葉月―三年目の追想
第7話 墓参り
照り返す日差しはあまりに強く、墓石に反射した光ですら肌を焼くようだった。柄杓で掬った水を墓石にかけてやると、ほんの少しだけ辺りの空気が涼を纏う。さわさわと木の葉を揺らして吹き抜けていく風に、細く棚引く線香の煙が揺らめいた。
「もう三年目だ」
物言わぬ墓石に語りかけ、夏目は持ってきた缶ビールの蓋を開ける。それを墓前に供えると、静かに手を合わせて目を閉じた。
葛城圭一。彼の遺体は、三年経った今も見つかっていない。
***
「夏目! ヤツの潜伏場所がわかったぞ!」
デスクに放り投げられた地図の上、いまはもう使われていない廃ビルに赤い丸印が付けられている。次いで渡されたのは、近くの防犯カメラに映った容疑者の写真だ。そこには確かに夏目たちが追っていた連続殺人犯、岩崎康宏の姿が映っている。
数ヶ月前、女子大生が殺害されたのを発端として、夏目たちの管轄区で立て続けに似たような事件が起こった。似たような、というのは、被害者の左手が必ず持ち去られているからだ。
被害者たちは若い女性であること以外に共通点はなく、犯人に繋がるような遺留品もない。捜査は難航しつつあったが、現場付近の防犯カメラの映像と地道な聞き込みから、一人の男の存在が浮上した。
岩崎康宏、二十四歳。大手企業に勤めるサラリーマンで、人付き合いもよく、会社では上司や部下からの信頼も厚い。日の当たる場所を堂々と、清々しく歩いてきたような、そんな男だ。
結論から言うと、岩崎はクロだった。
家を訊ねた夏目たちの姿を見るなり、二階の窓から逃走。部屋の中に保管されていた犠牲者の左手は、証拠品として押収された。
そして連続殺人犯の岩崎は逃走中、赤信号を無視して車道に飛び出し、走行してきた大型トレーラーにはねられたのだ。
けれども夏目たちが人混みを掻き分けて辿り着く前に、大怪我をしたはずの岩崎は再び起き上がり、そのまま逃げ去ってしまった。
「本当に岩崎本人だな。……やっぱり生きてたのか」
「普通は走って逃げられるケガで済まないんだけどな。よっぽど悪運が強いんだろ」
「でもトレーラーの下に巻き込まれたのに、そこから這い出して逃げられるか? 悪運っていうか、超常現象並みに不自然じゃないか?」
「不自然でも何でも、現実に岩崎は生きていて、俺たちはヤツを捕まえなきゃいけない。何が起こったのかは、ヤツを捕まえたあとに聞けばいいさ。そうだろ? 夏目」
「……そうだな。今度はもう、絶対に逃がさない」
岩崎が潜伏している廃ビルは六階建てで、一階部分は飲食店の古びた暖簾や看板がそのまま残されている。もちろん、どの店も営業はしていない。
ビルの入口が見える場所に車を停め、夏目たちが張り込みをしてから五時間ほどが経過した。昼間はそれなりに人通りの多いこの場所も、日付が変わる頃には人ひとり通らない。
夜の闇が満ちる廃ビル。わずかな動きも夜を震わせてしまいそうで、車の中に待機している二人の声はささやくように小さかった。
「これ終わったら花見行きたいな。新しいカメラ買ったんだよ」
「桜の時期は終わっただろ?」
「夏目は風情がないな。別に花見は春だけじゃないだろ? 夏にはひまわりが咲くし、秋はコスモス。冬はイルミネーションの街並みとかあるじゃないか」
「冬は花じゃないな」
「揚げ足ばっかり取りやがって。お前も趣味のひとつくらい持ってた方がいいぞ。……仕事がこんなんばっかだからさ、どっかで心落ち着かせる場所が必要だよ」
「俺は甘いもので癒やされてるから大丈夫だ」
「お前、いつかホントに体壊すぞ。あぁ、でもこないだできた新しいカフェの情報くれって、嫁さんが言ってたな。アイツ、お前のことスイーツの情報源みたいに思ってるからな」
「あそこは初出店って言う話題性だけで、実際の味はそこまでよくなかった。スポンジ生地はパサついてたし、生クリームは少し甘すぎた。でもフルーツたっぷりで見た目は華やかだから、女性ウケはすると思う。俺はもう行かないけど、たぶん数年もすれば客足も減ってくるんじゃないかな。値段もそこそこしたし」
「お前、スイーツの話になると急に饒舌になるよな。……って、おい。来たぞ。ヤツだ」
サイドミラーで確認すると、一人の男が足を引きずりながら廃ビルに入っていくのが見える。パーカーのフードを被っていて顔までははっきり確認できなかったが、足を引きずっていることと、着ている服が当時のままであることから、それが岩崎である可能性は高い。
「いくぞ」
銃を確認して、葛城が車から降りる。後に続く夏目もできるだけ音を立てないように、岩崎を追って廃ビルの中へと消えていった。
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