第3話 特務零課
「あの、今更なんですけど」
備中鍬を車のトランクに戻しながら、水原がぽつりと呟いた。視線の先には、カメラの液晶モニターを見ている夏目がいる。
「あの時、どうして僕にもマガモノが見えたんですか?」
「橘サンに聞いてないのか?」
「詳しくは何も。夏目先輩がいれば何とかなるって言ってましたけど」
「あぁ……あの人も大概適当だからな」
そういう夏目も水原にとっては掴み所のない先輩で、未だにどこまで踏み込んでいいのかがわからない。何となく他とは違う気配はするが、そうでなくても少し近寄りがたい雰囲気のある孤高の黒猫みたいな男だ。普段はのんびりしているのに、うっかり尻尾を掴むと途端に引っ掻いてくるような、そんな感じがする。
「俺は昔、死んだんだよ。一瞬だけですぐに息を吹き返したけどな。その時、マガモノに憑かれた」
「えっ! じゃぁ、夏目先輩死んでるんですか!?」
「残念ながら、生きてるよ。あぁ、でも半分は死んでるかもな」
前髪を掻き上げて見せた夏目の双眸。その右目だけが光を失って、虚ろに揺れている。昏く底の見えない漆黒は、まるで奈落の底をのぞいているかのようだ。
「俺の右目には今もマガモノが憑いてる。だから視力はないが、代わりにマガモノを視ることができるんだ。この目で視たマガモノを形取るために、俺は写真を撮っている」
夏目が見せてくれた液晶モニターには、女の胸元を押し上げて飛び出したゼリー状のマガモノの姿が映っている。さっき水原も目にしただけでなく、橘と共に退治をしたものだ。
「同じマガモノ同士、波長が合うんだろうな。マガモノであるこの右目が視たモノを写真に収めることで、目に映らないマガモノを強制的にこちら側に引きずり出すことができてるんだとよ」
「何ですか、その能力。マガモノ退治の超エキスパートじゃないですか」
「俺は写真撮るだけだ。肉体労働は橘サンに任せてる。あ、あとこれからはお前もな」
確かに水原が橘と一緒にマガモノを地味に退治している横で、夏目はもう自分の仕事は終わったと言わんばかりに女の写真を撮っていた。
紫陽花をバックにして、眠るように目を閉じる女の写真。雨に濡れた白い肌はまるで陶器でできた人形のように滑らかに見える。背景の紫陽花が鮮やかに色を落として、女の死んだ肌の色を覆い隠しているようだ。
「何でご遺体の写真を新たに撮ったんですか?」
「身元確認のためだ」
マガモノ憑きの体は、マガモノが離れれば朽ちて消える。骨となる前にその姿を写真に収めて、遺族の手がかりとするのだ。水原にもその意図は分かる。けれど身元確認のために顔を映すのであれば、マガモノを引きずり出すために映した一枚でも十分事足りるのではないか。
そんな疑問の浮かんだ水原を一瞥し、夏目が液晶モニターに残る紫陽花と女の写真に目を落とした。
「ただでさえ、死体をマガモノに弄ばれたんだ。せめて最期くらいは人間らしく、綺麗にしてやりたいだろ」
「コイツ、見かけによらずロマンチストなんだよ」
どこから話を聞いていたのか、煙草を吸い終えた橘が戻ってきた。その手には一本の紫陽花が握られている。
「紫陽花、持ってきたんですか?」
「あんだけ咲いてんだ。一本くらいいいだろ」
「器物損害になりますよ」
「お前が黙ってりゃバレねぇよ。ホラ、一緒に入れといてやれ」
「そういう橘課長も顔に似合わず優しいですよね」
薄紫色の紫陽花を投げて寄越された水原が、車の後部座席に置かれた箱をそっと開く。中に入れられているのは、さっきの女の骨だ。頭蓋骨の横に紫陽花を添えると、軽く手を合わせてから蓋を閉じる。
「帰りの運転は夏目な。お前、写真撮るだけで動いてねぇからもう少し働け」
「別にいいですけど……来る途中にあった、ソフトクリーム屋さんに寄ります」
「お前、ホント甘ぇモン好きだな。菓子よりメシ食ってもっと体力付けろ。あぁ、寄り道するんならホームセンターで水原の武器も買っとくか」
「え!? それなら僕、もっとかっこいい武器がいいです!」
「備中鍬を馬鹿にするんじゃねぇ! あれは三叉の刃にいい感じにマガモノが絡まって、案外使いやすいんだぞ」
「水原。それならピッチフォークがいいと思う。備中鍬よりはスタイリッシュだ」
「結局、農具なんですねっ!」
灰色にくすむ廃村のなか、唯一色を落とす紫陽花の屋敷を後にして、三人を乗せた車が走って行く。
マイペースな部下たちに振り回される、気苦労の絶えないヘビースモーカー、橘。
新人のくせに上司にも先輩にも物怖じしない、悪気のない天然男子、水原。
右目にマガモノを宿す、掴み所のない超絶甘党の写真家、夏目。
三人が所属するのはマガモノ退治を専門とする、特務零課。目には見えないマガモノを、今日もどこかで狩っている。
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