第7話 逆転への布石

 俺は懲りることはもう知らない。悪魔との契約を辞める気なんて更々なかった。常に良い契約内容を探り、そればかり考えて日常を送る。それが生きがいだ。仕事もやめた。人は見ているだけでうんざりするし、関り合いになるのもごめんだ。俺は買い物以外はほとんど外出せず、なるべく家に居るように心がけていた。たまに訪問してくる客もいるが居留守を決め込む。相手がどう思おうが知ったことではないため、日常的な配慮なども皆無に等しくなった。

「もしも世界を変えられるなら、奴らを消すのも悪くない。」

 冗談交じりにリビングにできた儀式の間を眺めて言う。俺は興味を無くしただけに過ぎず、苛立ちも抱えていた。それは自分が大切だと思い込んだせいで痛い目にあわされた過去があるためでもあった。と言っても、世界を変えるほどの契約ができないのは残念だ。

 気力のない生活を続けるうちに焦燥感も芽生えてきた。俺はこれからどうなるのだろう。という漠然とした何かだ。懺悔するように日々を送り、死んでもいいと思っていたが、それを失った俺は再び意味のある前進を望むようにもなった。最もそれは清廉潔白でもなんでもなく、悪魔を頼ることを抜きにはできないのだが。色々考えた挙句、喪失のリスクに見合うものは何かと考えるようになった。最早失う事は当たり前で、得ることも同列になっていた。その駆け引きとあの衝撃が何より楽しい。失って後悔しているはずが、そのスパイスを吟味せずにはいられない。そんな風に、失うものなんてない。という口癖はまたしても形を変えて存在し続けた。

「最終的にどうしたいかを決めよう。契約の先の終わりも悪くないが、何か大きな賭けでもしたいもんだから。」

 終局は確かに見えていた。俺が滅びゆく運命にあるということも解っている。であるならば俺が満足のいく取引を一度は済ませたかった。ここでの満足というのは刺激に過ぎない。幸せになるとか、そうやって死ぬことには諦観があることを否めない。そういうことではなく、真に震えあがり、ゾクゾクするスリルを味わいたかったのだ。

 ずっとそうして過ごしていたのに、これといった欲は思いつくことは無かった。刺激のない、興味も薄い日常ではあったが、奥底から湧いてくる欲求などは見つからない。喪失も目に入っていたのもその原因の一つだ。今まで味わってきた敗北感はそこにあり、到底気に掛けないようなことにはなり得なかった。

「希望か。そんなものを追ってみるのも面白い。人生の逆転のような、そんな一手なら俺も満足できるし、契約にやり甲斐だってある。」

 希望。それは何かを得るに当たって必須であるものだ。絶望のどん底にいるような俺でも、きっとそういう変化を求めているからこそ、抜けだせないのだ。そう思うと、悪魔の失うもののない人間なんていない。という言葉にはかなりの説得力があった。今までの後悔だって踏み倒せるような、そんな契約が俺の望んだ形なのだろう。その時、天啓が訪れる。全てが逆転してしまう程の潜在性のあるひらめきだ。

「俺は天才か。今までを覆すなど夢ではないぞ。」

 俺が思いついたのは、契約の代償が必ず他に向かうようにするという事だった。それが可能ならば、俺の生きがいを半永久的に楽しむことができ、なんでも叶うではないか。そうなれば他に生きがいだって見つけられるし、人生の終わりをわざわざ考える必要もない。まさに契約の穴を突いた逆転の1手だった。

 俺はこれを実行すべく、準備を行っていく。その間にも思いを巡らせる。リスクを極限まで減らすことの契約に必要な代償についてだ。俺は全てを掛け、失う覚悟で実行する。とは言うものの、そこで何もかもを失って、人生がおざなりになることも当然視野に入れる。だが、その惚れ惚れするリスキーな契約が眼前で輝き、どうしても進みたくなった。数日掛けて他の案を絞っていったが、より良いものはなさそうなので、そのまま実行することが決まった。

 いつも通り蝋燭に火を灯し、詠唱を行う。悪魔契約に狂信的になっていた俺は、いつの間にか詠唱文を暗記し、空で唱えられるようになっていた。悪魔が間もなく召喚される。

「おお、人間。今回も契約の算段がついたというわけだな。」

 こうなれば俺も常連だ。何も言わずとも何を望んでいるかが伝わってくれる。

「そうなんだ。今回は凄い。俺の契約の代償が必ず他に及ぶ様にして欲しいんだ。」

 この悪魔が言った、契約のリスクが減れば減るだけその価値は低くなるという言葉を思い出し、ダメ元で聞いたが

「それは言い変えれば誰かに代償が及ばないという、この前の契約と重複する。しかし、お前もお得意様だ。特別に教えてやる。契約によって発生する代償自体を軽くすることはできるぞ。」

 と断られた。悪魔は断ったが、耳寄りな情報を教えてくれる。これは俺が契約のリスクを極限まで減らす願いには沿っているもので、叶えられるなら申し分ない話であった。しかし、虫のいい話だったので、俺はどの程度にまでそれが及ぶのかが気になった。

「どれくらい軽減されるんだ?」

 俺は悪魔に要点だけを聞いた。

「お前らの所で言えば、本来両目を失う所が片目で済むという程のものだろう。」

 悪魔の提案した契約は一種の保険のようなもので、一時期の契約者ならまだしも、今後幾度と契約を交わす俺にとっては受け入れない理由などなかった。今の話をそのまま取るなら、今後俺の代償は半分程で済むのだから。俺は失うという事実から目を背け、大きな夢のためにそれを減らせることばかりに目が移った。

「そんなことなら、早く教えてくれよ、相棒。とても良い案ではないか。それにしよう。」

 俺は代償のことなど考えもせずに契約を進める。それも決定的な一打と成り得る魅力的な快進撃だった。俺は悪魔の囁きをそのまま受け入れ、鵜呑みにして契約を進めようとする。

「普通は損に成りうるので教えない。特別なことだ。お前には思い入れもできたのでな。では始めよう。」

 悪魔は嬉しいことを言ってくれ、祈りを促す。ただ契約だけを目的としていた者が、気に入ってくれているとはなんと嬉しいことか。 俺はこれで何度目か、祈りを捧げ、衝撃に身を撃たれる。だが、いつもの様に得たものが鮮明になるのは同じだが、失ったものが鮮明になることは無かった。

「おかしいな。俺は何を失ったんだ?」

 わからない。いつもははっきりとそこにあった現実が認識できるのに、今回は違う。契約の代償が軽くなったという事実しかそこにはないようだ。

「お前が失ったのは代償に対する認知だ。お前は今後、失ったものを知ることは出来ない。」

 悪魔は俺の不鮮明なものの正体を教えてくれる。そしていつもは失ったものに対して悲嘆にくれ、新たな絶望を与えられるのに、その喪失感がまるでなかった。全身を見まわしても何ともなさそうだった。これは俺にとって良いことづくめの契約だったのだ。これこそ本当に安く済んだではないか。これからの逆転劇に更なる期待も寄せられる。

「ありがとう。こんな良い契約ができるなんて思っても見なかった。いや、正直不当なものしかないと腹の中では蔑んでいたんだが。その疑いも晴れたよ。」

 俺は悪魔に感謝の念しかなかった。失ったものを疑いもせずに、初めて、得たものの方が重く傾いているように思えた。

「そう言ってもらえて嬉しいよ。今後ともご贔屓に。」

 声は認識できないが、嬉しそうなのは伝わってきた。そう言うと悪魔は姿を消した。これからはどんな契約をしよう。人生における革新的な契約とはいかなかったが、契約が生きがいとなっている俺には、かけがえのないものを手にできたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る