第3話『結婚-後編-』

 優奈と結婚することになるとは。昨日の放課後に、優奈と井上さんと接客したときや、おじいさんのスマホを見つけたときには想像もしなかった。

 優奈が俺のお嫁さんになると思うと、今まで以上に可愛く思えてくる。俺と目が合うと、優奈は目を細めて笑って。……本当に可愛いな。


「よーし。優奈と和真君の結婚が決まったから、さっそく婚姻届を書くぞ」

「婚姻届を持ってきたんですか?」

「そうじゃ。彩さんに区役所へもらいに行ってもらったのだよ」

「ええ。ちゃんともらってきました」


 そう言い、彩さんは持ってきたバッグからクリアファイルを取り出す。そのファイルから一枚の紙を出し、ローテーブルに置く。それには『婚姻届』と書いてある。

 俺が結婚を了承するかどうか分からない段階で、婚姻届まで用意するとは。ここまでする行動力が、有栖川グループが日本有数の企業グループにまで成長する一因なのかなと思った。


「これが婚姻届なんだ。テレビやネットで何度か見たことあるけど、実際に見るのは初めてだよ」

「実際に見る機会はあまりないわよね。大学生だと、周りに結婚している人も少ないだろうし。それにしても、婚姻届懐かしいわぁ」

「僕らが結婚したのは20年以上前だからね」


 そのときのことを思い出しているのか、うちの両親はほんわかとした笑顔になっている。

 うちの家族の会話を聞いてか、彩さんが微笑みながら「分かります~」と言っていた。


「では、書いていきましょうか、和真君」

「ああ」


 優奈、俺の順番で必要事項を記入していく。

 妻になる人の欄に書いてある優奈の字……とても綺麗で読みやすいな。これなら、婚姻届を受け取る役所の人もちゃんと読めるだろう。そう思いながら、俺は夫になる人の欄に必要事項を記入する。

 また、記入する中で、『結婚後の夫婦の氏と新しい本籍』という欄が目に入る。


「そういえば、結婚するってことは優奈と俺は同じ名字になりますよね。有栖川か長瀬か……どちらがいいのでしょうか?」


 いきなり結婚の話が決まったので、今まで名字のことについては全然考えていなかった。


「有栖川グループがありますし、おじいさんは会長、英樹さんは社長ですから、俺が有栖川姓になる方がいいでしょうか」


 お金持ちの家とか財閥って、名字にこだわりがあったり、凄く大事にしたりするイメージがあるから。


「私はどちらでもかまわないが。優奈と和真君で自由に決めてくれてかまわないよ」


 平然とした様子でおじいさんはそう言う。そんなおじいさんの言葉に、英樹さんと彩さん、陽葵ちゃんは頷いている。また、自由に決めてかまわないと言ったからか、うちの家族も微笑みながら頷いた。


「確かに、今は父が会長、俺が社長をやっているよ。だけど、俺の前には有栖川家以外の人間が何人も社長をやってきているからね」

「もちろん、英樹を含めて社長の役職に就くのにふさわしいと思ったからだよ。有栖川グループの名は知れ渡っているが、一族経営とか世襲には特にこだわっていないさ」

「そうなんですね」


 とても柔軟な思考の持ち主だ。これも、有栖川グループの規模が大きくなった一因なのだろう。


「優奈。これからの名字をどうしようか。希望はある?」

「そうですね……私は長瀬姓になりたい気持ちが強いです。名字が変わるとより結婚した感じがしますし。長瀬優奈……も個人的にはいい響きですから」


 優奈はちょっと楽しげな様子でそう言う。あと、『長瀬優奈』と優奈が言ったことにグッとくるものがあった。


「そうか。分かった。じゃあ……結婚後の夫婦の氏は夫の長瀬にしよう」

「はいっ」


 俺の目を見ながら返事をする優奈。可愛いお嫁さんだ。

 その後も、俺は婚姻届の必要事項を記入し、印鑑を捺印した。


「婚姻届には証人2人を書く欄があるんですね。これはどうしましょう?」

「両家から1人ずつがいいだろう。ちなみに、有栖川家代表として私が証人として書きたいのだが!」


 おじいさんは張り切った様子でそう言い、右手をピシッと挙げた。18歳の孫がいるから、おじいさんもなかなかの歳だろうに元気があるな。


「ははっ。まあ、父さんが長瀬君にスマホを拾ってもらったのが全ての始まりだからね。俺は賛成だよ。両家から一人ずつ証人として書くことも」


 英樹さんは穏やかに笑いながらそう言った。優奈達有栖川家の女性は頷いたり、「賛成!」と言ったりして賛同の意を示した。


「両家から一人ずつ書くことは僕も賛成です。和真と母さん、真央はどう?」

「俺も賛成だ」

「お母さんも」

「私も」

「了解。では、両家から一人ずつ証人として書きましょう」


 その後、証人の欄には両家からそれぞれ代表として、おじいさんと父さんが記入し、印鑑を捺印した。その際、おじいさんはとても楽しそうにしていて。自分の気に入った人間が孫娘と結婚することの嬉しさや実感があるからかもしれない。

 必要事項の記入と捺印が全て終わったので、ここにいる9人全員で記入漏れや捺印忘れがないか確認していく。


「……大丈夫じゃな」


 おじいさんが落ち着いた声色でそう言い、この場にいる全員が頷いた。


「では、これからみんなでうちのリムジンで区役所に行って、この婚姻届を提出しよう」


 と、おじいさんは声を弾ませて言った。もうすぐで優奈と俺は正式に夫婦になるんだな。

 あと……リムジンか。リムジンってお金持ちのイメージがあるけど、有栖川家も所有しているのか。有栖川家5人と父さんが一緒に来たし、ここへの移動方法はリムジンだったのかな。


「父さん。帰ってくるときってリムジンだったのか?」

「そうだよ。リムジンは初めて乗ったから、年甲斐もなくちょっと興奮した」


 そのときのことを思い出しているのか、父さんは楽しげな笑みに。リムジンに乗るのが楽しみになってきたぞ。


「近くに停めてある。英樹、この家の前まで来るように連絡をお願いするよ」

「分かった」

「あとは……夫婦になるのだから、優奈と長瀬君が2人で一緒に住む場所をすぐに手配しないとな。もちろん、それにかかる費用はこちらが全て負担する」

「優奈と2人での生活ですか。俺はかまいませんが……優奈はどう?」


 一緒に生活するのなら、優奈の賛同も得ないと。


「私も……いいですよ。男性のきょうだいがいないですし、同年代の男性と一緒に住んだことがないので緊張しますが。和真君と一緒に住んでみたいです」


 俺とおじいさんのことを交互に見ながら優奈はそう言った。そんな優奈の頬がほんのりと赤くなっていて。緊張しているからなのか。それとも、俺と一緒に生活している想像でもしているのか。


「ということは、カズ君はこの家から出て行くってこと?」

「そうなるな。優奈との2人での生活になるから」

「……そっかぁ。お姉ちゃん、何だか寂しい……」


 弱々しい声でそう言うと、真央姉さんの両目には涙が浮かぶ。ブラコンの姉さんにとっては、俺がこの家から離れることがショックなのだろう。俺が生まれてから18年間、姉さんと一緒に過ごしてきたからな。今の姉さんを見て、ちょっと胸が痛くなる。


「お姉さんにとても愛されているのだね、和真君は」

「……そうですね」


 それをブラコンと言うのです、おじいさん。


「2人が高校に通うのを考慮して、高野駅のすぐ近くにある高層マンションを新居として手配しようと考えているよ」

「……駅前にありますね。そこならいつでも気軽に会いに行けそうですし、私の部屋からも見えます。だったらまだ……大丈夫だと思います」

「そうかい。それなら良かった」


 真央姉さんは電車通学だし、バイト先のお店は駅近くのショッピングセンターの中に入っている。おまけに、うちからも徒歩圏内。姉さんの言うように、気軽にいつでも会える距離だから受け入れられたのだろう。

 おじいさんはすぐに手配すると言っていたし、優奈との新居に引っ越す日はそう遠くはないだろう。今日から少しずつ荷物を整理したり、まとめたりしていくか。

 それから程なくして、有栖川家所有のリムジンが到着。9人全員でリムジンに乗って、ここ高野たかの区の区役所に向かい始める。

 リムジンの中……車とは思えないほどに広い。また、長ソファーに優奈と真央姉さんに挟まれた状態で座っているけど、ふかふかでとても気持ちがいい。父さんが興奮したのも納得だ。

 うちの家族はみんなとてもまったりしている。それとは対照的に有栖川家のみなさんは平然としていて。その違いが面白い。

 9人で雑談したり、連絡先を交換したりしたのもあって、区役所まではあっという間だった。

 区役所に入り、婚姻届の届け先である区民課の受付に向かう。9人一緒なので、区役所にいる人の多くがこちらを見ていた。

 区民課の受付に到着。優奈は彩さんから婚姻届を受け取り、


「すみません。婚姻届を提出しに来ました」

「分かりました。もしかして、制服姿のお二人が?」

「はい、そうです」

「お若い夫婦ですね」


 俺が返事をすると、受付を担当しているお姉さんがニコリと笑いながらそう言う。18歳の高校生だからな。

 優奈が婚姻届を提出する。

 女性職員が婚姻届の記入漏れがないかどうか確認する。その中で本人確認書類として、優奈と俺はそれぞれマイナンバーカードを提示した。


「記入漏れなし。本人確認書類との間違いもなし。……婚姻届、確かに受け取りました。ご結婚おめでとうございます」


 受付のお姉さんはニッコリとした笑顔で俺達にそう言ってくれた。両家と関係ない他人から「結婚おめでとう」と言われると嬉しい気持ちになる。また、公的に夫婦になったのだと身が引き締まる。

 俺と同じような気持ちなのか、優奈も嬉しそうな笑顔になっていて。優奈の笑顔を見ると嬉しい気持ちが膨らんでいく。

 優奈は俺と目が合うと、口角がさらに上がった。


『ありがとうございます』


 優奈と俺は声を揃えてお礼を言った。そのことに、受付のお姉さんは「ふふっ」と笑った。


「これから、私は長瀬優奈ですね。よろしくお願いします、和真君」

「よろしくな、優奈」


 公的にも、優奈と俺は夫婦になったんだな。

 また、両家の両親とおじいさんの指示で、婚姻届受理証明書を何枚か発行してもらった。名前の通り、婚姻届を受理されたと証明できる公的な文書なのだという。婚姻に関わる届出や手続きで、この文書が必要になることがあるのだそうだ。


「もしよければ、婚姻の記念にあちらにある記念撮影コーナーで写真を撮られてはいかがでしょうか?」

「おぉ、それは素晴らしいコーナーだ。じゃあ、和真君が拾ってくれたこのスマホで、おじいちゃんが2人のことを撮影してあげよう!」


 おじいさんはそう申し出る。撮影する気満々のようで、既に両手でスマホを持っている。そのことに優奈は「ふふっ」と笑う。


「せっかくですし、記念撮影しましょうか」

「そうだな」


 その後、俺達は婚姻届の記念撮影コーナーに移動し、おじいさんや真央姉さん、陽葵ちゃんのスマホで、優奈と俺のツーショット写真をたくさん撮ってもらった。

 真央姉さんや陽葵ちゃんから、LIMEというSNSアプリで写真を送ってもらう。制服姿の優奈と俺が寄り添う写真を見て、優奈と結婚したのだと実感したのであった。

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