最終話 永遠に

 俺は幾つもの類稀なる超作をこの世に残していった。どれもが見れば恍惚な表情になり、心が澄み渡るかのような作品だった。絵画のみならず、彫刻や文章などにも手を出した。それら全てに俺の芸術性は遺憾なく発揮され、自分で見ても神がかっていた。もう俺に足りないものなどは無かった。全てがそこにあり、満たしてくれた。

 だからこそ。俺は、永遠が欲しくなった。こんな人生が終わるなど考えたくもない。生き続けられるのなら、もっともっと幸福になれるのだから。俺はそれを思いつき、初めは思いとどまった。今で満足すべきだと。しかし、死ぬことを考えれば考えるだけ、死ぬべきでないという思考が巡ってくるのだ。こんなに才能があり、何もかもを持っている人間はそうあるべきでないのだから。そうなれば思考は固まる。そのことばかり浮かんできては俺の心を浸食してくるのだ。

「本当に最後だ。俺はこれを手にできれば、後は自分で何とかやっていけるのだから。」

 俺は決心した。いや、するしかなかった。それを実行せずに居続けても、最後には帰ってきてしまうのだから。死ぬ瞬間、その瞬間では遅いのだ。勿論、代償もありきだ。永遠を手にするとなったら、それも弾むだろう。最初の方の俺なら、流石に想像もつかない程の代償があることに着目し、足を止めたかもしれない。でも今の俺は闇に向かってダイブする決断を下した。

 最後の儀式だと考えていたので、俺の芸術性を踏襲し、儀式の間は禍々しく、邪悪なオーラに満ちた場へと姿を変えさせた。

 永遠を手にすると決めて一年後の決行日、今までの賭けをきっと遥かに超えるものに 心臓は強く脈打ち、息も荒くなった。それを抑え、蝋燭にゆっくりと火を灯していく。最近も悪魔には何度か会っていたが、儀式をするのは久しぶりだった。詠唱を終え、最後の契約が始まる。

「人間。今度は契約だな。して今回はどういった件だ?」

 悪魔はいつもの調子で囁く。絶対にこれも見納めだ。そう心に誓う。心を埋めてくれる存在とは言え、定期的に会っていれば、また良からぬ気にさせられるだろうから。ようやく俺も足を洗う時が来たのだ。

「永遠の命が欲しい。」

 俺は単刀直入にそうお願いする。

「良いだろう。今回は性質の付与という項目だ。了承したら祈りたまえ。」

 悪魔も止めてくれやしない。あっさりと契約の進行を行う。今までだって愚行を止めてくれたことなんて一度もなかった。今回もそうだ。いくら俺の掛け金が大きすぎてもこいつには関係のないことなのだ。

「分かった。いいか俺。これが最後だぞ。」

 俺は自分に言い聞かせ、深呼吸を行い、穿つほどの思いを込める。瞬く間に体がはじけ飛ぶ程の衝撃に身を撃たれ、永遠の命を得る。過去のどの衝撃よりも激しかった。俺はその場から暫く動けずにいた。

「契約は成立した。ではごきげんよう。」

 悪魔はその俺に見向きもせずに去って行ってしまった。俺はいつもの様に部屋に戻される。はずだった。俺はまだ闇の中に居て、いつまで経っても戻してはくれなかった。闇に包まれ続け部屋に帰れない。いや、違った。もう戻っているのだ。体もそうだ。俺は衝撃のあまり動けないものとばかり思っていた。だが、そもそも動くことができない体だから動けないのだった。俺はいつの間にか全てを失っていた。目も口も手も足もこの命と心以外は何もかも。それがいつからなかったのかはわからない。生活の中で大きな不自由を感じていたのは確かだが、どれが理由かは言い当てれない。

 記憶を辿ろうが、何が足りなかったかということすら分からない。俺は代償による認知を失っていたのだから。今までだって、少しずつ失ってきたのだろう。ここまで気づけないのは当然だった。全てを失って初めて、何もかもを失ったという事に気づけたのだ。俺は自分がもう何もできないと気づき、契約が理不尽な物ばかりだったということを今更になって思い出す。

「畜生。俺はなんでいつもこうなんだ。あと一歩。あと一歩だったじゃないか。」

 当然、もう声はでない。心の中で毒づく。あそこで踏みとどまっていれば不自由の多い生活だったかもしれないが、幸福には死ねただろう。

 そしてまだ俺は、自分が助かりようのない絶望のどん底にいるということを理解できていなかった。考えを巡らせ、打開策を探る。

「そうだ。こうなる前は儀式を行っていたはずだ。ならば詠唱を行えば、まだチャンスはある。」

 蝋燭が完全に消え切ってしまえば行えない脆い儀式なので、ぐずぐずはしていられなかった。俺は心の中で詠唱文を読み上げる。かつて姉がそうしたように。

 有難いことに、悪魔は現れてくれた。もう何も聞こえないし、見えないが確かにそこにおり、声も聞こえた。なぜ、悪魔が概念的な存在かを今になって知れた気がする。

「どうした人間よ。まだ契約が必要か?だが、お前にはもう失うものもなさそうだが。」

 悪魔はそう言うが、心ありきの人間。その言葉が正しいのなら、この心はまだ失える。

「俺にはまだ失うものがあるんだ。」

 俺は必死に抵抗する。自分がこれから歩いていく地獄から逃れるために。

「しかし、もうお前にそれ程の価値はないのだ。永遠とは凄まじいものだ。失ったものはお前を凌駕した。」

 俺は全て絞り取られ、ただの心のある肉塊、いや肉すらあるかわからない存在でしかなくなっていた。悪魔はそんな俺をいとも簡単に見限り、消え去ろうとする。結局こいつにとって俺は甘い蜜でしかなかったのだ。俺はそれをなんとかして引き止める。

「この心を失いたい。」

1.同じ系列の契約はできない。(喪失)

 悪魔はもうそこにはおらず、俺の頭に文章のみが現れる。自由に悪魔を呼び出せる契約すら失っていた。そして前に俺は、人への関心を喪失していたことを思い出す。

「では、絶望せずにいたい。」

2.具体性のない内容は契約できない。(幸福になりたい。等)また浮かぶ。

「生まれてこなかったことにしてくれ。」

4.大々的に根本から何かを変えるような契約はできない。

「今までの契約をなかったことにしてくれよ。」

6.契約が決定すれば変更、撤回はできない。とこんな風に俺が反したことを言うと ルールが浮かび遮られた。その後も

「直してくれ。」

1.同じ系列の契約は…(回復)

「幸福しか感じなくしてくれ。」

1.同じ系列の契約は…(性質の付与。)

「殺してくれ。」

4.大々的に根本から何かを…(不死の性質。)

「この世界を…」

4.大々的に…

 とルールが浮かんでは消えるのを反復し、俺の願いは一切叶わなかった。自分が過去にやった契約内容は、このどうしようもない状況から抜け出すための案全てに引っかかった。俺は既にそれらを実行してしまっていたのだ。

 だからもう、そもそも失うものがないどころか、抜け出す方法などもどこにもなかったのだ。悠久なる時間を無意味な応答で繰り返し、やがては蝋燭も消え、契約の闇も晴れ、悪魔すら呼び出せなくなった。そこで真に気づく、今自分がいる状況が。死ぬことはもうできず、この何もない闇の中をさまよう事すら許されずにただ放置されるだけなのだ。それも永遠に。どれだけ絶望しようが無駄だった。全てが虚無で、何も埋まらない。こんなになるまでにどうして気づけなかった。自責の念と後悔に心を蝕まれる。だがそれも全ていずれは虚無だと悟る。ここでは何を考えても何の意味もないのだ。その無意味の感情に永久に囚われ、続いていく。

 ああ、早く終わらせてくれ。永遠の中を永遠とも思える時間を過ごしたが、いつまで経とうとも苦しみだけは消えなかった。いつしかこの感情さえも無くなって、俺自身が虚無になってくれるのだろうと思っていた。そうなれば何も考えなくて済むし、永遠を虚無に帰って過ごすことができるからだ。しかし、それだけは消えてくれなかった。永久的に苦しみが続き、意識が遠のくこともなかったのだ。なぜなら悪魔との契約によって「得るもの」もそんな生ぬるいものではないのだから。

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貪欲の傾斜 aki @Aki-boring

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