第3話 伝説の朝


「起きろ兄貴! 相変わらず朝に弱いのどうにかしろよ!」

「うるさいぞあざみ! 俺は連日の疲れを癒すために寝ているのだから静かにするがいい!」

「その連日は今日も今日とてやってくるんだよ!」


 小うるさい妹に起こされた午前六時。騒々しい目覚めから始まった一日は、しかしていつも通りの日常であった。


 改めて俺の名は虚居うつろい非佐木ひさぎ。敬愛と親愛を込めてひーくんと呼んでくれて構わないぞ。


 さて、そんな俺の日常は、出来た妹による目覚ましによって始まる。

 両親が消えてから早十年。あざみの奴も立派になったものだと、俺は出された朝食のハムエッグを口に頬張りながら思った。


「大きくなったなぁ薊ぃ……」

「何兄貴きもっ……」


 いかんせん俺に対して辛辣なところが玉にきず――いや、可愛らしいところだ。


 さてさて、朝食を食べて終わって支度が終われば、今日も今日とて日常が始まる。望んでもない日常がやってくるのだ。


「んじゃお先~」

「おう、いってらっしゃい」


 中学校で生徒会を務めている薊が先に出かけた後に、一時間遅れて俺も自分が在籍する高校に向かう。


 それが日常。

 そんな日常。


 ただし、今日という日を日常語ることができるのはここまでだった。


 朝家を出て、路地を通って、通学路を歩く。そんな日常を噛みしめて、非日常はやってきた――


「ひーくーん!! 助けてひーくん!」

「うわぁ!? な、なんだよ芥、朝っぱらから!」


 通学路にて俺の方へと飛び込んできたのは、幼馴染のあくた。育ちに育った柔らかな体を惜しげもなく俺に押し付けながら抱き着いていた彼女の顔は、涙交じりに鼻水交じり。


 はたから見れば犯罪的なこの姿に、周囲の学生たちは俺たちから距離を取っていた。だからといってスマホを掲げるその姿のなんと野次馬根性のたくましいことか。


「朝っぱらから痴話げんか乙w」

「ちょ、撮るな撮るな! 散れぇ!」


 非日常、というには少しパンチの弱い異変かもしれない。しかしてこれは前触れに過ぎなかった。前兆に過ぎなかった。始まりに過ぎなかった。


 突然、周りの学生たちのスマホを握る手が下に落ちる。それから彼らは、一同に一方向を――厳密にいえば、俺の前方、或いは俺に抱き着いてきた芥の後方を見ていた。


 何があったのか。そんな疑問でいっぱいになった俺は、ゆっくりとそちらの方へと視線を向ける。そうしてみれば、そこに人がいたことに気づいた。


 まるで映画の中から出てきたような黒服に身を包んだサングラスが二人、そこには居たのだ。


 007とかマトリックスとか、そういう映画に出てくるような、そんな黒服の男。ふつう生きていれば、少なくとも学校に近い通学路では見かけないような強面が、明らかにこちらを――芥を見て、近づいてきていたのだ。


 非日常というには十分で、異変というには二十分な光景にたじろぐ俺は、何の声も出せずアクションも起こせない時間を過ごす。その時間実に十秒。


 まるで時が止まってしまったかのような感覚の中で、ついに目と鼻の先に来た黒服たちが、芥の腕をつかみ俺から引っぺがしたところで、俺の意識は現実へと戻って来た。


「ちょ、ちょっと! 何してるんですか!?」

「……………」

「た、助けてひーくーん!」


 流石の俺も、芥を、幼馴染を強面の男たちがどこかへ連れて行こうとしている手前で、呆けているつもりはない。ただ、助けてと叫ぶ彼女を前にして、とりあえず黒服たちに声をかけてみたが、それらしい反応が返ってくることはなかった。


 相も変わらず涙を交えて叫ぶ芥。だから俺は――


「すいません、せめて事情ぐらいは教えてくれても罰は当たらないと思うんですよ」


 俺は、力を込めて彼らを突き飛ばした。


「っ!?」


 予想外の力に驚いたのであろう彼らは、思ったよりも軽い調子で数メートル吹き飛んで、地面に転がった。


「……冒険者か」


 それから、サングラスの奥で俺のことをにらみつけてそう言った。


「ご想像にお任せします」

「邪魔をしないでほしいんだが?」

「事情も何も知らない俺ですけど、幼馴染に助けてと言われたら助ける。その程度の普通は持ち合わせてるつもりです」

「なるほどわかった。なら教えてやるよ――」


 こちらを睨むサングラスは措いておいて。俺はもう一人の黒服と話す。あちらと違ってこちらは理知的に会話ができることに安心しつつ、俺は芥がこんなことに巻き込まれている事情を聞きだそうと、そう言った。


 そうすれば、話してやろうと黒服が語り、会話を継ぐように俺を睨んでいたサングラスが立ち上がってから、その声を張り上げて言ったのだった。


「そいつはな! 俺たちに10億の借金をしてるんだよ! そんな手前、普通に学校に通えるなんて要望が通るかって話だ!」

「……は?」


 え、まじで?

 10億というあまりにも突飛な数字を聞いた俺の思考は一瞬停止して、再起動するのに時間がかかった。そして、再起動したからといって、滑らかに動き出すわけでもなければ、さび付いた機械のようにギギギと首を動かして、芥の――10億の借金を抱えてしまったらしい少女の顔を見た。


 そうすれば彼女は言うのだ。


「お、お父さんがぁ……」

「あー、えっと……え? まじなんです?」

「マジだぞ坊主。廉隅プロダクションの借金がそっくりそのまま相続された。この意味が分かるよな?」

「わかるって、いや、ほんと……え、嘘だろ?」

「胸糞悪い話だよな。好き勝手やった後に、実の娘に借金を誕生日プレゼントする親父ってさ。俺たちだって未来ある若者を好き好んで潰す趣味はないけど……10億なんて額を持ってかれたままにしておけないのは、高校生の社会科項目でも習うことだよな?」


 いや、まじで――


「あいつ、本当にやりやがった……!!」


 まさかとは思いつつも、やっぱりという感情を抱きながら、俺は地面に崩れ落ちるのだった。


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