第5話 開き直り
後悔。それが何度も往来し、俺を責め立てる。数日経ったが治まる兆しは見えず、真の狂気が芽吹き始めていた。
「くだらないな。次は何を契約してやろうか。」
もう懲り懲りだ。その思いがあったはずが、自分自身を陥れる事ばかりを考えるうちにそう考えるようになった。そして、なぜかあの現実の改変による衝撃に身を撃たれる刺激が恋しく思うのだ。きっと坂を転がり落ちていくのを俺自身は止められない。代償なんてどうでもよかった。また何もないと勘違いして、何かを失って苦しむ。そんな愚行の輪廻を繰り返すのだ。悪魔の言った通り、失うもののない人間などいない。そこに欲がある限り、その裏側に必ず大切なものもあると気づかされた。それでもいいのだ。俺がこの先どうなっていくのか見ものじゃないか。全てを捨てる選択をした俺は何を失うのか。そういう知的好奇心さえもあった。最早契約というリスクを背負い込むことが娯楽の様だ。また、どういう欲を満たすかということを考えるのも楽しかった。
「仕事に行くのも面倒だし、大金でも得るか?だが、惰性というのはどうも抜けんな。」
仕事は長期の休みを取っていたが、まだ続けられる様にと縁を切ることもしていなかった。地に転がるような生活を繰り返していたら、また仕事の期間も近づいてきた。それを特に不幸には感じておらず、欲を満たす契約の報酬には物足りなかった。
「もっと俺の奥底を刺激してくれるような欲望の権化のようなものは見つからんか。」
自分でも何を言っているのか分からなかった。自分が何になりたいか、どうしたいかという根本的な問題がわからない。全て失った気分なので当たり前だが、だからこそもっと幸福を望むはずなのだ。
俺は契約の事ばかり考え、生活を続けていった。たまに以前での契約の惨劇を思い出し、耐えがたい苦痛に悶えることもあったが、決して契約から離れることは考えられなくなってしまった。デントや姉のことは常に頭にあった。それへの罪悪感も、贖いも抱えてはいた。届かぬ懺悔も床が擦り切れる程に行っていた。その中で仕事にも行き、生活は成り立ってしまっている。とても健全とは言えぬ日々だったが。
「そうだ。俺の償いを形にしよう。そうでなくてはいくら俺が頭を下げても浮かばれん。」
俺が閃いたそれは、絶対にすべきことではなかった。俺がしようとしたのは彼らが幸せにこの世を旅立ったことにするという過去の改変だ。この時の俺はそれが最も綺麗な謝罪だと思い込んだ。その現実があれば、死んでいったデントや姉も後悔などなかったことになる。
そして過去改変はそれが現実となり替わること。それは紛れもない現実で、成り立ってしまえば嘘偽りに固められたものではないのだ。俺の手では絶対に成しえないその契約は、天才的な閃きの様にも思えた。きっと俺が罪悪感を抱えたくないという現実逃避の表れでしかなかったのに。
俺は準備を取り行い、儀式を進める。ここの所経典をずっと眺める時間もあったので、詠唱もすらすらと行えるようにもなった。
すると久しぶりの再会を果たせた。前のようにこの空間に落ち着かなさを感じることはなく、再び相まみえるだろう衝撃の快楽に興奮を覚えていた。
「やあ。人間。またも久しぶりだな。今回は何用だ?」
そう、この声だ。最初は不安を覚えたこれも、契約という娯楽を後押ししてくれた。
「久しいな。本当に。今回はあっと驚くようなことを思いついたんだ。」
俺は目の前の靄に友人のように語り掛ける。ここに居ると気分がハイになり、俺の狂気を加速させる。何かに取り憑かれたように話す俺だが、その危険信号を見ても悪魔は警告などする気もなく、いつも通りに話を進める。
「良いではないか。では早速聞こうじゃないか。」
俺は悪魔の誘惑にそのまま乗る。まるで初めて絵を描いた子供みたいに、思いついた妙案を早く話したかった。
「俺の友、デントと姉のノースがこの世を幸福に旅立ったという事実に作り変えて欲しい。」
悪魔は俺の契約内容に反応し、笑った。嘲笑ではなく、褒められているみたいだ。
「面白いことを言う。確かに可能だ。だが、その二つは一つずつ叶えることになる。そうなれば重複が生じる。だからどちらか一つだ。」
確かにこれとこれ。と言うのはまとめて言っているようだが、別々の事柄だった。俺はどちらを幸福に殺すかという選択を迫られた。しかし、それは大した問題ではない。
「それなら姉だ。姉ちゃんがこの世を幸せに旅立ったとなれば、デントの死は背負えるだろうから。」
決してデントを軽んずる意図はない。デントも心から敬愛する親友で、見殺しにできるような存在ではない。だが、どちらかを取らなければならないとなれば姉を優先する。それだけのことで、デントへの重い気持ちは忘れないこと誓った。
「了承した。今回は少し複雑で、「過去改変」という項目になる。もっと大げさな過去改変はそもそも不可能だが、今後はそれに該当する事柄は行えないことを覚えておけ。」
説明に反した質問ばかりする俺に悪魔は念押しした。構わない。こんな馬鹿げたことを二度も三度も行う気はない。俺もその考えがあったので、了承の念を表し祈祷に入った。
心の底から強く願う。それと同時に期待に胸をときめかせた快楽が全身を伝う。姉の記憶はすり替わり、何かを契約したという痕跡だけが俺の中に残る。そして今回俺が失ったのは、人への信頼感だ。遜色ないものにも見えるものだが、人生がひっくり返るくらいにそれは大きかった。まず、人の事を考えるだけで恐怖が湧いてくる。姉やデントのことを思っても、鋭い拒絶感が先に起こり、思考が前に進まなくなる。人というものに絶対的な不信感が植え付けられ、目にすることすらままならない恐怖の対象になった。
「なんだ。この恐怖心は。」
俺も説明がつけられなかった。これまでに感じてきたどの恐怖よりも根深く、きっとこの先人と関わることはできないだろう。そして、契約の内容もあやふやでこの代償に釣り合ったものかどうかを思い出せない。
「俺は何を願った?」
それを知りたくて悪魔に問いかけた。
「お前は姉の幸福なる死を望んだぞ。」
悪魔の回答を聞いたが、信じがたいことだ。俺はしっかりと姉が笑顔でこの世を去ったことを知っているし、それは疑いようのない事実だからだ。しかし、鮮明に覚えているはずが、契約による死という事実は変わっていなかった。混乱はあったが、姉が幸せに死んだというのも間違いない。
「妙な気分だ。俺が変えたはずなのに、俺は既にその現実を知っていた。」
契約が本当なら、どうやらこの悪魔は過去の改変による影響は受けないらしい。今ある事実が確かに変えられたことを知っているのだから。
「契約とはそういうものだ。安心しろ。お前の記憶は真実だ。」
そう、真実だ。これほどにはっきりと心に残っている思い出が、夢などであるはずがなかった。少し我慢して色々と考えていたが、俺はもう耐えられなくなった。
「やめだ、やめだ。人間のことなど考えたくない。そこにあるというだけで恐ろしい。」
今回も、失うべくして失ったものに後悔を突き付けられる。なのに、もう契約をここでやめる気になんてならない。俺はもっと多くを得たい。奇妙な欲求が顔を出し、心を刺激し始める。
「契約は成立した。また会おう。」
そう言うと悪魔は儀式の間から去り、俺を一人残して消えた。部屋に戻った俺は強い恐怖と共に絶望感を覚えた。
「ああ、だめだ。待ってくれ。落ち着かなくてしかたない。」
少なからず人が近辺に暮らしているというだけでも震えが止まらない。思考を逸らすため、契約内容を思い返すがそれも無駄だった。姉やデントがちらつき、やはり震撼させられる。何が怖いというわけでもないのが、厄介だ。生まれた時から人間は悪辣で危険な存在だと教え込まれていたように、心の底からそれらに対する拒絶感がある。日常にそれらすべてが深く絡んでいたということさえ疑わしくなる。
「今まで俺はなぜ平気だったんだ。怖い。怖い。」
物音がするたびに体が跳ね、心臓が脈打つ。これでは落ち着いて眠ることもできない。街を歩くなんて考えただけでも恐ろしい。ああ、契約でこれを直そう。これより酷い恐怖などあってたまるか。
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