第104話 伝説の置いてけぼり
突発性
それは、公的にはたった一つの前例だけが存在する、原因が全くわからないままに発生した暴走現象のことを指す。
しかし、たった二人の英雄の死によって消えた非公式の一例が存在した。
忘れもしない、10年前の悪夢。
「ダンジョン内で、ボスがダンジョンの階層を飛び越えて移動する。それが、俺が過去に見た突発性暴走現象の予兆だ」
忘れることのできない、最悪の思い出。
「京都ダンジョンは階層の概念がない。だが、昔俺が見た太歳征君が降り立った際と降臨の仕方が全く違った。おそらく、あれはギミックをこなしたことによる降臨ではなく、移動なんだ」
忘れ去ることのできない、自分の罪。
「いいか。できる限り冷静に、慌てずに外に出ろ。俺がここにいる全員の殿を務める。だから、逃げてくれ」
二度と起こらないと思っていた三回目が、再び非佐木の前に現れた。
「なっ……それは本当なのか死神!」
言葉を失う五人の少女。その中で唯一冷静さをわずかながらに保っていた未若沙が、非佐木に向かって声を上げた。
その言葉が、事態を悪化させるとも知らずに――
「死神……それにあのお面……まさか、彼は少年Xか!?」
非佐木たちを遠巻きに観察していた群衆からそんな声が上がる。
少年Xと死神というワードの関連性については、一か月前にネットを騒がせた文京区ダンジョンの祭りによって多くの人に認識されたことだ。
おそらくは、群衆の中から声を上げた彼もまたその記録を血眼になって見ていたひとりなのだろう。
「少年Xって……あの?」
「伝説って言われてる子供のことだよね! た、確か今は高校生ぐらいだって噂の……」
「おい、それよりも暴走現象が起きるって本当なのかよ!」
「暴走現象!? ここは大丈夫なのかよ!」
「さっきの話じゃ大丈夫じゃないって……少年Xが……」
少年Xという言葉は、確証も定かではないはずなのに伝搬していく。それはさながら、恐怖という感染症の様に。
「逃げなきゃ……」
そして誰かが呟いた。
伝搬していた恐怖が発症する――
「逃げろ!」
「逃げるんだ!」
「ここは危険だぞ!」
「おい、何そこで突っ立ってるんだよ、邪魔だどけ!!」
「う、うわああああああ!!!」
始まりの一人が騒ぎ出した途端に、その恐怖は全体に広がっていく。
我先にと、今すぐにでもこの危険な場所から逃げ出したいという衝動のままに出入り口へと殺到する。
中には自分の実力故に暴走現象について楽観視しているものも居たが、ここがSSクラスダンジョンであることを思い出したら、我先にと逃げ出した。
そうだ。
ここは、世界中にあるダンジョンの中でも、最高峰の難易度を誇るSSクラスダンジョン。
その名も『夜天京都万魔御殿』
未だクリア者のいない、恐るべきダンジョンなのだから。
恐れるべきダンジョンなのだから。
夜に恐怖するように。
本来は、近づくことすら恐れなければいけないはずなのだから。
◆◇
「久しぶりだね、篝」
「ああ、実に10年ぶりだね煉瓦」
彩雲プランテーションのスポンサー筆頭であるアドベントフロンティア社の代表取締役のベロロ軍曹こと
しかし、ことこの男からのアポイントとなれば、無視することはできなかった。
いや、無視することもできたのだろうけど……それをしてしまった場合、どれほどの犠牲者が出るかもわからない以上、そのアポイントを受け取る以外の選択肢はありえない。
「何時ぶりかな」
「麻木と非沙美の葬式の時以来だったと思うよ」
「そうか。あの日も、もうそんなに昔の出来事か」
篝の前に現れたのは、他でもない廉隅芥の父親である
ただ――
「それで? 今度は僕を殺しに来たのかな?」
かつて友人として接していた煉瓦に対して、叢雁はそんな問いを投げかける。
「いやいやいや。友達を殺すわけないじゃないか。私が」
「それじゃあ、麻木と非沙美の件はどういう風の吹き回しだったんだい?」
「あれは事故さ。私の望むところじゃあなかった」
「箱根そのものが地図から消えかねないあの大事件が事故だって? おかしな話をするようになったものだな煉瓦」
「ああ、そうさ。私は頭がおかしくなってしまった。だから笑って話を聞いてほしいものだ」
そう言いながら、二人を挟む机の上に淹れたての紅茶が用意された。叢雁が、煉瓦を待つ間に作っていたものだ。
それを見て、煉瓦は語る。
「あれ、昔言ったことなかったっけ。私はコーヒーの方が好きなんだけど……」
「二枚舌は紅茶の方が好きだと思ったんだけど?」
「嫌われたねー、ほんと」
過去に自分がしでかした過ちを思い出しながら、淹れられた紅茶を煉瓦はぐいっと飲み干した。
「毒の心配をした方がいいんじゃないか?」
「これが友好の証さ」
そんなやり取りを終えてから、二人はここに来て初めて話し合いの席に着いた。
「私があちら側に行ってから10年。まあ色々とやって来たけど、これが最後だ」
「知ってるよ。非人道的なことだろうと、君は君なりの目標をもって走っていることは。……たとえ、僕が受け入れられないようなことであろうと」
「ありがとう。それでこそ、私の友人だ」
10年前の大事件に虚居非佐木の出生。そのほかにも、廉隅煉瓦という男は様々な罪を犯してきた。
噂によれば、アメリカに遺伝子組み換えによる改造人間を依頼したのも彼の仕業だとかなんとか――ともかく、そんな非人道を征く彼が最後だと語る。
「思えば、いろんなことをやって来たねぇ……」
「君がダンジョンを使ってアイドルを売り出すと言い出した時は頭を抱えたものだけどね」
「いやはや、そのおかげで篝は今や一大企業の社長じゃないか」
「そして、もう一人の親友は棺の中、と」
「それを言ったら、私はもう人間ですらなくなってしまっている」
過去を掘り返す叢雁の口撃を煉瓦はひらりひらりと躱していく。そして、くつくつと笑った。
久しぶりにするこのやり取りも、彼にとっては楽しいのだろう。
「ともかく、だ。君には私の最後の悪事の後始末をしてほしくてさ」
「尻拭いならごめんこうむりたい」
「おっさんの汚い尻を拭ってくれるほどやさしい男じゃないだろう、君は。ま、そこまでのことじゃないから頑張ってよ」
そう言ってから、自分の口にした言葉が面白かったのか、煉瓦はまたもやくつくつと笑った。
その様子を見て、こうも笑顔が似るものなのかと、親子という関係性を叢雁は改めて確認する。
「それで、何をしたらいい?」
「話が早くて助かるよ」
「君がこういう時は、本当に自分の手に負えなくなった時だけだと知っているからね」
「本当に、まったくもってその通りだとも……そうだね。新しい難易度のダンジョンが出現する」
「……なに?」
流石の村雁も、予想だにしない煉瓦の言葉に紅茶を嗜む手を止めた。
「新設難易度なんて親切なものじゃない。正真正銘のこの世界を終わらせるための難易度のダンジョンが現れる。なんとか私が頑張って出現座標を西日本にずらすことができたけど、私ができるのはここまで。これ以上は何もできないよ」
「ダンジョン発生の地震が広範囲にわたって記録されてたのは――」
「私が頑張った結果だね。とはいえ、これで最悪のシナリオは避けることができたはずだ……っと、危ない危ない」
会話の途中に、入れ直した紅茶が注がれたティーカップを煉瓦は机に落としかけた。それは一見すれば会話に熱中しすぎた故のミスと思えるかもしれないが、その手に走ったノイズを見れば、ただ事ではないと誰もが気づく。気づいてしまう。
「……その手は?」
「ああこれ? 私に限界が来ている証だよ。本当は二月になるまで引きつける予定だったんだけどね……修学旅行か。完璧に忘れてたよ。私たちの時代にはなかったからさ」
二人が学生であった二十七年前と言えば、ダンジョン発生に伴う暴走現象の多発の真っただ中であった時代だ。
そんな時代ともなれば、いつどこでダンジョンが発生し、モンスター被害に襲われるかわからないがゆえに、遠出の旅行なんて危ない橋を渡ることはできない。
故に、彼は失敗した。
修学旅行というイベントを予測することができなかった。
「ともかく、ここまでが私にできることだった。これでも、世界を救うためにあれやこれやと東奔西走してたんだけどね」
「その結果が嫌われ者とは、やるせないな」
「まったくもってそのとおり! しかも、その最後には死体すら残らないなんて、とんだ笑い話じゃないか」
「かつての救世主も、遺体は墓から消えたそうだ」
「ははっ。確かに、世界を救う手伝いをした結果、そんな聖人と並べてもらえるともなれば最高だね」
再びくつくつと笑いながら、彼は改めて自分の左腕を見た。
「もう自分の形すらも保てなくなっている。正真正銘の最後だけど、篝は私に何か言っておくことはあるかな?」
先ほど紅茶を落とした時に右手に走った僅かなノイズ。それは、彼の右手の形を崩しながら、ブラウン管テレビを支配する砂嵐の様に形を不確かなものとした。
そして今、そのノイズが彼の左手の形を乱していた。
まるで、廉隅煉瓦という人物そのものが緩やかに消えていくように。
「最後……最後か」
「ああ、最後だ」
高校生からの付き合いであるものの、その後の大学生活から新しく会社を立ち上げるまでの就職先まで同じだった二人が共有する思い出は多い。
だからこそ、叢雁は感慨に耽り――
「……廉隅芥とはいったい何者なのかな? 君に、配偶者は居なかったはずだけど」
しかし、思い出に浸るよりも先に確かめるべきことがあると、その使命を宿した瞳を煉瓦へと向けた。
「まったく、最後まで篝は篝だ。さぁて、どこから語ろうかな……って、あんまり時間がないんだった」
ふと煉瓦が左手に目をやってみれば、先ほどまで左手首までだったノイズが、肘先にまで侵食している。このままいけば、このノイズが全身を覆うまでに十分と掛からないだろう。
「簡単に言えば、あの子は舞台装置だ」
「……娘に対する言葉とは思えないな」
「篝のことだから、遺伝子学上は実の娘だってあたりをつけてるんだろう? そして、彼女がどういった存在なのかも検討が付いているはずだ。だから、私は私が娘を使って何をしようとしたかだけを語ることにするのさ」
煉瓦のノイズが右肩への登頂を果たし、胴体への浸食を開始した。残された時間はそう多くない。
「舞台装置……そう、舞台装置だ! 適当に出したにしては、随分としっくりくる言葉を選べたもんだ。結局のところ、私の目的は一つだけ。この世界をダンジョンと言う脅威から救い出すことにある!」
机に隠れて気付かなかったが、既に煉瓦の下半身はノイズによって消えていた。しかし、そんなことを気にも留めずに彼は語る。
「ああ、そうだ! ダンジョンのアイドル営業によって注目度を高めたのも! 君をダンジョン攻略装備の開発へと推薦したのも! 虚居非佐木という憐れな少年をXへと仕立て上げたのも! 10億円という借金を生み出したのも! すべては私の掌の上! この世界を救うためのシナリオに過ぎないのさ!」
ノイズによって体の形を保てなくなった煉瓦は、椅子に座ることさえできなくなったのか、机にうつぶせで倒れ込んだ。
しかし、起き上がることなく机に這いつくばりながらも語り続ける。
「そして人類とダンジョンの戦いは最終章へと到達した! 彼は選ぶこととなるだろう。全人類か、それとも自分の命か。ああ、ああ!
意味不明な言葉の羅列。しかし、そのすべてがでたらめではないのだろうと叢雁は悟る。
「君はいつもそうだ。自分の中だけですべてを完結している」
「それは、私が想像し創造する以上の結末を辿る未来を見つけられなかったからだ」
「ああ、そうだ。君はいつもそうだった。そして麻木に怒られるんだ。なんでもっと早く相談しなかったんだ! ってね」
「そんなことを言ってくれる奴は居なくなった。だから、私は私の夢を叶えるために走るんだ」
這いつくばりながらも叢雁を見上げる煉瓦の目が、その先にある未来を見た。
這いつくばる煉瓦を見下げる叢雁の目は――
「きっと、その目論見は破綻する」
「それはなぜかな?」
「いつものことだろう。君はそうやって誰の気持ちも考えずに自分の中だけで完結させて先走る。だからこそ、君が予想できなかったことに躓いて失敗するんだ。麻木の時の様に、そして今回の様に」
「ああ、それを言われてしまっては敵わないな……」
叢雁の目は、過去を見ていた。
煉瓦が積み重ねて来た悪事の数々。それ以上に積み重なった失敗の数を。
「それじゃあ、君はどうするのさ。これから起こる、ダンジョン史最大の事件を」
「僕はどうもしないさ。どうにかするのは、彼らの仕事。僕の仕事は、そんな彼らを助けること。昔だって変わらなかった。君が持ち込んだ厄介事を麻木が解決する。いつだって僕の仕事はその解決の手助けだった。だから今回も変わらない。君が残した最悪を、解決してくれるのを待つだけさ」
過去を見る叢雁の瞳に映る男の最後の姿は、随分と悲惨なものだ。しかし、そんな悲惨な最期を辿る彼の顔は、満面の笑みと言っても差し支えのない喜びが映し出されていた。
「なら大丈夫だ。もし僕の目論見が失敗するのなら、世界が滅ぶか、大団円の二つに一つ。麻木の息子ならば、任せられる」
「それを語るとは、本当に君は性格が悪いな」
「君に言われたくはないさ、篝。まったく、こんな男に見届けられながら逝くなんて……」
「ああ、そうだ。僕だって、君の死に顔なんて見たくない」
最後の最後。
ほんとの最後の親友の姿を叢雁は見届けた。
「篝」
「なにかな?」
「SSクラスダンジョンを超えるダンジョンのボスってのは、どんな姿をしてると思う?」
「……まったくもって性格が悪い話だ。もしそれが真実だとしても……きっと、何とかしてくれるさ」
「おいおい。せっかくの最後の問いかけなんだから、しっかりと応えてくれてもいいだろう――」
消える、消える、消える。
全身にノイズが走った煉瓦の体は、テレビの電源が落ちるように突然姿を消した。
あまりにもあっけなく、廉隅煉瓦という男は居なくなった。
最初からそこに居なかったかのように、まったくもって現実味のない消滅。しかし、それが真に“消えてしまった”のだと叢雁は気付いている。
だから、だから――
「いつも通り、か。結局僕は、いつも置いて行かれてしまう」
道の先を突っ走る煉瓦にその後を追いかける麻木。そんな二人に置いて行かれる放課後の帰り道を思い出しながら、静かに最後の一敗を飲み干した。
「塩を入れすぎたか」
滴り落ちる雫をごまかしながら、狙いすましたかのように響き渡った固定電話のコール音に、彼は現実に引き戻された。
それは、煉瓦が語った大事件が起きる数分前の出来事。
これからの一時間。
たったの一時間で、日本を、或いは世界を覆すような大事件は起きてしまう。
「なにかな?」
『き、京都で新規ダンジョンの発生を確認。調査系ジョブに確認させたところ、記載難易度「SSS」とのことです……』
「そうか。それで? ここに直接かけて来たってことは、ただごとじゃないってことなんだろ? 何が起きた」
『は、はい! え、えと、その……京都市そのものがダンジョン化したとのこと、です……』
「……ああ、まったく――」
まったく、面倒なものを残してくれたものだ。
そんな言葉は誰にも届かず、叢雁の中で渦巻いて消えてしまった。
もう、その人は消えてしまったのだから。
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