第5話 透明少女
「ねえ? どこからきたの? 何て名前言うの? その長いモノは何? なにするの? 海とか見るの? の?」
バスに乗っていた。ガタガタと揺れる車内。ミシミシと軋む狭いシート。隣には髪が金糸雀色の少女が不思議そうにこちらを見つめている。初めて会ったあのときのように。言葉をかわしたあのときのように。時間が戻ったみたいに感じる。先程まで剣で戦い、戦死したのが嘘だったかのように。でも、確かに感覚は残っている。あの痛みは忘れていない。不思議な感じだ。
生き返ったのか?
いや、同じ状況を繰り返しているのだとするならば、生まれ変わった、が正しいのか。生まれ変わる。そんなことが現実に起こりうるのか。では今の状態は。一度剣に刺されて死亡し、目が覚めたらバスに揺られていた。これを何と説明できよう。いや、できない。説明できない。では、あの世界そのものがやはりおかしかったのか。あるいは自分自身がおかしくなったのか。ああ、例えば死神になったとかな。人間じゃなくなったのなら、それは納得の行く説明だ。人間の常識には当てはまらないのだから。
「私は名を青宿《あおやど》と言う。仕事を探してバスで旅をしていた。君は学生か?」
「そう! 高校2年! 私は
「ああ、学生じゃない。宛も、身寄りもない、その日暮らしの旅をして過ごしてる。年は、同じぐらいかもしれないが」
懐かしいやり取りだ。そう感じる。それから二、三言葉をかわして彼女はバスを降りた。俺も同じところで降りた。そこはあのラーメン屋だった。なるほど、今であれば彼女がここで途中下車した理由がよくわかる。
「ただいまー!!」
「おかえり、祈鈴。あら、お客さん?」
「どうも」
「青宿さん。バスで隣になったの、ね?」
「ええ。すみませんが、しょうゆらーめん一ついただけますか」
「え、ええ。はい、もちろん。……ありがとうございます。しょうゆらーめん入りましたー」
今度は違うことをして見る。前回と同じ世界で異なる行動をして見る。ここが同じ自殺者のやり直しの世界だと言うのなら。仮に、この世界全てがあの死神を名乗る彼女の言葉通りだとしたら。俺のこの異なる行動は違う結果をもたらすか。ただそれを知りたくて。
※ ※ ※
「青宿は敵だったんだね」
「ああ」
「やどりんは敵さんだったのかー」
「そうだ」
「ねえ、本当なの。青宿。私達あんなに楽しくーー」
「そうだ。俺は死神だ。世界に逆らう者を罰するために存在している」
「旅人さん……」
旅人。祈鈴はそう呼ぶようになっていた。以前と異なっていた点があるとするならば、それは祈鈴が俺のことを旅人と呼ぶことだけだった。大した違いはない。ホームレスと呼ばれていたほうがまだ良かった。父さんとふざけて呼ばれていたほうがまだ良かった。
「お前たちは普通に生きろよ。じゃないと俺がお前らを殺さないといけなくなる」
じゃあな、と。
俺は背を向けてアジトから姿を消した。
学校の校舎には生徒会室という部屋がある。文字通り生徒会が使用する部屋なのだが、この世界に生徒会はいない。委員会もいない。特別な生徒は誰もいないのだ。だから、形だけの部屋。俺はそこに引きこもることにした。
窓からは体育で走っている祈鈴の姿が見えた。ああ言う彼女がそうなのだろうか。それをなんと言うのだろうか。きっとそれは透明少女。
いてもいなくても変わらない存在。いなくなっても見向きもされない存在。声をかければ挨拶を返してくれるが、繋がりはそこにない存在。透明少女。ここに生きる彼女たちのことをそう呼ぶのだということを、この部屋に籠もるようになってからようやく気づいた。彼女たちだけが特別なんじゃない。彼女たちは普通であろうとしているのだ。世界に迷い込んだのではない。普通の世界で生きることができずに自らを殺め、この世界でようやく普通に生きられたのだ。そういう人生だったんだ。そうそれが透明少女。
人生の主人公ではない。世界の隅で、名前があるかも怪しい登場人物だったに違いない。名前すらなく、透明少女そのものだったに違いない。彼女たちが現世でどのように生きて、どのような生活をして、どのように死んでいったのか。そういう話は二週目だというのに一切しなかったが、きっとそんなんだっのだろう。
ただ五人で笑っていただけだった。
だから二週目とか、関係なしに、別れのその時まで本当のことは何も話さなかった。世界の不思議をさがしていたかった。ずっと探していたかった。そのままでいたかった。でも、それはできなかった。世界を知れば、自ずと普通と普通じゃない違いが出てきて、そして死神の存在へとぶち当たる。だからそのままではいられない。これまでの関係ではいられない。俺は世界の側の存在で、数多ある迷える魂を管理する側にいるのだから。もう、人間じゃないのだから。
しかし、夜になると眠くなるし、時間が立つと腹も減ってきた。普通の人間は働く。またはその家族であれば衣食住には困らない。俺の管轄であるこの学園に通う学生でも昼は弁当か小遣い握りしめて購買へ向かう。死神に給料はないらしい。仕事があってもなくても、銀行の残高が増えることはなかった。仕方ないので、その点だけはあの四人に頼らざるを得なかった。監視する名目で会い、言葉をかわさずにものだけを受け取る。なんとも寂しい場であった。その日も週に二回の食料の日であった。餌付けされている感は否めないが、しかし俺には先輩死神がいない。見本がいない以上暮らしは自分でどうにかするかしかなく、こうして餌付けされるしかないのだと思った。
「……はい。これ」
袋にまとめて入れてくれた食料を受け取る。レトルトやインスタントなものから生鮮な果物まで多種多彩だ。水桜と祈鈴は店と称して商いをしているから全くの無収入というわけではないだろうが、しかし六合東と海星はどうしているのだろう。アジトには十分の食料があったとはいえ、それも有限である。四人については、少し心配に思っていた。
「ねえ、また一緒に暮らせないのか……?」
六合東が尋ねる。上目遣いで、心底残念そうに。今の状況が悲しいことであるかのように。死神としての監視任務という名目で、またともに過ごすことはできる。だが、俺はもう人間じゃない。たとえ彼女たちに救いのみちがあったとしても、俺はそれを断絶しなければならない。彼女たちが世界からの脱出が可能になったとしても、俺はその可能性を消さなければならない。この世界では普通でいることを強制し、強いることのみでしか俺は関われない。そういう存在で、立場だと理解してしまったから。それならば、共に過ごして気まずい雰囲気や関係で過ごすよりかは、顔を合わせないほうがまだ幾分かマシなように、そう思えたのだ。そのうち俺は睡眠欲も食欲もなくなるだろう。まだ人間の部分が残っているうちに、なんとかしてあげたい気持ちはあるが、しかしそれが未練として永遠に残ってしまうことを、俺は恐れているのだった。
「またな……」
結局俺は彼女たちが透明少女だという事実に気がつけなかったのだ。
透明少女編 了
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