漫研ファイブ!①
式神祭当日、漫研メンバーとデニス、緋奈、胡桃、メイは朝早くからブースの準備していた。
式神祭の会場は白楼高校の近く、旧国道のちょっとした商店街だ。すぐ側にある片側二車線の国道が出来るまで、ここが国道として使われていたらしい。
本日はここを歩行者天国とし、お祭りが行われる。
その国道を超えた先が遊騎の使う最寄り駅、天地橋駅なのだ。
「車便利! ……って言いたいけど、まさか荷物持って走る方が速いなんてな」
遊騎は設営をしながらボヤく。デニスや響の身体能力では、駐車場の無い場所だと下手に車を出すより走った方が速い時がある。
「はい、持ってきたよ」
「飛べるというのは便利なものじゃ。電線が無ければもっとな」
緋奈とゆいは当たり前の様に飛行しており、荷物を直線距離で運んでいる。緋奈は魔法少女に変身しての飛行だ。過去を振り切った響に触発されたのか、積極的に魔法少女の力を活用している。
「なんだか懐かしいな」
「そういえば奏さんのサークルでやりましたね」
ブースの設営はデニスと響、緋奈が慣れた手つきでこなしていた。そんなわけで、準備は早速終わった。
「へぇ、こんな感じなんだ」
胡桃は準備を手伝いながら、祭りの雰囲気を感じていた。長く入院生活をしていた彼女には、この燻ったような騒がしさは馴染みのない空気であった。
「なんだか、コミケより静かで落ち着きますね」
準備を終えた響が周囲を見渡す。周りでも準備がいそいそと進められている。
「学生のブースだけじゃないんですね」
「出店もあるのう」
この式神祭には一般の出店もある。ゆい達桃源世の者は祭りのキッカケになっただけあり、真の2000年問題以前からよく足を運んでいた。
「最近の出店はあれじゃ、バリエーションというのが豊富じゃのう。昔は綿あめか焼きトウモロコシかというくらいじゃったが、トルネード? ポテト? なんか螺旋状の芋があるのう」
最近では流行ったB級グルメをすぐに模倣した出店が出るようになった。
「あとでいくつか、姉さんにお供えしましょう」
メイは出店を見て、そんなことをふと思う。はたして天に召されたリーザがそれを食べることはあるのか、そこまでは考えなかった。
「あ、そうだ。ボクちょっと着替えてきますね」
響は何かを思い出したかの様に移動する。コスプレで売り子をすることにしたのだが、移動の時にコスプレは着てこないというイベントのルールをここでも踏襲している。根は真面目な響らしい。
「コスプレのう……儂もしてみたいんじゃが、どうもこの歳では気恥ずかしい」
ゆいもコスプレはしたいらしい。ただ、色々と思う所がある様だ。
「歳って……ゆい見た目じゃ歳わかんねぇよ」
「それもそうじゃがな」
遊騎の言う通り、ゆいの外見年齢は多めに見積もって二十代。歳は問題無いはずだ。
「なんというか、狐のキャラクターはどうしてああも露出の高い衣装が多いんじゃろうか」
「そこか。無理に狐キャラで統一する必要無くね?」
「それもそうかのう」
やはり精神は歳を取っており、露出があるのは恥ずかしいのだ。ゆい自身、スタイルは悪くない。そのせいで和装が似合わず洋装を好むこととなったのだが。
「さて、と……」
一方、スティングは珍しく真剣な表情をしている。
「お、ようやくやる気になったか」
「ああ、今日はかわい子ちゃん沢山見つけるぞ」
遊騎は理由を聞いてずっこける。やはりスティングはスティングだ。
「お前なぁ……」
「少しいいか、漫画研究部」
溜息をついていると、彼らに声を掛ける人物がいた。漫画研究部である三人はその人物を確認する。
「げぇ!」
「お前は……」
「ジーライン殿か」
朝早く、漫研のブースを訪れたのはなんとジーライン・エンホーカーだった。以前着ていたパワードスーツでは無く、エストエフ連邦軍のものと思わしき軍服を着ていた。
響への復讐を企てた犯人が、こんな時間と場所から何の用か。
「お知り合いですか?」
メイはジーラインとの一件を知らなかった。
「ちょ……何? あの時の? なんであいつが?」
胡桃はパニックを起こしていた。反面、ゆい、スティング、デニスは静かにジーラインを見据える。緋奈は緊張の面持ちでステッキを手にしていた。
「お前何しに来た! また響を狙ってるな!」
敵愾心マックスな遊騎を無視してジーラインは要件を話す。
「お前ら、マルス・インクベータを見なかったか? 拠点から忽然と姿を消したんだ。悪臭が消えたのはありがたいが……」
「ん? マルス?」
マルスの名前を聞き、スティングが首を傾げる。
「そう、マルスだ、スティング・インクベータ。お前の義理の弟の」
「あれ? それもう死んだんじゃなかったか?」
マルスのあんまりな扱いに、遊騎はついつい口を出す。あんだけ負けていれば死んだものとも思うかもしれないが。
「生きている。お前がマルスを見て生命力に驚いたのはつい一週間前だ」
「ああ、マルスね。まだ生きてたのか」
マルス生存の知らせを聞き、スティングも少し目の色を変える。やはり穏やかならぬ、といった気持ちだ。
「ていうか、お前部活に来なかったのはマルスを追い掛けてたんじゃなかったのか?」
「ん? ああ、それか」
遊騎はスティングが部室に来ていなかった理由を思い出す。恐らくマルスの消息を探していたものと考えていたが、実際は異なるらしい。
「その辺で下校中の女の子引っ掛けてな、宣伝しといたぜ。下手にポスター貼るより、女の口コミの方が効果的ってもんだ」
「イケメンじゃなかったら事案だな」
スティングがしていたのはダイレクト過ぎる宣伝。今時SNSも大量印刷もあるのに、随分と直接的かつ手間の掛かる方法だ。
「そうだ。ここでは響というのか、そいつはいるか?」
「教えるわけあるか」
ジーラインは結構ダイレクトに響の居場所を聞くが、遊騎は口を開かない。
「そうか」
「ふふーん、お主、気が変わったのう?」
ゆいは少しガッカリした様子のジーラインを見て、によによしながら近寄る。
「知るか。いないならいい。別に、会いたいとも思わん。要件は我々の管理下からマルスが抜けた故、手を借りたいだけだ。あの男は危険だ」
ジーラインは心なしか早口で言い切った。
「そうかのう。要件がマルスのことだけなら、響の居場所まで聞く必要は無いと思うがのう?」
「貴様……見透かした様なことを」
ジーラインの中にある迷いに気づいているゆいは、そこを積極的に突いていく。マルスみたいな確実な敵対心の持ち主ならともかく、迷える相手なら説得した方がいい。勝てるにしても労力は必要。戦わないに越したことはない。
「そうだ、公界遊騎」
「なんだよ」
ジーラインは思い出した様に、遊騎に言う。
「ボガード特務三佐を助けてくれたんだったな。うちの部下が世話になった。礼を言う」
「ああ、イイって。困った時はお互いさまだろ?」
遊騎としては、当然のことをしたまでだ。敵とはいえ、困っていれば助けるのは祖母の教え。特にスティングではないが、女の子が痛がっているのを放っておくことは出来ない。
「お待たせし……」
そこに着替えていた響がやってくる。ジーラインの姿を見て、思わず言葉を止める。
「なんだ、いるじゃな……」
ジーラインも響の姿を見て口をつぐむ。
「お前何してる?」
というのも、響が着ているのは赤い袴に白い小袖の巫女装束。黒髪もあって、ごく自然に馴染んでいる。少し頬にも紅が差しており、化粧も軽くしてあるらしい。
「売り子なので、コスプレを」
ジーラインの気が抜けた追求を軽く返し、感想を部員に求める。
「どう……かな? 髪切ってから初めて着たけど」
義手で髪を耳に掛け、響は上目遣いで聞いた。掛けるほどの髪はないが、長髪だった頃の仕草が癖で残っている。
その可憐なこと、思わず遊騎は息を飲む。
「……お前、男だよ、な?」
一方、ジーラインは無言で硬直していた。家族に迎えようとした悪法の被害者が自分を裏切って家族を殺し、その男に復讐しに来たら相手が美少女になっていたとか情報量が多過ぎて歴戦の兵士でも処理が追いつかなかった。
その時、ビニール袋の落ちる音でジーラインは我に帰る。
「……」
音のした方ではアンジェがやはり、彼と同様に呆然と立ち尽くしていた。商店街の八百屋で買ったと思わしき、果物や野菜の入ったビニール袋を落としている。
「い、一佐……」
彼女の受けた衝撃は他のメンバーにも伝わった。復讐の相手が結構似合うコスプレをしているなどという状況、理解が追い付かないだろう。
「もう私……基幹世界という文化についていけない」
これには遊騎も助け舟を出す。
「安心しろ! 地球広しといえど、男の娘の巫女コス義手萌え袖とかいう業の深い属性、日本にしかねぇから!」
「なんだ……さすがに世界単位でそこまでいかないよね」
それを聞いて安心するアンジェだったが、いつぞやの仕返しのつもりか、緋奈が余計なことを教える。
「響の出身ってあんたの世界よ」
「うわぁあああ! 私の世界が狂ってた!」
緋奈はしてやったりという顔だが、割と本気でアンジェが凹んでいる。響はひっそりフォローを入れる。
「しゅ、出身はエストエフですけどこうなったのはこっちに来てからというか……」
「ほっ、そうよね。あんた前はこんな感じじゃなかったよね」
なんとか持ち直したアンジェだが、また緋奈が横やりを入れた。
「義手萌え袖できるのも、響がかわいいまま成長も老化もしないのもエストエフの技術なんだけど」
「もうやだ私の世界」
よく考えれば下地になっているのは、エストエフの強化人間技術だった。
「ところでスティング・インクベータ。貴様に聞きたいのだが、魔族というのは魔獣の肉体を移植できるものなのか?」
ジーラインはスティングに、根本的な疑問を投げかける。マルスが特別な医療機関も無しに、普通にやっているので種族の特徴なのかと考えてしまう。
スティングは昔習ったことを思い出す様に語る。
「あー、それな。魔族というより魔獣の特性だな。魔獣の肉体に、他の人体に馴染む特徴があるんだ。理論上は他の世界の人間にも引っ付くはずだ」
「そうか。付いた体はどの様になる? 義肢の様に感覚が無い、ということはあるまい」
ジーラインはやけに詳しく聞きたがる。
「まぁ、そうだな。くっ付けた魔獣の部位が持つ力、風を操る角を付けりゃ風を操れる様になるし、伸びる猿の腕を付ければ自分の意思で伸ばせるはずだ。感覚も当然あるってさ」
スティングは魔獣の体など移植はしていないので、伝聞でしかわからない。ジーラインの熱心な態度を見て、彼はジーラインの思惑に気付く。
「ああ、だがオススメしねぇぞ。人の手足みたいに綺麗な形の魔獣ってのはいねぇし、強力な魔獣の肉体は移植するだけで頭おかしくなるらしいな。それに体質が変わって人の肉しか食えなくなる、なんてのもな」
そこまで聞くと、遊騎はマルスの異常性がより理解できた。できてもしない、そんなものは。ゲームとは違うかもしれないが強力な魔物の肉体はそれだけ影響も大きくリスクになるだろう。
「あと、体に機械が埋まってる奴が魔獣の肉体移植した例は無いから、もしかしたら拒絶反応出るかもしれねぇ。ぶっちゃけ、隣の芝が青いだけかもしれねぇが機械のがマシだと思う」
スティングはアンジェか響か、彼らの失った手足の代替にジーラインが魔獣の肉体を使えればと考えているだろうと予想した。確かに感覚の無い義肢よりはいいかもしれないが、スティングからすれば魔獣の手足など機械の義肢より醜悪なものだ。
「なるほど、では、マルスは魔獣の肉体のせいであの様な性格に?」
「いや、あいつ元々あんなだぞ? 変に精神力高いからなぁ、あいつ」
ジーラインはマルスに協力を申し出た時、貴族の息子というからもっと真っ当な人間なのかと思っていた。エストエフでは民主化運動の末貴族は末端まで解体され尽くし、金汚い政治家の台頭と共に貴族は『高貴なる者の義務を果たす伝説の英雄』くらいの扱いになっていた。日本人が夢見る騎士や、外国人が憧れる忍者くらい美化されている。
ジーラインは魔獣の肉体が義肢の代わりにならないからか、マルスに救いが無いからか、少し残念そうにしていた。そんな彼にゆいが声を掛ける。
「どうじゃ、せっかくじゃから祭りを堪能してゆけ」
「なぜそうなる? 一応勤務中だぞ私」
軍服を着ている通り、ジーラインはマルスの行方を追ってある意味仕事をしている。
「アンジェは違うようじゃが?」
「シフトだ、シフト。二人しかいないのだからな」
アンジェを例に挙げられても、ジーラインは何とか躱す。
「まぁ、そう言わずに一冊どうよ?」
「むぅ……」
スティングに勧められ、ジーラインは地球の硬貨で同人誌を一冊買う。パラパラと本をめくり、響の作品を探した。
「うわ、シールが付録なのか。装丁の割に本格的だな……」
思わず素の感想が出てしまう。そのシールを作ったのが響であることを知ってか知らずか。
「さて、そろそろ店も始まろう。見てくるとよい」
「う、うむ……」
勢いに負け、ジーラインは店を回ることにした。一方、漫研のブースにも人がやってきた。さすがに大きなイベントというわけではないので、同人誌も即完売とはいかない。ゆるりと本は売れていく。
「やぁ、来たよ」
「杉田先生!」
なんと、やってきたのは松永総合病院の医師、杉田先生であった。これには胡桃も驚いた。
「どうやら、決めたようだね」
「はい」
胡桃は何か大きな決断をしたらしく、それを杉田先生に確かめられる。響は会計をしながら、その様子を伺っていた。
「お、髪切っちゃったんだ。でも似合ってるじゃないか」
やはり、ここでも響の断髪は惜しまれた。だが、髪が短くてもしっとりと立ち、憂いを帯びた笑顔を見せる姿は男のそれではない。
「ていうか、なんで髪切ったのに男っぽく見えないの?」
「むしろ色気上がってますよ。女の私がドキドキするくらいです」
杉田先生も胡桃も、そこは疑問に思った。指を気恥ずかしそうに組んで写真撮影に応じる響だが、手の動作も柔らかさや体温を感じない義手に関わらずしなやかさがある。
「と、君が暦さんの妹さんだね」
「はい、姉がお世話になりました」
杉田先生はメイを見つけて挨拶する。メイも礼儀正しく返した。それを見て、杉田先生は面食らう。
「よく似てる、ようで似てないような……」
失礼、と杉田先生は付け加えた。それはメイにもよくわかっている。
「いえ、いいんです。よく言われます。『外見は』似てると」
メイは少し嬉しそうだが、これ以上故人の話をしても空気が暗くなりそうだった。そこで杉田先生は話題を変える。
「そういえば継田くん。その衣装どこで?」
「あ、これですか?」
生地からして安物のコスプレグッズには見えなかった。安物の衣装というのはどんな生地を使っているのか、小袖だろうが袴だろうが妙にテラテラしている。加えて生地の枚数もケチっているのかディテールも甘い。
が、響の衣装は光を反射することが無いので彼の淑やかで凛とした佇まいを妨害しない。
「奏さんが知り合いに頼んで実際に神社で使われているものを手に入れたそうですよ」
その出処はなんと本場。奏のこだわりかは知らないが、ゆいは少しため息を吐く。
「神社に知り合いがいて巫女装束を融通してもらえるとは。相変わらず、顔の広いことじゃ」
奏は白楼の卒業生にして初代漫研ファイブ。ちょっと衣装を手に入れるだけでもこの有様だ。それでいて超能力者でもないというのだから恐ろしい。デニスを始めとして響や緋奈などがお世話になっていることからして面倒見がよく、他人からも信頼される。
ゆいは何気に、彼女を知る人物の一人だ。なにせ孫娘の友人だったのだから。
「ん? あんた大丈夫」
アンジェは響の横で魔法少女に変身して売り子をする緋奈を見ていた。相当無理をしているのか、少し脂汗が滲んでいた。
「魔法少女ってのはそんなに疲れるの?」
「いや……これは疲れとかじゃ……なくて」
「わっ! ヒナ、無理しないで!」
響は緋奈の無謀に気付き、今までに無く慌てた。
「どういうこと?」
「変身解除! 解除してください!」
響の動揺に、アンジェは首を傾げる。緋奈は彼の静止を聞かず、まだ売り子を続けていた。
「響が過去を振り切ったんだ……私だって」
「ああ、そういうこと」
アンジェは緋奈の目を見て、全てを悟る。彼女の姿は、アンジェ自身に被っていた。仲間と脚を失い、戦いそのものに恐怖を抱いても、元々事務職で戦いなどできなくても、それを乗り越えようとするかつてのアンジェ・ボガードに。
「全く見てらんない。初対面から気にいらないって思ってたら、同族嫌悪だったってわけ」
そして、おもむろに緋奈を蹴り飛ばした。義足で吹っ飛ぶほど思い切りである。
「うわぁっ!」
「魔法少女ってダメージで変身解除するんでしょ? 少し頭冷やしなさいな」
彼女の思惑通り、飛ばされた緋奈は我慢し切れなくなったのか変身解除する。
「全く、無理すんなっての」
アンジェはそう言って緋奈を起こす。さほどダメージが残らない様に手加減はした様だ。人並みに優しいが素直になれないのか、だいぶ荒々しい助け方だった。
その様子を見た胡桃と杉田先生は少し困惑する。
「敵でしたよね?」
「そうだが、分かり合えない相手では無いらしい」
少なくともマルスよりは、と杉田先生は考えた。今はそのマルスが共通の敵になっているというのも大きい。
同人誌はジワジワと売れ、残りが少なくなっていた。お昼を過ぎ、一同は屋台の物を食べながら談笑していた。
「これ、どうすんの?」
「ああ、これはビー玉をこれで押して、泡止まるまで抑えてれば……」
アンジェは緋奈からラムネの飲み方を聞いていた。アンジェといえば先日彼女をファーストコンタクトでボコった上、犬神家のスケキヨめいた魔法少女にあるまじき体勢で放置したばかりだというのに、この打ち解けようである。
同族嫌悪は解けるとシンパシーに変わるようだ。
「んで、この凹みにビー玉引っ掛けると飲みやすいよ」
「すっごい考えられているけど、ペットボトルでいいじゃん」
「まー、これペットボトル出る前のやつだし」
エストエフ民的には凄い発想だが発想の無駄遣いな感想をラムネ瓶に抱いてしまう。技術が未熟なうちはエストエフでも瓶を使っていたが、わざわざガラス玉を引っ掛ける場所まで作ってこの仕組みにするというアイデアは出なかった。
「しかし、随分手の込んだ物だな」
ジーラインはポリ袋に詰まった飴を見て思う。エストエフでもレーションの中に氷砂糖はあったが、ここまで芸術的なものは見たことがなかった。球体に模様が付いた飴など、初見であった。
「特にこの金平糖というもの、星の輝きの様だ」
「ロマンチストなんじゃな」
ゆいはジーラインが金平糖を気に入った様で何よりであった。仮にも妻を持った身だ。今でこそこの始末だが、最低限の情緒は理解する。
「このような催しが地球にはあるのか」
「エストエフにはないのか?」
ジーラインがしみじみと言うので、遊騎は聞いた。祭りなんて、どの国にもあるものだが。
「あるにはあるがな。ここのところ、そういうものを楽しむ余裕を作らなかった」
そう語るジーラインは、遠くにいる家族連れを見ていた。目の前に自分の家族を奪った相手がいるにはいるのだが、今の彼にはあの時家族を殺した人物と響が結び付けられないでいた。
「だが、こういう平穏もいいものだ。本来、軍人とは百日の平穏を守るため一日戦う存在だ」
そう思い返し、なお自分がそれから離れていることをジーラインは自覚する。
「スティングゥゥゥゥウウウウゥッ!」
「げ! まさか……」
突如、穏やかな時間を引き裂いて呆れるほど聞いた雄叫びが轟いた。スティングは確信した。また、あいつだ。
スティングを筆頭に響除く漫研やデニス、エストエフ勢が声のした場所へ向かう。祭りの会場である旧国道の隣。片側三車線の現国道。
エレベーター付き歩道橋のある、交差点にマルスはいた。その姿は以前、JRの駅前で戦った時はともかく、デパートでの戦闘時とも違うものであった。
下半身が馬になっている。それはいて座に代表されるケンタウロスのものであった。二角の馬の頭を移植した左腕は完全に変質し、弓の様なものが腕に同化している。背中から生えている翼は響に付けられた傷が癒え、右手も肥大化している。
「あいつ、余った下半身を右手にくっつけたな。ガンプラの改造じゃねーんだぞ」
スティングの読みが正しければ、体重を支える筋肉を右腕に集中させたのだ。それならば、自身の胴ほどに大型化した右腕にも納得がいく。
元々スティングにやられた欠損部位を魔獣の肉体で補っていたマルスだが、下半身は初めて漫研の前に現れた時から魔獣の肉体が結構混じっていた様だ。純粋に自分の下半身なら、こんな芸当はできない。
「おい、それよりスティング。あれは……」
遊騎はその姿から、前にスティングが描いてきた絵を思い出した。超硬のオーラを纏う魔獣、ヴァールスだ。
マルスはその身の丈に余るであろう、禍々しいオーラを纏っていた。
「ああ、お前の勘は鋭いからな。マルスの馬鹿ならもしやと思ったが……」
スティングも絵を見せた時は否定したが、マルスの愚かさを考慮に入れてなかった。インクベータの家名を担保に借金すれば大国が十余年使う予算程度は借りられる。それをつぎ込めばヴァールスの肉体を手に入れることも可能だろう。
それでも入手率がゼロだったものが、僅かに手に入るかもしれない程度の確率になるので精いっぱい。
「フン、インクベータの養子に選ばれるだけあって『持って』はいたか。それで使い切っただろうがな」
スティングはマルスの愚かさと同様に、妙な運の良さも考慮していなかった。無い実力を補う運と執念を、マルスは持っている。
ヴァールスの翼と頭自体は、以前の戦闘でも移植していた。だが、逸話にあった無敵のオーラを使うには今のマルスみたいに人を捨てるほどその肉体を移植せねばならない。なじませるのにも時間が掛かるが、オーラに目覚める前に仕留められないのも彼の運を示している。
一番仕留め易い段階で不殺を貫く響に当たったのも幸運だ。響が『絶対殺すマン』だったら二回は死んでいる。
「翼か片腕で十分な魔獣にしときゃ、逃げ帰っても文化的な生活はできただろうに。あれじゃ馬小屋で暮らすしかないな」
「スティングゥゥゥ! 貴様の敗北は決したなァァァ! なんせ、ヴァールスのオーラはあらゆる攻撃を通さない!」
彼が誇る様に、ヴァールスはそのオーラであらゆる攻撃を防ぐ。
「マルス・インクベータ。貴様、こんなところに来て何が目的だ!」
ジーラインは協力者といて聞いた。響を倒すために組んだとはいえ、その横暴は目に余る。
「無論、スティングと人間共を殺すためだ」
「なら敵だ。すまんな、始末は私が付けよう」
彼の答えを聞き、ジーラインの姿は消えた。マルスの腕を落とし、響を一度は倒した、あの技だ。
だが、ジーラインはマルスの下半身にフォトンサーベルの赤い刃を触れさせたまま立ち止まった。
「無駄だ!」
「フォトンサーベルで切れない?」
マルスが右腕でジーラインを振り払う。彼は歩道橋のところまで吹き飛ばされつつ、頭を働かせる。
あの技はフォトンサーベルの切れ味で振りぬいてこそ、スピードを殺さず連撃ができる。響の時は人工皮膚に塗布された対フォトンコーティングのせいで切断はできなかったが、それでも斬れはしたのだ。
どんなに弱小だろうと『人』を捨てれば強くなれる。それだけのことだ。かつての響もその例に漏れてはいない。
ジーラインが歩道橋にぶつかる衝撃に備えていると、フワリと彼を受け止めるものがあった。
「っと……公共のもの壊さないでください」
「響!」
響がジーラインを受け止め、地上に下ろす。響が遅れたのはジャージに着替えてメイクも落としていたからだ。国道にも車が通ってないため、二人は何の問題もなく着地できる。
国道にも関わらず車通りが少ないのは、散々マルスが暴れたせいである。
「しっかしどうすっかな」
「関係ない! お前は敵だ!」
スティングが対処を考えていると、アンジェは迷わず突貫する。響にぶつけられない憎しみを、マルスに肩代わりさせるつもりだ。
アンジェの義足による踏み込みでコンクリートが砕ける。その音がスティングに聞こえる時には、マルスの眼前でアンジェの義足が両方共粉々に粉砕されていた。
「な……」
高速でキックを放ち、敗れたのだ。オーラの強固さのみで、アンジェは敗北した。
「何もした覚えはないが、ナァアア!」
「ぐっ!」
マルスは右腕でアンジェを殴り、歩道橋とは反対の方向へ飛ばした。彼女は運転手が置いて逃げたと思わしき乗用車に激突し、そこから大きく跳ね上がってアスファルトに落ちた。
「か……はっ?」
さしもの強化人間でも、意識が飛びかけた。アンジェは呼吸ができなくなり、自分の現状も確かめられずもがくことしかできない。
「調子に乗ってくれたな、このアマがァァァ!」
マルスはアンジェに向けて左腕を突き出す。弓のようなパーツがそれこそ弓矢を射る時のようにたわみ、そのまま放たれた。矢の代わりに飛んだのは、片側二車線を塗り潰すほど太い光線であった。
「あれが通常攻撃だと?」
遊騎はあまりの出鱈目さに驚愕する。一方、アンジェは義足を失って回避ができない。そればかりか、ダメージが深くて意識もはっきりしない状態だ。
「アンジェ!」
ジーラインが救出に向かうが、光線より早くは動けない。その時、彼よりも早く飛び出した者がアンジェと光線の間に割り込んだ。
「闇夜を照らす文明の火!」
魔法少女に変身した緋奈が、壁を張ってアンジェを守った。
「ぐぅっ! な、なんて、威力……」
だが、光線が魔力の壁に当たる衝撃だけでステッキを握る手が裂け、血が噴き出す。だが光線は防げている。その隙に、ジーラインがアンジェを運び出した。
「負ける……かぁ!」
緋奈はステッキを振るい、光線を振り払って打ち消した。だが、ステッキを持つ右腕は出血してボロボロだった。握力もなくなり、ステッキを落としてしまう。
「一回防いだくらいで調子に乗るなよォォォォォォォッ!」
だがこれは通常攻撃。近代兵器でいえば拳銃一発と大差ない。マルスは即座に二発目を撃った。
「緋奈!」
響が遅れて動き出すが、光線は緋奈に当たる直前で霧散した。
「何ィィィ?」
「あんたさ、日曜朝の番組見てる? 見て、ないよね」
緋奈は怒り狂うマルスを後目に呟く。何度も光線を撃つが、やはり変わらず消えてしまう。
「話が進むと、ヒーローって新しいフォーム手に入れて強くなるのよ」
緋奈はかつて、魔法少女として戦った。その結果は番組のように華々しいものではなかった。友達も家族も戦いの巻き添えで失い、黒幕こそ倒せたが失った物が大きい。信じられないバットエンドだが、それでも戦い抜いた。
失った、割に合わないもののそれと同時に手に入れたものがある。
「私もあるんだよね。いわゆる『最強フォーム』」
そう語る彼女の瞳は、迷いなく真っ直ぐマルスを見据える。無論、敵として。そして血塗れの腕で拾い上げたステッキが炎に包まれ、剣に姿を変える。
「闇夜は恐怖たる静寂、火は営みの証」
それと同時に、緋奈の周囲も燃え上がる。デニスや響も付き合いは長いが、この変身は久々に見る。
「過ぎたるは文明を焦がす破滅の炎! マギアメイデン、シュヴァリエ・フレア!」
炎と共に衣装が変化し、スタンダードな魔法少女だったフレアは姫騎士の鎧を纏う。ドレスの上から真紅の装甲を取り付ける、姫とも騎士とも取れない姿になっていた。
そして、背中には炎の翼が広がる。
「こけおどしオォォォォオオ!」
「いや、勝てる!」
マルスの自信に対し、響は勝利を確信した。そう、緋奈が最強と謳うのは何も無根拠ではなかった。
「死ねェエエ!」
マルスが光線を連射する。通常攻撃にあるまじき太さと威力だが、緋奈はそれの直撃を受けながら歩いてマルスに接近する。
直撃しているのに効いていないのだ。先ほどと違い、霧散させている様子もない。
「『終焉の
何故なら彼女は今、陽炎だからだ。本体は少しずれた次元におり、この場に見えているのは陽炎のみ。終末戦争の大火が起こす陽炎でなければ、次元のずれた位置にいる騎士の姿など映せまい。
「出鱈目過ぎんぞ……」
デニスからその旨を聞いた遊騎は驚くことしか出来ない。クラスメイトの隠れた実力に眩暈がする。
「緋奈! 飛び火は儂が防ぐから遠慮はいらんぞ!」
ゆいは先ほどの戦闘から、式神祭にいる一般人に被害が出ないよう、結界を作っていた。旧国道一帯を囲む大きなもので、これを作らねばならないため彼女は戦闘に参加できない。マルスのビームも流れ弾にならないようにある程度減退したところで打ち消すなど、漫研の最高戦力は被害を抑えるために動いていた。
「ええ、決着を」
緋奈は剣を構える。だが、まだマルスの無敵状態は解除されていない。
「俺たちもいくぞ!」
「おお!」
白楼の生徒達が緋奈の奮戦に影響されて動き出す。だが、マルスは自身の影から人型の黒い物体を呼び出す。
「ユケ! 我が魔力の軍勢よ!」
その軍勢というのは大きくもない彼の影から通勤ラッシュの駅前かと思うほど大量に出現する。武器は持たないが、成人男性ほどの体格はある。
「マルスめ、姑息な!」
後方にアンジェを預けて駆け付けたジーラインも、これに気を取られてマルスに接近できない。
なにせ、この軍勢は旧国道へ向かって侵攻しているのだ。撃ち漏らせば被害が出る。
「一騎打ち、ね」
緋奈は自分の火力では乱戦に向かないと判断し、マルスを仕留めることにした。
「やったれ、ニュー漫研レッド!」
「だれが追加戦士だ!」
遊騎の応援に緋奈は反論する。それでも、別に悪くはないと思っていた。
「無駄だァァァァ!」
マルスは攻撃を数度無効化されたことで逆上し、緋奈に突撃する。右腕で緋奈を叩き潰さんと、それを上から振り下ろした。
「グヌウウ?」
その瞬間、マルスは忘れていた痛みを思い出した。発生したのは右腕。なんと、緋奈の剣が右腕を貫いているのだ。オーラが剥がれた痕跡はない。
マルスは相変わらず、無敵状態のままのはず。
「これが私の力! 文明の火は、いずれ文明を飲み込む戦火になる!」
マルスの右手を抉るように剣を抜き、そのまま緋奈はマルスへ猛攻を加える。
「うっ……」
だが圧しているはずの緋奈が何故か苦しげであった。剣が肉を裂く感覚は、彼女の傷を明確に抉っていた。戦いによる、心の傷を。
「なんで攻撃が通ったんだ?」
「『条件に関わらず相手を傷つける』、それが魔法少女シュヴァリエ・フレアの能力だからだ」
現状を理解できない遊騎にデニスが軍勢を相手にしながら説明する。
「ええ? 炎系の能力にしては強すぎない?」
「むしろそれは炎を舐めすぎだ。地球にはプロメテウスの火って話あるだろ? プロメテウスって神様が人間を幸せにしようとして火をあげようとしたんだが、ゼウスって奴は『戦争になるからやめとけ』って言ったんだ。結局火は人間に与えられたが、案の定戦争になったって話。そういう神の火みたいな十代の女の子には手に余る力がマギアメイデン・フレアなんだ」
安全装置の解除として言わされる口上に文明といったキーワードがあることからも、それは推察された。手に余る力は緋奈にとってだけではなく、彼女を魔法少女にした黒幕も、フレアの前に滅んだ。
高い防御すら貫く力。緋奈が一人で抱えるにはあまりに大きい。
周囲がフレアによる勝利を確信する中、気を抜かない者もいた。まずスティング。愛剣で軍勢を斬り、緋奈の様子を確認する。
「いいぞ! ヴァールスは無敵のオーラを張れるといえ、今はマルスが混じってる。いい感じにダメージ入ったらオーラが出せなくなるかもしれん! だから一度引いて交代しろ!」
スティングは女の子ばかりに戦わせるのは気が引けた。それ以上に、緋奈が精神的負担を受けていることにも気づいている。
「ヒナ! 無理すんなよ!」
デニスも、いつでもフォローできるように準備する。彼女が抉っている精神的な傷から、いつ急に気絶してもおかしくない。
二人して駆けつけたい気持ちはあったが、軍勢に阻まれて動けない。スティングとデニスはマルスも一度負けた相手だからか、軍勢を多く寄越して封じ込めている。
「だけど、負けるか!」
緋奈は心配をされても退けない。今、マルスに攻撃が通るのは自分だけなのだ。オーラが出せなくなる可能性に賭けてマルスの内、ヴァールスのパーツを集中攻撃する。
「ふん、甘い!」
マルスは緋奈の攻撃に隙があるのを見つけた。自ら急所を差し出すように身を動かし、自分の命を人質にして前進する。
そして、緋奈が僅かに引いたところへ右腕による正拳を食らわせる。
「くうぅっ!」
突然アスファルトに叩き付けられ、緋奈は一瞬意識を失う。だが、即座に体制を立て直す。それでも視界がぼやけて足がふらつく。マルスのパワーだと、一撃が重い。
「こいつ……!」
「やはりな! 貴様ら人間は甘っちょろい! 殺しも碌にできんとは!」
「何を……?」
マルスにとって敵の温さは幸運であった。そうでなければ、何度この地球で命を落としていたか。
一応義理の兄であるスティングが本気で殺しに掛かってきたのに、赤の他人が温情をかけるという状況がマルスには理解出来ないでいた。
「お前に、何がわかる!」
緋奈は歯を砕けそうな力で食いしばる。そのまま怒りに任せて突撃するが、容易に右腕で跳ねかえされてしまう。
「ぐ……あ」
先ほどのダメージでは、ただ剣を防がれるだけで全身に激痛が走る。結果動きが鈍り、そこを反撃のチャンスにされてしまう。
「喰らえ!」
マルスは巨体ながら瞬時に振り向き、馬の後ろ足で緋奈を蹴り飛ばした。緋奈は交差点の果て、分離帯に激突して呻きを上げる。分離帯のフェンスがひしゃげる程の衝撃だった。
それでも彼女は立ち上がり、マルスを睨んだ。
「はぁっ、はぁ……それで、いい。殺せることは自慢にならない」
普通の人間は命を奪うことに躊躇する。たとえそれが戦場であっても、想像以上に人間は冷酷になれない。
だからこそ響は命を奪った現実に苦悩する。マルスとは決定的に、相容れない。義理の兄であるスティングもそうだった。彼は緋奈に向かって叫ぶ。
「挑発に乗るな緋奈! そいつは獣だ! その鳴き声に意味はない!」
「スティングゥゥゥ、貴様も温いぞ。恨みのある俺を世のため人のため、獣を狩ると理由付けしねぇと殺せない!」
緋奈はスティングの言葉で冷静さを取り戻し、マルスの意識が彼に向いた隙を突く。激痛が走る体を無理に動かし、マルスへ再度接近する。
「ハァッ!」
剣でマルスの左肩を貫く。手には肉へ沈む剣の感触。
「グオォォォッォ!」
マルスは絶叫しながらも、左腕の弓を緋奈に突きつける。
「ハァハハハ! 今ので頭か心臓を突いてれば勝ったのによォ!」
「……それができないから、私は人間だ」
弓がたわみ、光線が放たれようとしていた。至近距離の攻撃だったため、『終焉の陽炎』は展開が間に合わない。
「マズイ! 一ヶ崎!」
遊騎は危機を外から感じていた。だが、アクションを起こすには距離も遠い上に無力だ。
「響、行くぞ!」
「ん? あ、なるほど」
突然スティングに呼ばれ、響は何が起きるのかを察知して移動する。
スティングは愛用の魔剣ソルドリッドを掲げ、即座に振り下ろした。剣先から魔力の流れで生まれた突風が吹き荒れる。
「『魔神旋風』! 吹き飛びな!」
「無駄だとわからんかァァァ!」
マルスはそれを意に介さず、緋奈に向けて光線を放った。同時にスティングの突風もマルスに直撃した。
「っあぁ!」
真っ先に吹き飛んだのは緋奈であった。マルスは成人男性の体格に加え、馬一頭の重みがある。風を起こせは一番軽い緋奈が飛ばされるに決まっている。
「基幹世界の下らん玉遊びでいえばオウンゴールだなァァ?」
「いや、目的は達成された」
何を隠そう、スティングは初めから緋奈を吹き飛ばすつもりで風を放ったのだ。彼女は空高く飛んでいく。
「緋奈さん! これは?」
響は緋奈を空中で受け止め、地上に降りる。そこで初めて、彼女にゆいの折り紙が張られていたことに気付いた。防御用の呪術だろうが、いつの間に貼ったのやら。
「おお! やった! さすがお前らだ!」
漫研の連携で緋奈を救い、遊騎は一安心する。
「ごめ……ひ、び……」
「あとはボク達が」
緋奈をアスファルトに下して、響は走ってくるマルスを見据える。きっちり緋奈にはジャージの上着を羽織らせてやり、体操服姿になる。
半袖の体操服だと、義手がよく見える。
「そいつは俺に傷を与えた! 死を下賜してやろう!」
「やってみろ」
マルスは追い打ちをかけんと、右腕を緋奈へ振り下ろす。響がそれをフォトンサーベルで止める。
「ん、くぁああっ!」
瞬間、重量が響の腕に、背骨に掛かる。人間らしい感情を僅かに取り戻していたことが仇となり、激痛に悶える。
「く……んんっ! な、んで……いたっ!」
突然のことに、響も対処ができなかった。本当に突然であった。ジーラインに全身を切り刻まれても痛みは感じなかったのに。
理屈は簡単であった。痛みとは危険を避けるためのもの。死んでもいいと思っていた響は強化措置もあり痛覚が鈍くなっていた。が、『死にたくない』と思うようになって唐突に痛覚が戻ってしまったのだ。
「い、一週間もあったのに……なんで今更……」
彼の愚痴も尤もである。痛覚が戻ってもその痛みに対する不慣れは継続しており、このダメージをジーライン戦のものと勘違いしている。
「痛い、痛いっ……これ、なに?」
響の尋常ならざる様子を見て、デニスとスティングも彼らの下に急ぐ。
「はっ! 数は多いな!」
「クソ、一掃しようと思えばできるが、市街地かつ乱戦じゃ危険だ!」
が、やはり軍勢が邪魔になる。加えて緋奈を吹き飛ばして、その先で攻防をしているため、距離は離れてしまっている。
「ここで負けたら……緋奈さんが……」
踏ん張る響に向かって、マルスが言い放つ。
「フン、お前があの時、俺を殺せていたらこうならなかったのによォォ。ま、スティングが殺そうとして殺し損ねた俺を殺せるとは思えんが」
そして、左腕を響と後ろにいる緋奈へ向ける。マルスが響を押さえているのは右腕一つ。左腕はフリーだ。
「お前は両腕を使っているが、俺は片腕で十分! これが力の差というやつだ!」
あのビームを放つ気だ。しかもこの至近距離で、響は動けない状態。
「しまった!」
響は鉄の背骨に、今まで感じたことのない寒気を覚える。死が身近に迫っているという感覚。恐怖であった。
「な……、ん?」
その時、響はふとあることに気づいた。なんだか風景が一気にしょぼくれた。少なくとも響はそう感じた。
マルスのオーラが消えている。正確に言えば、オーラが左腕に集まっているのだ。よく考えれば、ヴァールスに攻撃の特技は無かったはずだ。マルスの攻撃は、オーラを自分の魔力で誘導し、打ち出しているのだ。堅い盾や鎧で殴れば怪我する様に、鉄壁のオーラも攻撃力になる。
(つまり、今のマルスは無防備だ!)
今がチャンス。だが、今はマルスと拮抗していて動けない。前の様に力を抜いて転倒させるのも、マルスが馬の下半身を持っていると困難だろう。
そこで響は、限界を超えることにした。
「リミッター解除!」
その言葉と同時に、マルスの右腕が弾かれる。響は義手のリミッターを外し、出力を高めたのだ。緑の炎が義手の各部から噴き出す。
「ムゥウゥ!」
「これで!」
そして狙いは左肩。全てのオーラが集中している左腕を直接破壊出来ないだろうが、離れた位置から切り離すことは可能だ。それに、左肩は緋奈が一度攻撃している。
「終わりだ!」
響はマルスの左肩を抉る様に切り取り、強引に左腕を切断する。同時に、響の義手が両腕とも煙を吹き出す。
「グオオオオォッ!」
マルスのコントロールを離れたためか、切断された左腕は燃え上がってアスファルトに落ちる。マルス本体のオーラも戻っていない。
「やった! 響が奴のオーラを止めた!」
オーラの消滅は遠くで戦っているスティング達にも見えた。響は義手がオーバーヒートしてしまい、フォトンサーベルを落とした。
「貴様ガアアアア!」
だが、マルスの往生際は悪い。胸部から肋骨を飛び出させ、響に飛び掛かる。皮膚から突き出たその骨は、まるで巨大な鋏だ。
「しまっ……」
気が緩んでいた響は、肋骨で挟み込まれてしまう。今までなら、油断するなどなかった。しかし、死への恐怖を認知できるようになったことで感情の波が出来てしまう。
「うぁああっ!」
万力の様な力で響のか細い体を肋骨が握り込む。金属の骨格がたわみ、内臓を圧迫する。
「人間如きガアアア!」
「がっ……あ」
全身がミシミシと音を立て、呼吸が止まる。響の視界はぼやけ、義手が壊れた今、抵抗することもできない。
「がふっ……」
血を口から吹き出し、響は今までのことを考えていた。これは今度こそ死ぬ、と思ったからだ。
(なんだ、今死ぬんだ……もっと早く、死なせてくれなかったのかな?)
響は運命を悔いた。少し前ならいつでも死んでいいと思っていたが、今は違う。死にたくないと願っている。死にたくないのに死ななければならないのだ。
「響!」
ふと、リーザの声がした。死ぬということは、彼女の所にいくのだろうか。また会いたいとは思った。だが、今ではない筈だ。
「か……なでさん……デニス、さん……緋奈さん、すみません、ボク……」
響は死を覚悟した。その時、彼は唐突に地面へ落とされた。
「うっ……げほ、げほっ……」
響がマルスを見ると、飛び出た肋骨が開かれていた。どうやらマルスの意思に反しているようで、彼は必死な抵抗を見せる。
「ウゴ……ダ、ダレダ!」
触れていない物体を動かす。そんな芸当、響は一人しかできる者を知らない。
「久しぶり。大丈夫?」
響の後ろには、暦リーザがいた。髪は腰の下まで伸び、瞳は赤くなっているが、確かにリーザだ。
リーザが、地に足をつけて響の前に立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます