第81話 伝説のゲラゲラ
「じり貧、ですわね」
そう言うのは、海上にできた氷の足場を駆使してユニークモンスターを相手に渾身の〈三連撃〉を見舞ったレオクラウドであった。
「私の攻撃力では、傷をつけるのも不可能……ですわね」
撮影に間に合わせるように行った猛特訓によって、ケシ子同様にクラス3ジョブに至った彼女の現在のジョブは、剣士系統細剣士派生のDEX、AGI特化型〈
その特徴は、俊敏な身のこなしと、爆発的な瞬間火力にある。あるのだが――後者はあくまでも相手の急所を穿つことによって与えられる致命的なダメージに依るものであり、島ほどの大きさもあるクジラの弱点を見抜くことができていない今、すばしっこいコバエとあまり変わらないのが現状だ。
そして残念なことに、この場に居る多くの冒険者がレオクラウドと同じコバエに成り下がっていた。
レオクラウドよりもバランスのあるステータスをしたAGI特化型ジョブである〈瞬足剣士〉のミミも、一対一の戦闘ならば無類の強さを誇る白組所属、DEX特化型拳士系統クラス3ジョブ〈巧闘士〉の三月誠也も、誰もかれもがクジラの姿をしたユニークモンスター『セイファート』の石の肌に傷をつけること叶わない。
「なんつー硬さだよ!! “燃えろアグニ”! 〈ファイヤートーチ〉!!」
「もっかい……〈唐笠連番長〉からの~……〈デストロイ〉!!」
そして、両陣営に数人しかいないバランス無視の攻撃力ぜんつっぱ共の攻撃ですら、かすり傷程度の、文字通り虫に刺されたような傷しかつけることができずにいた。
死神――もとい虚居非佐木とショーコの見立て通り、セイファートはVIT《耐久力》、
ユニークモンスターの登場に番組が盛り上がる瞬間に現れたモンスターとしては、感動的な紅組の逆転が狙える最後の希望を、叩き潰すような絶望的な防御性能。
そこには、何者かの意思が感じられてしまうほどに、真夏の太陽の下を優雅に泳ぐ石のクジラは、余りにも都合がよく、都合が悪すぎた。
(なんで……なんで死なないのよこいつ!!)
ユニークモンスターは、基本的に何らかのスキル、或いはステータスに特化している。
無論、彩雲ダンジョンでの暴走現象で出現したユニークモンスター『斉天炎大聖』のように、比較的バランスの良いモンスターも居るには居るが、多くは成田ダンジョンでケシ子が遭遇した『傘連番長』のように、尖った戦い方をしてくるのが常である。まあ、あの傘はその中でも殊更尖った存在ではあったけれど、今回の石クジラ『セイファート』もまた、その極端すぎる特化型ユニークモンスターの一例とも言えよう。
悪戦苦闘すること40分。紅白両陣営ともに誰一人欠けることなく、攻撃は続く。
紅組にとっては逆転がかかった攻撃であり、白組にとっては逆転されることを防ぐための防衛戦である。
とはいえ、ここまでの交戦で、40分続いた波状攻撃で、耐久力の底すら見えないセイファートの牙城を紅組が崩すことは不可能だと予想したのであろう白組の面々は、次々と戦い離脱していった。
逆にこのまま自分たちが攻撃を続けたせいでセイファートが弱体化し、紅組がセイファートを討ち取るチャンスが生まれることを恐れたのかもしれない。
とにもかくにも、ミルチャンネルのメンバーが一人である魔法使い系統水魔法使い派生〈氷魔法術士〉アズマが海上に作り出した氷の戦場の上に立つのは、馬鹿正直に戦うことを楽しんでいる〈鬼弁組〉の面々と、それでもと逆転を狙う紅組の連中だけとなった。
しかし、こうも先行きの見えない展開に落ち込んでいったとなれば、奮起していた紅組の士気も下がり、攻撃に迷いが生まれてくる。
無駄な攻撃を繰り返して、何の意味があるのだろうか、と――
「攻撃をしなさい!!」
渦巻き始めた濃厚な敗戦の気配に手を止めてしまったレオクラウドだったが、その背中を叱責が貫く。
他でもない、ミミの言葉だった。
「何を諦めてるの! こ、こんなところで諦めたら……負けるわけにはいかないんだよ!!」
常勝無敗。完全無欠であり、全戦全勝。
負けることは許されない。負けることは期待されない。
あらゆる勝負に勝ち、華やかなレッドカーペットを飾らなければ――皆、誰も見てくれなくなる。
自分たちの築いてきた場所は、日常的に“見る”チャンネルではなくなってしまう。
だからこそ放たれたミミの言葉は、彼女の人生を現していたとも言えよう。
期待に応えなければならないという意識に雁字搦めにされた彼女が、今まさに自尊心に押しつぶされようとしている。
自分は今、誰にも見られなくなってしまうという、絶対に迎えたくない結末に落ちているのだと。
そんなところに落ちたくない。
あなたたちだってそうでしょう?
そう、ミミは言い放ったのだ。
ここで勝たなきゃ、今までの戦いが無駄になると――
『そこで女神さまの登場だ』
「「「ッ!?」」」
その瞬間に聞こえてきたのは、一人の少女の声だった。
聞き覚えのある、まったくもって聞き覚えのない声色。それらはほぼ同時に、通知音さえなく紅組全員の所持していたスマホから流れ出て来た。
「な、何よこの声は!」
焦るミミは、その声すら許せない。自分が負けるという異常事態を前にした、更なる異常事態を歓迎できるはずもない。
更には、その声の主がこの異常事態を引き起こした張本人であるのだから、なおさら苛立ちも収まらないことだろう。
「……今までどこに行っていましたの、ショーコ」
「ショーコ? ショーコって、あの足手まといだった女の子か? あの子って、こんな喋り方だったっけ……?」
声の主の変わり切った口調を事前に聞いたことのある彩雲プランテーションの二人だけが気づいた事実に、他全員が驚愕を浮かべている。
あれほど弱気で、おどおどしていて、何もできなかったはずの女が、こんなにも堂々と自信にあふれた言葉を紡げるのか、と。
その疑問ももっともだ。
なにせこのサバイバル企画の前半戦でも後半戦でも、種類こそ違えど彼女は間違いなく化けの皮を被っていたのだから。
『おいおい、なんだよレオクラウド。そのくそったれにくそったれた不機嫌そうな声は。ここに来て盤面をひっくり返してやろうってヒーローが現れたんだから、拍手と歓声を頼むぜ』
「あなたが裏で工作をしていたことに気づかないとでも? 足を引っ張るまでは許すことができましたけれど、こうも明確に戦いを愚弄するとなれば、同じ釜の飯を食べた仲とは言え容赦することはできませんわ」
『おーこわいこわい。そりゃそうだよな、前しか見えない、見ていない、見たくない。すべてを見抜いたみたいなこと言ってるけど、あーしのことにしか気づけてねぇ時点でお前はその程度なんだよ。そんなお前には、程度の低い感想しか述べられねぇよなぁ……あっはっはっはっは!!!』
それぞれのスマホから聞こえてくる高笑いの中に、一つだけ電子音ではないものが混じる。異常事態に立ち止まる紅組たちを置いて優雅に先を進むセイファートの影の向こう側から、彼女は現れた。
「よぉ、こう言うのを百年ぶりって言うんだっけか。久しぶりだなぁ、みんな」
知っている……いや、この場に居る誰も、同じチームで活動していたはずの彩雲プランテーションの面々ですら知ることのなかった表情を浮かべたショーコはそこには立っていた。
「また邪魔をするつもり?」
「はぁ? お前頭腐ってんじゃねぇーのか? いや、腐ってなきゃあんなことはしないし、こんなことにはなってねぇわ。悪い悪い」
「いっ……ちいち癪に障る言い方をするわね!!」
ショーコが浮かべる表情は嘲笑。そんな彼女に対して、本性を露にして突っかかるミミが顔に浮かばせる表情は激怒である。
相手は番組を――自分たちの勝利で終わるはずの番組を、ここ前で散々に破壊してくれた下手人である。
氷の大地に罅が入る勢いでショーコにつかみかかったとして、何ら不自然なことはないだろう。
「へぇー、どっちかって言うとあんたは、あーしに頭を下げるべきだと思うんだよな」
そして放たれたショーコのその言葉に、あろうことかミミは今まで守って来たイメージすら忘れて、右手を振り上げて殴りかかろうとした。
「やめとけミミ。それ以上は、全てが壊れる」
それを止めたのは他でもない、ミルチャンネルのメンバーが一人であるキタだった。
手首をつかみミミの動きを制したキタに対して、苛立ちを隠そうとしない、隠すこともできないミミは睨みを利かせて言う。
「あなたに発言を許した覚えはないんだけど」
「俺はお前に発言権まで奪われた覚えはないよ」
売り言葉に買い言葉。どう見ても同じチームで戦っていたとは思えない敵意のぶつけ合いに、悠々と笑みを浮かべるショーコ以外が息をのんだ。
いや、もう一人だけ、空気を読まずに発言をするものが居た。
「頭を下げるべき。それが交渉の一手ならば、まずはその理由を提示するのが道理ではなくて?」
「んー? ああ、確かにそうだなレオクラウド。土下座するには、土下座しなきゃいけねぇ理由がないといけねぇな。そうじゃなくちゃ、あーしは悪者になっちまう」
猪突猛進で負けず嫌い。ある意味でマイペース極まりないレオクラウドだからこそ、限りなく争いごとには真摯に向き合っているレオクラウドだからこそ、今の今まで足を引っ張り続けていたはずなのに、起死回生の一手があると嘯くショーコに冷静に相対していた。
勝てる可能性があるのならば、悪にでもすがる思いで。
「代償系のスキルって、お前らは知っているな?」
「存じ上げておりますわ。それこそ、私のステータス配分も、似たようなものでありますから」
代償系。そう呼ばれ区切られる系統のスキルは、文字通り代償を支払って効果を発揮するものだ。基本的にダンジョンというモノは長丁場の戦いであり、一人でも複数人でも、消耗を強要される代償系のスキルは敬遠されがちだ。
スキルではないが、〈銃士〉系統のジョブが敬遠されるのも同じ理由であり、単純な話、彼らは戦いの中で目減りしていくリソースを考慮に入れながら戦うことをしたくないのである。
ただし、それでも〈銃士〉系統とは違い、代償系のスキルには一定数の、少なくない使用者がいる理由はただ一つ。
代償を支払って得られる力が、あまりにも強力であるからだ。
「魔法だってMPって代償を支払って効果を生み出すのはご存じの通り。じゃあ、冒険者のすべてを代償にした魔法がどれほどの効果を生み出すか、知ってるか?」
「……〈贄魔法〉、ですか」
「その通り」
〈贄魔法〉。それは代償系のスキルに共通した、ハイリスクハイリターンな性能を極限化したスキルであることは、その界隈では有名な話だ。
代償として指定された人間のすべてを支払って繰り出される究極の魔法と、その魔法を形容する人間も居るほどの代物。
ショーコが就く〈贄士〉は、その中でも代償の対象を他者に強要することができる、〈贄魔法〉を保有するジョブの中でも比較的扱いやすいジョブだった。いや、〈贄魔法〉自体が扱いずらいこと極まりないのだが、生憎と〈贄士〉には〈火魔法〉や〈制作:藁人形〉によるそれ以外の手立てもあるため、比較的扱いやすい部類である。
そしてその効果は、既に発揮されている。
「見てなかったとは言わせねぇぜ。昨日の夜、あーしが単独行動をしていた夜の森の中に出現した、巨大な鬼のことを」
あの時は突如として現れた紅組の面々に気を使ってしまったせいで、〈贄魔法〉によって召喚した魔物をショーコはすぐに消してしまった。
しかし、あの一瞬で周辺に居た十匹近いマーマンを殲滅したのは、ミルチャンネルでもなければ紅組の面々でもなく、たった一瞬だけ姿を現した鬼の仕業であったことを、ショーコはあとから知った。
だからこそ、喧伝する。自らが提供できる、最後の策を。
「あの時に使った贄は私一人とマーマン数体。だがどうだ? ここにはお誂え向きな素晴らしい贄候補が12人も居るじゃねぇか」
贄の数が多いほどに、〈贄魔法〉で召喚される魔物の力は強くなる。クラス3ジョブに至った冒険者12人の生贄を消化した魔物は、どれほどになるのだろうか――
もしかすれば、あの悠々と海を征く大クジラすら、打倒しうるのではないか――
「だとしても、土下座は勘弁してくれ」
確かに、あとの20分間を無為に攻撃し続ける必要性を考えれば、奇策ではあるものの可能性のある作戦だ。
しかし、だからと言って頭を下げる――土下座をしろという話は、キタとしてもいただけない。
「俺らにだってメンツはある。そしてここは番組だ。もしここでそんな姿を晒して、全世界に放送されちまったら、ここで負けるよりもひどい損害を受けることになる」
確かに、常勝無敗を謳う実力派配信者集団がそんな姿を見せれば、紅白での競い合いで敗れた以上に客足が遠のくことは容易に予想できる。
ただ――
「あーしにだってメンツはあるぜ?」
その言葉を、たった一言でショーコは否定した。
罪悪感を煽る様に、何を今さら自分たちだけが助かろうとしているのか、と。
「安心しろよ。少なくとも、キタがミミの手を離さない限り、そしてあーしの胸倉からミミが手を離さない限り、撮影機材はこの場面を撮影できないし、放送に乗せることはしないはずだ。なぁに、ここにいる人間しか、お前らの失態を知る人間はいないってことだ」
「……」
ショーコは迫る。このまま白組に敗北するか、土下座をしてまで不確定な勝利に縋るか。
どちらにせよ、ミミのプライドは持たないだろう。そして、どちらにせよ、ショーコは笑うだろう。ゲラゲラと、けたたましく。
「わかった。俺が土下座をする。それで許してくれないか?」
「ダメだ。紅組のリーダーは間違いなくミミだ。それに、またあーしの独断先行なんて言われちゃ、困るからなぁ」
愉快そうに胸倉をつかみ上げるミミを見上げて、ショーコは手を差し伸べた。
「さあ、握れよ。勝ちたいならよ。土下座じゃなくても、こうして手を握ることぐらいはできるだろ?」
ここまで土下座を求めて来たくせに、そんなことどうでもいいと今度は握手を求めるショーコ。ああ、そうだ。ショーコにとっては、土下座だって握手だってどうでもいい。
ミミが足手まといになるように追い込んできた人間に縋らなければ勝てないというこの状況こそが、彼女にとって最高の愉悦なのだから――
「手を、握るだけ。それでいいのか?」
「ああ、そうだ。手を握って、助けを乞えればそれでいい。藁にもすがる思いで、勝ちたいといえばそれでいい。あーしだって鬼じゃない。同じ紅組のリーダーの望みを聞かない程、腐ったやつじゃぁないんだよ」
見せかけだろうと、なんだろうとショーコは譲歩した。土下座しなければ手を貸さないという条件を引っ込めて、握手でもしてくれればいいと譲歩した。
そんな相手に対して、その譲歩すら蹴って負けたとなれば、少なくともこの場に居る面々からのミミの信用は失墜することだろう。
「判断を誤らないで、ミミ」
親友であるルナの声が耳の背中を押す。それがとどめ。
「……できる、んだよね?」
「当り前に決まってんだろ――」
胸倉からミミが手を放したその瞬間、プライドを押しのけて、せめて見せかけだけでも栄光を保とうとしたその瞬間、足手まといに汚名を挽回するチャンスを与える感動的なその瞬間が訪れる前に、ショーコは差し出した手を引っ込めて、懐からそれらを出した。
まだ、握手は交わされていないというのに――
「――ま、あーしも勝ちたいし勝手にやるけどな」
馬鹿にするように、虚仮にするように。
プライドと名誉を賭けて葛藤したミミのすべてを嘲笑うように、ショーコは懐から紅組のメンバーたちによく似た11体の藁人形を取り出したのだ。
お前らが認めなくとも、あーしは勝手に勝つ。葛藤もドラマも関係なしに、勝手気ままに利用する。
お前らがそうしてきたように――
「“恐れ多くも奉り給う”」
許すも許さないも関係ない。ただこの場で、自分を虚仮にした人間を虚仮にしたいがために、彼女は唄う。
「〈贄魔法〉――おいでなさいな〈
仲間も敵も関係ない。すべては自分が笑うための道具なのだから――
「ゲラゲラゲラゲラ!!」
その笑いは轟き、贄にされた冒険者たちは息絶える。今から始まる戦いを、彼女たちはきっとリスポーン地点となるジョブクリスタルの広場で見ることになるのだろう。
「いいね、最高だ! ゲラゲラゲラ!!!」
笑う。笑う。笑う。
自分を陥れたミルチャンネルも、自分を糾弾したレオクラウドも、自分と無関係を貫いた他メンバーも、ただ一人最後まで自分のことを心配してくれたケシ子も関係ない。
すべてを台無しに食い散らかして、彼女は笑う。
ああ、ああ――
こんな自分なんて、大っ嫌いだ、と――
その笑いに込められた意味を知る男はただ一人、どこまでも見渡すことのできる目を使って、静かにその様子を見届けた。
「だから俺は恐れてるんだよ……お前が変われなかったように、俺も変われないんじゃないかって。また繰り返しちまうんじゃないかって――今度はこの世界を、滅ぼしちまうんじゃないかって」
誰かと仲良くしたいのに、利己的な本性がすべてを食らいつくしてしまう少女の行きついた果てを見届けながら、死神は自らが犯してしまった罪を数えて、そう独り言ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます