第85話 伝説の青春


「……ちょっと暑いな」

「まだ全然夏が抜けない感じするよね~」


 夏休みが開けてから数日。九月が始まってからの空を見上げながら、俺は芥と肩を並べて登校していた。


 季節は夏を通り過ぎて秋に入ったところ。とはいえ、まだまだ夏の風は過ぎ去っておらず、未だ残る余韻に浸るだけで、暑さで頭がどうにかなってしまいそうなほどだ。


「撮影の反響凄かったねー。バズッターの方にも結構なコメントが来てて、返すの遅れちゃった」

「別に全部に返さなくてもいいんだぞ。いっぱしの有名人なら、ファンサービスも大事だが、コメントに返信し続けて無駄な時間を使うことだけは避けろ」

「はーい。でもでも、私のことを見てくれてコメントしてるからさー」

「わかってるよ。ただ、変に突っかかってくるコメントには言葉を返すな」

「らじゃー!」


 道すがらの話題といえば、やはり彩雲プランテーションになってくる。もちろん、俺と芥は学友や彩雲プランテーションだけではなく、九年来の幼馴染という関係もあるのだが……とはいえ、ここ最近はお互いに彩雲プランテーションのことにかかりきりであるために、最近の話題を話そうにも、自然とそちらに転がって行ってしまうのだ。


「そういえばさ、〈破術槌士〉がもうすぐでレベル50いきそうなんだよね~。目指せレベル100! そこまで行けば、未若沙ちゃんにも追いつけ――」

「まだまだだぞ。あいつのメインジョブはクラス4だから、もう一つ上の段階にある」

「そ、そんな~……でも、クラスで見ればあと一個しか違わないんだし、もうすぐそこだよ!」


 クラスが上がっていくにつれてレベルが上がりにくくなっていく現状で、たかだかクラスが一つ違うという差を、すぐそこの目標と捉えていいのかどうかはわからない。


 ただ、向上心があるという点で見れば、まったくもって頼もしい限りだ。今後のことを考えれば。


「これからはより忙しくなるぞ」

「まじですか」

「口調が変わるほどに驚いているところ悪いが、マジだ」


 クラス1からクラス3まで上がるのと、クラス4に到達しレベルを100にする労力は、断然誰もが後者の方が難しいと語るだろう。ともすれば、その先を目指すとなると――どれだけかかるかわかったもんじゃない。


 だからこそ、やっとの思いで取れた取り立ての猶予いっぱいまで、計画の最終段階は先延ばしになっている。


 あと、その間にクリアされてしまうかもしれないという心配はいらない。少なくとも、京都のあのダンジョンは、今のところ日本に居る冒険者では攻略できないはずだ。


 というか、たどり着くことすらできないだろう。


「とりあえずの目標はクラス3ジョブのレベルを100にすることだな」

「というと~……?」

「レベル上げ特訓だ。しばらくは配信でも配信外でもレベル上げに勤しむことになるだろうな」

「そ、そんな~!!」


 この先に待ち受けているであろう地獄のレベル上げ特訓を想像してか、わなわなと力なくへたり込んでしまう芥である。先ほどの向上心はどこに行ったのか、まあどちらにせよ借金を返すためには、是非とも頑張ってもらわなければいけないのだが――


「……あん?」


 はてさて、そんな風に先々のことに思いを馳せながら、幼馴染と肩を並べて登校をするという青春のただなかに居た俺であったが……あんまりにも間抜けな声を上げて固まってしまうような、変なものを目撃してしまった。


 壁から尻が生えていたのだ。


「うわぁ、何やってんだろあの人」

「関わるな」


 何を言ったのかわからないと思われるが、俺も一体何を目撃したのかわからない。


 どちらにせよ、関わらないほうがいいことは確かか――


「あ、そこに誰かいマスかー! 誰でもいいのデ、引っ張ってほしいデスー!」

「な、なんか困ってるみたいだけど……助けた方がいいと思うよひーくん」

「乙女をこのままにしておくなんテ、ひどいデース! ジャパニーズのやさしさプリーズ!」

「外国人だよ、ひーくん!」

「余計な情報だよ! 怪しさが余計に上がったわ!」


 限りなく見ないようにしていたが、ぷりぷりと壁から生えている尻に履かれたスカートを見れば、今しがた謎の窮地に陥っている、不確かなイントネーションの外国人がうら若き乙女であることは理解できよう。


 いや、なぜそのようなうら若き乙女が壁に突き刺さっているのかは甚だ疑問であるのだが――


「ええい、そんなに助けたいならお前がいけ芥!」

「りょ、りょうかーい!!」

「ヘルプミー!!」


 助けを求める外国女子に芥を嗾けたところで、俺は大きくため息をついた。


 一際際立つ芥のやさしさに、俺はある意味での関心を抱いている。


 夏休み中の撮影でゲラゲラが暴れたときも、芥はフォローに回っていたし、こいつのやさしさは底なしだ。


 俺との特訓の時も、文句を言いつつも真面目に向き合ってくれているわけだが……果たして、その純真をこの先信用していいものなのかどうか。


 少なくとも、いずれ挑むであろう……挑まなければならないであろう例のダンジョンでは、足を引っ張りかねないかもしれないが……まあ、矯正する必要もないか。


「ひ、ひーくんも手を貸してー!」

「オーイエス!」

「どれだけ深く突き刺さってやがるんだ……」


 はてさて、どうやらSTRに上方修正のあるジョブに付く芥のパワーをもって引き抜けないとは、どうやってそんな状況に陥ったのかが不思議でしょうがないのだけれど……痛がっている様子が見られないところから見て、彼女は高レベル冒険者の可能性が高いな。


 魔法や武器では人やダンジョン外の構造物を傷つけられないのは、一般的な常識であるが、実は身体能力だけはその適応外なのだ。


 だからこそ、そう言った事故の範疇なのだろう――


「いやいや、一般的な男子高校生が仮にもスカートを履いた乙女の足を引っ張るわけにはいかないだろ」

「私は一向にかまいまセーン! バッチコーイ、ヘタレ!」

「へ、ヘタレ!? この外人はどこでそんな日本語を覚えたんだよ……」


 ま、まあ、彼女が構わないならやるけど。


「ちょっと本気出すからどいてろ芥――〈弧狗狸子こくりこ〉」


 芥のSTRでびくともしないとなれば、高レベルとは言えSTRに補正のない俺の身体能力でも結果は変わらないはず。


 だから俺は、身体能力を高くする効果がある〈弧狗狸子〉の狗頭餅の面を装着した。


 この面は少年Xの象徴ともいえる戌面であるが、もし姿を見られたとしても、彩雲暴走現象スタンピードの影響もあって、再燃してきた少年Xファンの一人としか見られないはずだ。


 はずなのだが――


「どっせーい!」

「おぉーーう!」


 どうやら俺は、油断しきっていたらしい。


 壁に突き刺さった彼女の足を掴み、全力を出して引っこ抜く。ただ、想像以上に深く突き刺さっていた反動で、俺の体は倒れて、引っこ抜いた彼女諸共地面に転がった。


 そして、仰向けに空を見る俺の体の上に、赤毛の少女がまたがったままに言うのだった。


「……オゥ。まさか、ドッグマスクと会えるとは思っていませんデーシタ」

「ドッグマスク……?」

「ハーイ! レベルSSダンジョンのチャレンジャーのレジェンドオブレジェンドヒーローのドッグマスクデースよね! アイアム会いたかったデース!!」

「うわっ!」


 次の瞬間、彼女は俺の予想外の行動に出る。


「なっ……」


 赤毛の彼女が顔を近づけて来たと思えば、俺の唇は奪われてしまったのだ。


「な、何してんのひーくん!!!」


 そして、STR満点の芥の必殺の蹴りが、俺の顔を捉えたのだった。

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