第115話 伝説的な死


 秋空の天気は快晴。雲一つない青空に、僅かならが北風が吹きこむ程度の、秋真っ盛り。


 そんな今日という日は、誰にとっても日常そのものであった。観光地に来ることを日常というのは、少々的外れかもしれないけれど、とはいえ何事もない一日なのだ。


「……非沙美」

「う、うん。この感じ……不味いね」


 ただ、そんな日常の中にあっても、十年以上もの長い時間を冒険者として活動してきた麻木たちは、異常事態を感じ取った。


 非日常を感じ取った。


 ダンジョンという世界に浸かり、高校生の時からプロの冒険者として多くの暴走現象に立ち会ってきた彼らだからこそわかる感覚。


 パンパンに膨らんだ風船が、何らかのきっかけで爆発してしまったかのような、そんな感覚が、非佐木を追いかけてたどり着いた箱根ダンジョンの中から感じ取れてしまったのだ。


「まさか、暴走現象? 確か、箱根ダンジョンって間引きされてたんじゃなかったっけ」

「いや、SSクラスは定期間引きの間が長い。新造ダンジョンってことで、政府が油断してた可能性もあるし、観光地として利用してきた人間が狩っていったモンスターも数に入れて想定していた可能性もある」

「それって経費削減、でいいのかな? 手抜きとか、そういうのじゃ……」

「いやいや非沙美。日本にとってはSSクラスの前例があのへんてこな京都ダンジョンだよ? 判断を見誤ったって仕方がないと思うけどな」


 SSクラスのダンジョンというと、日本では京都ダンジョンが例として挙げられるが――あちらはいろんな意味で例外的なダンジョンだ。


 SSクラスという規格にすらも当てはまらないひねくれもの。そんな前例を当てにして、政府が箱根ダンジョンを運営していたと考えれば、間引きのサイクルが長く間引きが不十分であったとしてもおかしくはない。


 そもそも、クラスSSの間引きを、それもモンスター系のダンジョンの間引きともなると、一日で終わらないこともあり、プロの冒険者に外注するとそれなりに費用が掛かってしまうのも、要因の一つとして考えられる。


 ともかく、暴走現象が起きる可能性はいくつも考えられるからこそ、自分たちの直感がおそらくは正しいと、麻木たちは考えた。


「……非沙美。薊を連れてダンジョンの外に行っててくれ」


 暴走現象。


 死に戻りが可能なダンジョンにおいて、唯一人が死ぬ災害。その中に、自分たちの息子が巻き込まれるかもしれない。そう考えたとき、麻木の判断は早かった。


「俺も非佐木を助けたらすぐ戻る」

「……」


 すぐに戻る。そんなことをいう麻木が、嘘をついていることぐらいすぐにわかる。


「パパ、嘘良くない」


 それは、四歳になったばかりの薊にすらバレるような嘘だった。


「……なぁんで、俺たちの子供はこうも聡い奴らなのかねぇ」

「自慢の娘だよ?」

「こういうところは、兄妹なんだよな……」


 容赦なく自分の付いた嘘を指摘してきた薊を見て呆れる麻木は、開き直るように改めて言った。


「ダンジョンの入り口から、目に入ったモンスター全部を倒す。非佐木はSSクラスでも通用する戦闘力があるが、観光客は別だ。少なくとも、ここのモンスターが一匹でも外に出れば、何十人って人が死ぬ」


 彩雲プランテーションが活動をしている現代よりも冒険者がありふれたものではなかった当時において、モンスターに対抗できる人間もまたありふれたものではない。


 それに、今回野に放たれるのは、モンスターの強さによってダンジョンの難易度を保証するモンスター系のダンジョンである。


 Bクラスのモンスターですら、ステータスを持たない一般人を一瞬で殴殺する力があり、銃や軍用車両で武装した機動部隊を用いて五分五分といったところか。


 そんな中、モンスターの強さに特化した、それもSSクラスのモンスターが解き放たれたとなれば――


 その被害は計り知れない。たった一匹だっとしても、だ。


「俺が防波堤になる」


 これから襲い来るであろうモンスターの波を止める壁となると、麻木は誓った。ただ――


「ママ。パパ一人だと心配だから行ったげて」

「え”……」

「いいの?」

「いいよ。それに、パパとママなら、薊のことも守ってくれるって知ってるし」

「……そう、だな」


 確かに、ダンジョンの第一層は安全地帯にしてダンジョンの入り口。麻木たちがモンスターを一匹も外に通さないというのならば、真にこの広場は安全な場所と言えるだろう。


 ただ、それよりも――


「そうだよな。お前にとっても、兄貴は大切だもんな」

「うん。だから、兄を絶対助けてきてよ」

「わかってるよ」


 麻木は、薊が非佐木を守ることを前提として、麻木たちのことを信用してくれていることに、その信用が、麻木はこの上なく嬉しかった。


 だから、だから――


「よぉし、そうと決まればドンと待ってろよ薊! 俺たちで非佐木を助けてきてやるからな!」

「頑張って!」

「うん、頑張るよ」


 手を振る薊に見送られて、二人はダンジョンへと降りていく。それがたとえ死出の道だったとしても、きっと彼らは喜んで進んでいたことだろう。


 自分たちが死んだとしても、自分たちの子供が守れるのならば、と。


「待ってろよ非佐木。絶対に助けるからな」


 親として、彼らはその道を行く――



 ◆◇



「〈死神ノ供華デスサーティーン〉ッ!!」


 最初に階段を目指して走り去っていったモンスターを皮切りに、一斉に飛び立つ鳥の様に我先にと外へと飛び出していくモンスターたちを見て、非佐木は当然の如く異常事態を察知した。


 暴走現象というモノを非佐木は経験したことがない。しかし、自分が今まで経験したことのない異常自体を、ダンジョンにおける異常事態として認識した結果、この現象が暴走現象という災害に類するものだと、聡い非佐木はすぐに気付く。


 だからこそ――


「何したんだよ、芥!!」


 〈死神ノ供華〉によって展開された銃を巧みに使いながら、津波のように押し寄せてくるモンスターを殲滅する非佐木は、災害の最中であろうと背後で悠々自適に構える少女へと訊ねた。


 何をした、と。


 暴走現象というものが人間の手によって起こせるとは微塵も思っていない非佐木であるが、しかし彼女の言動とかみ合い過ぎたタイミングで起きた暴走現象に何の因果関係も見いだせない程の愚か者でもなかった。


 いや、そんなものに因果関係を見つけ出すことを狂人というのかもしれないけれど、端から見ればダンジョンに足しげく通う小学一年生も世間ではなかなかに狂人然とした扱いであるために、そこは割愛させていただこう。


 ともあれ、非佐木は芥と暴走現象の因果関係を見出し、問いただした。


「ひーくんがいじめられてるなんて私許せないよ! だから、もう安心していいんだよ、ひーくん。大丈夫だから、ほら、銃を降ろして」

「何を言ってるんだよ、本当に!!」


 話がかみ合わない。


 そもそも、どうして大量のモンスターが襲い掛かってくるような異常事態に、芥は平然としていられるのか。


 しかし、そこで気づいた。


 気づいてしまった。


 ここで起きているのが暴走現象なのだとしたら? それじゃあ、地上は一体どうなっている?


 溢れて出てくるSSクラスのダンジョンモンスターが齎す被害を、たった七歳でしかない非佐木は想像することすらできない。それでも――


「父さん、母さん、薊!!」


 それでも、自分の愛する家族が、その災禍に巻き込まれることだけはわかった。わかってしまった。


「ひーくん、どこいくの!」


 気づいたからには、その足は既に地上へと向けて動き出していた。


 ダンジョンには階層の出入り口にて一層であるクリスタル広場に帰還することができるという機能があるが、しかしシステムそのものが停止してしまう暴走現象を前にして、その機能は完全にシャットダウンしてしまっている。


 そのため、非佐木は徒歩でダンジョンを脱出しなければならない。


 ただ、彼はできるだけ麻木と距離を取りたかったこともあり、昨日今日で突き進んだ最前線――第36層に居た。経験からして、モンスターとの戦闘を加味せずに走ったとしても、地上までは一時間以上はかかるはずだ。


 かかってしまうはずだ。


「父さん――」


 お調子者な気質で、度々思い付きで行動をすることもあり、喧嘩したことも今日だけではない。それでも、冒険者としての実力は本物であった麻木を、非佐木は尊敬していた。


「母さん――」


 生真面目でしっかり者の母親だった非沙美は、どれだけ非佐木がわがままを言っても、それを許し面倒を見てくれた。篝が非佐木をダンジョンに連れて行くようになる前は、彼女のおかげで非佐木はダンジョンに行けてたのだ。


「薊――」


 非佐木の妹であり、小生意気な兄妹。ダンジョンに赴くことの多い非佐木であったからこそ、兄妹として接する機会は少なかったけれど、それでも間違いなく最愛の妹と呼べる存在だった。


「みんな、無事でいて……!!」


 なんと言おうと、彼らは非佐木の愛すべき家族だ。だからこそ、彼はその安否を心配して走る。


 無事でいてくれと願いながら。


 望みながら。


 それが――


「お父……さん……?」

「は、ははっ、流石は俺の息子だ……。よく、生きててくれた」


 それが、例え叶わぬ願いだったとしても。


「よかった……ああ、本当によかったよ」

「なん、で……血が…………お父さん、お父さん!!」


 ダンジョン第4層の中腹に、背に溢れんばかりのモンスターの残骸ドロップアイテムを残しながら進む影があった。


 飽和する血と呼気を携えて、その影は非佐木へとゆっくりと近づく。それだけの力しか、残っていないと言った様子で。


「手当しないと……お医者さん、は……」


 その体は血にまみれていて、命の灯が今にでも消えそうなことは、子供である非佐木であってもわかった。


「ああ……無事だったのね……」

「お母さん……!」


 遅れて二人の下にたどり着いた非沙美もまた、同じ状況だった。特に、非沙美の状態は酷く、右腕が失われ、武器である戦槌を杖代わりに何とかここまで来たようだ。


「こ、〈弧狗狸子〉!! 〈寝狸霧〉!」


 殺到するモンスターによって付けられたであろう傷に動揺した非佐木であったが、持ち前の冷静さはこんな時でも彼に的確な判断を提供していた。


 ただし――


『主よ。召喚していただいたことを某は嬉しく思うが……手遅れだ』

「なんでだよ! 寝狸霧は、誰かを回復することができたでしょ!」

『確かに、某は回復魔法の使い手であるが……しかし――』


 その行動は、非佐木が下した判断を否定するためのモノだった。


『しかし、某の魔法は、死したものを蘇らせることはできませぬ』


 それは、麻木と非沙美の二人が、非佐木の無事を確かめて安堵した後に、静かにこと切れてしまったと、そう判断してしまった自分の判断力を否定するための行動だったはずなのに。


 逆に、寝狸霧の言葉によって、非佐木は認めざるを得なかったのだ。


 両親の死という現実を。


「そんな、そんなわけないじゃないか! お父さんとお母さんはすごい冒険者なんだ! こんな、こんなところ死んじゃう分け……」

『主。その辺でおやめください。それ以上は――』

「うるさいうるさいうるさいうるさいッッ!!!」


 現実を受け止められない非佐木は、倒れ伏した麻木の体を抱き寄せながら、そんなことはないと言葉を繰り返す。


「うそ、だよね? 前にさ、お父さんが死んだふりしてさ、喧嘩しちゃったときみたいな――」


 しかし、冷たくなっていく体温を感じて、更に現実に引き戻されてしまう。


「ごめんなさい……もう、我がままなんて言わないから……だから、いつもみたいにえらいって……頑張ったねって……」


 死んだはずはないという幻想を抱けるほどに、非佐木は愚かではなかったのだ。


「なんで……」


 だからこそ、現実を見てしまう。麻木と非沙美が死んだという現実が――


「ねぇ、聞いてよ!! なんで――」


 暴走現象が、二人を殺したという現実を見てしまう。


「お父さん……お母さん……ねぇ、動いてよ……いつもみたいにさ、立って、よ……あ……あ、あ――」


 そして、その暴走現象が起きた原因が、自分にあるということも――


「あ、ああ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」


 七歳という少年が壊れるには、十分すぎる話だ。


 ただ――


「そうか。君は、そういう道を選んだんだね、麻木」

「れ、んが、おじさん……?」

「やあ、非佐木君。一週間ぶりだね」


 彼に待っていた悲劇は、まだ終わらなかった。


「まあ、死んでいても当然か。だって、この一週間、私が箱根ダンジョンに実力者を近づけなかったわけだしね。その結果、箱根の人たちを助けるために麻木たちが奮闘して死んだとしても、不思議じゃない。不思議なのは、本当に守り切ってしまったことか」


 両親の死体を抱き寄せる非佐木の前に現れたのは、他でもない彼らに箱根への旅行を提案した廉隅煉瓦その人であった。


 そんな彼は、何でもないかのように語る。


「死んで当然……って、なん、で?」

「非佐木君。君は聡いはずだよ。だから理解しているはずだ。僕が箱根から意図的に冒険者を遠ざけたからこそ、君の両親はたった二人で、この暴走現象に挑まなければならなかったってさ。そんな状況で、生きているなんて奇跡を望む方が愚かだ」


 ああ、そうだ。


 気づいていた。


 まるで答え合わせかのように紡がれた煉瓦の言葉が、正しいものであると非佐木は気付いていしまっていた。


 そういえば、と思い出してみれば、昨日から一日中箱根ダンジョンに居た非佐木であるが、しかし非佐木同様に箱根ダンジョンに潜る冒険者は一人もいなかった。


 それを非佐木は不思議に思わなかったけれど、思い返してみれば確かに不自然だ。SSクラスと言えど、ここは一般開放されているダンジョンだ。


 誰が居たとしても、普通なら――普通だったなら、非佐木同様に攻略してやろうと意気込んで挑む冒険者が居たとしてもおかしくはない。


 ただ、偶然という可能性もあった。偶然、その日は誰もいなかったという可能性もあったけれど、しかし煉瓦は語ったのだ。


「いうなれば、私が殺したともいえるのかな。見殺しにしたともいえるのだろうかな?」


 意図して冒険者を箱根から遠ざけることで、二人が死んでしまうように仕向けたのだと。


「ふざけるな!!」


 もちろん、その事実に非佐木は憤慨した。しかし、しかしだ。


「おいおい、私を殴ったとしても根本的な解決にはならないよ。それよりもさ――」


 非佐木の超人的な拳が煉瓦を捉えるが、煉瓦もまた熟練の冒険者として彼の拳を防いだ上で語る。


「こんな私よりも、明確に二人を殺したと言える人間がいるんじゃないかな?」

「……え」

「ほら、君だって気づいているはずだよ。このダンジョンで起きた暴走現象が、誰によって引き起こされたものなのかを」


 諭すかのように、彼は言った。


「これを渡しておこう。数日分の食料だ。これがあれば、存分にダンジョンの奥底を目指すことができるはずだ。きっとその先に、彼女はいるだろう」


 その言葉によって、非佐木の脳裏に一人の少女の顔が浮かんだ。足先から頭のてっぺんまで真っ白な、ある少女の姿が。


「問いただしてくるといいよ。彼女こそが、君の両親の仇なのだから」


 普通なら、人間が暴走現象なんて災害を起こせるはずがない。誰だって、意図的に地震や津波を引き起こすことができるわけがないのだから。


 しかし、と非佐木は考えた。


 あの不思議な少女ならば、と。


 何よりも、彼女の言葉があまりにも暴走現象が起きたタイミングとかみ合いすぎている。だから、だから――


「……芥」


 彼は、目指した。


 戻って来たはずの道を引き返して、ダンジョンの奥底へと。


「行ってらっしゃい。薊ちゃんは、しっかりと僕の方で保護しておくからね。まあ、篝に任せるつもりだけど」


 そんな非佐木の背中を見送って、煉瓦は悪辣にほほ笑むのだった――

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