第8話『お持ち帰りしたいです-前編-』

 6月13日、火曜日。

 梅雨入りが発表されただけあり、今日も朝からずっと雨がシトシトと降っている。優奈と相合い傘をして登校したので、梅雨っていいなとさっそく思い始めている。

 今日も午後には三者面談があるため、お昼で学校が終わった。だから、放課後になるまではあっという間に感じられた。

 今日は午後1時から5時までバイトがあるため、学食でお昼を食べずにバイト先へ向かった。

 学校の制服からバイトの制服に着替え、スタッフ用の休憩室でまかないを食べる。オールドファッションと、食事メニューであるホットドッグを一つずついただいた。飲み物はアイスコーヒー。どれも美味しかったので、バイトにしっかりと臨めそうだ。

 まかないを食べ終わり、俺はカウンターへ向かう。

 今日はバイト中に優奈が井上さんと一緒に来てくれる予定だ。2人はお昼ご飯を食べ、高野カクイというショッピングセンターなどで買い物をした後にここに来る予定になっている。2人が来るのを楽しみにバイトを頑張ろう。

 カウンターでの接客業務を中心にバイトをしていく。

 平日のお昼過ぎだから、いつもバイトしている平日の夕方や休日の日中に比べてお客様の数は少ない。ただ、店内にはお昼で終わったうちの高校の生徒や年配の方、仕事が休みなのか大人の方などのお客様がおり、カウンター席やテーブル席の利用率はまあまあだ。マスタードーナッツは人気のドーナッツチェーン店だし、今も外は雨が降っているから一息ついたり、ゆっくりしたりするのにいいのかもしれない。

 たまに来店されるお客様への接客をし、休憩を挟みながら仕事を進める。

 そして、午後3時半過ぎ。


「和真君。来ました。お疲れ様です」

「お疲れ様、長瀬君」


 優奈と井上さんが来店してくれた。2人の顔を見たら、今日の学校やこれまでのバイトの疲れが体からすっと抜けた気がした。

 夕方に差し掛かる時間帯になり、店内にいるお客様の数が多くなってきた。ただ、カウンターの前にはあまりいないので、優奈と井上さんと少し話しても大丈夫そうかな。


「2人ともありがとう。いらっしゃいませ。2人はお昼ご飯を食べたり、買い物をしたりしたんだよな」

「はい。パスタ屋さんでお昼ご飯を食べたり、高野カクイに入っている色々なお店に行ったりしました」

「アパレルショップや本屋とかに行ったりして。これからの季節に良さそうな服があったから買ったわ」

「とても似合っていましたもんね。私も本屋で好きな作家の新作の漫画を買いました。とても楽しい時間でした」

「そうね、優奈」


 優奈と井上さんは楽しそうな笑顔でそう言う。お昼ご飯や買い物がとても楽しかったのだと分かる。今の話を聞いていると、2人から楽しさをお裾分けしてもらった気分になる。


「2人とも良かったな」

「はいっ」

「ありがとう」

「では、注文してもいいですか?」

「ああ、いいぞ」


 珍しいな。井上さん達と一緒に来たのに、優奈が最初に注文するなんて。優奈は好きなドーナッツやパイがいっぱいあり、何を注文しようか迷うことが多いから。


「店内でのご利用ですか?」

「はい」

「店内ですね。かしこまりました。では、ご注文をどうぞ」

「オールドファッションを1つに、もちもち抹茶ドーナッツを1つ。あとはアイスティーを1つお願いします」

「オールドファッションをお一つに、もちもち抹茶ドーナッツをお一つ。アイスティーをお一つですね。アイスティーにガムシロップとミルクはいりますか?」

「どちらもいりません」

「どちらもなしですね。かしこまりました」


 優奈、今日もオールドファッションを注文したか。以前、俺がオススメしたのもあってか、俺と結婚してから優奈はオールドファッション系のドーナッツを注文することが多い。


「以上でよろしいですか?」

「い、いえっ。あ、あの……」


 そう言うと、優奈は頬をほんのりと赤くして、俺のことをチラチラと見てくる。どうしたんだろう?


「ほら、言ってみなよ。大丈夫だよ、長瀬君なら」


 ニヤリとした笑みを浮かべながら優奈にそう言う井上さん。右肘で優奈の脇腹をツンツンしていて。本当にどうしたんだろう? まあ、この様子からして、井上さんが何か企んでいる可能性が高そうだけど。


「か、和真君っ」

「はい」

「和真君を……お持ち帰りしたいです。バイトが終わるまで待っていますので……」


 優奈は俺のことを見つめながらそんな注文をしてきた。その直後に「よく言った」と井上さんは楽しげに言い、優奈に向けてサムズアップ。

 俺をお持ち帰したい……か。それを言おうとして、優奈はちょっと恥ずかしそうにしていたんだな。

 まさか、一緒に住むお嫁さんから「お持ち帰りしたい」と注文されるとは。可愛い注文をされてキュンとする。


「ダメ……ですか?」


 上目遣いになって、優奈は俺にそう訊いてくる。その問いかけは反則だ。とても可愛くて、ますますキュンとなる。


「いいえ。ダメではありませんよ。午後5時まで待っていただければ、私をお持ち帰りすることは可能です。それでもよろしいですか?」

「は、はいっ!」


 優奈は嬉しそうに返事した。その姿もまた可愛くて。


「良かったわね、優奈」

「ええ、良かったです」

「優奈にお持ち帰り注文したことはあるかどうか訊いたら、一度もやったことないって聞いて。だから、やってみないかって提案したの。その様子を見てみたかったし」

「なるほどな」


 だから、今日はいつもと違って優奈が先に注文したんだな。井上さんも可愛い企みを考える。


「私をお持ち帰りするのも承りました。他に何かご注文はありますか?」

「いいえ、ありません」

「かしこまりました。合計で600円になります」


 その後、優奈から600円ちょうどを受け取ったので、レシートのみを渡す。

 優奈から注文されたオールドファッションをもちもち抹茶ドーナッツをショーケースからお皿に移す。また、アイスティーを用意し、それらをトレーの上に乗せる。


「お待たせしました。オールドファッションにもちもち抹茶ドーナッツ、アイスティーになります」


 俺はそう言い、ドーナッツやアイスティーが乗ったトレーを優奈に渡した。


「あと、私については午後5時過ぎのお渡しとなりますので、それまでは店内でお待ちください」

「はいっ、分かりました」


 優奈は可愛らしい笑顔でそう言ってくれた。早く優奈にお持ち帰りされたいよ。


「萌音ちゃん。席を確保するためにも、先にテーブル席に行っていますね」

「うん、分かった。席、お願いするわ」

「はい。和真君、また後で。残りのバイト、頑張ってください」

「ありがとう。ごゆっくり」


 俺がそう言って軽く頭を下げると、優奈はニコッと笑ってテーブル席の方へと向かっていった。

 テーブル席がある方に視線を向けると……2人用も4人用もいくつか空いている。だから、問題なく席の確保ができるな。良かった。

 優奈はカウンターに一番近い2人用のテーブル席にトレーを置いて、椅子に座った。


「いいものを見させてもらったわ。優奈はちょっと照れくさそうに注文したし、長瀬君はちゃんと店員さんらしく振る舞っていたから」

「まあ、お客様である優奈から、俺をお持ち帰りしたいって注文を受けたからな」

「ふふっ、そっか」


 自分が提案したのもあってか、井上さんは満足そうな笑みを浮かべている。可愛いな。


「井上さんは何にするか決まった?」

「ええ、決まったわ。エンゼルクリームを1つ、ココナッツチョコレートドーナッツを1つ。アイスロイヤルミルクティーをお願いします」

「エンゼルクリームをお一つ、ココナッツチョコレートドーナッツをお一つ。アイスロイヤルミルクティーですね。かしこまりました」


 飲み物を含めて結構甘い系のものを注文したな。スイーツ研究部に入っているほどだし、さすがは甘いものが大好きな井上さんだ。


「合計で660円になります」

「660円ね」


 その後、井上さんは1000円札を出してきた。なので、340円のお釣りとレシートを渡した。

 注文を受けたエンゼルクリームとココナッツチョコレートドーナッツをショーケースからお皿に移す。アイスロイヤルミルクティーを用意し、それらをトレーに乗せた。


「お待たせしました。エンゼルクリームとココナッツチョコレートドーナッツ、アイスロイヤルミルクティーになります」

「ありがとう」


 注文を受けた商品を乗せたトレーを井上さんに渡す。そのときの井上さんは結構嬉しそうで。


「優奈と一緒にゆっくりするわ。長瀬君、バイト頑張ってね」

「ありがとう。ごゆっくり」


 そう言って、頭を軽く下げると、井上さんは優奈が待っているテーブル席へ向かった。

 優奈と井上さんが来店してくれて、バイト頑張ってと言ってくれて、優奈が俺をお持ち帰り注文してくれたから残りの1時間半近くのバイトも頑張れそうだ。

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