第106話 伝説の別れ
一般的な会社員である杉本卓也は、その日、午後の営業に備え早めの昼食をとるために街に出ていた。
彼が務める会社は京都市中に居を構えており、少し歩けばそれなりに良い定食屋が所狭しと並んでいる。
今日はどこで食べようか。そんなことを考えて訪れたのは、顔なじみとなったうどん屋だった。
「らっしゃい」
「どうも。いつものお願いします」
「あいよ」
昼前ということもあって店内に人はいない。
とりあえず、常連として杉本卓也は気前のいい店長に挨拶しつつ、注文を一つ。その待ち時間に、ふと彼は店に備え付けられていたテレビに目をやった。
『――政府は、彩雲ダンジョンでの被害を鑑み、新規ダンジョンだけではなく、既存ダンジョンの間引きの確認をより慎重に行う方針を示していて――』
そこに映っていたのは、昨今騒がれていた暴走現象についてのニュースだ。
極彩街道――通称彩雲ダンジョンにて起こった異例の暴走現象。モンスターの間引きは充分であったにもかかわらず発生したことから、有識者の間では突発性暴走現象と名付けられたこの大事件は、数か月経った今でもたびたび話題に上がるほどの話題性を持っていた。
中には、この事件を機に政府のダンジョン管理体制を痛烈に批判する話もあるが、どちらにせよ注文を待つ杉本卓也には関係のないことだった。
「暴走現象だってね。怖いねー」
「そういえば大将って30年前の騒ぎを知ってるんでしたっけか。どんな感じだったんです?」
テレビの暴走現象の言葉から、顔なじみの大将がそんなことを呟いた。思い出してみれば、確か大将は今年で55。30年前のダンジョン発生から、暴走現象が世界中で頻発した時代を、彼は生きていたことになる。
注文を待つこの時間、会話の種にと大将の言葉に乗っかった杉本卓也は、そんなことを聞いた。
「どこもかしこも大騒ぎだったよ。テレビは連日、どこどこの県でモンスター被害が出ましたってニュースばっかりでね。そこに……ほら、ノストラダムスの大予言が重なって、世間は随分と悲惨なもんだったよ」
「へー、今とは全然違うんですね」
「まあね。ほら、ダンジョンアイドルってのがあっただろう。若い女の子とか男の子とかがダンジョン入ってく奴。あれのおかげかね。ダンジョンってのが、恐怖じゃなくて憧れになったのは」
30年前は生まれてすらいなかった杉本卓也にとっては、現実味のない話だ。ダンジョンアイドルをテレビで見て育ってきた世代にとって、やはりダンジョンというのは恐怖の象徴ではなく、サブカルチャーの一種としか映っていないようだ。
ただ――
『き、緊急速報です! 京都市中にてぼ、暴走現象が発生しました! 京都にお住いの方々は、屋外に出ない様に……』
「……え?」
「なんだって?」
その日、彼らの意識は刷新されることとなる。
『かるま』
テレビから思いもよらない速報が届いたかと思えば、店の出入り口にあるすりガラスの先に、人とは思えない影が姿を現した。
「っ……おい! 店の奥に逃げな!」
「いえ、大将こそ下がっててください。これでも、僕は学生の頃はダンジョンに潜ってたんで――〈武器召喚〉」
暴走現象が起きた。その速報を聞いてから出現した影が、ダンジョンから出現したであろうモンスターであることは一目瞭然。だからこそ、冒険者としての経験がある杉本卓也は立ち上がり武器を取った。
彼の手に現れたのは何の変哲もない剣。ジョブのクラスは3。クラス4を目指して頑張ったこともあったが、学生という刻限を過ぎてまで熱中するものではないと、今日この日までその武器を再び手に取ることはなかったのが懐かしい。
だが、今は違う。暴走現象で出現したモンスターは、屋内であろうと容赦なく侵入して人の命を奪うためだけに動く。ならばこそ、せめてこの顔なじみの店だけでも守ろうと、彼は剣を手に取ったのだ――
「ここは俺に任せてくださ――……い?」
『はん』
剣を手に取り、扉越しに影へと斬りかかった。
しかし、その直後に彼の視界は横へと急激に転進した。何が起きたのか、何が起こったのか。理解はすべてにおいていかれて、その末路に彼は息絶えた。
もし、彼が幸運であったことを語るとすれば、モンスターが振るった棍棒の一振りで彼の頭部がゴムボールの様に店の中を駆け巡ったことを、知らずに死んでしまったことだろうか。
「あぁ……懐かしいねぇ」
血しぶき舞う店内を見渡して、大将は呟いた。
「おかしいと思ったんだ。30年前から。どうしてあそこのダンジョンは何も起きなかっ――」
その言葉は、最後まで紡がれることなく砕け散る。
『かるま』
最後に、惨劇を作り出した鬼の声だけが誰もいなくなってしまった店内に響き渡った――
◆◇
「〈武器召喚:タップダンス〉!!」
京都ダンジョンの入り口周辺にて、隆起する地面に対して警戒を強めた非佐木が、右手に構えた〈シャウトレス〉に続き左手に〈タップダンス〉を構えて臨戦態勢を整える。
そして、非佐木に続いてDSFのメンバーたち、それから芥や愛代たち同級生組もそれぞれの武器を構えた。
それと同時に、隆起した地面が破裂し、土煙を舞い上げながら彼らは現れた。
「も、モンスターだぁああああ!!!」
その悲鳴は誰のものか。ダンジョンの入り口周辺を取り囲む群衆の中から上がったのかもしれないし、もしくは彩雲高校ダンジョン部のビビりの声だったかもしれない。
とにもかくにも、それは始まってしまった。
突発性
「〈ロックオン〉―〈乱れ撃ち〉」
「shoot!」
とはいえ、ここにいるのはかつてモンスター系のSSクラスダンジョンをたった一人で攻略した伝説と、ただでさえ高い難易度を誇るSSクラスダンジョンを複数攻略した英雄である。
その対処は迅速であり、入り口周辺の地面を突き破って現れた鬼のようなモンスターたちへと集中砲火を浴びせ、次々と撃破していった。
『ステータスは!』
『問題ねぇぜピープス!』
『やっぱり、京都ダンジョンのギミックはダンジョン由来みたいね』
『外に出たらいくら倒しても呪われないってのは、なんというか少し憐れだな』
DSFのメンバーは、撃破と同時に自分のステータスを確かめる。STRからLUKまでの自分の能力の数値や所有スキルまでが並ぶ表記の中には、京都ダンジョン特有のバッドステータスは確認されない。
つまり、ギミック系ダンジョンとしてのギミックは、暴走現象としてダンジョン外部に出てしまえば適用されないらしい。
(……本当にそうなのか?)
しかし、ピープスの脳裏に何かが引っ掛かった。
見過ごすことのできない何かが――
「おい、油断すんなよ!」
「冨田月こそ! 僕たちダンジョン攻略部の実力を見せてあげようじゃないの」
「前の時みたいにな!」
その横では、DSFほどの戦闘力を持たない彩雲高校の面々が、襲い掛かってくるモンスターたちに対して武器を構えていた。
「ひぃ~!! な、なにこれ~!」
「ほしちーはとりあえず私の後ろに! 最悪、みほりんも戦って!」
「わーってるよ!」
とはいえ、ここに戦闘力にばらつきがある彼女たちの陣形は歪だ。特に、ダンジョンへの潜入経験が一度しかない新波が相手するには、襲い掛かってくるモンスターたちは強すぎる。
それこそ、かつて極彩街道で何度も死んだ芥以上に、凄惨な死に方をしてもおかしくない。
そして、古畑もまた同じだ。新波とは違って多少の心得はあるとしても、彼女がダンジョンに潜っていたのは中学生のころ。数年というブランクは、決して無視することはできない。
そんな二人を守るに、彩雲プランテーションと彩雲高校ダンジョン攻略部の六人は武器を構える――
「って、未若沙ちゃんがいない!」
「そういえばあの方、事前にジョブを変えるとかで席を外していましたわね……」
「それって一大事じゃねぇのか!?」
「一大事だよ!!」
未若沙がいない。確かに彼女は経験に裏打ちされた実力を有した強力な冒険者だ。しかし、SSランクのダンジョンの暴走現象の中となれば、その信頼も確実なモノとは言えないはずだ。
「と、とりあえず未若沙ちゃんを探さないと――」
「芥、前来てるぞ!!」
「嘘ォ!?」
人数不足に焦る芥に襲い掛かるのは、イタチの姿をした鋭利な魔物。それは刀のようなしっぽを巧みにくねらせて、芥の体を斬り裂こうと風の様に近づいてきていた。
一拍遅れた芥の反応が間に合うよりも先に、そのイタチの刀が彼女の肉を切り裂く――
ダァン!!!
「油断するな!!」
「あ、ありがとうひーくん!」
イタチの刀が芥に到達するよりも先に割り込んだのは銃声と鉛玉。芥に襲い掛かった魔物を非佐木が撃ち抜いたのだ。
「未若沙のことなら心配するな。あいつなら多分大丈夫だ。それよりも……」
混乱状態の芥たちの元に駆け寄った非佐木は、周囲を一瞥しながら言う。
「……おかしい」
「虚居。おかしいって……なにが?」
「愛代、極彩ダンジョンの時を思い出してみろ。あの時、こんな風にモンスターが地面から姿を現したか?」
「い、いや……そんなわけないと思うけど……」
「そうだ。暴走現象は、どう足掻いたってダンジョンの入り口からモンスターがあふれ出す現象だ。どういうわけかダンジョンの入り口の大きさとモンスターの大きさは関係ないみたいだが、今までの暴走現象は、例え突発性だろうがこの点だけは変わらなかった!!」
気づいてしまった事実に、最悪を予想する思考は止まらない。
「……とりあえず、ギミック系のモンスターなら芥たちでもそれなりに倒せるはずだ。お前らは新波と古畑の二人を守りながら、出来るだけ遠くへ避難してくれ」
「と、遠くって!?」
「可能な限り!」
とにかく、友人たちに逃げるよう話す非佐木は、ここからできるだけ遠い所に逃げてくれと説得する。
もちろん、今の自分たちには手に負えない事態であることを悟っている彼らは、その話に口を挟むことはしない。
ただ――
「大丈夫なんだよね、ひーくん……」
SSランクの暴走現象に立ち向かう非佐木に対して、芥はそう言った。
当たり前だ。暴走現象は、ダンジョンの外で起きる災害だ。そして、そこにはダンジョンのシステム――つまるところ死に戻りは適用されない。
心配して当然だし、無事を案じて当然だ。
「一ついいこと教えてやるよ、芥」
「な、なにかな?」
「昔、俺もSSクラスダンジョンの暴走現象に巻き込まれたことがあったんだけど……その時立ち会った二人の冒険者が、たった二人で一匹のモンスターもダンジョンの外に出さずに暴走現象を止めたんだ」
非佐木が語るのは、遠い過去の記憶。今まで誰にも語ることの無かった話。
「だが、そんな二人よりも俺の方が強い」
心配ないと、彼は言い聞かせる。
「なんたって俺は伝説だからな」
彼は伝説であるから。
「うん、わかった。それじゃあ気を付けてね!」
「お前らも気を付けろよ!」
「死んだら許さないからなー虚居!」
「わたくしとの勝負はまだ終わっていませんからね!」
「ああ! 当たり前だろ!」
芥に続き、愛代となずなが声を上げる。そんな声に寄せられた鬼たちの眉間を撃ち抜いて塵へと変えた後に、改めて非佐木は彼らを見た。
もう、声も届かないほどに遠くなっていく影を見た。
「……悪いな」
ただ一言、そう呟いた。
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