第117話 伝説的な真実
その日、世界は覆った。
SSクラスという難攻不落のダンジョンに対して、たった一人の少年が挑戦し、誰しもが膝をついた牙城を崩したのだから。
ただ――
「はぁ……はぁ……やっと、やっと倒した……」
その祭りの中心に居ながら、ただ一人仲間外れとなっていた少年は――
「芥、まってて……今、行くから……」
心ここにあらずと言った様子で、最後の希望に縋っていた。
あらゆるダンジョンの攻略の兆しを、すべての人類の希望となった少年は、しかしあらゆるものを失った絶望の中で、幻覚の様に光る希望へと手を伸ばす――
「ひーくん……」
「芥……!!」
ダンジョンボスを倒した際、基本的にはドロップアイテムの出現と共に一層へと戻る扉が出現する。
しかし、SSクラスダンジョンにはその扉とは別に、ダンジョン最深部となるボス部屋からさらにダンジョンの奥底へと行くための扉が現れるのだ。
今、それを知っているのは実際にダンジョンを攻略した非佐木と――
「やあ、二日ぶりだね非佐木君」
その扉の先に居た、廉隅親子の二人だけである。
「な、んで……お前が……」
「いやさ、私のことはどうでもいいじゃないか。ほら、ここに君の求めていた女の子がいるのだから、存分に会話するといい」
そういう煉瓦は、煉瓦の後ろから顔をのぞかせる芥を非佐木の前へと差し出した。
どこか機嫌が悪そうな芥は何もしゃべらない。ただ、つんとしたその態度からは、何をしゃべっていいかわからないという意味を込めて無言を生み出しているのだと読み取れる。
まあ、七歳児に過ぎない非佐木には、わかりようもないことだけれど。
ともかく、二人は出会った。相対した。
「あ、芥……君、は……」
だから非佐木は訊こうとした。芥があの暴走現象を引き起こしたのか、と。ただ、その言葉が出てこない。
なぜか、喉の奥底に引っかかって、取り出すことができない。
まるで、それに手を出してしまったら、全てが終わると知っているかのように――いや、まるで、ではない。
「芥が……やったんだね……」
知っているのだ。気づいているのだ。
非佐木は、芥があの惨劇を引き起こした張本人だと。
「ひーくんったらひどいよ! なんで何も言わずにどっかいっちゃうのさ。心配したじゃん!」
「……」
惨劇を引き起こした張本人は、しかしいつも通りだった。確かに、死んだのはたった二人だけだし、観光客や箱根の住人には被害は出ていない。
しかし、だからと言って人死にはでた。出てしまった。それほどのことを起こしたはずなのに、芥は何事もなかったかのようにいつも通りなのだ。
ああ、と。
非佐木は理解した。理解して、そして否定した。
「な、んで……――」
すべて自分が悪いのだと。
「なんで――」
無邪気故に、純粋故に芥には悪気なんてなかったのだと。
「なんでッ――!!」
そんな彼女に、あんなことをさせてしまった自分が――
「なんで、あんなことをしたんだよ!!!」
自分は悪くない。
暴走現象が起きたのも、それで両親が死んだのも、なにも、かもが、自分のせいだとしても――
僕は悪くない。
落ち着いた少年だとはいえ、特殊な固有スキルを持ち冒険者の才能に溢れた少年だったとはいえ、大人顔負けの冷静さを持ち合わせていたとはいえ、たった一人で誰しもが成し遂げることができなかったSSクラスダンジョンを攻略したとはいえ――
彼は、ただ一人の少年であり、たった七歳の子供なのだ。
その責任を背負うには、非佐木はあまりにも幼過ぎた。
それでも、彼の非凡な才覚が、全ての原因が、芥が暴走現象を引き起こし、両親が死んだ引き金となった言葉が、自分のものだったことを教えてくる。
どうしようもない現実を、悔恨を、目を逸らすこともできずに直視させてくる。
それを見ない様に、考えない様に、自分は悪くないと取り繕ったとして、誰が非佐木を責めることができようか。
「なんで……」
「……え?」
そして、この場には――
「なんで……そんなひどいことを言うの?」
憐れな少年を責めることができないなんて、常識の中に居る人間は誰一人としていなかった。
宝石のように白い眼から涙をこぼしながらそう言う芥は、子供さながらに泣きじゃくる。
自分はあなたのためにこんなにも頑張ったのに、なんでそんなことを言われなくてはならないのか。
その言葉が、更に非佐木を突き刺した。非佐木が持つ、悔恨を刺激した。
そして――
「君こそ、どうしてそこまであの二人に執着するのさ」
どうしよもうない黒幕が、口を滑らせる。
「な、なんでって、お父さんとお母さんは――!!」
「血も繋がってないのにね」
「……え?」
滑らせてしまった。
「あ」
きっと、彼は二十年に渡る悲願の達成に浮足立っていたのだろう。今か今かと、世界が救われる瞬間を待っていたからこそ、それ以外のことについて油断していたのだろう。
「んー、まあいいか。ほら、お父さんとお母さんが死んだってよりは、赤の他人が死んだって方が精神的ストレスは少ないだろうしね」
そして、道理から外れた自分の価値観によって、滑らかになった舌をこれでもかと滑らせる。滑落させる。
「君は養子だよ。僕が彼らに預けた養子。薊ちゃんは正真正銘彼らの子供だけど、君とあの二人は一滴たりとも同じ血は流れていないんだよね」
「……うそ」
「どうする? これが嘘だと思うなら嘘だと思えばいいけどさ……実は、この部屋はこの世界のすべてを知ることができる機能があってさ」
「嘘だっ!!」
「そう、嘘かもしれない。だから君自身が確かめればいいのさ。こうやって」
煉瓦が非佐木の手をとった。
瞬間、非佐木の頭の中に何かが入り込んでくる感覚が迸る。それはまるで、雷が脳を直撃したような衝撃と共に、世界と自分が接続されたような、そんな感覚を齎した。
そして、そして――
「あ――」
知ってしまう。
「なんで……――」
わかってしまう。
「お父さん、お母さん――」
理解してしまう。
「嘘だよ……嘘だって言ってよ……――」
真実を、この世界の真相を。
「なんで、こんな……――」
深層に至る、真相を。
「ああ、ああ……全部……」
ダンジョンの正体を、世界の正体を、そして――
「全部、嘘だったんだ」
自分の正体を、彼は知ってしまった。
自分が、アメリカの研究所が生み出したデザイナーズベイビーの一人であり、不妊に悩まされていた虚居夫妻の養子として息子になっただけの存在だったと――
嘘だった。
親子という関係は、息子だから、父親だからと語った関係は、全てが嘘だったのだ。
もう、非佐木は――
「……わからない」
なにを、信じていいのかすら、わからなくなってしまった。
「……非佐――」
「触るな!!」
非佐木に全てを教えた煉瓦がその腕を伸ばしたその時、非佐木はその手を跳ねのけた。その上で――
「お前が……お前らが、全部悪いんだ……!!」
銃を二人に向けて構えた。
もう何を信じればいいのかわからない。何も信じることができない。自分も、煉瓦も、芥すらも。
だから、だから――
「ぼ、僕のま、前から、……消えろ! 消えてなくな――」
「それ以上はダメだ」
引き金に添えられた指に力が入るその瞬間、煉瓦の手刀が非佐木の胸を貫いた。
「やはり、私は時期を見計らうということが極端に苦手らしい。まさか、ここまで精神的に不安定になるとは」
手刀によって貫かれた非佐木は、そのまま煉瓦の胸に飛び込むように倒れた。が、その胸に傷はない。どうやら、ただ気絶しただけのようだ。
「ね、ねえ煉瓦! ひーくん大丈夫なの!?」
「ん? ああ、大丈夫さ。落ち着いてもらうために、少し眠ってもらっただけだ。肉体を捨ててデータ化した私じゃ、そもそも物理的に彼の肉体を壊すことはできないしね」
「そうなの? よ、よかったー……って、ふんっ、私ひーくんのことなんて嫌いなんだからね!」
「あはは、まったく芥は可愛いなぁ……さてと、やはり時期尚早だったか」
悲願の達成が近づいてしまったせいで、功を焦ってしまったと煉瓦は自省する。やはり、非佐木はまだまだ若すぎたのだと、自分の胸で意識を失っている七歳の少年を見て思った。
「少しだけ、彼がもう少しだけ大人になってから、もう一度会おう」
「え~! なんでなんで!」
「大丈夫だよ芥。離れている間でも、彼のことが見れるように専用の人形も用意してあげるからさ。ただ、少しだけ世界をいじらないといけないけど、まあ世界を救うためとなれば些細な事さ」
世界をいじる。
非佐木のトラウマを少しでも軽減できるように、両親の死にまつわる記憶に干渉する。
おそらくは彼に最も深い精神的ダメージを負わせたであろう芥の記憶を隠蔽し、深層心理の奥底へと封印する。そして、両親の死の原因を自分としているところを、煉瓦にも原因があるように思考するように仕向け、罪悪感を二等分にする。
これで、廃人になることだけは逃れられるだろうと、人智を超えた力を行使した煉瓦は一息ついた。
世界の真理に、深層の真相に近づいた彼だからこそできる技は、しかし煉瓦の寿命を縮めるものだ。
果たして、あとどれだけの力を行使できるのか――ロクな死に方はしないな、と彼は自分の未来を予言した。
ともかく、ともあれ――
「さようなら、非佐木君。君が次、芥のことを思い出すとすれば、それはきっと私が居なくなってからのことだろう。どうか、世界を頼んだよ」
◆◇
そして、十年後。
「……」
「……」
「……」
時は戻り、大阪のとある病院の病室にて、非佐木にまつわる過去の真相のすべてを聞かされた彩雲プランテーションの三人は、波濤の様に押し寄せて来た事実と情報の整理が追い付かず、ただただ沈黙することしかできなかった。
狗頭餅と篝の話が終わってから一分か二分か。少なくとも、数秒では足りない沈黙の後に、まず初めに未若沙が言葉を発した。
「眉唾物だった少年Xのアメリカ人間兵器説ってマジだったのかよ……」
「普通、このシリアスな場面でそれ言いますか?」
「うるせーよまな板。あーしだって混乱しすぎていっぱいっぱいなんだよ!!」
果たして、非佐木の過去を聞き終わった第一声として未若沙の言葉が正しいかどうかは措いておくとして。
「でも……なんか、すごい、可哀そうだった」
「確かにな。あいつの両親が居ないことは知ってたが、まさかそんなことになってるなんて思わなかったぜ」
「わからなくもないとは、こういうことだったのですね」
ぎゅっと膝の上で両手を握る芥は、非佐木の身に起こった悲劇に、そしてそれが自分の父親によって起こされたものであったという事実に、困惑を隠せないままに、その感情を彷徨わせる。
その横では、かつて非佐木に己の身の上を打ち明けたことがあるなずなが、彼が自分に抱いた同情を思い出して、呆れた声を上げた。あなたの方が、よっぽどつらい経験をしていられるのに、と。非佐木のあまりにも自分を顧みない思考回路に、苦言を呈するほどに。
「ただ……あくたん」
「うん、わかってるよ」
ただ、それらのすべてを差し置いて、解決しなければならない問題が一つある。
「ねぇ、叢雁さん」
「……」
「私って、なんなんですか?」
非佐木の過去を語る上で、煉瓦の目論見や非佐木の正体よりもよっぽど難解で深い謎。それはやはり、白芥と芥の関係にあるだろう。
少なくとも、芥は10年前に非佐木に出会ったこともなければ、今年の五月以前にダンジョンに入ったことはない。
とすれば、完全に別人なのだろうが――煉瓦が自分の娘と語ったことで、その線は消えた。ならば、芥とはいったい何なのか――
「先ずは、結論から。意味も何もかもわからないだろうが、純然たる事実を語り、それを踏まえてから想定しよう」
「は、はい」
結論から。おそらくはこれから先に為されるであろう、篝の仮説と狗頭餅の言葉によって明かされるであろう真実がなんであるかが語られてから、その正体は明かされる。
「君は、おそらく廉隅煉瓦本人だ」
「……はい?」
「流石にそれはないんじゃないか、軍曹……」
「まあね。ただ、とある事実を踏まえると、そんなことが言えなくなる。そうだね――」
困惑する二人を前にして、彼は問う。
「君たちは、シミュレーション仮説というモノは知っているかな?」
そして、続ける。
「もしこの世界が電脳世界だとして、全てがデータの海に流される世界だとすれば、君は魂の抜けた煉瓦の体のデータを改ざんして生まれた子供、ということになるんだ」
この世界の根幹を覆すような超理論を、彼は平然と語る。
「さて、その証拠をどこから提示しようかね。その上で、今の非佐木君の状態を、君たちには知ってもらわないといけないからね」
狂人の世迷言、と切り捨てることなかれ。
ああ、そうだ。SFだろうが異世界だろうが、この物語はいずれ一つの終着点を目指して突き進むのだから。
あらゆる意味を踏み越えて、煉瓦が抱いた
「ともかく、まずはこの世界の真実から話さないとね。懇切丁寧に、非効率的に」
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