第107話 伝説の再会

 非佐木は呟いた。


「……異常事態だな、本当に」


 銃士系統ジョブは索敵に長けており、そういったスキルを削って戦闘力に特化した軽銃士系統の特殊派生に分類される〈死神〉も、それなりの索敵系スキルを保有している。


 そのスキルを使って周囲を探ってみれば、いやでもわかる。この暴走現象の異常性に。


 本来、暴走現象はダンジョンから溢れたモンスターが地上に出現する災害のことを指す。


 それらはすべて、ダンジョンと地上を繋ぐ出入り口を起点として発生するはずだ。


 しかし、今回の暴走現象は違う。


 入り口からではなく、モンスターたちは地面から這い出てきているのだ。既に京都ダンジョンから広域にわたってモンスターが地上を闊歩している姿が確認されており、多くの人間が死んでいる。


 非佐木もなんとか人を助けようと銃弾を放っているが、彩雲ダンジョンの暴走現象よりも広域へと広がったモンスター全てに対応できるわけではない。


 それに、SSランクのモンスターともなれば、そう簡単に倒すことはできない。非佐木にとって片手間で倒せる程度であっても、片手間に片付く時間すらも惜しいこの状況では、非佐木の力も不十分と言わざるを得ない。


 〈弧狗狸子〉にて召喚できる寝狸霧も、Bランクダンジョンのモンスター相手ならば戦えるものの、やはりSSランクともなれば役者不足。


 どう足掻いたって、非佐木一人で何とかできるような状況ではないのだ。


「何を間違えたんだろうか」


 整然とした京都の街並み。日本の古都として栄えた歴史を持つ場所は、百鬼夜行とも見紛うモンスターたちによって蹂躙されていく。


 燃え盛る火の粉が木造家屋を彩り、踏みしめられる大地が終わりのカウントダウンかのように音を刻んでいる。


 どこからか聞こえて来た悲鳴は、今死んだ者のものか、それとも今らか死ぬ者のものか。


 もう助からない命か、まだ助けられる命か。


 何もわからない。


 なぜこうなってしまったのかも、何もかも。


『おい、ドッグマスク。何をしている?』


 京都の街並みを見下ろすように少しだけ高い屋根の上に立った非佐木の背後から、彼の名を呼ぶ声がした。


『ピープスか。日本の事情に首を突っ込んで大丈夫なのか?』


 誰かと思って振り返ってみれば、そこに立っていたのはDSFのリーダーを務めるピープスである。


 モンスターと戦っていたのか、ところどころに戦闘跡と思わしき汚れや擦り傷を負っている彼は、非佐木の言葉に対しても無感情な表情で返した。


『我々の目的にはアメリカだけではなく世界の救済も含まれている。それに、件の予兆に関する案件は一任されているからな』

『流石はアメリカだな』


 彼らはこの惨状を前にして、別に誰かを助けるために奔走しなくてもいい。なんたって、彼らはアメリカの特殊部隊だ。遠い異国の大災害に関心こそすれ、あくせくと救助活動をする義理立てなんてないはずだ。


 それでも、彼らは任務を理由にして救助活動に勤しんでいる。


 そんな彼らを、非佐木は流石だと讃えた。ただ、ピープスはそんな言葉に何らかの反応を示すことなく、淡々と喋る。


『伝説のXならこの状況をどうにかできないのか?』

『これでも頑張っている方なんだけどな』


 そう言いながら、非佐木は空へと向けて銃弾を放つ。


 〈地より天へ、天より地へスターレイン〉。武器に宿った力によって放たれる流星が如き銃弾の雨が、地上を闊歩するモンスターたちを撃ち抜いていく。


 非佐木の持つ殲滅用のスキルである。


『それでも足りないか』


 降り注ぐ流星群。しかし、それでもすべてのモンスターの一割を攻撃できたかどうか――そもそも、〈地より天へ、天より地へスターレイン〉から降り注ぐ銃弾数発では死なないモンスターたちも見られ、効果的とは思えない。


 流石はSSランクの暴走現象か。


 それに――


『あれはどうするつもりだ?』

『さてな。攻撃は届くが、下手に刺激をするのも不味いだろ』


 二人が見上げる空の中には、満月の様に鎮座する怪物がいる。他でもない、京都ダンジョンの夜の空を支配するダンジョンボスの太歳征君である。


 未だ討伐者のいない怪物である。


 優雅に空を漂う姿は、京都ダンジョンの中と変らない。とはいえ、現在は暴走現象の真っただ中。あの怪物が物見遊山で外に出てきたわけではあるまいし、いつ地上に降りて暴れ出すかわかったものではない。


 故に、非佐木は遠距離からモンスターを倒しながらも、空を警戒し続けていた。


 ただ、


「それで、止められないのか? この騒動は」

「……日本語出来たのかよ」

「日常会話レベルだよ」


 わざわざ英語から日本語に切り替えながら、ピープスは非佐木に改めてそう訊いた。


「止められるなら止めたいさ。人が死ぬことが俺の本意だと思ってるのか?」

「そういうわけじゃない。そもそも、我々のXdayプロジェクトがなぜXという文字を使っているかわかるか?」


 何を言っているのかわからない。そんな風にピープスの言葉を交わす非佐木であるが、しかしピープスが追求をやめることはなかった。


「虚居非佐木。お前が、この世界の終幕になる可能性をアメリカは考慮している」


 なぜならば、彼らが就いているX-dayプロジェクトは、世界の終幕となる災害を乗り越えることを目的としているからだ。


 何時かに聞いたその由来。少年Xが関係しているという言葉。


 どうやら、彼らは少年Xこそが世界の終幕となるトリガーだと予想していたらしい。


 ばかげた話だ。確かに、少年Xと言えば今もなお残る伝説であり、未だ超える者のいない伝説である。


 だが、同時に彼は日本在住の一個人だ。たった一人の人間に何ができる?


「その戦争はたった一発の銃弾から始まった。その戦争はたった一人の上げた声から始まった。変えようと思えば世界なんていくらでも変えられるんだ。たかだか一人の少年の後悔が、世界を殺したって不思議じゃない」


 少年Xという伝説が、虚居非佐木が抱える過去が、世界を殺す。


 彼のことを知っているからこそ、調べ飽きるほどに明らかにしたからこそ導き出した結論は、たった一人の少年へと向けられた。


 お前が、世界を終わらせるのだろう? と。


「それは違うな」


 ただ、当の本人は違うと口ずさむ。


「俺の後悔は復讐じゃない。俺の後悔はただの自責だ。自責で呵責で忸怩たる慚愧だ。だから、


 過去を知っているのならば話は早いと、とぼけるような口調をやめた非佐木はピープスを見た。


「だから、この悲劇を俺は止めることはできない」


 残念ながら。そんな言葉を口に含みながら、彼は改めて空へと浮かぶ凶星へと向き直った。


「ただ――」


 とはいえ、だ。


 非佐木が否定したのは、彼の持つ後悔の在処についてでしかなく――


「――これから起こる悲劇を止めることはできる」


 それが誰によって始まる悲劇なのかを、彼は否定しなかった。


 否定できなかった。


「意味が、わからないな」


 この悲劇を止めることはできないけれど、これから起きる悲劇は止めることができる。非佐木のその言葉にピープスは困惑を隠せない。


 そんなピープスを気遣うこともなく、非佐木は続けた。


「思い出したのさ。いろんな因縁を。昔交わした約束を。だから、ここから俺ができるのは、この悲劇を止めることじゃなくて、これからの悲劇を止めること。起きてしまったものは、もうどうしようもないんだ」


 モンスターの歩みに呑み込まれ、ダンジョンと変らぬ光景が広がる京都の街並み。そのなかで、非佐木は――


「ほら、落ちてくる」


 空から落ちてくる凶星を見た。


「ッ……!! おい、どこに行くX!」


 凶星の落下に合わせて屋根上から飛び降りる非佐木を追いかけるピープスは、その背中に向かって声を上げる。


 なにせ、彼が歩き始めた方向は、凶星が落ちた場所とは正反対の方向だったからだ。


 お前は凶星が落ちるのを待っていたのではないのか。そんな言葉が非佐木の背中へと掛けられるが、対する非佐木は肩越しにそっけなく言うのだった。


「迎えに行くだけだよ。幼馴染をさ」

「……なに?」


 困惑するピープスであったが、しかし彼は非佐木の後を追いかけることはできなかった。


『ピープス! デカ物の登場だぜ!』

『とりあえず、あいつを何とかしないと話にならないよ!』


 彼には凶星の落下に合わせて続々と集結するDSFのメンバーたちを指揮し、京都を蹂躙するであろう太歳征君と戦わなければならないからだ。


 それに比べれば、今の非佐木は京都で暴れるモンスターを共に駆逐する仲間だ。その歩みを止める理由はない。


 しかし、だ。


 やはり、ピープスの脳裏には、得も言われぬ違和感が漂っていた。


 それが何かを、彼は表すことができない。だからこそ――


『っ……全員、武器を構えろ! これより、ダンジョンボス太歳征君の攻略に当たる!』


 喫緊の課題たる凶星の始末に走った。


 そうして、非佐木の後を追いかけるものは居なくなる。


「久しぶりだな、本当に」


 モンスター徘徊する京都の街並み。血と火と悲鳴に塗れた凄惨な世界の中を、非佐木は散歩でもするかのように歩いていた。


「本当に――」


 彼が向かうのは、遂に凶星としての姿を変えた太歳征君が降り立つ場所とは正反対の方向。


 そこは、京都ダンジョンの入り口だった場所。とはいえ、もうそこにはかつての名残しかなく、地上がモンスターたちによって蹂躙された今は地下へと通ずる穴のようなものがぽっかりと開いているだけの場所に過ぎない。


 しかし――


「久しぶりだな、


 彼にとっては、そこはそれだけの場所ではない。


「うん、久しぶりひーくん!」

「もう、思い出した。全部、全部な。だから、行こうか。遅くなってごめんな」

「もう! 本当に遅刻しすぎ! でも、来てくれたから全部許しちゃう!」


 非佐木を待ちわびた白い少女が、彼の胸へと飛び込んだ。10年。それほどまでに長い離別の時を埋めるように、その抱擁は強くかわされる。


 過去を清算するように、10年前と変わらないままの少女は、非佐木を捕まえて離さない。


「俺がいれば、いいんだよな?」

「うん! 私には、ひーくんがいればそれだけでいいの!」


 それは過去の清算。


 忘れていた、忘れてしまっていた過去にあった約束の履行。


 あまりにも純粋な――


「死神!? おい、お前そこで何やってるんだ!?」


 非佐木は見た。


 自分を付けるものなど誰も居なくなったと思ったのに、その名を呼ばれたからだ。


 彼女だけが、非佐木のことを見つめていたことに気づかなかったのだ。


「誰だソイツ! ってか、無事でよかったぜ死神! 当たり前なんだろうけどよ!」


 未若沙だけが、非佐木を見つけたのだ。


「……誰、あいつ?」


 その行為が、虎穴へと続く道とは知らずに――

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