第121話 伝説的な理由
虚居
かの伝説『少年X』こと虚居非佐木の妹であり、中学二年生として義務教育を受けている真っ最中である彼女は、普段は寝坊がちな非佐木を蹴り起こすぐらいには快活な少女である。
基本的な家事は薊の仕事であり、あの兄にしてこの妹ありと言わんばかりのしっかり者。
学園生活でもそのしっかりとした性格は遺憾なく発揮されて、次なる生徒会の役員として勤めているほどだ。
そんな彼女は――
「あく姉……」
そんな彼女は、しかしそのいつも通りを崩して、病人さながらの痩せこけた顔のままに家の軒先へと顔を出した。
「よっ、あーしもいるぞ」
「あ、みも姉も……」
冒険者として非佐木と交流のあった未若沙もまた、薊とは浅くない交流を交した仲である。
姉と慕われるほどには、というよりも、薊が年上の親しい女性のことを姉と簡単に呼び慕う性分の人間であるからこその関係であるのだけれど。
ともあれ、知らない間柄ではない。
だからだろうか。
「――ッ!」
「あ、薊ちゃん……?」
やつれた薊は、二人の顔を見てすぐにその胸に飛び込んだ。
一か月。
芥も未若沙もそこまで足しげく非佐木の家に通っていたわけではないけれど、彩雲プランテーションのミーティングで時折訪れることもあり、その縁もあって元気な彼女の姿はたびたび見ていた。
だが、今の薊は、その時とは比べ物にならないほどにやつれている。
見てわかるほどの寝不足が原因か、目元は黒ずむほどに隈を作っており、ぼさぼさの髪からは余裕を感じ取れないほどの乱れを感じる。
これも、どれも、全ては――
「兄貴が……帰ってこない……」
非佐木が、帰って来ていないから。
「あく姉たちは、兄貴が帰って来てない理由……知ってる……?」
それもそうだ。彼女にとって、非佐木という少年は、伝説の少年である前に、たった一人の家族なのだ。
もう、一人だけしかいない家族なのだ。
非佐木が自らのわがままによって両親を失ってしまったように、彼女もまた、幼くして両親を失った。
それも、薊が両親を失ったのは四歳の時の話だ。それこそ、薊は物心ついたばかりの時に見た両親の顔すら覚えていない。
だからこそ、薊にとっては非佐木という少年は本当に、ただ一人の家族なのだ。たとえ、血がつながっていなくとも。かけがえのない、家族だったのだ。
そんな家族が居なくなって一か月。
この家には、彼女だけしかいない。
「……」
非佐木が家を空けることなんて、別に珍しいことではなかったはずだ。それでも、一か月もの間、なんの連絡もなく家を空けるなんてことはなかったはずだ。
そして、彼女は何も知らない。
非佐木が行方不明になったことも、彼が煉瓦の計画に巻き込まれていたことも。
きっと、血のつながりがないなんてことすらも、なにもかも、彼女は知らないのだろう。
それでも、知らないままに、気づいているんだ。
彼女の兄が、もう帰ってくることはないと。
「……いや」
帰らない。もう、非佐木は――
「みもりー」
涙交じり、嗚咽交じりの薊を見下ろした芥は、横に立つ未若沙の名を呼んだ。
「……やっぱり、間違ってるよ」
「あくたん?」
「うん、やっぱりさ、こんなの間違ってるよみもりー!」
そして、力強く叫んだ。
「世界とかさ、ダンジョンとかさ、確かに大事だよ。実際、30年前はそれでひどいことになったって聞くよ。……でも、だからって、こんなにいろんな人の人生をおかしくさせてまで、守らなくちゃいけないのかな!」
廉隅煉瓦と廉隅漆喰が計画した世界救済計画。
彼女たちが触れたのは、その計画の一端の一端。彼女たちが知ったのはその計画の結果だけ。
その計画が為されるのに、いったいどれほどの人間が関わったのかもわからない。
ただ――
「こんな子を不幸にしてまで、守らないといけないモノって……私、わからないよ!」
芥は自分のことを棚に上げる。
もちろん、それは自分を例外として扱うという意味であるが、芥の場合は自己犠牲を厭わないという意味で、あらゆる勘定に自分という犠牲を含めないという意味での例外である。
自分一人が我慢できるのなら、それでいいと。自分の気持ちに誰かを巻き込むだなんて、間違っていると。そう考えてしまうような性質なのだ。
ただ、それでも。
「私は、お父さんが……許せないよ! ひーくんの家族を滅茶苦茶にして……そんなの、許せない!!」
誰かの不幸を見ることだけは、堪えられなかった。
「おい、あくたん」
「なに、みもりー」
非佐木という一人の犠牲によって、非佐木の知人という悲しみによって、世界が救われるというのならば、それも仕方のない話だ。
誰の悲しみもなく、誰の犠牲もなく、世界が救われるなんてきれいごとは、それこそゲームの中の話。
例えこの世界がプログラムの中に生まれた数字の海の上なのだとしても、そんなきれいごとが通用するような世界でないことを、17年の時を過ごしてきた未若沙は知っている。
芥の言葉なぞ、ただの綺麗ごとに過ぎないのだと、知っている。
「だよな、あくたん!」
ただ、未若沙という少女は、ゲラゲラという女は、もとよりそんな世間を見下して、ゲラゲラと笑うことを性分とする人間であった。
「ったく、あーしもぬるくなったもんだぜ。誰かに迷惑がかかるからって、うじうじ悩むなんてな。ああ、ああ、そうだ。迷惑が何だ、人死にが何だ。そんなもので、あーしの想いを止められると思うなよ」
漆喰が抱いたような人類救済なんて大それた意志など、未若沙には存在しない。
煉瓦が夢想したような世界維持なんて崇高な思いなど、未若沙には通用しない。
なぜなら彼女はゲラゲラだから。
誰の迷惑も顧みず、どこまでも身勝手で利己的に笑うからこそ、彼女はここに居るのだ。
「おい、薊」
「え、えと……なに、かな?」
「お前の兄貴はあーしたちが連れて帰って来てやる。だから、年明けまでにはその顔直して、いつ兄貴が帰ってきてもいいように部屋の掃除でもしてるんだな」
「え……えぇ!? で、でも、兄貴って、修学旅行の時……」
「ばーか、何にも知らないくせしていっちょ前に知恵を働かせて予想してんじゃねぇよ薊。それに知ってんだろ。あいつが、その程度の事件で死ぬような奴じゃねぇってことは」
そう言いながらぐりぐりと薊の頭を撫で繰り回した未若沙は、その後に芥へと改めて向き直った。
改めて問いかけた。
篝の様に。
未若沙として。
ゲラゲラとして。
仲間として。
友人として。
未若沙は芥へと訊ねた。
「だが、あくたん。あーしたちは自分勝手に非佐木を助けるんだ。世界なんて知ったこっちゃねぇってこきおろして、この世界を見捨てるんだ。見殺しにするんだ。なら、お前はお前の意志でやれ。他人を理由にするな――お前は、何がしたい?」
決まっている。
決まり切っている。
何をしたいかだって?
そんなもの、一つしかない。
「ひーくんに会いたい。ひーくんと話がしたい。ひーくんを助けたい。諦めたくなんてない。だから、私は――」
「いいや違う、達だ。あーしを混ぜろ、あくたん」
「……そうだね。ありがとう、みもりー」
誰かのために生き続けてきた少女は、誰かのために利用され続けて来た少女は、初めて自分の意志で動く。
誰かに引っ張られたからでもなければ、やらないといけないからでもない。
助けたいから助けるんだ。
好きだから。愛しているから。
「私たちはひーくんを助ける。それで世界が滅んでも、しったこっちゃない。だって、お父さんは私たちがどうなったって知ったこっちゃないって言いながら世界を救ったんだ。なら、その逆があっても、問題ないよね」
「ああ、そうだ。問題ないぜ、あくたん」
覚悟は決まった。
となれば、もう迷う必要はない。目標に向かって、一直線に進むだけだ。
「ごめんね、薊ちゃん。また今度来るから、そのときに色々とお話するね。それと、ひーくんは絶対に私たちが連れ戻すから安心してっ!」
「う、うん。わかった、あく姉」
「それじゃ!」
改めて非佐木を連れ戻すと強く宣言した芥たちは、虚居宅に背を向けて走り出した。
「叢雁さんにすぐ連絡する。私はひーくんを助けるって。世界なんて、知ったこっちゃないって」
「ああ、そうだぜあくたん。善は急げだな、あーしもあーしでスペシャルゲストを用意するとするか」
「スペシャルゲスト?」
スペシャルゲスト。
芥が叢雁に連絡を入れる傍らで、未若沙もまた自分の携帯を取り出した。この半年で随分と連絡先が増えた自分の携帯を見てため息を吐いた彼女は、きょとんとした顔を向けてくる芥に言うのだった。
「心強い味方だ。いろんな意味で、助けになってくれるはずだぜ。ま、これもそれも、全部死神が蒔いた種だけどな」
非佐木が蒔いた種。
「あいつを助けるとなりゃ、あいつらは数字を求めてやってくるはずだぜ」
それは、非佐木が残した繋がりだ。
◆◇
翌日。
とあるカラオケの一室にて、その会議は開かれた。
非佐木を助ける。
芥の覚悟によって招集されたのは――
「来てあげたよ芥ちゃんと、ゲラゲラさん。私の勧誘は高くつくよ」
「難易度SSSクラスってどんだけすごい場所なんだ!? いやぃ、ワクワクするな全くよ!」
それは、かつて同じ無人島を模したダンジョンにてしのぎを削ったミルチャンネルと鬼弁組を率いるリーダー二人であった。
「ほ、本当にスペシャルなゲストが来たね……」
「少年Xを助けに行くとなれば、必ずかの凶月ダンジョンに向かうわけでしょ? 未だ内部すら公開されてない未知のダンジョン……ふふふ、数字の香りがするね」
「俺はとにかく強い奴と戦えれば十分だ! 滾るぜ、燃えるぜ、ワクワクが止まらない!!」
利害の一致とでも言おうか。
世界最高難易度を記す難易度SSSクラスダンジョンへと、非佐木を助けるために攻め入る仲間として選ばれたのは、ともすれば世界の命運を超えて自らの自己顕示欲を望むであろう女子と、世界の命運すらも自らをたぎらせる試練の一つとしか考えていない男子の二人であった。
さらに言えば――
「アイアムとしてはコラボレーションに異論はありませーんヨ! なんたって、アイアムたちはアメーリカ……この時のために、私たちは作られたわけだしね」
世界を救うことを目的としているはずのDSFの代表として、ティリスまでこの場には出席していた。
「なあ、ティリス。お前って、どっちかと言えばあーしたちの話を否定する側じゃねぇのか?」
「勘違いをしないでほしいけど、私たちの目的はダンジョンの脅威から人類を救うこと。いずれ来るダンジョンによる終焉から人類を救うこと。だけど……話を聞けば、あなた方がドッグマスクに接触するだけで崩壊する救済なんでしょ? そんな不完全で納得できるほど、私たちアメリカは純粋じゃない」
「それもそうだ」
果たして、その思惑は本心かどうか。どちらにせよ、SSSクラスダンジョンに挑むにあたって、複数のSSクラスダンジョンを攻略した実績を持つDSFが協力してくれるのならば心強い。
ならば――
「それぞれの目的があるだろうが、ともかく、ここに集まってくれて感謝する。それじゃあ、あのアホを救いに行く話をしようか」
あとは、非佐木を助けに行くだけだ。
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