第82話 伝説の記録


 海上に立ち上がるのは一人の鬼武者。島ほどの大きさもあるセイファートを相手取るには少々物足りないその大きさは、身長で数えて約三メートルほどしかない。


 鬼というだけあって人型であり、巨躯を誇るにしては余りにも貧相極まりない痩躯。皮と骨ばかりの肉体のどこに筋肉があるかもわからないようなその肉体には、異形の腕が二対生えていた。


 異形、というからにはそれはもうこの世のものとは思えないほどのおぞましき代物であり、骨と外骨格と思わしき鎧のようにも見えるそれが複雑に入り混じった上腕から生えるのは、夥しいほどの刀。毬栗を思わせるハリセンボンの中には、でろりと艶めかしい肉色をてらてらと輝かせる舌ベロを備えた、大口が付いていた。


 例えるとするならば、オニヒトデだろうか。とにもかくにも、上腕から生えるウニともヒトデとも何とも言える刀の群衆の中で息する口は、目の前に見えるあまりにも巨大な餌を見て、言うのだ。


 あれを食べたいと。


 上腕に生える分際でしかない口に言葉を発するための声帯はない。故に声は発されず、音として人間の耳はその言葉を捉えることはないだろう。


 しかして、だらだらと零れ落ちるそのよだれを見て、そうではないと判断してしまうような人間がどれほどいることだろうか――


 少なくとも、浜辺より鬼武者こと『黄泉よもつ外道げどう解脱げだつおに』がセイファートへと飛び掛かった始終を見ていた人間たちは、これからあの鬼武者によるディナータイムが始まるのだという事実を疑う人間はいなかった。


「び、びっくりしたー! なにアイツ! 新しいユニークモンスター!?」


 セイファート対鬼武者の戦いを遠くから拝むことのできるジョブクリスタルのある広場でそんな声を発したのは、今しがた死んで帰還してきた白組リーダーの『鬼弁組』所属三月誠也であった。


「ユニークモンスターが同時に二体発生って、なかなかにレアイベントじゃね?」

「確かに! これって、俺たちが世紀の瞬間に立ち会ったとかそういうやつだよな!」

「うおおお! そう思ったらなんか俺興奮してきたぜ!」


 どこからどう見ても冒険者が使役する(コントロールすることはできないけれど)モンスターには見えない黄泉外道解脱鬼――鬼武者を新手にユニークモンスターだと思い込んではしゃぐ彼らは気付かない。


 自分たちと、このジョブクリスタルの広場に集まる撮影人や紅組面々の氷点下とも思えるような空気の違いに。


 少なくとも、唖然として戦いの様子を眺めているミミの、感情が根こそぎそぎ落とされたような表情を見れば、気づけたかもしれないが――『鬼弁組』の三人は、今しがた行われている大怪獣バトルに夢中で気づくことはなかった。


「うお、すっげぇ! あの鬼、あんなに硬かったセイファートの背中を掻っ捌いてるぜ!」

「痛そーー!! ってか、これ取れ高凄くね!?」

「これが配信だったら同時視聴者10万人は熱いなこれ!」


 騒がしく騒がしい三人組の声に紛れた言葉が一つ、静寂極まりない紅組陣営の中に波紋を作る。


「もしかして……あの子、ゲラゲラ?」

「なに?」


 ゲラゲラ。もしもこの場に特定のネット掲示板を巡回している人間が居れば、そのネームバリューに眉をひそめていたことだろう。


 事実、何人かの人間が疑うような目を向けて、その言葉を発した人間を見た。


「何か知ってる……です? ハバキさん」

「あ、うん。知ってるには知ってるけど……知らないって言えば、知らないかもしれない」

「的を得ない答えだな。いや、この際その精査はどうでもいい。少なくとも、俺たちが直面している現実について、それが何かを確かめられることならば」


 そう言ったのは、紅組に所属する『ダンジョン工房チャンネル』という、武器の扱い方を解説することで有名な学生動画投稿者のハバキであった。


 そんな彼女の言葉に、ルナとキタというミルチャンネルの中核メンバー二人が食いつく。


 なにせ、ここまでのことをしてのけた冒険者だ。あの人間がただの学生だった、なんて思いたくもない彼らは、ともすれば納得のいかない不安をその正体を明らかにすることで解消しようと、ハバキを問い詰めた。


 とつとつと、鬼気迫るほどではないにしろ、迫る二人の圧に押されながらハバキは記憶を掘り起こす。


「わ、私の兄貴はプロの冒険者なんだけどさ……三年前、まだ兄貴が学生だった時は、私とおんなじようにダンジョン配信をしてたんだよ」


 二年前。そう聞いて、二人は――いや、この場に居る一人を除いた紅組の全員が、二年前の記憶を遡る。果たして、あれほどまでに豪快な配信者がいただろうか、と。


「配信者じゃないよ」


 そんな疑問を察知したハバキは言う。


「配信者じゃない、というと?」

「兄貴がさ、クラス3ジョブのレベルを100にした記念に一回、東京のSランクダンジョンに行ったことがあるんだ。配信にも残ってると思うんだけど……」


 そう言いながらスマホを取り出した彼女は、少し画面を操作してすぐにそれを見つけた。


「これ」


 そう言って、彼女が表示した兄貴の配信、というのに映っていたのは――


「なんだ、これ……」


 それは余りにもおどろおどろしいモンスターの行列だった。


 今しがたセイファートと格闘戦を繰り広げている鬼武者には劣るけれど、蝋を主体とした骸のように見えるそのモンスターたちは、百鬼夜行を思わせる魑魅魍魎ちみもうりょうの群れとなって、ダンジョンに棲むモンスターたちを駆逐して行っている。


 そして、彼らはモンスターにも見えるはずなのに、冒険者のことを襲わない。それが示す事実は一つだけ――それが、冒険者由来のスキルによって発生したものだということだ。


「Sクラスダンジョンで兄貴のチームが壊滅した時に、自分のことを殺そうとしてきたモンスターがこの群れに轢かれた。その時の映像がこれ」

「これが……人のやったことなのか」

「まあここまでの奴は相当に珍しい部類だとは思うけど……その時に見たんだって。ゲラゲラって特徴的な笑い声と、その群れの中心を歩く中学生ぐらいの女の子の姿を」


 耳を澄ませば聞こえてくる。


 動画の向こう側から、聞き覚えのある笑い声が。


 ゲラゲラ、ゲラゲラ、と。


 それはまるで、問答無用で自分たちを供物とした、あの恐るべき冒険者と同じ笑い声ではないか。


「……そういえば、カメラマンが言ってた気がする。『同年代でこいつ以上に強い奴はいない』って」


 そう呟いたのは、他でもないショーコと同じチームに所属するケシ子であった。


「カメラマン、というのは?」

「えと、私たち彩雲プランテーションのカメラ担当してくれている人で――」

「ああ、ダンジョンに入る時に君たちと一緒に居た男か」

「多分そうだと思う!」


 あくまでも独り言に過ぎない言葉であったモノの、ショーコに対して鋭敏になっていた彼らのアンテナがそのつぶやきを聞き逃すことはなかった。


 そして――不必要な事実にまで気づいてしまう。


「お、おいおい。同年代であいつ以上に強い奴はいないって……おかしいだろ。だって、俺たちの世代にはあの伝説が居るんだぞ?」


 伝説。その言葉一つで、ケシ子の話に反論したつもりになっていた紅組所属の『桜木高校ダンジョン部』のアグニであったが、その言葉をきっかけに、キタは要らぬことに気づいてしまったらしい。


「……彩雲ダンジョン……伝説……まさか、少年X、なのか? あいつが……」

「え、ど、どういうことだ!」

「いや、憶測でしかないが……いや、今はそんなこと関係ないんだ!」


 少年X。10年も前の話題であるが、しかし今もなお赤く猛る炎のような話。


 なにせ、キタにとっては自分たちの住む町で起きた事件を解決した張本人であるのだから、その名前を知らないはずもない。


 少年X。それは、間違いなく自分たちの世代最強を示す言葉であった。


 しかし、キタは思う。以前にファミレスのトイレで会話をした少年が、明らかにネット事情に聡いであろうあの少年が、そんなことも知らずに『同年代で一番強い』というだろうか?


 いや、違う。そう語るには、必ず例外が出てくるはずだ。そして例外を口にしない言外の例外となれば、それは話者本人のことを指すんじゃあないのか。


 無意識に除外したという意味なのではないだろうか。


 そうした連想ゲームが終わりを迎えたそのころに、サバイバルの終わりの報せが全員のスマホに届き、そしていつの間にか倒されていたセイファートの亡骸を遠望しながら、戦いは終わった。


 撮影は、紅組の勝利で幕を閉じたのだった――

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