試練、或いは終幕の予兆


「……厄介だな」


 彩雲町にあるとあるオフィスビルにて、闇金を手掛ける壮齢の男が、そんな言葉を呟いた。


 彼は猿飛金融の頭取を務める男であり、廉隅れんぐう煉瓦れんがが積み上げ、廉隅れんぐうあくたへと受け継がれた10億の借金に一枚噛んでいる男でもある。


 そんな男は、過去十年に渡る取引の記録をひっくり返したまま、天を仰ぐようにしてそう言ったのだから、彼の部下は思わず訊いた。


「な、何がですか?」


 余談を挟めば、何の事情も知らずに手伝いをしている部下の男は、今年の五月に少年Xに脅された挙句、お気に入りのマグカップを受付ごと破壊された、稀有な経験を持つ男である。


 そんな彼は、眉間のしわをもんでいる上司に対して、不安を露にした。それもそのはず、取引記録を見て悩むとなれば、それは帳簿にミスがあったことが発覚した以外に考えられないからだ。


 多少のミスならばまだしも、何十年という経歴を持つ頭取が厄介と口にするようなミスともなれば、いったいどれほどの労力を費やして修正しなければならない案件となることか。


 少なくとも、そんなミスが露見すれば、金融としての信用は失墜し、会社そのものがつぶれかねない。


 ともすれば、自分たちの墓場が、どことも知れない海の底なんてことになりかねない――


「ミスはなかったよ」

「は、はい?」

「ミスはなかった。隅から隅まできれいさっぱり、俺たちの帳簿に間違いなんてなかったんだって言ってんだ」


 ただし、部下が心配していたようなミスはなかった。


 いや、逆だ。その部下は抱くことはなかったようだが、本来であれば、ここで「では何が厄介だったのですか」と聞くべきだ。


 それはまるで、ミスがないことが、間違いがないことが――正常であることが、受け入れるべきではない状況であるかのようだ。


 そして事実、頭取の男が心配することはそんなことなのだ。


「お前、今年の五月に調子に乗った高校生がカチコミに来たのは覚えてるよな」

「え、あ、はい。あれがどうかしたんですか?」

「なんとなくな。本当に、なんとなくだったんだが、俺は廉隅煉瓦がこさえた債権の記録を確かめたんだ」

「……はい?」


 何を言っているのか。


 だって、債権に関する帳簿にミスが無かったのなら、何故債権の話が出てくるのか――


「いいか、ここで言ったことは他言無用だ。絶対に他で口にするなよ」

「わ、わかりました、けど……間違いはなかったんですよね?」

「ああ、間違いはなかったよ。それが大問題なんだ」


 まるで禅問答のような矛盾を孕んだ言葉に、部下の男は思わず首を抱えてしまう。


 そんな男にわかるように、頭取の男は言うのだった。


「おかしいんだよ……入出金の中に、廉隅煉瓦に関する記録が綺麗さっぱり無くなってるんだ。だってのに、どこをどう確かめても、変に会社の金が減ってるわけじゃねぇ。……んだよ」

「……え? それってつまり――」


 ありえないことが起きている。


 それも、やったところで理にならない、普通ならやらないような、意味不明なことが起きているのだ。


「借りてもないのに、借金ができてるってことですか……?」

「ああ、そうだよ。な、厄介だろ?」


 狐にでもつままれたような気分だ、と頭取の男は言った。



 ◆◇



「……」


 明滅するデスクトップの光だけを頼りに、真っ暗な部屋の中をタイピング音だけが支配する。


「……あー、なんか、掲示板に行く気分でもねぇな」


 彼女の名は白保間未若沙。彩雲プランテーションに所属する人気ダンジョン配信者の一人であり、冒険者を仕事とする業界ではそれなりに名の通った有名人である。


 そんな彼女が所属する彩雲プランテーションのmetubeミーチューブチャンネルの登録者は、夏休みの終わり際には30万人という大台に迫ろうかという【284744人】に到達していた。


 ケシ子一人から始まったケシ子チャンネルは彩雲プランテーションに名前を変えて、知る人ぞ知る新人ダンジョン配信者はテレビにも出演した人気配信者へと姿を変えていた。


 そんな変貌の一片を眺めながら、白保間はこれからのことを考えていた。


「っち、やっぱり学校に行くのはめんどくせーな」


 夏休みに入る直前にこそ登校していた白保間であるが、それまでは一ミリたりとも家の外に出ない、不登校を極めたスペシャリストであった白保間である。


 仕事の時だけは、死神に合うために渋々外出していたが、それだけだ。


 そんな彼女からしてみれば、登校自体が重労働。それに、収入源を確保しており、就職先も決まっている彼女からしてみれば、学校に行く意味合いも薄い。


 死神とはクラスも違うわけだし。


 とはいえ、これからも白保間は、死神の画策した計画に付き合うために、学校には登校するし、配信では姿を晒さなければならないのだ。


「ま、自分の決めた道か」


 過去のことは気にしない彼女である。後悔をしなければ反省もしない彼女である。


 ただ、人に嫌われることは嫌だし、一人向きな己が本質が故に嫌われるようなことしかできない自分が大っ嫌いなだけである。


 だからこそ人に嫌われない様に、嫌われない為に、怯えながら接していたのが、以前の白保間未若沙という少女だったわけだ。


 まあ、結局は人に尽くしたところでどうにもならないということを理解し、自分自身のためだけに動くという方向へと舵を向けたわけだが。


 もしも、それでも彼女が人のために化けの皮を被り続ける選択肢を取っていたとしたら……いずれ訪れるであろう結末が、少しは変わったかもしれない。


 失われるものが、失われなかったかもしれない。


 まあ、そんな先の話をしても仕方がないし、戻ることのできない過去の話をしても仕方がない。


(一応、席の周りの人間の名前ぐらいは覚えるか)


 本質的に人を顧みることができない彼女であるが、しかしてその性根は真っ黒に染まり切った悪というわけではない。どちらかといえば、幼少期の経験が、彼女の性格を歪めてしまったというのが正しいだろう。


 他人からの評価が、そのまま学園生活を決める世界。そんな場所に身を置いてしまったがために、孤立した白保間に襲い掛かったいじめという凄惨な結末を思い出した時――惨めな自分を思い出した時、嫌われたくはないという気持ちが芽生えたのは、極々普通の出来事だろう。


 とはいえ、嫌われ者になるまいとチームに尽力した結果、笑われ者にされて、『結局はどちらに振舞ったところで、笑うやつは笑うんだ』と吹っ切れたのが、現在の白保間なだけである。


 それでもまあ、最後の最後まで優しく接してくれた芥や、今もなお手の届かない憧れの存在である非佐木に嫌われるのだけは避けたいため、慣れないことをしているとわかってはいても、約束は守るし期待には応えようとする。


 まず初めに、不登校をしていた手前無理かもしれないが、彩雲プランテーションの評判のためにも品行方正に務めようかと考えた。


「……そういえば、芥の奴、死神の幼馴染だって言ってたな」


 そんな折、思い出したのはいつかに聞いた記憶。


 廉隅芥と死神――もとい、虚居非佐木は幼馴染であるという情報である。


 そもそも、白保間にとっては唯一の友人であり、そして昔から知っている憧れの同業者である非佐木は、言うまでもなく意識をしている相手である。


 そんな彼に近しい女の影。他人のことを顧みないとはいえ、意識しないわけがなかった。


し、あーしが不登校になった中学校に居た奴か?」


 記憶力のいい白保間は、今まで見た顔と名前を忘れたことがない。その記憶を辿れば、小学校に廉隅芥という名前を見た覚えがないことから、いじめの主犯格に復讐を果たした後に不登校になった中学校で、芥と非佐木は出会ったと考察した。


 ただ、彼女は気付かない。――気づけない。


 小中高と、地味ながらも非佐木と同じ学校に所属していた白保間であるが、廉隅芥という名前を見聞きしたのはであることを。


 中学校には、そのような名前の生徒が、同学年には一人も居なかったことを。


 彼女は気付けない。


「……まあいい。ともかく、女子高生らしく振舞えば、死神の奴もあーしのことに気づくだろ……まてよ、女子高生らしいってなんだ……?」


 ともあれ、気づけなかったことを彼女に責めることはできない。確かに彼女は、冒険者業界においては一角の人物であるし、いうなれば天才に属する人間であることは疑いようもない事実であるが――それでも、異常ではないから。


 人から外れた域に、白保間はまだ到達していないから。


 だから、気づけなかったとしても仕方がない。


「くっ……弁当でも作ってみるか……?」


 はてさて、失敗作となった煤だらけになった弁当が非佐木のもとに届いたのは、また別のお話である。



 ◆◇



 噂というモノは、足の速いものだ。


 白い女の子が映っている。


 とあるテレビ番組に対して、そんな書き込みがされたのは、放送から数週間経ってしまえば、既に話題性のない話として、ネットの海に埋没していく。


 ただ、それでも――気づいた人は気付いたはずだ。


 気づけた人間だけが、気づけたはずだ。


 その少女が現れたのは、テレビ番組だけではないと――知っていた人間は、気づけたはずだ。


「まだかな~♪」


 その少女は待っている。


 時が立つことを――その時が来ることを。


 春に動き始めた一つの運命が、スポットライトのように差す夏の日差しに当てられて集結した。


 冬に訪れるであろう最終幕フィナーレを前にして、試練の秋が訪れる。


 策謀が渦巻き、僅かばかりの風が、世界を揺るがす竜巻となって、運命を動かす役者たちに襲い掛かることだろう。


 計画は崩れ、混乱し、そして物語は終わりへのカウントダウンを始める。


 果たしてその時が来るまでに、虚居非佐木はどれだけの備えをすることができるのか――どれだけのものを、ことができるのか。


「ふふんっ……若いって便利デスね~。ま、この年でハイスクールに通うことになるとは思ってませんデシタが、一度行ってみたかったんデスよね~……」

『この年って言うが、お前まだ17だろ』

『私にとってはこの年。でしょ、ピープス』

『はいはい。飛び級上がりの天才様には敵いませんよ』


 一陣の風が、彩雲町へと訪れた。


 その風が、いずれ竜巻を起こす風となるのかは、まだわからない。

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