第2話 代償
「悪魔信仰」などと巷では呼ばれている。悪魔を召喚し、契約して願いを叶える。そういう単純なものだ。オカルトチックな話だが、最近では白魔術やら黒魔術やらが流行り、それらが実現されている。しかし、現世が魔法の世界というわけではない。ごく一部でそういうことが行われ、流通しているのだ。どれもこれも手の込んだもので、手間の割に、結果がどれも見合わないことから、生活を共にできるような素晴らしい代物でもないのだ。
今は裏からそういう情報を流してくれる輩がいる。俺も相当な金を積み、それを教えてもらうことに成功したのだ。悪魔信仰はその一種で、黒魔術の中でも禁忌とされているものらしい。通常の人間がそれをすれば瞬く間に人生が下り坂になり、取り返しのつかないことになるということだった。だが、俺には失うものなんてなかった。いや、そう思い込んでいた。だから、情報通りに悪魔を呼び出し、契約を行ったというのが経緯だ。
目覚めるとまたも現実が入ってくる。尚も姉は横たわり息をするだけだ。待てど暮らせど起きることなどないのだ。きっと死ぬまでこうなのだろう。ソファから起き上がり、姉を一撫でして立ち上がる。悪魔契約を再び果たす。そのことはもう確定事項のようになってしまっていた。とは言うものの、決心はあったが直ぐに取り掛かる勇気はなかった。もう少し考える時間も欲しかったのだ。
俺はキッチンに行って朝食を取り、新聞を読むことにした。新聞は惰性で読んでいるものだったが、今日は内容が入ってこない。家の中にある儀式の間が頭の中にちらつき、そわそわとする。俺はキッチンテーブルを拳で叩いて立ち上がり、リビングに置いてあったカレンダーに向かった。それからカレンダーの日付に赤いペンでマークを付け、自分を落ち着けるようにした。俺が示したのは再び儀式をする決行日だ。この日にすると決めておけば考える必要も減ると考えたからだ。
「よし。これで少しは安心できるな。後は点滴でも買ってくるか。」
朝食を取り終え、やるべきことに目を向ける。姉は常に横になっているものの、生きているのだ。栄養失調で死んでしまってもおかしくはない。俺に医学的な知識はなく、どう対処すべきか分からないがそのまま放置するのは気が引けた。そして何よりも病院などは頼れない。近頃は病院もようやく頼りがいが出てきた程度の存在だが、流石に一年ほど前に死んだ姉が植物状態で見つかったとなれば、色々とややこしいことにもなる。となれば俺だけで解決するべき問題だ。
俺は点滴を買ってきてそれを姉に刺し、処置を施し終えた。不安感と親友を失った胸糞の悪い気分があったので酒も多く買ってきてしまった。今の自分に唯一褒められる点があるとすれば、こんなに堕ちても仕事は続けられていたことだ。だから金はあるし、生活もできている。悪魔契約を信じるしかなく、姉の蘇生を現実的に受け止めていた俺は、それを辞められなかったのもある。昨日はしこたま酒を呷った訳だが、今日が休みだという事も考慮していたのだ。儀式についてもそうだ。まあ、俺はいつでも霧散してやると考えてるし、故にろくな仕事でもないし、特段思い入れなどもないのだが。
姉が生き返ってから5日目の晩、ついに来たこの日のために準備を整えた。儀式の準備物に関しては、供物の様なものは必要なく、蝋燭と細々とした機材が幾つかあれば簡単に実行できる。この日を迎えるまで、色々と考えた。まずは代償だ。前と同じく代償の方が重いとは理解していたが、如何せん一人の人間を動かせるようにするのに何が犠牲になるかが想像できなかった。俺の体の一部が持っていかれるとしたら何だろうか。前回は俺の心から何かを奪うような対価であったため、今回こそ体で払うならば日常生活に支障が出ることは間違いないだろう。その他を奪われるとしたら何だろうということも考えた。親友を失うという思ってもいない角度の物が抉られたため、様々な点を思案したが、あれ程に思い入れのあるものなど思い当たらなかったのだ。
「考えても仕方ない。とにかく始めよう。姉ちゃんの動く姿が拝めるならなんでもいい。」
俺は儀式の間に降り、暗がりの中で蝋燭を並べ、それらに火を灯した。前と同じ手順で詠唱を初めて数分。また空間ごと移転したように当たりの景色が闇に包まれた。そして悪魔が召喚された。
「ああ、人間。我をもう一度呼び出すとは。その後はどうだ?」
姿は相変わらず見えず、声もどんな音色かを掴めないがニタニタと笑っているように感じる言い方だった。
「酷いもんだ。俺から何か奪うならまだしも関係のない人まで巻き込まれるなんて。」
ずっとあった不服を目の前の靄にぶつける。今回だって納得できないと知りながら、不当な結果に楯突いた。
「いやいや、契約の代償は正当さ。人間一人生き返らせるのならそれくらいは当然だ。それにお前が天秤に掛けたんだぞ?心の中でお前はその欲に無意識に優劣をつけている。それが抜き取られ、対価として支払われた。無意識でもな。それは紛れもない真実で、お前の対価としても申し分ないはずなのだ。」
悪魔のそれは俺自身が決めたとでも言いたげな回答であった。俺自身が何かを捧げると誓っても、心の奥底を見破られ、それが対価として支払わせられるらしい。
「いや、それにしても俺とは関係ないじゃないか。」
自分の正当性を認めたくて再び反論した。デントがこの世を旅立つ道理にはならないはずだ。
「お前、自分が今何をしているかをもう一度考えろ。これは不可能を可能にできる契約だ。そして全ての対価は公平だ。お前が捧げるものにお前自身の裁量はいらない。例え他人が関わっていてもだ。お前が真に大切に思うものならそれが対価と成り得ることを忘れるな。」
俺は確かに禁忌に触れ、結果をとやかく言えるような立場にはなかった。とばっちりどころではない洗礼を受けたデントに、地に頭を着いて謝らないといけないのは俺なんだ。そう解っていても無性に腹が立ち、認めることができない。
「はあ。今回は姉の回復をお願いしたんだ。」
俺は深いため息と共に、悪魔を責めることを諦め、そう告げた。余り怒鳴り立てて契約が成立しなくなることを恐れ、穏便に済ませて本題を話したのだ。
「もちろんだとも。覚悟があるというのなら深く願え。」
そう悪魔は俺に促した。悪魔は俺の激情にも落ち着きにも気を掛けることはなかった。
「一つ質問がある。以前に俺は姉が生き返って欲しいと強く願った。それだけを。だから今の植物状態になっていると仮定している。俺がもっと柔軟に姉の元気な姿を深く考えればその通りになるのか?」
前は必死に願うあまり、姉の蘇生だけしか頭になく、姉との日々などを思い起こしていなかったのだ。
「強く念じれば大抵はその通りになる。だが、それに見合う対価がお前になければことごとく失敗するだろう。」
そう悪魔は囁いたが、止まるわけにはいかなかった。俺は分かった。と短く答え、目を瞑って深く、そして様々なことを願った。姉との幸せの日々、姉の元気な姿、動くことに不自由のない体。契約に齟齬が生じないように。
そうするとまた杭に貫かれたような衝撃と共に今起こった現実が頭の中に弾ける。この衝撃は事実の改変によるものだと知った。頭に流れきた情報によって姉の体は見事に回復したことが事実だと解る。しかし
「いや、そんな筈は。なんでだよ。」
代償として奪われたのは姉の「声」だった。それは何よりも姉が生きがいとしていたもので、彼女の歌声を聞くのは俺自身が何よりも好きなことでもあった。彼女もその声と共に強く生き、俺に歌声を披露し、感動に目を輝かせる俺を見ていつも喜んでくれた。そんなかけがえのないものを代わりに奪われたのだ。
「おお、安く済んだんじゃないか。」
悪魔は笑ってそう言う。とんでもない。こんなの望んだものではない。姉の声は、歌声はいつも癒しで、俺たちの日々に必要不可欠だったんだ。姉にとって声は、生きる理由にもなる大きな要因の一つだった。なぜ、俺からは何も奪われないのだ。いっそ、俺が寝たきりになるようなことの方がマシだって言うのに。
「納得できない。彼女の声をもとに戻したいんだ。もう一度契約してくれ。」
俺は手を伸ばし、必死に悪魔にそう訴える。相手が悪魔なら情などあったものではないと知りながら。
「それはできん。契約文を思い出せ。一度行った契約と同系列の契約は不可能だ。今回お前は誰かの「回復」を願った。声を戻すというのも同じく「回復」に該当する。」
悪魔が淡々と答える。完全に失念していた。今回のこともそうだが、もう二度とデントを蘇生することもできないと知る。
「なぜできないんだ。」
聞いても仕方ないが、何より納得できなかった。それができないなら、できないなりの理由づけが欲しかった。
「教えてやる。世の中にはもっと狡猾な奴もいてだな。同系列の契約をし続ければ矛盾が発生してくることに気づく奴が出てくる。ごくごく単純にして考えろ。その人間にAという大切なものと、Bという大切なものがあるとする。これらは完全に同等で釣り合うものだ。その人間がAというものを傷つかない性質にした後に、Bというものにも傷つかない性質を持たせたらどうなる?答えは簡単だ。契約時に互いが干渉し、契約が成り立たなくなるからだ。天秤に何かを掛けるという行為が、その者のリスクを減らせば減らすだけ、我々の契約の意味はなくなっていくのだ。」
悪魔の説得力のある話にぐうの音でない。俺も契約し続ければそういう考えに至るようになっていただろうから。しかし、その中で引っかかる点があった。
「じゃあ、金輪際姉に手が及ばぬ様にすることはできるのか?」
その活路を見出し、俺は尋ねてみた。
「できるとも。前にも言った通り契約を一度に数回行える。代償は別だがな。」
そうしたかったのが本音だったが、怖かった。天秤に掛けるという表現がそのままなら、交渉は同時に行われるのだから。となればまたその過程で姉から何かを奪われる可能性は非常に高かったからだ。俺が姉に対する愛を大きく持っているのであれば、その対価も重くなるはずだ。そして、その裁量は自分では決められない。いくら俺の身が滅んでもいいと願っても、奪っていくモノを決めるのはあちらなのだ。
「今回はやめておく。今日のところは引き上げる。」
今すぐ決断できるようなことではなかった。それに姉は本当の意味で生き返ったのだ。その感動を分かち合いたい。
「分かった。お前が望むのならば、いつ何時も契約を交わそう。」
そう言うと悪魔はこの前と同じく霧散し、俺は元の部屋へと戻された。
俺は急いで地下の階段を駆け上がり、リビングへと向かった。リビングのドアを勢いよく開けると、物珍しそうに立ち上がって全身を眺める姉の姿があった。感動に胸がはち切れそうになりながらも駆け寄り、思いっきり抱きついた。
「姉ちゃん、会いたかったよ。こうやって一緒に居られる日がまた来るなんて。」
姉は俺の頭を優しく撫でてくれたが、きょとんとして状況が呑み込めていないようだった。俺は筆談が必要だと判断しメモ用紙とペンを、姉、「ノース」に渡した。
(私、死んだんじゃないの?)
姉は自分がしゃべることが出来ないことを早くも理解しているようで、それらを受け取り、素早く書いて俺に渡した。
「俺が生き返らせた。信じがたいかもしれないが本当の事だ。今までの事を全て話すよ。」
俺はそれから今までの事を話し始めた。姉は俺の真面目な顔を見て、冗談ではないと理解し、相槌を打ちながら聞いてくれた。俺は姉が死んでから一年が経ったことと、悪魔との契約のこと、そしてそれによって失ったもののことを話した。話し終えると姉は俺をぶつように手を挙げたが、そのまま下ろし、抱きしめてくれた。そして離れてメモをとり
(ありがとう。それでもいけないことだって理解してよ。でも必死にここまでしてくれたのは伝わった。)
と説教をしたが全面的に否定することは無かった。俺は姉の元気な姿を見て、声を失ってしまったのは確かに軽く済んだと思ってしまった。生きがいを奪われた彼女が、この先どれだけ苦しむかということは考慮できなかった。これからの暮らしはどうなるのだろうか。姉の歌声は評価され、歌手として生計を立てていたこともあった。それを奪われた彼女は、何を思い、生きるのだろうか。俺たちに待っているのは本当に明るい未来か。そう思いながらも目の前の奇跡に感動し、深く考えることはなかった。
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