第7話 地獄の中で
「俺は、5年前までSランク冒険者としてダンジョン探索をメインにしていたんだ」
今までに、レイスは冒険者時代の話を一度もしたことがなかった。
以前から興味があり、尋ねた事があったが本人は答えなかったのだ。
それが急に今になって話し始めたという事に、マロンはいつも以上に集中して耳を傾ける。
「Fランクで他のギルドに入った時から、ずっとパーティーを組んでいたメンバーがいた。俺を含め4人。リーダーのヨハン、ヒーラーのクレア、魔術師のモニカ、そして俺」
初めて聞く名であった。
マロンは冒険者に興味を持った時から、実力のある有名な冒険者については広く調べた事があるが、そんな彼女も全く知らない名である。
「俺にとって初めてのパーティーだった。だからか、特別に情みたいなもんもあったかな。いつも一緒に行動して、家族みたいに感じてた」
過去を思い返し、穏やかな表情で話すレイス。
が、突如その表情が曇る。
「だが、年を重ねるに連れ、俺と3人の間にランクの差が開き始めた。きっかけは俺がBランクに昇級した時だった。その時点でほかのメンバーはD、E級ばかり。その時か俺は薄々と感じていたんだよ。ダンジョン攻略のほとんどを俺一人に任せ、他のメンバーは後方支援や荷物持ち、雑用しかやらなくなった」
苦い顔で続けるレイス。
「そんなある日、事件が起きた」
マロンがゴクリ、と唾を飲む。
「俺がSランクに昇級した時、3人が深層に挑戦しようと言い出した。ふざけるなって言ったよ。深層は、通常Aランク以上の冒険者がパーティーを組んでようやく挑めるレベルの場所だ。その時点でも3人はD級。いくら俺がS級になったとは言っても、経験の無い深層に、いつもみたいにほとんど一人で戦ってなんとかなる場所じゃないことくらい予想できた」
強い口調に、どこか後悔が混ざる。
「でも、俺は3人を止める事が出来なかった。なんとか折衷案として、1度だけ挑戦して、厳しそうであればすぐに脱出用の転移の翼で帰還する、という約束の上で挑戦することになった。…けどその考えが甘かった」
レイスの表情がさらに強張っていく。
「3人の誰かが、俺のバックパックから転移の翼を抜いてたんだ。その時にはもう不信感が募っていたとはいえ、一時は家族のように信頼していた。俺自身も初めての深層挑戦に、不安とプレッシャーを抱えてたせいで、気づく事が出来なかったんだ。そして深層に入り、ある程度順調に進めていた時に事件は起きた」
――5年前、王国内ダンジョン深層。
「くっ、敵が多すぎる!俺一人じゃ捌ききれないぞ!」
多数の敵に囲まれ、苦戦するレイス。それでもメンバーは前にでて加勢せず、あくまで安全地帯から援護をするだけであった。
その時、死角からモンスターが強力な一撃をレイスに放つ。
「しまっ――ガハッ!!」
モンスターの一撃を受け、壁に叩きつけられるレイス。
これまでは彼のスペシャリティと、身体能力、戦闘技術のおかげでかすり傷程度で済んでいたが、初めて致命的な一撃を受けた。その姿にメンバーは初めてダンジョンの恐怖というものを感じた。
「お、おい。やばいぞこれ…」
「も、もう無理よ!脱出しましょう!」
3人はあわてふためき、レイスのフォローをするよりも我先にと転移の翼で脱出を図る。
「ま、待て…サポートを…」
身体へのダメージで掠れた声しか出ない。
そんな彼に目もくれず、シュン、と光に包まれたメンバーたちはそれぞれダンジョンから消えていった。
「あいつら…っ!くそっ、俺も急いで脱出しないと…」
バックパックに手を伸ばすレイス。
そこで初めて自分の持ち物に転移の翼が無いことに気付く。
「な、なんでだ…なんで転移の翼が無いんだ!?」
途端、一気に血の気が引く。
大きなダメージを負い、命綱である転移の翼もない。
それどころか、動きを妨げない最低限の荷物しか持ち合わせていない彼にとって、この階層を脱する事すら絶望的である。
「嫌だ…死にたくない…死にたくない…!!」
家族と思っていたメンバーに見捨てられ、自身に死が迫りくる恐怖に段々とレイスの思考が混乱する。
パァンッ!
高い音が響いた。
気づけば、レイスは自身の両頬を強く叩き、自身を奮い立たせ、冷静さを取り戻した。
すぐに必死で体を起こし、自身に速度強化の魔法をかける。
モンスターも追撃を繰り出してくるが、スペシャリティを駆使し、鈍った体でかろうじて回避し、逃げ出す。
「くそ、この体じゃ…回復薬はこの一つしかないが仕方がない」
逃げながらクイックポーションを飲み込み、最低限の体力を取り戻す。
そのおかげで、なんとかモンスター達を振り切る事が出来た。
庇わなければならないメンバーもおらず、元々能力の高いレイス一人であれば逃走は問題なくできたのだ。
周囲にモンスターの姿がないことを確認し、座り込む。
窮地は脱したが、彼の現状が絶望的であることに変わりはない。
必死に逃げ回ったせいで現在地も分からない、手持ちのアイテムは小型トラップと投擲用のナイフが数本、そして自身は出血状態。
「とにかく止血しないとな・・」
衣服を破り、傷口を縛って緊急止血を行う。
多少出血は収まったが、再び動き出せばおそらくまた出血するであろう。
この状態では彼の強みである速さを活かすことは出来ない。
その上、深層には強力なモンスターばかりである。
落ち着いて現状を整理すればするほど顔色が青ざめ、手が震える。
死――それが頭から離れない。
「…しっかりしろ、俺。モンスターに見つからない様に、上への階段を見つけるんだ」
ぐっと強く震える手を握り締める。
すぐには手の震えは止まらないが、それでも周囲を警戒しつつ歩きだす。
モンスターの数は幸い多くはないが、ダンジョン内部は入り組んでおり、景色も代り映えがなく、全く階段が見つかる気配がない。
それでも運良く、魔物が入り込めなさそうな横穴を見つけ、そこで休息を取った。
止血した布は、傷口から再び出血したため真っ赤に染まっている。
体力も低下し、空腹も襲う。食料も無いまま何時間経ったかさえわからない。
モンスターに襲われるよりも先に飢えて倒れる可能性も高い。
「くそっ、なんで…こんな事に…」
考えれば考える程、自身が助からないという事実が頭から離れなくなり、気づけば涙が零れ落ちた。
涙を拭い、とにかく生き延びる方法を考える。
最重要事項は上り階段を見つけること。
だがしかし、もはやこの階層でモンスターと戦い続けることは困難である。
そのため、見つからずに階段までたどり着かなければならない。
そして何よりも、飢えと渇きを凌がなければ、そこまで持たない。
手持ちの食料は既に無く、ダンジョン深層ともなればまともに食べられる物もない。
レイスは意を決さなければならなかった。
「あいつなら行ける…!」
一体だけ、孤立したモンスターを見つけた。
おぞましい顔をした、見た目をあえて形容するなら僅かに猪のような面影が残るモンスター。
気づかれないように、背後から忍び寄る。
(多面的分析<マルチフェイス・アナライズ>)
モンスターの視線や意識を読み取り、こちらに気付いていないことを確認、そして急所となる部位を見つける。
そして、一閃――
急所である首元をピンポイントに切り、一撃で仕留める。
先程のスペシャリティで、このモンスターの肉の成分まで調べていた。
「こいつなら…こいつなら…!」
人間にとって多少毒性のある成分も混じっているが、それでも、飢えを凌ぐために。
横穴に戻り、魔法でモンスターの肉を焼き、口にする。
泥のような口触り、炭のような強い苦みが口の中に広がる。血生臭さも残っているが、火を通したことで多少は軽減されていた。
何とかその不快感に耐え、喉を通そうとすると体がそれを拒絶する。
(吐くな、こんな肉でも無いよりはマシだ…!)
吐き出そうとする体を無理やり抑え、強引に飲み込む。
言葉にできない不快感に襲われるが、それでも肉を貪る。
やがて満腹を感じるが、同時に強い吐き気がレイスを襲う。
「うっ、おえっ…吐くなレイス、全部血肉にするんだ…」
そのまま横になり、眠りにつく。
翌日も、その翌日も、孤立したモンスターを狩り、その肉を食べた。
狩れるモンスターが見つからない日は、ダンジョンに生える野草を食べた。
ある時、池を見つけられたのは幸運であった。飲み水も確保できる。
いずれも、毒素や人体に適さない成分を含んでいるが、それでも。
元々武器に使用する毒の知識を学んでいたため、拮抗作用のある組み合わせを考え、少しでも安全に食べる。
それでも完全に毒を消すことはできず、いつしか嘔吐が止まらなくなった。
本人の意思とは別に、排泄物も漏れ出す。
気づけば横穴は惨い悪臭に包まれ、レイスはその匂いに慣れていく。
モンスターがいない間に、周囲の探索も行うが、安全に探索できる状況はほぼなかった。
生きるために狩り、毒ごと食べ、飲む。
とても人間の生活とは言えない日々が続いた。
そんなある日、衰弱しきったレイスはモンスターを狩り、肉を持ち帰ろうとした所でついに力尽きてしまう。
(駄目だ、もう体が動かない。痺れも、吐き気も、寒気も止まらない…)
薄れゆく意識の中で、走馬灯の様に彼の記憶が流れる。
「もっと…生きた…か…」
そこで、意識が途切れる。
深層にて倒れたレイス。後は彼に気づいたモンスターが食らうのみ。
そう、思われたかの時である。一つの奇跡が起きた。
「……お……あ…に……るぞ……」
男の声がする。
重厚な鎧を身にまとった男は、レイスの倒したモンスターを発見した。
男の言葉に、他の4人も歩み寄る。
「あれ、もしかして人…じゃない?」
別の女が、レイスを発見した。
「げっ、臭ぇ!なんて匂いだ、死体が腐ってもこんな匂いしねぇだろ…」
大きな剣を持った男がレイスに歩み寄る。
「これは酷いですね…嘔吐に失禁、排便まで…」
眼鏡をかけた魔術師がレイスをまじまじと眺めた。
「…こいつ、生きてる」
口元まで布で隠した軽装の少年がレイスの呼吸に気づいた。
全員がレイスの周りに集まる。
「マジかよジン、ほんとに生きてんのか?」
「息してる。よく見てランツ」
ランツと呼ばれた男は大剣を置き、鼻をつまみながら顔を近づける。
「マリア、治療して」
ジンが女、マリアに頼む。
一瞬顔をしかめたマリアだったが、すぐにレイスの治療を行う。
「オージェ、この状況…どう考える?」
重厚な鎧の男が尋ねる。
「そうですね、彼の服装を見る限り…かなりの日数、ここにいたんでしょう。おそらくそこにある様にモンスターを狩って、食べることで」
「マジかよ、こんなゲテモノ食って生きてたとかやばいなコイツ」
口に手をあて、気持ち悪い、とアピールをするランツ。
「連れて帰ろう、ロイド」
ジンが唐突に言い放った。
ロイドと呼ばれた男以外の3人は驚きをあらわにする。
「は、マジか?せっかく深層まで来たってのにこいつのためにわざわざ帰る?俺は反対だね!」
ランツが強く反発する。
が、その声に同意はつかなかった。
「私は…自分で治療した相手をまた死なせるのは気分が悪いわ」
「そうですね、こんな少年がここまで悲惨な目にあっているのを見過ごす事はできません」
「すまんな、ランツ。今回は帰還しよう」
マリア、オージェ、ロイドの3人もジンに同意する。
「マジかよ…なんてお人よしばっかなんだよお前らは」
大きなため息をつくランツ。
「しかし、これだけの状態、もう数分でも発見が遅れていたら彼も死んでいたでしょうね」
「ああ、本当にこれは神の起こした奇跡なのかもしれないな。正にノレア神のお導きだろう」
ロイドはレイスを抱え、転移の翼を掲げる。
翼から放たれる光が彼らを包み、つぎの瞬間には全員の姿は消えていた。
「あなた、クビです」~最強ギルド人事担当員の苦悩~ @hitogake
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