を感じないほどに、ここに集まる人間と打ち解けていると前向きになれるはずだ。
「ッチ、ほんっと、うっざいなー、こいつ」
そんな心の声があからさまに南向の口から吐き出されているような気もするが、彼女の性格の悪さは今に始まったことではないために、その言葉に誰も突っ込むことなく会議は進む。
「そう。あーしは死神の武器で殺された。普通なら武器で人を攻撃できないはずなのに、暴走現象中は死んだらそのまま死んでしまうはずなのに」
普通から逸脱した異常。
当たり前から逸れた不可思議。
自然とは言い切ることのできない不自然。
理解から外れた不可解。
それを、ただの異常、不可思議な経験、不自然な現象、不可解な事実と判断するよりも先に、未若沙はある仮説を立てた。
「まず、あーしが生きている理由だが……これは簡単に予想できるな。あーしが死んだ時点で、凶月ダンジョンが完成したんだろう」
「ああ! つまり、暴走現象中に凶月ダンジョンが完成したから、ダンジョンのルールに則って死んじゃったみもりーが蘇生されたってわけか!」
「そういうことだぜあくたん」
まず一つ。
これは全くの幸運としか言いようがないけれど、頭を撃ち抜かれたはずの未若沙が生きていた理由として挙げられるのは、冒険者ならば誰しもが常識と捉えている『死んだらクリスタル広場に戻る』というルールが、凶月ダンジョンの出現とともに適用された、というものだ。
「確かに、私たちのチームがあなたを回収した場所は、京都市中というには余りにも離れた場所だったね」
「アメリカ様のお墨付きだ」
ティリスの言葉によって、未若沙の仮説は補強される。
ただし、この仮説はあくまでも前座だ。
未若沙が語る、最も重要なことを示す前座に過ぎない。
「二つ目の疑問の答えだが……その前に、だ」
訊ねる。
「SSSなんて御大層な難易度のダンジョンは、もちろん今まで世界最高難易度だったSSクラスダンジョンよりも難しいダンジョンってわけだ」
続ける。
「そりゃもちろん、SSクラスの木っ端なんかよりもやべぇモンスターがうじゃうじゃわっさわっさ出てくるわけなんだろうが……じゃあ、そんなモンスター共を束ねるダンジョンボスってのは、果たしてどんな奴なんだろうな」
畳み掛ける。
「SSクラスダンジョンのボスよりも強い、SSSなモンスターって、お前らはどんなもんを想像する?」
SSクラスダンジョンボスよりも強いモンスター。それは、ともすればいつかのある日に、篝へと煉瓦が訊ねた最後の言葉と同じもの。
思わせぶりなその言葉は、この場に居る全員に対して衝撃を与えた。
目を見開き、嘘だろうというほどの疑いを浮かび上がらせ、驚愕を同伴させる。
その言葉は、それほどの意味を持っている。
誰もが、誰しもが二の句を告げられないほどの衝撃を。未若沙の言わんとすることに気づいていたとしても、それを確かめることができないほどの意味合いを。
「ま、そんなに驚くなよ」
あっさりと、そんなことを言う未若沙であるが、その事実を彼女が最も重要なこととして配置して、この場の議題にあげている以上は、決して彼女も楽観視しているわけではないのだろう。
その事実。
その意味。
それは――
「たとえ死神がダンジョンボスだったとしても、やりようはあるはずだぜ」
普通ならば、冒険者の持つ銃では人間を傷つけることはできない。
ならば、人間を傷つけるのは何か。ダンジョンという空間で、人間を傷つける生き物は何か。
そして、SSクラスダンジョンのボスを超える強さを持つボスとは何か。
ああ、そうだ。
ダンジョンの中で冒険者を迎え撃つのはモンスターの役割であり、そして非佐木は少年XとしてかつてSSクラスダンジョンのボスを一蹴している。
一蹴してしまっている。
たった一人で。たった一度の挑戦で。
その力が、SSクラスに収まらない実力だと示してしまっている。
SSクラスダンジョンを超える存在として、彼はその実力を示してしまっているのだ。
彼以上に、SSクラスダンジョンを超える強さを持つ存在はいないだろう。
「だから、ここで会議する内容は一つだけだ」
伝説を。
世界にその名を知らしめた最高峰の冒険者を。
「死神を助けるために、どうやって死神を倒すのか。それが、あーしたちが最も考えるべき課題だ」
彼女たちは相手にするのだ。
相手にしなければならないのだ。
伝説として語り継がれる少年を。
虚居非佐木という
救うべき相手を。
報われるべき少年を。
相手にしなければならないのだ。
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