暦の上で初恋は響く①

 継田響は勇気を出して学級長に立候補した。幸運にも対抗馬は無く、無事選出となった。

 それと同時に、副学級長も決まる。それが現在、部活も共にする暦リーザであった。

「どうもー! 怨霊の暦リーザです! リーザって呼んでね! 漫画家になるまで成仏しないよ!」

 緊張でしどろもどろだった自分とは異なり、元気のいい自己紹介だったのを響は覚えている。こんな活き活きした怨霊がいてたまるか。

 ホームルームが終わり、緊張の解けた響の前に、おもむろにリーザは立った。解けたはずの緊張がとんぼ返りで戻ってくる。肩の辺りで切り揃えられたボブカットは、重力を感じないほどふんわりしていた。

「あなたが級長ね」

 ふんわりしているのは髪だけではない。彼女の全てが地球の物理法則と切り離された特別な存在であるかの様に、響には見えた。

「これからよろしく」

当たり前の様に交わされる挨拶。だがその言葉が、氷ついた響の心を炙った。リーザの笑顔は今まで見たどんな光源よりも明るく見えた。

「っ……」

 あまりの眩さに、響は胸が痛んだ。それを汲み取ったのか、義手も震えている。

 すると、リーザの手が彼の右手を包んだ。何も感じない筈の、鋼鉄の腕が熱に包まれる。

「どうしたの? 緊張した?」

「え……」

 普段なら咄嗟に振り払ってしまうだろう状況だったが、響はそうできなかった。触覚など無い腕に体温を感じる。体験の奇妙さと安らぎが反射を抑え、心を支配していた。


 瞬間、暖かい記憶は温度を失う。


「え……?」

 後ろから冷たい気配を感じ、振り向く。そこには、血塗れの群衆がいた。地球の言語ではない恨み言が反響する。自分が手に掛けた時の断末魔が奥で鳴りやまない。

 目の前には、若い女性と幼い女の子だったモノが転がる。赤黒い液体が止めどなく溢れ、鉄の様な匂いが鼻に届く。ぶつ切りの肉塊を前に崩れ落ちる男がいた。

「お前を……家族にしようと思っていたのに!」

 喉の奥から響く非難さえ、心を動かさない。動かないのは昔の心であり、今の心は踏みつけられる様な痛みが走っている。


 そこでグラリと地面が揺れ、落ちる様な感覚を覚えて夢が終わる。体が跳ね上がると、そこは自室のベッドであった。

「夢……か」

 響は溜息を吐く。悪夢にうなされるのは何時ものことだが、よりによってあの思い出の後に来なくてもいいのに、と。

 部屋にはベッドと机、本棚があるだけ。響も『自室』という物を初めて与えられたので、どう使えばいいのか、自由を手にして五年も経つのにわからないでいた。趣味の物らしいのは机の乗せられたロボットのプラモデルくらいだ。

 天井があり、軽い自分の身体を受け止める布団があることで漸く安心を覚える。ただ、義肢となった両腕にまで脂汗をかいている様な気分は変わらない。そして、左腕はジリジリと熱を持って痛む。

 左腕は肘から義手となっている。とはいえ実際の手と何ら変わりなく扱える精巧なものだ。関節部にはシーリングが施され、異物や埃を巻き込むこともない。

「……」

 響は右手を使って起き上がる。右手も義手であり、こちらは肩の下まで腕が全て義手になっている。着用しているピンクのパジャマも冷たくなるほどの寝汗を掻いていた。

「もう結構経つのに……」

 響は義手の両手を見て、再び溜息を吐く。心の傷は想像以上に深い様だ。地球で白楼に拾われるまでは、何とも無かったのに。

 ベッドから降りないまま、響はカーテンを開いた。輝かしい太陽が部屋に差し込み、自室の殺風景さをより浮き彫りにしてくれた。

 継田響は兵器であった。金で売買される存在、消耗品の命で殺人の代行者である以外、存在を許される選択肢はなかった。

「今日は晴れたね」

 響は目が覚めると部屋に差し込む朝日が好きであった。これがある限り、自分は惑星に足を着けて暮らしているのだと思える。同じ理由で雨も曇りも、響には天候の全てが等しく尊いものであった。

 部屋を出て共用の洗面台に向かい、顔を洗うために水を流す。これだけで、基幹世界と宇宙の暮らしは違うのだ。そのまま義手の手に水を掬い、それを実感する。自分のものではないこの腕は、水の冷たさを知ることは無い。だが、耳には水が義手を叩く音がハッキリ聞こえている。

「……大丈夫だよね?」

 響は自分の、緑の瞳を確認した。これは機械の瞳で、彼の生身ではない。響は鏡を見るのが嫌いだが、義眼のメンテナンスの為に一日一回は鏡を見ねばならないのだ。

 少しでも長持ちするように実験的な強化措置を施され、骨格も人工物に置き換わってしまった。彼は成長の喜びも、老化の憂鬱も奪われてしまった。

 そうした状況なら涙くらい出てもいいだろうが、義眼にして以来涙腺に異常があるのか涙が出ない。義眼では目の乾きも疲れも無いので尚更だ。

 その上でこの世界、基幹世界と呼ばれる世界には当然だがエストエフの様な強化人間のノウハウはない。メンテナンスや修理も不可能、自然治癒する人間より脆い体となってしまった。

「……」

 蛇口から流れる水を手に掬い、顔にぶつける。ここで初めて、響は水の温度を知る。冷たい水が悪夢から呼び起こしてくれる。自分は今、水の惑星、地球にいるのだと。

 顔を洗うと、櫛を使って髪を梳かす。響は正直、女々しい自分の外見になんの感想も持っていなかった。だが、地球に来てからは外見を褒められることが多く、地球で自分を拾ってくれた人の『髪を伸ばしたら?』というアドバイスに従って伸ばしてみたりした。それが彼にとって、少しは自分を肯定できるものになっていた。


 響は制服に着替え、部屋を出る。彼に与えられたのは、白楼高校が運営する学生寮の部屋。食事付きで行く宛の無い生徒を世話してくれる場所だ。

 十五年前、ひょんなことからゲートを通って基幹世界に来た響は南極でいろいろあったあと日本へ連れてこられた。

 現在は日本語教師になったという、その時出会った人物の協力もあって日本語を習得。そこから十五年もこの世界を守って戦っていたが一旦落ち着いて学校に正式に通うことになった。

 食堂に向かい、響は歩く。ここに来た時にはどこだか知らないがいつもと変わらないと思った。生まれから存在が許されず、常に逃げ回る生活だった。

 だが、こうして食堂から漂う味噌汁の匂いを嗅いでいると、他でもない地球で迷い込んだのは幸運であったと思わざるを得ない。

 反面、どこかで罪悪感もあった。生きるためとはいえ多くの命を奪い続けた自分が恵まれていいのだろうか。楽しいと感じる度、嬉しいことがある度に胸が痛んでしまう。

(ボクは……これでいいのかな?)

 響は考える。このまま、学校に行って何の変哲もない生涯を終えていいのか。自分に皆と笑い合う価値はあるのか。

 食堂には、まだ人が少ない。響は早起きなタイプであった。食堂での食事はバイキング、オシャレな言い方をすればビュッフェスタイル。ずらりと料理が並ぶ光景は壮観である。

 銀の保温鍋は冷たい色合いに反して、湯気を立てる。細かく切られた果物は宝石の如く輝き、朝から胃袋を元気にしてくれる。

 味噌汁は不思議なことに、具材を椀に入れてそこへ汁を注ぐという変わったシステムになっていた。

「おーい、響ー」

 トレーを手にした響に声を掛ける者がいた。デニスだ。

「あ、デニスさん」

 響が世界を守るための戦いをするきっかけとなった人物で、十五年来の友人でもある。白楼に入って寮生活になっても付き合いは変わらない。

「どうだ最近? 悪い夢は見ねえか?」

「うーん、まだ時々」

 響がご飯をよそって味噌汁を注ぐ隣で、デニスは生卵を沢山取っていた。寮がビュッフェスタイルなのには、『種族がみんな違うのに決まった食事なんて出せない』という事情がある。人間でいう人種の違いでは想定されない、『食性』という宗教的タブーなどではなく物理的な制限が生まれる。

 欧米人には海苔を消化できる酵素が無い、日本人の二人に一人はアルコールを分解できない、というモノの拡大版みたいなものだ。

 味噌汁の一風変わったスタイルも、それが原因だ。具材が最初から入っていると食べられないものを取り除く手間が掛かるし、煮込んで滲み出た出汁そのものが毒となる場合もある。

 デニスの様なリザードマンは卵を常食するが、一方で卵生なので卵を食べない種族もいる。文化の違いではなく、消化器官の問題で食べられない物が存在してしまう。

「そんなんで大丈夫か?」

 デニスは響の盛ったご飯をみて心配する。茶碗八分目とは、年頃の男子にしては少ない。

「ええ、大丈夫です」

 というのも、響は長らく一日に支給される食料がエナジーバー一本という暮らしを宇宙でしていたため、胃が小さいのだ。これでもマシになった方ではある。胃が戦闘に関わらないから改造されていないのが救いだ。

 結局、響はご飯と味噌汁に漬物、デニスは生卵大量と焼き魚にウインナーやベーコンという個性溢れる朝食となった。こうも違うと、生物としての違いを否が応でも思い知らされる。リザードマンの中でもデニスの種族は肉食なので野菜や穀物を消化出来ない。リザードマンでも種族が違えば雑食だったりするのだ。

 一方の響は献立こそ日本食だが、実は箸が使えないせいでスプーンをトレーに乗せている。

「そうだ、響、お前漫研に入ったって?」

「はい、少し気になったので」

 デニスは響に、部活の事を聞いた。彼の言葉を聞くなり、デニスは感慨深げに呟いた。

「うーん、あのお前が自分で部活を選べるようになったか……」

「そういえば、こっち来る前は『選ぶ』なんてできませんでしたからね」

 響をボコボコにして保護したのがこのデニスなのだ。響の回復は彼が一番見ている。

「はー、最近暑いね」

 響とデニスが席に着くと、ジャージ姿の女子が食堂にやってきた。紅い髪をショートヘアにしており、活発そうな印象がある。現に、今もランニングから帰ってきたところだ。ジャージは学校指定の紺色を着用している。

「おう、ヒナ。おはよう」

「緋奈さん、おはようございます」

 デニスと響は口々に挨拶する。その女子、一ヶ崎いちがさき緋奈ひなはお腹が減ったのか挨拶を軽く交わしてトレーを手にする。

「うん、おはよ」

 そして、即座にトーストやウインナーを山盛りにしたトレーと共に緋奈は響の隣に座った。

「よっ、と」

「相変わらずだな」

 デニスが半ば呆れた様に言うが、生卵と焼き魚の朝食では食性の問題とはいえ説得力が無い。

「ほら、響ももっと食べな」

「あ、どうも」

 そして響にカップのヨーグルトを渡す。緋奈は人間の姿をしていて基幹世界出身だが、所謂普通の人間では無い。

 白楼の寮は異世界出身者だけでなく、彼女の様に身寄りの無い人間も使うことが出来る。

「なぁヒナ。響が相変わらず悪夢にうなされている様だが、夢見が良くなる魔法はないか?」

 デニスは緋奈に安眠の秘訣を聞く。緋奈は遊騎の様な超能力者ではなく『魔法少女』。紅い髪や瞳は体を流れる魔力による影響だ。

「さぁ? 戦闘用の魔法しかないからどうにもね。こればっかりは一生の付き合いね。私だって悪夢見ないわけじゃないから」

「さいでっか」

 やはり性格の問題か、とデニスは諦めた。緋奈にも心の傷が無いわけではない。そして彼は生卵を殻すら割らずに一飲みした。

「うっわー、相変わらず豪快ね。殻とか喉刺さらない?」

「殻にはカルシウムあるんだぞ。だよな?」

 緋奈はそんなデニスの食べ方にドン引きした。彼の世界では栄養学なんて欠片も無いので、効率的な食べ方をしていると聞いて結構嬉しかったのだ。

 響はというと、スプーンでご飯を掬って黙々と食べていた。時折フォークで沢庵を突き刺し、口に運ぶ。

 キチンと響は茶碗を手に持って寄せるが、その温かさを感じるのは口に入れる時が初めてだ。義手には神経が無く、温度を感じることが出来ない。機械であるため細かい作業は得意に見られるが、この性質のため微細な力加減は苦手である。

 箸が使えないのはそのためだ。手先ですら計算して力を入れているのに、そこから箸まで操作するのは困難。

「やっぱ朝は人少ねぇな」

 静かな食堂を眺め、デニスが呟く。夜はもっと騒がしいのだ。

「私達が早いんじゃない? 私もこっち来るまでは夜型だったけど」

 緋奈が牛乳を飲み干しながら答える。今でこそ朝のランニングなんぞしているが、緋奈は白楼に来るまで夜更かしをするタイプであった。

 響とデニスはスレていた頃の彼女を知っている。というか緋奈を倒してここに連れて来たのがこの二人だ。

「そういえばそうだったな」

「そうでしたね」

 デニスと響は彼女との出会いを思い出す。この三人は学校へ来る以前から付き合いがあり、デニスと響は緋奈の進学が学校へ入るきっかけの一つになった。

「それはそうと」

 緋奈は話を変える。昨日出現した、謎の女の子とマルスとかいう噛ませ犬のことだ。

「昨日のあれって女の子とか言ってたけど、魔法少女じゃないよね?」

 緋奈は魔法少女というものに、過敏な反応を示す。魔法少女といえば日曜の朝八時にテレビで見られそうな、メルヘンなものを想像するだろう。

 彼女の場合、そんなものでは無かったから少し神経質になっている。

「いいえ。兵士でしたよ。エストエフの」

 響は女の子の正体を報告する。

「ならいいけど」

 緋奈は安心した様に、ご飯を食べる。彼女が殺るか殺られるかの殺伐魔法少女などという大人向け作品なら使い古されたであろう茶番の生存者であることは、響とデニスは知っている。

 白楼はこうした脛に傷を抱えた者も多い。

「って、微塵もよくないわ」

 緋奈は我に返る。緋奈も響がエストエフから来ているのは知っている。

「それって大丈夫なの?」

「緋奈さんは部活届の心配をしてください」

 響は自分より心配すべきことがあると彼女に告げる。遊騎からの頼まれ事だ。

 白楼は総合学習の一環で一年生は部活に入りましょうということになっている。緋奈はまだ部活を決めてなかった。

「う……考えとく」

「無理がないように」

 響は彼女の過去を考慮して、最後に付け足した。


 学生寮から白楼高校までは、目と鼻の先。朝食の後、響はデニスらと学校へ行く。響のクラスは一年十一組。一学年十五クラスと非常に人数が多い。

 ここまでマンモス校なのはやはり様々な世界から留学生が来るせいだろう。少子化が最早関係無くなっている。

 響は十五年前に地球で保護されたが、その時に外見年齢から十五歳ということにしてもらった。つまり現在は戸籍上成人しており、運転免許も持っている。

 ただ、響は全身機械化の影響で成長も老化もしないため、もっと年上の可能性がある。

 響が教室に入ると、既に人がいた。いや、『人』と形容するべきではないか。

「あ、級長ー」

 教室にフワフワと浮かんでいたのはリーザだった。

「わっ! なんだ、リーザさんか……」

 響は少し驚いた。そして、僅かに体温が上がった様な気がした。

「うーん、やっぱり幽霊も悪くないよね。眠くならないし、身体軽いし」

 リーザは足こそあるが、幽霊である。この白楼高校では、姿形は人間に見えても油断してはいけない。緋奈は魔法少女だし、リーザは幽霊と結局人間ではないのだ。

「よっ、と」

 重力を受けないボブカットの髪は未だにふわりと浮いている。

「……」

「どうしたの?」

 リーザに声を掛けられ、響は自分が今、リーザに見惚れていたことを思い出す。

「あ、な、な、なんでも……」

 そして即座に目を反らす。

(なんでだろ、顔が熱い……)

 彼女の声や姿を確認すると、響は心臓が狂うのだ。

 殺意を向ける敵と対峙した時とは違う、不快感の無い狂い方であった。どこか暖かく、安心できるものだった。

 それを日本語で『恋』と呼ぶことに、響はまだ気付いていない。

「あ、これ食べる?」

 リーザはチョコレート味のカロリーメイトの箱を響に差し出す。幽霊は自分に対して供えられたものなら、霊体として味わうことが出来る。ただ、幽霊が食べても物は無くならないためリーザは自分の仏壇からお供えを持ち出しては配っているのだ。

 チョコレート味のカロリーメイトはリーザの好物で、家族も良くお供えしている。

「あ……お気遣いなく」

 響は反射的に受け取ろうとしたが、遠慮した。単に遠慮があっただけではない。カロリーメイトの様なブロック状の食べ物は、宇宙での暮らしを思い出して辛いので口にしたくないのだ。

 実際、食べてみたことはあるが、味は宇宙で支給されていたエナジーバーと全然違いおいしいのに喉を通らない。あの形と口を乾かす食感を認識すると、体が無意識に吐き出そうとしてしまう。

 ただそれを言うのはリーザの好みを否定する様で口外はしていない。

「あー、そういえばカロリーメイト苦手だっけ? これならどう?」

 リーザはそれでも「もしかしたら苦手なのか?」ぐらいは察してくる。彼女は響の唯一持つ好き嫌いを思い出し、違う物を取り出す。小包装されたチョコチップクッキーだ。それなら、と響は両手で受け取る。

「あ、ありがとう……ごさいます」

 相変わらずな様子に、リーザはクスリと笑う。それを受け、響も温かい気持ちになった。

「そうだ、何か科学部が作ってるらしいから見に行かない?」

 リーザに誘われ、響は無言で頷く。内心舞い上がっていたが、彼には舞い上がるという理屈もわからない。この気持ちに名前を付けることが出来ないでいた。

 二人は廊下を歩き、理科室へ向かう。その間、響はリーザの後ろについて並ばずに歩いた。胸の痛みは、いつもより強くなっていた。


 理科室は科学部の拠点となっており、朝早くから作業を行う部員もいる。話を聞きつけたのはリーザだけではないようで、数人の生徒が集まっていた。

「あ、遊騎」

「おー、リーザと……響か」

 その場には遊騎もいた。遊騎のクラスメイトである緋奈もおり、響を見つける。

「響、人格入れ替え機だってさ」

「人格入れ替え機、ですか?」

 緋奈は机で部員が作っている物を指差し、響に教える。遊騎や緋奈の近くでゆいが見物しており、経緯を説明してくれた。机に置かれているのは、コードでファミコンに繋がったヘルメット二つだ。

「この人格入れ替え機は、白楼高校科学部の伝統みたいなものじゃ。毎年、一年生が進級の頃に制作する。白楼高校の理念、『相互理解』に大きな役割を果たす重要なカラクリじゃ」

 遊騎は人格入れ替え機をよく見て、感慨深げに呟く。

「そうなんだ。漫画じゃよく見るけどな」

 こうしたものを見られるのは白楼ならでは。こういう時、遊騎は受験の苦労をした挙句普通の高校に通わなくてよかったと心から思うのだ。

「人格を入れ替える機械なんて……基幹世界だと実現してたんですね。凄い科学力です」

 響は腕のみならず、呼吸器官等も改造された科学の申し子。だからこそ科学で、宇宙ではまだ実現し得ない人格入れ替え機に驚きを隠せない。

「まぁ、科学と魔術の合いの子じゃからのう。魔術の力と引き換えになっていた確実性と再現性を科学で担保したんじゃ。安全性も高いぞ」

 そうなるとなんで安全性が上がるのか、その理屈は響にも理解できない。

「人格交換の禁術を科学で制御したのじゃ。科学力の介入によって、本来は不老不死を実現する手段として用いられるほどの禁術を手軽に使える様になったが、格段に効果は落ちるのう」

 つまり、ちょっとマシュマロ炙るのに山火事レベルの火力しか出なかった代物がカセットコンロくらいにまでパワーダウンしたことで扱いやすくなったということ。

「本来は発動後、永続的に人格が入れ替わるがの、こいつは魔術効果が切れると人格が元の体に戻るのじゃ」

 ゆいがメカニズムを説明しているが、遊騎はどうしても他のところが気になってしまう。例えば、ヘルメットが繋がっているファミコンだ。

「なぁゆい、ベースのコンピューターはファミコンじゃなきゃダメか?」

 臙脂のボディをした元祖家庭用ゲーム機、スーパーじゃない方のファミリーコンピューターだ。遊騎はレトロゲームの造詣も深い。

「さぁのう。わしも知らん」

 ゆいも詳しくことまでは知らなかった。

「完成したぞ! 人格入れ替え機だ!」

 どうやら人格入れ替え機が完成したらしく、科学部員が高らかに宣言する。野次馬達からも拍手が沸き起こり、盛り上がりを見せた。

「さっそく使ってみよう。そうだ、そこの二人!」

 科学部員はテスト使用を試みて、響と遊騎を指名する。

「俺か?」

「ボクですか?」

 遊騎は自ら前に出たが、響はおろおろするばかり。科学部が彼の左手を引いて連れてくる。手と手が触れ合う感覚は、響に伝わらない。唯一彼に分かるのは、左肘の先が引っ張られる感覚だけだ。

「さぁさぁ、皆さんお立会い! 科学部名物、人格入れ替え機のお披露目だ! 二年生の通過儀礼に参加してくれたのはこちらの人間二人!」

 部長らしき人物が口上を言い、二人にヘルメットを被せる。

「禁術とか言ってたけど、危なくねぇだろうな?」

「人間界でいう『こいる』と磁石で電気起こす実験みたいなもんじゃ。塩酸とやらを使うより安全じゃ」

 遊騎の懸念に、ゆいが答える。人格入れ替えというとても高度なことをしておいて、それが塩酸より安全とは遊騎には思えなかった。でも毎年通過儀礼として作られているのなら、先輩にもノウハウがあるだろう。

「行くぞ! スイッチ、オン!」

そして、遊騎の側のヘルメットに付けられたスイッチが操作される。

「なんだ?」

「……っ!」

 その瞬間、フラッシュの様な物が二人を襲う。そして、二人はしばらく互いを見つめた。

「ん?」

「これって?」

 そして、自身をじっくり確認する。最初に口を開いたのは響だ。

「入れ替わった! 俺が目の前にいるぞ!」

 遊騎が両手を執拗に確認し、涙を流していた。

「手が……ある」

「成功じゃな。入れ替わっておる」

 二人のリアクションを確認して、ゆいが確信する。人格入れ替え機は成功だと。

「本当に入れ替わったんだな、っと……」

 響の身体に入った遊騎が確認のために歩いてみたが、少しふらついてしまう。近くの机に左手を着くも、『机で支えている』という感覚は左肘からしか感じられなかった。

「これが義手なのか? 感覚もねぇし、でも動かせるし……」

 自身の肉体に慣れた遊騎には、響の身体は『変』であった。腕のせいで重心が上に来ているため不安定で、尚且つ重さも左右で不均等。身体こそ軽く感じるが、だからこそ腕の重さが厄介に感じる。

「それになんか眩しいんだけど……」

 響の瞳は機械。ゲームや漫画を好む遊騎のものとは視力が違う。家電量販店で物のいいプラズマテレビを見ている様な、眼鏡の度を調整したばかりの様な、綺麗過ぎて気持ち悪いという感覚が視界に広がる。それを彼は今、彼の肉体で体験している。

 一方、遊騎の身体に入った響は、子供の様に手を動かして遊んでいた。

「よし、今日は入れ替わったまま過ごしてもらおうかの」

 二人を見て、ゆいがとんでもないことを言い出す。それと同時に、彼女は二人の頭に葉っぱを乗せ、手で印を結んだ。

「変化!」

 すると、煙と共に二人に襷が掛けられた。響の身体には『公界遊騎』と書かれた襷、遊騎の身体には『継田響』と書かれた襷が現れたのだ。

「入れ替わったまま?」

 さすがにそれは出来ない、と響イン遊騎が拒否しようとする。だが、ふと遊騎イン響を見てみる。

「凄い! これが水なんだ!」

 遊騎イン響はとても嬉しそうに、実験机に取り付けられた洗い場の蛇口で手を洗っていた。それを見て、ゆいの提案を呑むことにした。

「そうするか……」

 今日一日くらいは、生身の腕を楽しんでもらう。遊騎は無下に身体を取り戻す気は無かった。

ぼんやりと、響イン遊騎は遠くを見ようとした。すると、勝手に視界がズームする。

「うわあああ! 視界が!」

 遊騎のただならぬ様子に、緋奈が駆け付ける。

「おいどうした?」

「視界がズームした! あとなんか連続でシャッター切ったみたいなんだけど、シャッター?」

 遊騎は響の体に入り、完全に混乱していた。義眼の機能が暴発し、てんやわんやだ。

「今度はサーモグラフィーが! 前が見えねぇ!」

「落ち着け!」

 遊騎と緋奈が大騒ぎする中、遊騎イン響は全く気にせず水に触れていた。超能力は暴発する様子を見せない。

 そこで、ゆいが響に提案してみる。

「響や、遊騎の超能力を使ってくれんかのう?」

「……」

 それを聞いた遊騎イン響は、青ざめながら振り向いた。手から、無限にマーブルチョコレートやM&Msの様な糖衣チョコレートが沸いて出ている。

「な、なんか変なの出てるんですけど……」

 カラフルなチョコがたくさん出ている光景はメルヘンチックだったが、もう机を埋め尽くしそうなくらいチョコが出現している。お菓子の家を作っても余りそうな勢いだ。

 この様子を見たゆいは、前言を取り消した。

「いや、やはり危険かのう……」

「つったりめぇだ!」

 騒ぎの渦中となった遊騎は流石に必死であった。ただ、響の体に入っているので『怒る響』という珍しいものが見られる。

「そういえば響って感情的にならないよね」

 その様子を見て、リーザはしみじみと思う。遊騎も今、それに気づいたところだ。

「ていうか、結構疲れる」

 そんな響イン遊騎は疲労を感じていた。いくら配慮して作っているとはいえ、人工物と生身では重量感が違う。響の義手は左が肘まで、右が肩までなので、体のバランスが取り難いのだ。

 左右で重さの違う腕を支えるのは、それなりに神経を使う。夏休みの直前にお道具箱から絵の具セット、習字道具を一斉に持って帰った日の事を思い出すアンバランスさだ。

「なんだか頭もガンガンして来た……」

 響の視界は鮮明過ぎて、情報が多い。平均より少し視力の低い遊騎には慣れない光景であった。何気に識別できる色も多いのではないか。4Kテレビの話題でよく言われているのが、『これ以上画質を良くしても人間の目にはわからない』ということだが、響の目はそれに追随できるだろう。

「やはり危険じゃな。戻すか」

 ゆいが二人にヘルメットを被せ、肉体を戻そうとする。だが、響イン遊騎はそれを拒否する様に言った。

「えー、もう少し試そうぜ」

 遊騎は響の生活をある程度体験したいという気持ちもあったが、響に生身の腕を少しでも長く感じて欲しいとも思っていた。自分は大変だが、それ以上にその気持ちが強かった。

「と、止めようとしたら違うチョコに!」

 正直響はチョコが溢れてそれどころではないが。今度は恐らくアーモンドチョコだろう丸いものだ。

 響イン遊騎は、徐々に義手の先端に電流が流れる様な痛みが走ってきた。

「な、なんか痛みが」

 そして、加えて万力で手先を潰されたかの様な激痛が響イン遊騎を襲う。今までろくに感覚を与えなかった義手が、的確に締め付ける様な熱い痛覚だけを遊騎が使っている響の脳に寄越したのだ。

「いっテェェェェェ! なにこれ、幻肢痛?」

 響イン遊騎は飛び跳ねて、涙目になって悶える。ゆいは呆れた様に人格交換機を二人に被せ、作動させる。

「ほら言わんこっちゃない。あった腕が急に無くなるからじゃ」

 二人を再びフラッシュが襲い、人格が元の肉体に帰還する。戻っても、チョコレートは収まったものの遊騎は痛みが引かなかった。

「これはきついぜぇ……。お前いっつもこんなの味わってんの?」

 幻肢痛を味わい、遊騎はフラフラになっていた。元の体に戻ったおかげで、体は軽いし視界は落ち着きのある色になった。痛みも少し和らいだ。

「昔よりマシですよ」

 響は遊騎に、シートに密封包装された錠剤の薬を渡す。いくらかよくなったとはいえ、唐突に来る幻肢痛に対処するため響には白楼から薬が支給されている。幻肢痛というのは無い場所が痛むため、鎮痛剤というより精神安定剤の様な物を使うことになる。

 遊騎に渡したシートに三つしか使った痕跡が無い辺りあまり飲んではいないらしいが、薬があるというのは精神的にも安心を得られる。

「一回三錠、水無しで飲めますよ」

「助かる」

 遊騎はシートを押して錠剤を取り出し、飲み込んだ。何となくだが、響の背負う物が遊騎は見えてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る