第99話 伝説の早朝
羨望というのは、人間の持つ原初の感情の一つではないだろうか?
そんなことを思ったのは、俺が5歳の時だった。
5歳児にしてはませているなと思われるかもしれないけれど、5歳男児が何かに憧れるのは、この世の摂理であると理解してほしい。
電車の車掌に特撮ヒーロー、或いはアニメの主人公に、テレビに映る冒険者。世の中が映し出す“かっこいい”に最も感化される時期こそが、五歳児だと俺は思っている。
「パパすげぇー!」
「うわぁ……流石にビル折るのはないと思うわ」
「それに興奮する子供も子供ですけどね」
記憶に強く残っている情景の一つとして、30階を超える階層を持つ高層ビルが真っ二つにへし折られるものがあった。
補足するならば、そのビルは俺を誘拐した人間が保有していたもので、ビルが折れたのはその報復。そしてこれは、テレビドラマの撮影ではなければ、テレビの画面越しに見た景色でもない。
たった二人の人間の手によって、スキルも何もなしにヤクザが所有するビル一つが倒壊していく。そんな光景が、きっと俺の始まりの一つだったんだと思う。
「ありがとなー、煉瓦。それに篝。よしっ、傷一つなくてえらいぞ非佐木!」
「パパもえらい!」
「えらい……? あんなに大きいビルをへし折って、事後処理はどうするのよ貴方! 非佐木は絶対パパみたいな大人になっちゃだめだからね!」
「でもかっこよかった!」
「もう……誰に似たのかしら、本当に」
倒壊したビルの残骸から、俺の憧れが歩いてきた。だから俺は、危なくない様に手を繋いでくれていた篝おじさんの手を放して、憧れの元へと走って行ったのだ。
走って、抱き着いて、抱き上げられて――
「よぉし、じゃあ非佐木も冒険者になろうか」
「なる!」
「ちょっと貴方!?」
元気よく、憧れの背中を追いかけるためにも、無邪気にその言葉にうなづいたんだ。
憧れ。ああ、そうだ。
俺のスタート地点に居たのは、この二人だった。
俺の原点。俺が歩き始めた理由。俺の先に居てくれた人。
もう居なくなってしまった、俺の両親。
俺と、そして俺の妹である薊の両親こそが、俺の始まりだったんだ――
「ああ……」
「なんで、なんで……」
「嘘、だよね……? 嘘なんだよね?」
「違うって言ってよ!」
「僕、頑張ったんだよ……?」
「だから褒めてよ」
「えらいって……」
「頑張ったねって……」
「なんで……」
「ねぇ……」
「聞いてよ!」
「なんで……」
「なんで……!」
「ああ……」
「お父さん……」
「お母さん……」
「一生のお願いだから……」
「動いてよ……」
そして、僕の終わりでもあった。
純真無垢に憧れを追いかけた少年は、残酷なまでの真実を知って足を止めた。
だから、だから――
「ねぇ……大丈夫?」
「君、は……?」
「私? 私は――」
だから、その少女と出会ったんだ。
「私は芥!」
「僕は……非佐木」
「じゃあひーくんだね。泣いてるけど、何があったの?」
あれ?
でも、俺が芥と出会ったのって――
◆◇
修学旅行三日目。
「っ!?」
三日目の始まりは、俺にとってあまりにも早すぎるものとなった。時間にして午前4時47分。起床時刻には早すぎる時間である。
「嫌な夢を見た」
畳部屋の中。隣で寝る愛代の顔を見下ろしながら、よりにもよって今日と言う日に悪夢を見てしまった。内容は詳しく覚えていないけれど、父さんと母さんが出て来たことは辛うじて覚えているから、きっと昨日の夜にティリスから聞いた話のせいだろう。
昔の夢、か。
もう見ることはないと思ってたんだけどな。
「あー……眠れる気分じゃねぇな……」
とにもかくにも、眠気すらも吹き飛ぶような悪夢を見たらしく(詳細は覚えていないけれど)、パッチリと目が覚めてしまった早朝から、俺の修学旅行三日目は始まった。
まだ日が昇らないこの時間帯。何をするにもタイミングが悪い以上、逆にいつでもできることをしようと思い、秘密裏に持ち込んでいたノートPCを開いた。
『軍曹』
『例の件でアメリカから接触がありました』
『ダンジョン発生の予兆についての軍曹の見解をお聞きしたいです』
特殊な回線を使った特殊なメールが俺から軍曹へと届けられる。すると、数分と経たずに軍曹から返信が返って来た。
『ペロペロペロ』
『やっぱりアメリカ側の要件は未知のダンジョンについての協力だったぺろね』
『彼らはぺろたちの方にも協力の打診をしてきたぺろ』
『もちろんぺろの方でもぺろぺろ確認してみたぺろけど、ぺろっと裏はとれたぺろ』
『何かあるとすれば、攻略した後ぺろね』
『どうやら
『もし陰キン氏が動くことになったら、もちろんぺろたちは援助するぺろけど、アメリカからの支援は受け取らないほうがいいと思うぺろ』
『というか、多分受け取れないぺろね』
『どちらにしても、ぺろとしては、アメリカとは攻略情報の共有でとどめておくのが吉ぺろ』
『そんな感じぺろ』
現実で会って話した時とは全く違う変態極まりない怪文書が送られてきたが、読み解いてみれば至極真っ当な返答だった。
やっぱり、軍曹は俺と同じ意見……というか、状況と俺の質問から接触時の案件まで見抜くってやっぱすごい人だな、この変態。
DSF……というのは、ティリスが所属する特殊部隊の名称だな。そして、やっぱり彼らは実働隊でしかないらしく、軍部での地位は低いとのこと。
あの場で契約書を書かせなかったのも、彼らが俺との契約書を持っていたとして、軍の上部が契約書を悪用しようとして渡せと言った時に、圧力に屈するしかないからだろう。
ついでに言えば、おそらくこの契約はアメリカと俺、ではなくDSFと俺で交わされたものであり、公的なものではない。どこまで行っても口約束の域を出ないものだ。
となると、俺の接触してきたのはDSFの意志で、アメリカは関与していないとみるべきか。ただ、DSFが派遣されたということは、間違いなく件のダンジョンについてはアメリカはそっちについて関心を寄せているとみるべきだけど。
日本で起きることに他国が介入するのはどうかと思うが、まあアメリカだしな。
となると、俺が取るべき行動は、件のダンジョンが出現した時にDSFとは無関係を装って攻略を進めることだな。
八月にダンジョンが現れて、最長でも半年以内にダンジョンが出現するということは完璧に芥の借金返済計画と駄々被りするのだけれど、まあこのために芥を表舞台に立たせて、俺が裏方で働いているわけだし、そこを上手く利用するしかない。
……と、考えてはいるけれど、半年前はこんな考えにはなっていなかっただろうな。
少なくとも、誰かに要求されることなく、積極的にダンジョンに赴こうとは考えなかったはずだ。
はてさて、どこのどの幼馴染のせいだろうか――
「……?」
なんとなく。
なんとなくだけれど、今、俺は違和感を感じた。
それが何かを説明することはできないけれど、間違いなく何かが引っ掛かった。喉に小骨が引っ掛かるような、或いは滑らかなフローリングに欠けがあった時のような、不快感。
だけど、わからない。
遠くに見える蜃気楼が何を写しているかわからないように、或いは夜空の雲の中に隠れた月がどこにあるかわからないように、判然としない。
気持ちが悪い。
スッキリしない。
背中に入った虫が動き回っているような。
夢で見た出来事を思い出せないような。
「俺は、何を考えているんだ……?」
そんな、気持ちの悪さだけが、立ち上る煙のように俺の頭を支配した。
考えすぎか、寝不足か。
何もかもがわからないままに、気が付けば起床時間になっていた。
「……まあいい」
アメリカやDSFのスタンスは、急ぐ必要はあるだろうけれど、修学旅行後に軍曹と意見をすり合わせていけばいい。
もし何か気づかなければいけないことがあったのなら、そこで気が付けるはずだ。
だからこそ、今は喫緊の課題に向き合うべき。
それは、今日予定しているダンジョン見学と――
「起きろ愛代ォ!!」
起床時間となっても起きない親友を起こすことだ。
「ちょ、虚居! 君、自分のステータス考えて殴ってくれないかな!?」
「安心しろ。今まで徒手空拳も収めているからな……どの程度の力で殴れば人の骨が折れないかぐらいはわかる」
「それ骨折はしないけど打撲にはなるやつだよねぇ!? 虚居!?」
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