第109話 伝説的なお見舞い
結果、或いは結論から先に語ろう。
あーし、白保間未若沙が病院で目覚めてから、日本、そして世界に点在するダンジョンへの意識は大きく変わった。
反転した。
その始まりとなったのは、11月8日に起きた大事件。
京都ダンジョンの突発性暴走現象から始まったあの事件は、新たなる難易度のダンジョンの出現と共に京都市そのものを呑み込んで世界へと顕現した。
あれから一か月。
未だ死者数を行方不明者数が上回る未曾有の大事件は、今もなお京都の空に浮かぶ月のような謎の物体を由来として、凶月事件と名付けられ知られることとなる。
ダンジョンが世界を覆いつくし世界が滅ぶというダンジョン終末論が、かつてのノストラダムスの大予言やマヤの予言よりもより確実な話となって、世界に轟いたのだ。
ダンジョン化した京都は今もなお関係者以外立ち入り禁止。行方不明者の捜索は行われておらず、京都という大都市がそのままひとつ消滅した形となってしまった以上、日本の上層部は大慌て。
軍曹から聞いた話じゃ、京都に出張していた日本政府のお偉いさんも何人か呑み込まれたって話だ。ついでに言えば、そうした被害者は政府の人間だけじゃない。
江戸の世から徐々に東京へと経済の中心点が傾いていたとはいえ、やはり京都もそういった流れの中にある重要拠点の一つ。一連の被害で致命傷を負った企業も、大中小問わずに多いことだろう。
日本経済は傾いた。その中で、国家が動かせる冒険者は少ない。基本的に、日本は間引きや新規ダンジョンの調査、攻略を外注に任せていたからだ。
故に、12月となった今も新しく生まれ落ちたダンジョンは放置され、遺族の願いも届かぬまま被害者たちの骸は凶月の下に晒されている。
そして――
「みもりー!?」
っと、その前に来客だ。
「……よぉ、久しぶりだな芥」
「みもりー! よかったぁああ!!!」
「ふんっ、やはり生きていましたか白保間未若沙。まあ、あなたほどの人間が簡単にくたばるとは思っていませんでしたが」
あーしが目覚めたのは、大阪のとある病院。あの災害から一か月経ったと言ったが、その一か月間、あーしはずっと眠ったままだったというのだ。
話を聞けば、DSFの連中がダンジョン内で倒れていたあーしを保護してくれたのだという。それから、原因がわからないまま意識不明の状態が続き、一か月経った日に目を覚ましたのだそうだ。
そして、目覚めたあーしの体に傷はなかった。肩口をえぐり取った銃創も、膝をついてできた擦り傷も、頭に突きつけられた銃口も、すべてが夢だったかのように、体に傷はなかった。
あの痛みも、あの混乱も、なにもかも。
あーしの中にはなにも残っていなかった。
「ってか、よく大阪まで来たなお前ら……」
「廉隅芥がどうしてもというので。ま、貴方の保護者という方がこちらまでの旅費を払ってくれましたし、大阪グルメのついでにですわね」
そんなあーしの見舞いのために、芥たちは神奈川からはるばるやって来てくれたようだ。
暖かい友人との絆。あの夏の日、死神に部屋の外に叩きだされていなければ、手にすることのできなかったもの。
若干一名との関係は遠慮したいものだが、まあ芥の前では許してやるとしようじゃねぇか。
「そっちこそ、無事でよかったぜ」
「一応ね。なんかティリスさんの知り合いさんが見ててくれたみたいでさ。それに、ダンジョンから少し離れたらそこまでモンスターが居るわけじゃなかったから、あとは小走りで回り見てるだけで安全なところまで逃げられたんだ」
どうやら、聞いていた通りだな。
暴走現象中はモンスターが地面から現れるとかいう異常事態こそ起ってはいたが、やはり基盤にあったのは他の暴走現象とは変わらないダンジョンからモンスターが溢れ出たという事実。
つまり、ダンジョンから離れてしまいさえすればどうとでもなるということだ。
まあ、そんな理由から京都市の外まで避難しなきゃならないとか、はっきり言って無茶が過ぎるが。
「とはいえ、おかげで修学旅行は中止。警察からダンジョンについて取り調べられた上に、メンタルケアもかねて学年全体が一時休学状態になったわ」
メンタルケアねぇ……まあ、目抜き通りをモンスターにやられた被害者の亡骸を踏みつけて逃げなきゃいけないようなあの状況、大なり小なりメンタルがやられた奴が出てもおかしくはないな。
かくいうあーしも、少しだけ休みたい気分だ。一か月は休んではいるが。
ともあれ、学校の現状についてはなんとなく頭に入った。
「なあ――」
ついでだ。わかりきったことではあるが、改めて聞いておこう。確かめておこう。
あれが夢であったと、信じてみよう。
「死神は……非佐木は、戻ったか?」
返って来た答えは沈黙。芥は悲し気に俯き、高慢まな板似非お嬢様口調は腕を組んでえらそうなため息を吐き出した。
無論、言葉にせずともその答えはわかっている。わかりきっている。
「やっぱり、帰って来てないんだな……」
あーしが直感的に感じていたこと。
「その言い方……白保間未若沙。もしや、貴方は虚居非佐木の行方について何かご存じなのかしら?」
おっと、やっぱりというかなんというか、この金髪、妙に勘が鋭いんだよなぁ。普段は馬鹿なのに。
頭の回転が速いというのか、それとも目聡いというのか。
ともあれ――
「詳しいことはわかっちゃいないが、間違いなく一つ言えることがあるな」
あーしが目覚めたのは昨日のことで、だからこそ文字通り昨日のことのように思い出せる。
何しろ、凶月事件の日からあーしの記憶は丸々一か月分がないのだから。十一月のことなど、すぐに思い出せる。
「非佐木は今、あーしたちが想像もしえない何かに巻き込まれている――」
凶月事件の中で救助活動に勤しんでいたあーしの身に起きたことを、事細かに伝えた。
「謎の真っ白な子供に虚居非佐木の思惑……何よりも冒険者の武器が人間を傷つけた、ですか」
「それって……」
「疑う気持ちはわかる。事実……あーしの体には何の傷跡も残ってないしな」
もちろん、死神と白い子供についての話を聞いた二人の反応は訝しげなものだった。
それもそのはず、あーしが語った銃弾についての証拠は、今のあーしの体には残っていない。治癒したのかとも思ったけれど、主治医に聞いたところでそれらしい話を聞くことはできなかった。
つまりは、今あーしが語ったことのすべてが、寝ている間に見た夢の出来事だったと処理されてもおかしくない話なのだ。
死神と子供のやり取りを見たのはあーしだけ。故に、追及されたとして、何の証明をすることもできない――
「いやいや、疑うにはまだ早いと思うよ、その話は」
しかし、あーしの話が二人の道理によって疑われかけたその時、肯定を示したその言葉が部屋の中に響いた。
あーしたち三人の誰でもない、男の声によって。
「……いつからそこに居たんだ、軍曹」
「さて、いつからでしょう」
声の主はあーしのよく知る人物。そして、あーしたちのことをよく知る人物だ。
「えっと……」
「やあ、直接会うのは初めましてだね。僕は叢雁篝。アドベントフロンティア社の代表取締役……じゃあ、ないな。うん、僕はそこの憎たらし気な顔を浮かべている可愛らしい女の子の保護者だよ」
もとい、ただの変態だな。
「あ、すいません挨拶が遅れて……廉隅芥です!」
「獅子雲なずなですわ」
「ああ、よく知っているとも」
アドベントフロンティア社。あーしたち彩雲プランテーションのスポンサー筆頭の代表取締役が相手ともなれば動きは固くなる。
流石の獅子雲も、自由気ままないつもの態度を崩して少し緊張気味だ。
ともあれ、本題はそこではない。彼が誰であるか、或いは彼がなぜここに居るか、ではない。
「おい、軍曹」
「何かな、未若沙」
「さっき軍曹は、話を疑うのはまだ早い、って言ったな」
「ああ、そのとおりさ」
ここで重要なのは、ここに現れる時に奴が口にした言葉だ。
「それはつまり、あーしの証言を立証する証拠があるということで間違いないんだよな?」
「ああ、そのとおりだとも」
軍曹は言った。それが、さも当然であるかのように。何でもないかのように。
「逆に言ってしまえば、未若沙の話によって確定的になった、というべきだけどね」
どこからともなく用意したパイプ椅子に腰を掛けながら、軍曹は語った。
「ともあれ、その話は少し後に回そう」
「……長話か?」
「大人の話は長いものだと相場が決まっているものだよ」
「そうか。なら後にしてくれ。先にお見舞いに来てくれた友人たちと話がしたい」
座った、ということは完璧にここから先の話が長くなるということだ。
ただ、曲がりなりにもあーしの保護者である軍曹の話は、あとから書面なりメールなりで行うことができる以上、あーしのことを心配して訪ねてきてくれた友人を優先するべきだろう。
ふふん、これでも死神の言われたとおりに常識を学んでるんだぞ。
……非佐木のために、な。
ともあれ、そんな身に着けた常識は多少変わっていようともあーしの中に溶け込んでいる。あいつがいなければ起こりえなかった変化だ。入院したあーしの下に友人が訪れることも含めて。
そんなわけで、あーしは死神が残してくれたものを大切にするために――
「いや、是非ともそちらの二人にも聞いてほしい話なんだ。そうでなければ、そもそも僕はここに訪れない」
「……そういえば、そういう人だったなあんたは」
なるほど。確かにそうだ。
あーしと軍曹のやり取りだけならば、あとからメールで済ませられる。だというのにわざわざここに顔を出したということは、芥たちが訪れているタイミングで顔を出したということは、相応の理由があるということか。
死神なら、そのことすらも理解して対応していたのだろうか。
ともあれ、
「らしいが、どうする芥?」
「え、えと……何の話をされるのですか?」
一応、あーしは芥たちに聞いた。これから長話が始まるが、大丈夫か、と。
とはいえ、話の内容にもよるわけで、芥は軍曹の顔を見て、これから語られるであろう内容について確かめた。
「虚居非佐木という少年の過去について。事実と憶測と推測を」
「っ……!! ……わ、わかりました。私は、聞きます」
死神の過去、ね……一応、これでもあーしは幼馴染ってものをやらしてもらってはいるが、きっと語られるのはあーしが死神と出会うよりも前のことだろう。
死神が、死神になるより前のことだろう。
「獅子雲君は大丈夫かな?」
「どちらでも構いませんわ。というよりも、是非とも聞かせてくださいまし。ともすれば、我がライバルの弱点を見定めることができるかもしれませんので」
本当に、相変わらずだな、こいつは……。ともかく――
「それを聞いて何になる?」
「いやね、決めてほしいんだよ。僕は」
いつものような笑顔を張り付けて、何でもないかのように軍曹は言った。
「この話を聞いた上で、虚居非佐木という少年を助けるかどうか。それを、君たちには決めてほしいんだ」
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