第83話 伝説の同情


「あっちぃ……もう夏も終わるってのに、どうしてこう太陽は元気にしてるのか不思議でなりませんよ。そうは思いませんかね、先輩」

「俺としては、君がここに居ることが不思議でならないのだけれど……いや、皆までは言うまい。要件を聞くとしようか」


 八月も終わりに差し掛かった八月二十四日。八月が終わるということは、彼ら学生たちが謳歌する夏休みも終わりに差し掛かっているという頃合い。


 彩雲町にあるとある高層マンションの前には、どんどんと遠のいていく夏至に憂鬱になるような学生たちとは違った雰囲気を纏う三人組が居た。


「事後ケアって言っても信じてくれますかね」

「一番最初に喧嘩を吹っ掛けたのはこっちだしな。信じるよ」

「不満はあるけど、です」

「そうですか」


 一人は今急上昇中の配信者チーム『彩雲プランテーション』のカメラマンを務める陰の功労者、虚居非佐木だ。


 彼が手掛ける彩雲プランテーションは、八月初頭に撮影され、つい先日、全国で放送された若手ダンジョン配信者を集めたサバイバル番組の活躍を経て知名度が上昇。そのチャンネル登録者は以前にもまして勢いよく増加し、たった一か月の間に二倍に――【247421人】へと上昇させた。


 もちろん、いい意味でも、悪い意味でも。


 当初の予想通り、番組は基本的にはミルチャンネルと中心とした番組内容であり、多くの編集の手が入り、そしてサバイバル終盤を除き活躍し続けたミルチャンネルにスポットライトが多く当たる結果となっていた。


 しかし、それ以上に輝いたのが彩雲プランテーションに所属する新人ショーコの存在であった。


 いやはや、流石はとでも言おうか。あれだけのことをしでかしたショーコの暗い笑みが番組に映ることはなく、どこまでも『役立たずだった少女』が『みんなの力を合わせるきっかけ』となるサクセスストーリーとしてかの物語は編集されていたのだ。


 検閲されていたのだ。


 無論、多くの手を煩わせたことだろうが、ショーコがその編集に対してであったことを考えれば、想定されていたよりもずっと簡単にを終わらせることができたはずだ。


 結果、彩雲プランテーションにも多くの注目が集まり、ケシ子、レオクラウドもショーコに引っ張り上げられる形で知名度が上昇した。


 いい意味で。


 ただし、全てが終わったわけではない。


 あの撮影と、その後の編集に置いてショーコこと白保間未若沙が仕事を果たしたように、今回の騒動で、今回の行動で、必ず起こるであろう事案を解決する義務が、この戦いに未若沙を巻き込んだ非佐木には生じていた。


 ここに居るのは、そのためだ。


 ただ、これも悪いことではない。少なくとも、これによって少なからずの黒字を作り出すことができるのだから。


 真っ黒な字で成果を描くことができる下地を作ることができるのだから。


 こちらもまた、いい結果と語ることができよう。


「その後の調子はいかかでしょうか、北野原先輩」

「さてどうだろうか。重畳といえば重畳だし、最悪と言えば最悪だ」

「らしいですけど、そっちの意見はどうでしょうか周防すおう先輩」

「最悪、です」

「嫌われたもんですね」


 そんな結果の果てに非佐木が相対するのが、ミルチャンネルのメンバーである北野原きたのはらいずみ周防すおう月菜るなの二人だった。


 そして――


「当り前だろう。大方こちらが売った喧嘩とはいえ、そっちの当たり屋のせいで大将がノックダウンしちまったんだ。一か月経った今となってもグロッキーで、グループチャットにすら顔を出さない始末。どう責任を取ってくれる?」

「そのために今日はここに足を運んだんですよ。先輩たちも今から会いに行くんでしょう、南向先輩に」


 彼らが見上げる高層マンションこそが、撮影から一向に立ち直ることができない南向の家がある場所であった。


 ミルチャンネルのリーダー『ミミ』こと、南向麦は件の撮影の日に、お山の大将ばりのプライドを、非佐木が仕込んだ未若沙という毒のおかげで完膚なきまでに破壊された。


 その結果、北野原先輩たちにも顔を見せないほどにふさぎ込んでしまったという。


 もちろん、自らの人気のために多くの同業他社を蹴落としてきた人間にはふさわしい末路なのかもしれないが、非佐木としてはこのまま彼女が落ち込んでいくのを傍観しているわけにはいかなかった。


 是非とも彼女には、今から彼女の学園生活が終わるその時まで、無類の人気者として振舞ってもらわなくてはならないからだ


 そうでなければ、


「俺も南向先輩に会わせてくださいよ。お詫びの品も、用意しましたので」

「いいだろう。撮影の件からしても、少なくとも何も考えずにここに来ているというわけではないだろうからな」

「い、泉!? だめ……だよ!」


 非佐木の提案に二つ返事で乗る北野原であったが、南向の親友である周防はその提案を否定した。


 彼女としては、あそこまで親友を追い詰めた人間の親玉を、親友の下に送りたくないという心配があるのだろう。ただ――


「これは清算だよ、月菜。ここまで止まることを知らずに、ただ麦に付き従ってきた俺たちが受け入れるべき清算だ。歩いて転んだのならまだしも、止まることも考えずに走り続けて僕たちは転んだんだ。それなりの痛みを、受け入れなければならない。それに……虚居」

「なんです?」

「これが最も、穏当に済む方法なんだろう?」

「先輩はハッピーエンドとバッドエンドはどっちが好みですか?」

「ならば選択肢は一つしかないだろう」


 問いかけに帰って来たおかしな質問に対して、北野原は呆れたように鼻で笑い、周防へと向き直って言うのだ。


「この期に及んで、僕たちはまだ彼らに脅されているんだよ、月菜」

「……わか、った。……でも、麦ちゃんをまた追い詰める様だったら、容赦しないから」

「承知していますよ。俺だって、エンディングはハッピーに終わらせるタイプですから」


 話し合いを終えて、彼らは高層マンションへと乗り込んだ。


 周防が事前に連絡を入れていたのか、南向の家族はすんなりと三人を迎え入れる。おそらくは、ふさぎ込んだ南向を、家族も心配してくれているのだろう。


 友人と話をすれば、気を紛らわせることができるだろう、と。


 彼女を立ち直らせることができるのは、そんな友人たちではないとも知らずに。


「それじゃあ、五分ほど時間を貰いますね」

「わかった。ただ、ドアは開けっ放しで頼むよ。俺たちも、お前のことを全面的に信頼しているわけじゃないから」

「わかってますよ。俺も信頼されるようなことをした覚えがありませんから」


 扉を開けて、入室する。ふさぎ込んだ南向の部屋へと、何のためらいもなく。


 いや、流石の非佐木も、昼行灯と揶揄されるような男子高校生ではあるが、多少なりとは躊躇いはしている。ただ、ここでは躊躇わなかったというだけの話だ。


 とにもかくにも、彼は入った。一か月の間、ふろにも入らないで閉じこもり続けた少女の部屋へと。


 エアコンによって冷め切った部屋の中で、ラップのゴミが床に散乱している。他にも、写真や賞状、或いはトロフィーのような何かが散らばった真っ暗な部屋の中に、南向麦という学園の人気者はひっそりと座り込んでいた。


「君は……」

「虚居非佐木です。南向先輩」

「……何のつもり?」

「何も。ただ、同情しに来ました」


 南向が向ける視線に敵意は含まれていない。もちろん好意もなければ、害意だって存在しない。


 どうにでもなれと、全てを放り捨てたただひたすらの無が、彼女の瞳には映されていた――


 それは、非佐木にとってはよく知っている瞳だった。


 だから、


「気持ちはわかりますよ」


 だから、彼は牙をもってして、空っぽに見せかけた城の門をたたき壊すのだ。


「……」

「築き上げた自分の王国。そのためには犠牲もたくさん支払ったはずです。それでも夢中になれたのは、夢中に慣れたのは、自分が頂点に立っているという自負があった。そんなもの、砂上の楼閣に過ぎないのに」

「……っ!」

「ひとたび足元を揺さぶられれば、いつ崩れたっておかしくない代物。必死になって水をかけて固めて、その上からコンクリートを流し込んだところで、どうにもこうにも安定しない。崩れる時は、一瞬だ」

「……何を言いたいの、君は」

「昔話をしてるだけですよ」


 誰の、とは言わない非佐木は、そのまま言葉を続けた。


「さあ、砂は崩れ、王宮は落ちました。ここは砂漠の中の国。水も食料も何もかもがありませんし、偶然誰かが通りかかることなんてありえません。誰もあなたを助けに来ません。お前に待ってるのは死だけだ」

「お、おい! 虚居!」


 流石の言い草に、怒りを浮かべた北野原が声を上げる。周防もまた、約束を違えた悪者を排除するために動いた。


 二人掛かりで、このあまりにも悪辣な後輩をこの場から排除しようと掴みかかるが――動かない。


「な、なんで……!!」


 レベル100に到達したクラス3ジョブのSTR二人掛かりで動かない非佐木の体に、北野原たちが驚愕を浮かべている間にも、気にした様子もない非佐木は続けた。


「南向麦。あんたに残された道は二つだ。そのまま座って枯れ果てるか――助けを求めて立ち上がって、当てもない砂漠を行くかの二つだけ……お前は、どっちを選ぶ?」


 それは、ともすれば悪魔の囁きとも言えただろう。奮い立たせるにはあまりにも傲慢で、助けようなんて思いが一ミリたりともつまっていない。


 ただ、それでも――


「……強いんだね、君は」

「弱いよ、俺は」


 毎日鏡に映る自分の眼と、同じ目をした少年の言葉は、閉ざされたその城門を打ち壊した。


 壊してしまった――


 もう、戻ることはできない。いや、それは最初からだったかもしれないけれど、南向も、そして非佐木も、戻ることはできなくなった。


「どうしたら君みたいに強くなれる?」

「ここに一枚の紹介状がある。これが今回俺が持ってきたささやかなお詫びの品だ。そして、あの女は、高校を卒業してからここで専属の冒険者をやる話になってる。これを受け取れば、あんたは一年早く、そいつに先輩面をすることができるぞ」

「それは面白そうな話だね。それじゃあ、その封筒は受け取っておくとしようかな」


 あの女、と言って非佐木が示しのが誰かなど、今更説明する必要もないだろう。


 そして、自分のプライドをズタズタに叩き折ったその女に対して、マウントが取れるならば――いや、違う。


「ごめんね、泉君に月菜。ちょっとだけへこんでたけど、もう大丈夫。また一緒に配信しよう」


 それは一つのきっかけだ。立ち上がるために差し出した、一本の手でしかない。


 必要なきっかけではあったけれど、そうでなくともいつか南向は立ち上がっていたはずだ。


 非佐木にとっては、今スグに立ち上がってもらわなければいけなかっただけで、半年後だろうと一年後になろうと、彼女は立ち上がっていた。


「……遅いよ麦ちゃん!」

「まったく、心配をかけさせやがて……東たちにも連絡してやれよ!」


 なにせ、人気者な彼女には、立ち上がろうとする彼女を助けるために差し伸べられた手がたくさんあるのだから。


 


「それじゃあ、俺はこの辺で」

「ちょっとまって」


 ひとつのハッピーエンドを見届けた非佐木が背中を見せて立ち去ろうとしたその時、待ったをかける声が上がる。


 他でもない、南向の声だ。


 本調子とは言い難いだろうけど、元々は姑息なあの手この手でのし上がった彼女である。非佐木がここに来た理由にも、気づいてしまったのだろう。


「甲斐甲斐しく私を立ち直らせたってことは、君には私にやってほしいことがある。違う?」

「違いませんね」

「条件次第じゃ受けてあげてもいいよ。だから、教えてくれないかな?」

「……強いですね」

「ううん、弱いよ。君よりは」


 いや、もうすでに本調子に戻ってしまったのかもしれない。ともかく、だ。


 いずれ協力関係を結ぶ予定のある相手に、無用に敵対する必要もない。ともすれば、明かすことによって、勝ち取ることもできる信用もあるだろうと考えて。


「俺たちのチャンネルを太らせてください。多くの客を呼び込み、大きな花火を打ち上げる準備をする。もちろん、貴方がたがその過程で何を稼ごうと自由にしてくれて構いませんよ」

「へー、なるほど。確かに、魅力的な案件だ」


 チャンネルを太らせる、ということは、チャンネル登録者という明確な数字を大きくし、その知名度を飛躍的の上昇させろ、ということに他ならない。


 もしミルチャンネルがそれに手を貸すとすれば、自ずとコラボという形で、お互いのチャンネルを出入りする機会も増えるだろう。


 学生配信者たちの中で安定した人気を誇るミルチャンネルと、多くの人間の注目を集め、絶賛大バズり中の彩雲プランテーション。客層は似通っていたとしても、間違いなくお互いに利のある取引になるはずだ。


 だからこそ――


「わかった、協力しよう」

「ありがとうございます」


 南向は、効率的にその話を請け負った。


「ただし、条件が一つだけ」

「なんです?」


 ただ、最後の最後。気になることが一つだけ。


「私たちに登録者増加の手伝いをさせて、そこまでしてあのチャンネルの知名度を上げる理由を、その先に君が何を見ているのかを、教えてくれないかな?」

「あー……そう、ですね。まあ、いいですよ」


 虚居非佐木には目的がある。


 チャンネル登録者を増やし、彩雲プランテーションの知名度を上げる目的が。


 ダンジョン配信者としての活動をするにあたって、最初から今に至るまで、ずっと目指し続けた目的が。


 今になって、ようやく中腹に至ることに成功した高い山。自分が見据える頂上がやっと見えて来た、そんなにも険しい目的が。


 今になって隠す必要もないと、彼はその目的を口にした。


 口にしてしまった。


「京都の難易度SSクラスダンジョンを彩雲プランテーションで攻略し、利益となる10億円を手に入れるためですよ」


 いずれ訪れるであろう、最大の挑戦を彼は初めて口にした。


 それが、世界の命運を握ることになるのを、まだ誰も知らない。


 

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