第116話 伝説的な救済


 仕組まれていたのだとしても、それがいつからだったのかなんて、もはや誰にもわからない。


 箱根に向けた旅行計画を提案されたときか?


 それとも、非佐木が冒険者としての道を歩き始めたとき?


 いや、非佐木を連れてダンジョンに向かった時かもしれない。


 もしかすれば、非佐木が生まれた瞬間か、それよりも前の段階の時からの計画だったかもしれない。


 そんなはずはないとしても、彼が麻木と交流を持った高校生の時から始まっていた可能性だってあり得る。


 ただ、どれだけ可能性を熟慮して、その計画の始まりを辿ったとしても、結局は無意味なことだ。


 既に計画は坂を転げ落ちたのだから。あとは、転げ落ちていく様を見送るだけ。下り坂に反して登ろうと、足掻こうとしたところで、踏みとどまることなんてできやしない。


 勢いよく転げ落ちるということは、そういうことなのだから。


 そして、坂を転げ落ちるということは、いずれ止まるということ。坂下で、あざだらけに傷ついた無残な姿になって止まるということだ。


「おい、煉瓦! 非佐木君はどうしたんだ!」

『うん? ああ、彼は生きているよ』


 ダンジョンから虚居夫妻の遺体が運び出され、その通夜が仕切られている中で、何も知らないままに煉瓦に一方的に薊を任せられた篝は、怒り交じりに煉瓦へと電話越しに怒鳴りつけていた。


 何時だって効率的に冷静な彼とて、親友の死を前にしては平静を装うことはできないらしい。


 とはいえ、それも無理からぬ話だ。


 SSクラスダンジョンの暴走現象に巻き込まれて親友は死んだと聞かされて、そしてその子供であり、自分も深く関わって来た非佐木が行方不明だというのだから。


 だからこそ、こんな事態になっても顔を出さない煉瓦に憤っているわけで、そして非佐木の安否を心配しているわけなのだが――


『ああ、そろそろ始まるね』

「なにがだ!」

『彼の復讐が、だよ』

「……なんだと?」

『バズレコテレビの生放送枠を見るといい。使を見ることができるだろうから』


 何を言っているのかわからなかった。ただ、無視するわけにもいかなかった。


 非佐木誘拐事件に、大学地下ダンジョン事件と、彼は冗談を交えながら軽々に語る中で、平然とあまりに巨大すぎる大事件を予言する。


 故に、篝は常日頃から煉瓦の軽口一つにすら裏取りをするほどに警戒しているわけで、今回話題に上がったバズレコテレビなるウェブ配信サイトを通夜の最中であろうとチェックするのは当然の帰結だ。


 そして、そこで非佐木の姿を見つける。


「……なぜ、君はそこに――」


 わからない。わかりたくない。


 箱根ダンジョンにて虚居夫妻が死んだ数日後に、薊が一人だけ保護された数日後に、次は件のダンジョンの配信の先に彼らの子供が映っているのだから。


 どうしてそこに居るのか、なんてわからない。


 ただ、気づいてしまう。


 彼の思考回路は、パニックの中でも正常に機能し、いつも通りの効率的な理論を展開することで、彼がなぜそこに居るのかを導き出してしまう。


 復讐。


 その言葉から導き出されたのは――


「あの二人の死は、ダンジョンが関係してるっていうのか……?」


 状況証拠から暴走現象以外に他ならない虚居夫妻の死は、おそらく現場に居たであろう非佐木の行動によって猜疑に変わる。


 被災による事故ではなく、他意による他殺へと。


 そして、非佐木は二人を殺したものの元へと赴いたのか、と。


 いや、そんなはずはない。暴走現象を意図的に起こせるなんて、人間にできるはずもなければ、この地球上のどこにもそんなことをできる存在は居ない。


 そんなものが居るとすれば――


「――神?」


 人智を、常識を、道理を、ありとあらゆる何かを前提から覆すような、この世界の根底を知り、その根底に手を食われらるような存在だけだ。



 ◆◇



 二日。


 それは、100層を超えて下へと続く箱根ダンジョンの奥底へとたどり着くまでにかかった時間だ。


 たった二日、と言い切ってしまえるかもしれないけれど、しかし非佐木にとっては長い長い二日間であった。


 過去のすべてのダンジョンを潜った経験よりも長く感じた。一週間前から箱根ダンジョンを楽しみに待ちわびる夜よりも長く、ずっと長く感じた。


 そんな道程の先に、ダンジョンボスが現れる。


「おま、が……おとうさ、ん、とおか、さんを、殺した、の、か……?」


 彼はこのダンジョンを攻略するうえで、その情動に駆られるままに寝ずの強行軍で突っ切った。あらゆるモンスターを魂の続く限り撃ち殺し、食らい続け、走り抜けた。


 本来であれば、たった二日でたどり着けるはずのない道のりを、驚異的な精神力をもって踏破したのだ。


 まだまだ未成熟な七歳児の体に、その行いがどれだけの負荷をかけるか計り知れない。しかし、その負荷を超越してしまうほどの感情が、非佐木の中には渦巻いていたのだ。


 両親を失った悲しみか、仲の良かった友人の裏切りか、信じていた大人の悪逆か、自分自身の愚かさに対する悔恨か。


 そのどれが、ここまで非佐木を突き動かすのかはわからないけれど、事実彼はたどり着いてしまったのだ。


 才能、と言って差し支えないだろう。故に、彼は選ばれたのだから。煉瓦が糸引く世界を救う喜劇の主人公として、選ばれてしまったのだから。


 ゆるやかに非佐木の肩から、煉瓦が渡したカバンが落ちる。その中から、手動操縦のドローンが一機飛んだことなど気にしないままに、彼は眼前に立つ敵を見た。


 モンスター系の最高峰である難易度SSクラスダンジョンのダンジョンボスは、人のような姿をしていた。


 人、と言ってもそれは、チンパンジーが人間と遺伝子上たった一・二パーセントの違いしかないと語っているようなもので、一見すれば人であるそのモンスターは、しかしよくよく見てみれば人とも言い切れない要素ばかりで構成されている


 三メートルの体躯に赤銅色の肌。細身のように見える体躯には、不釣り合いなほどに巨大な足枷手かせが合計四つ。手かせに追随するように引きずられる鉄球は、まるでそのモンスターが囚人であるかのように重々しく地面に跡を描いている。


 ギラリと光る眼光に理知的な意味はなく、食いしばられた牙に理性的なやさしさはない。


 そして、憤怒をかたどるように潜められた眉根から生える一角獣の如き捻じれ角の切っ先が非佐木に向けられた、その瞬間――


「がぁあああああああああああああ!!!!」


 赤鬼は加速し、戦いの火ぶたは切られた。


「〈狐狗狸子〉ッ……!!!」


 身構える間もなく肉薄する赤鬼に対し、非佐木は咄嗟にスキルを展開する。


 複合機能召喚獣使役系遺物スキル〈狐狗狸子〉。


 非佐木と心を通わせたユニークモンスターを使役するという能力を持ったこのスキルは、瞬間に三体の召喚獣を非佐木の元へと呼び出した。


『はは! まさか、俺がSSクラスで暴れることになるとはな!』

『お供しますわ非佐木様! さあ、なんなりとわたくしめをお使いくださいまし!』

『主よ。ここは厳格なる岩の如く慎重に行動を』


 非佐木のステータスを大きく増加させる狗頭餅。複数の魔法を駆使し相手を惑わす狐末那。分裂することで様々なサポートを可能とする寝狸霧。


 非佐木の戦闘力を支える三つの柱が顕現し、その力を思う存分に発揮する。


 寝狸霧がお得意の分身術を展開し、小さく分かれたと同時に何もなかったダンジョン最深部のボス部屋の中に〈土魔法〉を使って作り出した障害物を多数展開。


 それらを見下すように空に輝く一等星となった狐末那が、戦場を幻惑を発生させる自らのスキルで支配することで、肉薄してきた赤鬼の攻撃の狙いを何とか逸らすことに成功した。


『二徹なんかするからフラフラじゃねぇかクソガキ! だが気張れよ、相手はそんな油断を許してくれる敵じゃねぇ!』


 そして、非佐木の一番近くに立つ狗頭餅が、その背中を鼻で強く叩いて激励した。


 彼らは非佐木に起きた悲劇を知っている。そして、それが誰によって引き起こされたのかも――


『いいか、クソガキ! 俺たちはお前の味方だ! 何があっても、何が起こっても、俺たちを信じろ!』


 それでもなお、彼らは非佐木と共に戦う。


 たとえその先に、自分たちの存在が消滅してしまうような事態が待ち構えていたとしても。彼らは、非佐木の味方として、その力を振るうのだ。


「……ありがとう」


 感謝した。


「うん。わかってる。油断はしない。僕は、あいつを倒して問いただすんだ」


 両親の死をきっかけに、彼の世界は壊れた。だからこそ、今自分がしていることが正しいかなんてわからない。それでも、自分がどんな道を歩んだとしても、ついてきてくれる仲間がいるというのならば――


「芥ァ!! 僕は、君に訊きたいことがあるからここに来た!! 今すぐ……今すぐ、行くから!!」


 彼は子供だ。


 それでも、子供として考えた。


 何が正しいのかを。何が間違っているのかを。


 両親が死んだ。親友は意味不明の現象を起こし、信頼していた大人はすべての黒幕として非佐木の信頼を裏切った。


 その中で、彼は――


「君が、何かをしたわけじゃないって、僕判ってるから……だから、待っててよ!!」


 まだ、壊れた世界に縋りついた。


 なぜなら、彼は子供だから。


 自分の世界しか知らないから。


「〈死神ノ供華デスサーティーン〉ッッ!!!」


 展開されるのは十三の兵器。


 それらは、天使の羽が如く非佐木の背後を彩る。その中から、彼は無造作に二つの武器を取り出した。


「〈シャウトレス〉〈タップダンス〉!!」


 それは、非佐木の〈魂喰らい〉ですら食いきることのできなかった莫大な経験値を誇る強力なモンスターの魂から錬成した武器たちだ。


 銃士系統は、モンスターの素材から銃弾や銃をカスタマイズすることができる。ただ、その素材を獲得できない非佐木には無縁の話かと思われたが、そうではなかった。


 非佐木の魂喰らいによって余分なリソースを削り取られた強力な魂たちは、その特性を中核として新たなる武器として彼の力となったのだ。


 それらの武器は、ただ一つだけ、ユニークモンスター由来の固有スキルに匹敵するスキルをもって生み出される。


「〈破裂する鼓動シャウトレス〉――」


 その銃弾によって齎されるあらゆる音を消すという特性持った銃は、その効果範囲をより広げて非佐木にまつわる音のすべてをかき消し、狐末那と寝狸霧によって惑わされる赤鬼への接近を助けた。


 そこに叩き込まれるのは、銃弾の雨あられを打ち出すサブマシンガンの猛撃――


「〈灰に染まる舞踏会タップダンス〉」


 本来であれば、無限に靡く弾帯からなる無限の銃撃こそがタップダンスの最大の特徴だ。威力は低いが、豆鉄砲というには非佐木の攻撃力が高すぎる。そんな銃。


 ただし、弾が出る銃口は一つだけ。いくら無限に続く弾幕を張れると言えど、やはりその制圧力には限界がある。


 それを靡く弾帯に込められた銃弾を同時多発的に発射するという強引すぎるやり方で解決するのが、〈灰に染まる舞踏会〉の力である。


 その弾幕はさながら種子島の三段撃ち。途切れることのない弾幕が、ありえない量の銃口から同時多発的に赤鬼へと襲い掛かるのである。


「ぐぅ、がっぁ……アァ!!!!」

『あの弾幕を退けた!?』

「まだ手はある――〈アンダーテイカー〉!」


 無数に迫る無限の弾幕。しかし、それらすべてを小雨の様に受けきり撥ね退ける赤鬼の姿に驚愕する狗頭餅を置いて、非佐木は次なる一手に出た。


「〈重よく剛を制すアンダーテイカー〉!!」


 その銃は、かぎづめの付いた縄を打ち出し、そして巻き取ることでグラップリングフックのように扱うことができる特殊な銃である。


 その銃が放つ武器スキルは――


「がっ!?」


 着弾地点より、10のグラップリングフックを周囲へと放ち、着弾した対象を地面や周辺の物体へと縫い付け拘束するというもの。そこに重ねられるのが、寝狸霧が生み出した土壁たちである。


 がっちりと〈重よく剛を制す〉の拘束にかかってしまった赤鬼。しかし、そのパワーは流石モンスター系ダンジョンのダンジョンボスと言ったところか。途方もないほどに膨大なSTRが発揮する激烈な怪力によって、地盤すらも引きはがして無理矢理その拘束を動かそうとした。


 ただし――


「〈ファットダディ〉――」


 その大きすぎる隙を見逃すほど、非佐木は甘くない。


「〈加重100%ファットダディ〉」


 地盤すらも沈下させる重力を攻撃力に変えるその武器スキルによって、非佐木は大きな隙を晒した赤鬼へと最大威力の攻撃を叩きこんだ。


 かつて、この攻撃を受けたSクラスダンジョンのモンスターはその一撃で死んだ。そこから編み出した〈重よく剛を制す〉からの、〈加重100%〉によるコンボであるが――


「うがぁああああああああああああ!!!!」


 しかし、SSクラスにはそれすらも通用しないらしい。


『流石は大ボス。一筋縄じゃいかねぇなぁ』

「はははっ……長丁場になるね」


 ここまでキレイに叩き込んだすべてが、しかしまったくの無意味であるように立ち上がる赤鬼を見て、非佐木は少しだけ笑みを浮かべた。


 ダンジョンを楽しむ。


 それは、彼の本来の姿だ。


 決して、両親の死や信頼の裏切りによって、汚されていいものではない。


 ましてや――



 ◆◇



「素晴らしい」


 ダンジョンの奥底で、バズレコテレビに非佐木の姿を中継しながら、その戦いのすべてを観測していた煉瓦は言う。


「やはり、彼こそが世界を救うにふさわしい」


 ああ、そうだ。


 非佐木は、ただただひたすらにダンジョンを楽しむだけの純粋な少年だ。


 決して、世界なんて大それた責任によって、その未来を奪われていいわけがないのだ。


 だとしても――


 なのだとしても――


「これで、世界は救われる! お兄ちゃん、やっと私たちの悲願は達成されるんだ!!」


 手遅れだ。


 もう、全ては坂から真っ逆さまに転げ落ちた後なのだから。

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