第98話 伝説の逢瀬
修学旅行二日目の夜。
普段は朝方から夕方までの長くとも短い時間を過ごす学友たちと、一日の時間を共有する大型イベント修学旅行。
ともすれば、男女の関係すらも進展しかねないシチュエーションが連続する修学旅行の夜に、俺は女子と共に夜の京都を歩いていた。
「夜ってのはどこも変わらねぇな」
「それはドッグマスクが都市部に住んでるからでしょ。一回アマゾンの奥地に行ってみれば、考えは変わると思う」
京都の街並みを散策しながら肩を並べるのは、九月に日本に留学してきたティリスである。
目鼻立ちの整った顔に、火の様に煌めく赤毛。美人と美少女の中間地点にあるいいとこどりな美貌は、夜というシチュエーションの中で一等星の様な輝きを放っている。
欧米人らしく整ったプロポーションは、日本人の規格を明らかに飛び越えた世界に在り、そこに付け加えられる普段の天真爛漫でいて、男女隔てなくスキンシップを取るアメリカ人らしい性格から、男子の中では付き合いたいランキングのトップに躍り出た人気を誇るとかなんとか(愛代調べである)
しかしながら、今俺の目の間に入る彼女は全くの別人。
天真爛漫、純真無垢、ムードメーカーに人懐っこいなんて着飾られた彼女のイメージを一変しかねない氷のようなクールな雰囲気を纏って、いつもとは全く違う落ち着いた口調で俺の言葉に受け答えをしている。
これが彼女の素で、普段の似非アメリカンは世を忍ぶ仮の姿だった――としか思えないような光景だ。
「ここら辺でいい」
「だな」
そんな彼女と共に夜の京都を散策していた理由としては、まあ密やかに俺たちの跡を付けている人間を撒くためだな。誰であるかは既にわかっているので、明日の予定でみっちりと扱くとして――
「そんなに聞かれたくない話なのか」
「まあ……うん。何分、この話はXdayに関わっているメンバーでも知ってるのはごく少数だし」
「ガチのアメリカの国家機密は勘弁してほしいんだが……」
「巻き込まれるときは突然に、そうでしょドックマスク」
尾行が撒けたことを二人して感じ取りながら立ち止まった川辺。人気がないとは言い切れない鴨川の傍で、まるで道行くカップルの様に俺たちは川を見た。
「それで、話って?」
「私の出生について」
「それは俺に関係するのかよ」
「少なくとも、私はそう思ってる」
川辺の芝生に座り込んだティリスの横に俺は立つ。警戒心の表れか、これから話される内容に対する緊張感か、それとも別の何かか。周囲のカップルがそうするように、俺はティリスの横に座る気分にはなれなかったからだ。
「ってか、こんなところで話していいのか?」
「まさか、こんなところで話している内容が、アメリカの機密情報だなんて三流オカルト誌のライターでも信じないわ」
「それもそうだ」
木の葉を隠すなら森の中。今を生きる学生カップルが、国家の機密に深く関わっている人物なんて誰も思うまい。
「ちょっと長くなるけど……構わないよね」
「就寝確認までには時間がある。問題ないさ」
現在時刻20時27分。就寝の確認はたしか21時30分で、俺が本気で走れば、ホテルまで五分と掛からないので、問題はないはずだ。
そう伝えれば、ティリスは冗談を言うように、「その時は私を抱えて行ってくれるんだよね」と言った。
そのつもりだと言い返してみれば、ケラケラとおかしそうに笑う。そこだけは、普段のティリスが顔を出したように。
「うん、うん……例えばさ、ドックマスク」
そして、一通り笑い終わってから、彼女は突然に語り始めた。出会った時の様に。
「デザイナーズベイビーって、倫理的にあり得ると思う?」
「……忌憚なく俺の言葉を語るとすれば、無しではないとは思うぞ。子の幸せを願う親の愛情と、子をデザインした親の願望は別物だけれど、幸せを願うためならば間違ったことではないはずだからな」
「面白いこと言うね。ちなみに、私の国でそれ言ったら磔にされるわよ」
「まあ、日本ってそういうところ自由だからなぁ……」
はたして、その言葉のどこがおかしかったのか、またもティリスはケラケラと笑った。おかしそうに、不思議そうに。
「それが私」
そして、その告白は為された。
「アメリカ研究施設が人工的に生み出したデザイナーズベイビー。ホムンクルスなんて呼び方もされたことはあるけど、私はしっかりとした両親を――受精卵の提供者のもと、生まれた人間」
果たして、俺の口から言葉は紡がれなかった。唖然、とか驚愕、とかそういう話ではなくて、余りにも突飛すぎる内容に、経験からくる受け答えの瞬発力が完全に後れを取ったからだ。
経験に無い会話には、やはり言葉が遅れてしまう。
「ま、母親の胎で生まれたわけでもなければ、父親の背中を追ったわけでもないけど。ビーカーの中で受精して、ガラスの中で生まれて、白い部屋で育った。それが私。ティリス・エトワール」
なる程。彼女が若くしてアメリカの特殊部隊に在籍していたのは、デザイナーズベイビーとしての優秀さと、幼少期からの英才教育によるものだったのか。
返答よりも先に納得が出てきた俺は、とにもかくにも何とか返答を返そうと思考回路をこねくり回して、コミュニケーション能力の不足を痛感しながらも、なんとか言葉を口にした。
「……それが、俺に関係があると?」
同情でもなければ肯定でもない疑問の言葉。ともすれば非情に映る返答であるが、しかして望んでいた回答が返って来たとでも言うように、ティリスは嬉しそうに口角を上げた。
「あなたは私の目標になった。あの日、あの時、アメリカが世界終末のシナリオに気づいた日、真っ白な部屋で、泥だらけになりながらも戦うあなたを見たから、今の私はここに居るの」
それが何のことかは判然としない。
しかしながら、おそらくは――
「10年前か」
「私にとっては9年前だけどね」
時差は……まあ、アーカイブとして残ってるんだから、当然か。いつ彼女が俺のことを見つけたのか、そんなことは実際どうでもいい。
「デザイナーズベイビーとして私に課せられた最初の仕事は、貴方に近づくことだった。人間の限界を超えたクラス5ジョブにたどり着くことが、優秀な遺伝子を揃えて人間の限界を超えた私に課せられた使命だった」
「その結果は?」
「無理だった。100のジョブに挑戦し、200のダンジョンを乗り越えてなお、貴方に近づくことはできても、その背中に手を伸ばすことはできなかった!」
川を見下ろしていた彼女の視線は、いつしかさらに下に俯いて、その顔が伏せられてしまう。
小さく、しかし確かに唱えられた叫びに含まれる感情は、果たしてどんなものなのか。
俺には、理解してあげることのできないものだ。
「でも――」
だからと言って、その心に近づくことができないわけではない。
「だからこそ、いつしか、貴方は私の中で憧れとなった」
立ち上がった彼女が見せたのは、涙ではなく笑み。9年という歳月を、アメリカの研究機関に食い潰された少女の言葉は、しかして喜びに満ち溢れていたのだ。
「私は優秀を超えるべく生み出されたデザイナーズベイビー。けれど、そんな私でも超えることができない少年がいる――貴方に近づくことが、いつしか私の人生の目標になったのは、その憧れに気づいた時だった」
先ほど見せた朗らかな笑みでもなければ、普段のような天真爛漫を絵にかいたような笑みでもない。
例えるならば、それは狂信か。見開いた目で俺を見ているはずなのに、俺ではない何か別のものを見ているティリスは、そっと俺の首に手を回していた。
「憧れに合いたかった。届かない神に触れたかった」
俺の存在を確かめるように、頬に手が添えられる。その間にも、俺とティリスの距離は近づいていった。
ただ――
「会ってみた感想はどうだ?」
「……うん。憧れは憧れだった」
俺は、その目の奥にあるモノに気づいたからこそ、首元の手を払ってティリスから距離を取った。
払われた手を、ティリスは抵抗することなく外す。おそらくは、俺が何かをしなくとも、同じことをしていただろう調子で。
「神は、貴方じゃなかった」
「俺は人間だ」
「うん、そう。あなたは神に愛された人間だった」
……。
「きっと、私はあなたにはたどり着けない。それが真実」
「いや、そんなことはないはずだ。確かに俺は、ずりぃスキルを持っちゃいるが、何時かはたどり着けるはず」
「ううん、そんなことはない。クラス4は、確かに人間の限界だって、私はあなたと戦って確信した」
戦った、というのは文京区ダンジョンでのことか。それで、彼女は何かの答えを得たのか。
俺には気づけなかった何かに――
今まで、誰もクラス5ジョブに到達できなかった真実に。
「あなたには知っていてほしかったの。あなたを目指して、そして挫折した人間の存在を」
「俺は知っているよ。そういう人間が、この世界にごまんといたことを」
「ええ、そう。日本だけじゃない。おそらくは、世界中が少年Xという偉大なる背中を追いかけた。そして、そこにはたどり着けないと挫折した」
10年前。世界初のSSクラスダンジョンの攻略は、間違いなく伝説の出来事だった。
偉業にして異形。未だに並ぶものが居ない、理外の記録。
確かに、神に愛されていると言われてもおかしくはないな。俺のジョブは、〈死神〉だけど。
「だから私は聞きたいの。あなたはなぜ、そこにたどり着いたのか」
9年間。俺という存在をひた向きに追いかけ続けた少女は、浮かべていた笑みも喜悦も消し去って、まっすぐと俺の目を見て問いかけて来た。
なぜ、貴方はそこにたどり着けたのか、と。
だから、俺は――
「お前とおんなじだよ」
俺は、敬意をもって彼女に答えた。
「憧れを追いかけてたんだ」
俺は今、どんな表情をしているだろうか。
後悔か、悲しみか、怒りか――この言葉を吐き出すにあたって、自分の中に渦巻く感情を俺は説明することができない。
理解したくない。
「そう。やっぱり、貴方は人間だわ」
「ああ。誰が何と言おうと、俺は人間で伝説だ」
縋るように、忘れないように、自分が伝説であることを俺は呟いた。
「サーテ! じゃあ、話すことも終わりまシタたし、帰るとイタシマショーウ!」
「おい、温度差で風邪ひきそうになるんだけど」
「Oh……レジェンドボーイもウィルスには弱いんデースね!」
「生憎と、インフルエンザにもかかったことはないけどな」
果たして、そんな俺の様子に気が付いたのか、いつの間にか唐突に、ティリスはいつものティリスへと戻っていた。
時刻を見れば21時14分。早々に帰らなければ、ホテルの外に出ていることに気づかれて大目玉を食らってしまう。
だからこそ、話しを終えた俺たちは、まっすぐと帰路を辿った。
「あ」
「なんだ?」
「一つだけ言い忘れてたことあった」
ただ、その道中で思い出したかのように、ティリスは忠告してきたのだった。
「廉隅煉瓦には気を付けて」
今更なことを、改めて。
だから俺は、何でもないかのように返す。
「知ってる」
「そう。ならいい」
宵闇の中に消えゆくやり取りを繰り返して、修学旅行の二日目は終わりを迎える。
そして、迎えるのだ。
運命の日を――
清算の日を。
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