文月―約束の打ち上げ花火

第4話 天川の花火大会

 どおん。

 夏の夜に散って咲くのは、大輪の花。刹那的でもあり暴力的でもある色とりどりの花は、パチパチ、キラキラと、一瞬の命を目一杯楽しむように爆ぜて、踊って、散り落ちてゆく。

 夜空は自分たちの独壇場。そう言わんばかりに星も月もかき消して、澱む煙の白でさえ舞台を彩る脇役となる。


『あぁ……今年も綺麗ですね。おじいさん』

『こうして一緒に見られるのはいつまでだろうね』

『楽しみがあれば長生きできますよ。来年の花火も楽しみにしてましょうよ』

『そうだね。来年、また一緒に見に来よう』

『えぇ。また、来年』



 ***



 天川あまかわの花火大会は、毎年多くの人で賑わう夏の一大イベントだ。一万五千発の花火が上がる河川敷には有料席も設けられ、会場付近の道路は一部通行止めにもなる。

 天川あまかわの名前が天の川を連想させることもあり、好きな相手と一緒に花火を見ると恋が叶うとだとか、ずっと一緒にいられるだとか……そういう謳い文句で、実行委員の方も大々的に宣伝をしている。

 そんな花火大会に、およそ花火を楽しむ雰囲気ではないスーツ姿の男が三人、辺りを見回しながら歩いていた。


「うわー。始まる前からすごい人ですね」

「んなもん、どっから見ても一緒だろうが。場所取りのために早くから来る奴の気が知れねぇな」

「自分の価値観で他人を否定するのはよくないですよ、橘課長」


 水原に釘を刺された橘が、不機嫌さを隠しもせずに舌打ちした。

 会場は禁煙だ。ヘビースモーカーの橘は駐車場で一服したのを最後に、もう三十分も煙草を吸っていない。だから余計にイライラしているのかと、イライラさせている自覚のない水原は、常備しているタブレット菓子をポケットから取り出した。


「これでも舐めて落ち着いてください」

「何だこれ……飴か?」


 手のひらに乗せられた白く小さな粒を口に放り込んだ瞬間、橘が「すっぺぇ!」と叫んで噎せてしまった。


「なんてもん食わせんだ!」

「普通のタブレットですよ。ちょっとレモン味が強いですけど。もしかして課長、すっぱいの苦手ですか?」


 そう言って水原が見せたタブレットのパッケージには、「レモン100倍! 衝撃のすっぱさついに実現!」と書かれていた。


「何か楽しそうですね」


 駐車場から一緒に歩いてきたはずなのに、いつの間にかいなくなっていた夏目が戻ってきた。両手には三本の冷やしパインが握られている。甘い物が好きな夏目は、目についた冷やしパインの屋台に引き寄せられていたのだろう。自由気ままに動く様子は本当に猫みたいだ。


「普通に祭りを楽しんでんじゃねーよ。俺らは仕事でここにいるんだぞ」

「これも仕事の一環です。はい、これは橘サンの分」


 キンキンに冷えたパインを問答無用で口の中に突っ込まれ、橘の口内はすっぱさと冷たさの大渋滞だ。知覚過敏には少々つらかったが、パインの冷たさは日中の蒸し暑さ篭もる夏の夕暮れと相性が良かった。


「橘サンは甘い物でも食べて、少し眉間の皺をなくさないと怖がられますよ」

「そうそう。今から会う田中さんだって、課長の顔見たらヤクザだと思って泣くかもしれませんしね」

「泣くか、ボケ!」


 田中という人物は、この近所に住む七十六歳の女性だ。数日前、警視庁に相談の電話をかけてきたのだが、その内容が特務零課の管轄であると判断され、橘たちが派遣されたのだった。


 橘たちの仕事はあまり公にはなっていない。本来なら人の多く集まる場所で待ち合わせなどしないのだが、話を聞く限り危険は少ないと判断し、天川の河川敷で会う約束を取り付けた。

 それでも準備は怠らない。さすがに備中鍬びっちゅうくわを持ち歩くわけにもいかないので、今回橘は長さ十五センチほどのミニ熊手を用意している。

 農具に強いこだわりがあるのか、それともガーデニングが趣味なのか。水原が余計なことを言わないで済んだのは、夏目が買ってきた冷やしパインを食べることに意識が向いているからだった。


「あ、あの人じゃないですか? 白い日傘をさしてる女性」


 水原が指差した先、無料ゾーンの端にあるベンチに一組の老夫婦が座っている。橘たちに気付くと、女の方が軽く会釈をして立ち上がった。


「もしかして、例の警察の方ですか?」

「田中さんですか? どうも、はじめまして。橘です」

「まぁまぁ、こんな暑い中に来て頂いて、本当にごめんなさいね」


 橘が渡した名刺を見て、老女が「特務、零課」と文字をなぞって呟いた。橘と、その後ろに控える夏目と水原にも目をやって、そして深々と頭を下げる。


「私のわがままに付き合ってくださって、ありがとうございます。今日はどうぞよろしくお願いします」


 年のわりには張りのある声だった。薄く化粧をした顔も品があり、着ている服も普段着ではなく、小綺麗なおしゃれ着のトップスとスカートだ。花火大会というデートを彼女なりに楽しんでいるのがよくわかった。男性の方も白いシャツにエメラルドのループタイがとても良く似合っている。夫婦共に上品でおしゃれな印象だ。


「夫です」


 女性がそう紹介しても、男はベンチに座ったまま川の方をぼんやりと見つめている。目も合わせない夫の様子に、老女は困ったように笑った。


「ごめんなさいね。最近になって特にぼんやりすることが多くなってしまって。もう限界なのかもと思って……今回、お電話しました」

「そうですか。少し触れても構いませんか?」

「えぇ。でも……できれば痛くしないでくれるとありがたいです」

「それはもちろん」


 橘が男の手を取って触れる様子を、女は後ろからずっと心配そうに見つめていた。それほどまでに大切な存在なのだろうと、そばで様子を確認していた水原にも女の気持ちが手に取るようにわかった。


 一通り確認して、橘が男の腕を膝の上にそっと戻す。その間、男はずっと川の方を眺めているばかりだ。何か呟いてもいたが、それを言葉として聞き取るのは難しかった。


「夏目」


 振り返った橘に、夏目が首肯する。

 老夫婦と対峙した時から、夏目にはずっといた。男の体内で蠢く、死体に寄生する蟲――マガモノの影が。




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