私の家
吉木 海
0 完結
暖かく爽やかな何処かへ帰りたい。たくさんの街を旅した。たくさんの街に住んだ。たくさんの社会に入った。
しかし、私はまだ、それがどこだか分からない。
幼い頃から私は病弱で生まれてから最初の記憶は病院のベッドの上でした。
1人は怖かったものの寂しいという気持ちは残っていない。
幼稚園へ通うようになってからは、とても内気で臆病なのに大胆な変わり者の問題児でした。
愛嬌とはまた違い、基本的に自分のペースが大切で、納得のいかないことには従わない。
まあ、一種の素直さであり、とても好かれたり、嫌われたりする要因だったのだと思う。
私には、2つの両親の実家と住まう家がありました。
実家では、初めての孫であったということもあり、どこに行っても可愛がられました。
そのようなところを居心地の良い場所のように感じていましたが、必ず終わりが来ました。
社会という人間の群れは嫌いです。
何故ならどこに行っても論理の通らない、理由のない。
その場では正解だけれども違うところでは間違っている正解を押し付けられることが怖かったからだ。
幼稚園と保育所、小中高、いくつかの会社。
大人になり、ある種の楽しみにも思うのだが、どこに行っても社会というものは正解が違うのである。
大人で怒ってる人を見ると常に違和感があった。
道理とか論理などが如何にもこうにも通らないので質問すると顔を赤くして、また、怒られてしまう。
たくさんの大人を見て、話を聞いてきました。
そして、大人になってしまいました。
よくわかるのは、大人になっても大抵の人間は、変わらないものなのです。
そういった観察というのか考察というのか、学校の勉強も仕事の方も出来の悪いと言われる方の人間ではありますが、
たくさん読書にも耽り考えました。
真実であるのか、教育、心理学、脳科学や生物学、歴史の本を見てそうなってしまう仕組みがわかった時に思ったことは、
彼らは、洗脳されていて人生の経験も兼ねて、主観的な正義や正解が絶対的であると思い込んでいるのだと気が付きました。
しかし、これに気づくことは、有名学校を卒業した人でも偉い人でも知らなかったので、
東大に行くより難しい問題なのかも知れません。
23、24の時の母とのたわいもない会話の中で、家にいるにも関わらず、
「知らないどこかへ帰りたい。」と口から漏れました。
いつも喧嘩ばかりの仲で私もそうなんだよね。と言っていた。
家もあるのに、、、
共感という感情がなかなか無い人生でしたので、虚しくも小さな喜びはずっと残っています。
南の島へ行けば辿り着けるのだろうか。
外国の何処かなのだろうか、、、
最近では、居場所とはたくさんいろんなところに行きましたが、場所ではないように感じています。
ただただ不安なのだろうと思います。
社会の冷たさや自分という存在があって良かったのかわからないような不安。
辿り着きたいところとは、安心であるのではないかと。
ずっと愛しあえる人がいる安心。
家や家族が敵ではなく味方であるという安心。
仲間や友人が困ったら助け合える。寂しければ慰め合える安心。
独りの時間を私は、人といる時間よりも気楽で楽しいものであると思ってきました。
わいわいと人が集まるところは、今も嫌いであり、そのようなところへ行き独りに戻ると、どっと、とてつもない疲労が私を襲うのです。
どんなに独りが好きな私でも、心のどこかに空虚な隙間が空いているのだと思います。
居場所とは、非論理的で、動物的で、気味が悪くも、人との繋がり、気持ちの中にしかないのかもしれないのだという思いから、
そういった家に帰るために今を私は生きている。
ーあとがきー
2023年6月の初めのど田舎の駅前。無職や孤独を終えて就職先が決まり、文学にハマっていた無職最後の卒業論文のような、電気も携帯も止まった時に思いつきで書いた短編の物語です。私的な思い入れはありますが、フィクションです。表のテーマは、読み手が考える居場所として。裏テーマは、飲み会や喫煙所などぽっかりと失ってしまった大切なものについて描いたものになります。たくさん失ったけれどもその時にあったような温かさを今からちょっとずつ作りましょうというメッセージを載せたつもりです。
吉木 海
私の家 吉木 海 @coz000
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