第8話 幸福への近道

 契約のリスクを極限まで減らすことが出来た俺は契約に対して夢を持てるようになり、将来が明るく照らされた気分だった。今までは何を差し出せば何を得れるかとばかり考えていたが、自分の欲に忠実になることも覚えることができた。相変わらず契約が生きがいなのは否めないが、その内容を考える時間は一層楽しく思えた。

「人間の欲と言えばこれだろう。よし、大きな夢を叶えるのだ。」

 俺が第一に考えついたのは、大金持ちになることだ。以前に考えたし、余りにありきたりで、目を見張るようなアイデアではないが、実際に人生を一生遊んで暮らせるほどの大金がそこにあるとなれば話は別だ。ほとんどの欲は満たすことができるし、逆転劇としてはかなりの美味だろう。

 契約のリスクを減らしてから数日後、俺は大欲らしい大欲を叶える儀式を軽い足取りで行っていく。そしてまたいつものだ。

「おお、人間。今回はどうしたんだ。」

 悪魔はいつもの調子で聞いてくれる。初めに会ったときよりも穏やかに感じるのは気のせいだろうか。

「今回は欲望に忠実になろうと思ってな。大金が欲しい。それも一生困ることがない程の。」

 これで俺の人生に花が咲いてくれるようになるのだ。故に興奮も隠し切れなかった。

「良かろう。今回は「物を得る」という項目だ。分かったら祈ってくれたまえ。」

 俺は心の中でメモを行う。自分が既に叶えた項目を把握しておかないと計画的に契約を行っていけないからだ。

 串刺しの快楽がまたも俺を襲う。今回も大金を手にした事実がくっきりと分かったが、その代償は伝えられなかった。それでも、この時の俺は失ったものについて言及することは無かった。今まで代償を支払ってこなかったみたいに、その事が頭から抜けていたのだ。単に金に目が眩んだわけでもないし、今までの喪失も覚えているから不思議なものだ。きっとこれが認知できないということの真意なのかもしれない。

「これで、俺は自由に暮らせる。欲しいものは全て買おう。昔からワインセラーを作るのが夢だった。後は何をしようか。」

 俺はその場で大喜びし、自分の欲を存分に発散できる事実に、今までの人生で最大の幸福感を覚えた。代償などどうでもよくなった。暮らしていくのに不自由なさそうだし、それが分かれば何を失おうがかすり傷同然だ。

「良き、良き。またいつでも呼んでくれたまえ。」

 俺は悪魔と喜びを分かち合いたかったが、用が済むと消えて行ってしまった。

 部屋に戻った俺は、大金を得るという意味をリアリティから離れて理解することとなった。と言うのは、ただただそこに大金があるわけではなく、俺が心で望んだ分はいくらでも湧いて出た。そこに俺の認知の介入の余地は無いようで、どこからとも無くそれらは湧いた。俺がこれだけ欲しいと願えば、気づくとその金が目の前にあるし、湯船で札束を願えばそれ一杯に満たせるので、困ることなどなかった。一度の上限はあるらしいが、ほぼ意のままに操ることが出来た。最も、真に願わなければ実行できないので、無理難題を自分自身に吹っ掛けても行えないのは良くできている点だ。よって俺の欲しいものを買うことは十二分にできたし、買えないものなどはなかった。

 俺はひっそりと暮らしたいという理念のもとに、離れに家を建て、そこに住むことが決定した。街へは数分で行けるが、人の少ない良い立地を選んだので、私生活にも困ることは無かった。家は俺の造りたいように造り、二階建ての地下がある。夢のマイハウスが出来上がった。中は広いリビングやキッチンは言わずもがな、ワインセラーと儀式に没頭できる部屋が揃っていた。酒を味わうことはできないが、ボトルを眺めているだけで心が落ち着くのだ。

 建設前の事はあまり覚えていない。金や自分の出生のことについて触れられたかも鮮明ではない。関わった人間など心底どうでもよく、過去の自分がどうにかしたのだろうということしか分からなかった。

 家を移り住んでからは期待したバラ色の人生が待っていた。ワインセラーのコレクションを集める趣味は楽しかったし、儀式の間の飾りつけや照明をより凝ったものに仕上げることも本当に楽しかった。仕事に行く必要もなく、生活に追われるような感覚に陥ることはないのだ。依然金は湧いてくるし、欲しいものがあればすぐさま手に入るのだ。今までの人生での努力が無意味の様に、ここでの生活は眩しかった。

 俺にとって、デントや姉のことに一切の興味が失せたことは結果的にこの上ない幸福へと繋がった。自分自身と向き合う時間は断然増えたし、自分の夢に人生の時間を割けることは今までに思ってもいなかった充実感があったのだ。そういうわけで、今度は契約によって思ってもいない角度から新たな価値観を得ることができたのだ。金一つで人はこんなにも幸福になれるのか。俺は多幸感の中、味も匂いもしないワインをグラスに注ぎ、それを揺らしていた。

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