第2話 秘密基地
「なぜだ」
なぜだ。
「どうしてだ」
どうなってるんだ。
ラーメンしかメニューにない店を出て隣町へ歩き始めてから数刻。
景色が変わらない。
なんども同じ景色を繰り返している。
そしてそれは、町と隣町の境目から一歩外へ出ると起こるようだった。それはつまり、町から出られない。……出られない?
バスにも乗ってみた。しかし同じであった。バス停で待っていると、一駅で終点。降りたところは乗った場所と全く同じ停留所。運転手を捕まえて問い詰めようとしたが、無言であった。
気味が悪かった。
普通じゃない。少なくともこの状況は普通じゃない。
「暑いな……」
陽射しの強さだけがまともだった。そうでなければ俺の頭がついにおかしくなったのだ。幻覚を見るほどまでにおかしくなったのだ。それこそ町から出られないとか言い出すくらいに。空腹のせいだろうか。確かに腹が減った。今は何時だ? アナログ腕時計を見る。長針と短針の間をせっせと秒針が動いている。昼を一時間と少し過ぎている。スマホも携帯もガラケーもないので、これだけが頼りだ。文化的な情報はラジオで聞くのが全てだし、あとはコンビニの雑誌新聞立ち読み。少なくとも最低限度の生活は送れていない。
「戻るか……」
俺は不覚にもこの町に留まることになった。おいかけても、おいかけても届かないほど広く大きな夏空の日に。渚以外に波すら立たない穏やかな海辺の小さな町に。
※ ※ ※
「イチ、ニ。イチ、ニ、サン、シ……」
学校。文字がかすれて読めないが、高等学校のようだ。体育の授業だろう、男女体操服にて走る生徒が目に入る。夏の日の体育に良い思い出はない。小学生の頃はまだ学校に通っていたので、体育というものがどのようなことをするのかぐらいは知っている。そして、夏の暑い日に千五百メートル走らされたとき、倒れた記憶も鮮明に残っている。あれは意味がわからなかった。
「苦労してるな」
そんな集団を見ていたとき、ふと一人がその集団から抜け出し、運動中らしいひとつ結びのポニーテールを揺らしながらこちらへ向かって走ってきた。金糸雀色のあの特徴的な髪色はここ数日は、忘れることがないだろう。
「青宿さん、こんにちは! どうしたのかな? 祈鈴に会いに来たのかな、な?」
「阿呆。俺はそんなに暇じゃない」
「いて☆」
「それよりこんなところで油売っていていいのか。授業中だろう」
「うん、まあね。普通じゃないから、この学校」
普通じゃない? 確かに授業を抜け出してきて、それを叱ったり追いかけてきたりする大人がいないのは妙だが……。
「体育も疲れちゃったし、休もうかな、な?」
「いいのか、そんなことして」
「うん、まあね。普通じゃないから、この学校」
「またそれか」
「………来て」
俺は戀風の見せた一抹の寂しそうな表情を見てしまい、それ以上は軽口を叩くこともできなくなってしまった。無言で敷地内に入っていったが、教師も生徒たちも、誰一人としてこちらに注意を向けることはなかった。誰も、何も言わない。確かにこれは異様な光景だ。普通に授業
校舎の裏側にある体育館の裏に来た。大きな木が二本生えているせいで鬱蒼としていて薄暗く、人目につきにくい。気温も少し下がったように感じで、幾分涼しく思う。
体育館に寄り添うように、一つ大きめの穴が空いていた。人工的で、落とし穴やマンホールの穴よりも綺麗に見える。そして明るい。そんな穴だ。
穴には階段が掛けられていた。それは下へ下へとどこまでも続いているかのようで、誘うような恐ろしさを一部では感じ取れてしまうほど続いている。
「ここを行くのか」
「みんないるんだ。授業に出ないときはみんなここにいるの」
「みんな?」
それ以上言葉はなかった。黙ってついてこいということか。
階段を降りていく。掴んだ手を下の段にかけ、体を縮こませて、下を見、戀風が先行しているのを確認してから足を下の段へと降ろす。繰り返す。掴んだ手を下の段にかけ、体を縮こませて、下を見、戀風が先行しているのを確認してから足を下の段へと降ろす。繰り返す。やがて階段側に別の通路ような円形の穴が見えた。戀風はすでにその中をよつん這いで進んでいる。スカートの中が見えないか心配であったが、下が下水道の水になっていることと、戀風を見失いそうになることが同時進行したため、急いでその穴へと体を追いやった。
穴を抜けるとしばらくは無機質なコンクリの通路が続いていた。電気は裸電球が所々にあるのみでだが、至って明るい通路だった。見通しも良い。古く風化している様はなく、使い古されている中古感が感じられない新品のような通路。
「ここだよ」
そのデジタルな通路に似つかわしくないアナログなドアがその部屋の入口だった。取っては一つ。可動不可で『PUSH』と書かれているので、押して開けるタイプのドアらしい。よく見ると木製で、ところどころほつれており、角のほうがそのような傾向にある。傷もあちらこちらについており、年季を伺わせる存在だ。戀風が扉を押して開けると、中からは珈琲のいい匂いがした。珈琲豆を引いたときのふっと香るあのなんとも芳醇で香ばしく、芳しいなつかしの香り。香りの主はこちらに背を向けて、低いテーブルと背の無いクッションのような椅子に座って挽いていた。年齢は戀風と同じぐらいの女の子。戀風より髪が短く、黒髪で美少女であった。
「こんにちは、
「そうだよ、祈鈴。奥にあったから試しに挽いていたが、何とか飲めそうだ。……あれ、そちらの人は誰だい?」
「突然お邪魔してすみません、俺は青宿と言います」
「青宿さん。ああ、年齢も近そうだし、
「……
「あれ。説明してないのかい、祈鈴」
「う、うん。ごめんね、ね?」
室内は今は使われていない古いバンドハウスのような内装で、あちこちにわからないアーティストのポスターやら落書きやらがある。電気は二、三個しかなく、先程の通路に比べると薄暗い。他に人はいないが、荷物はもう数名分ありそうだった。
「この世界がおかしいことは、もうわかっているのかな?」
「それは、なんとなく。まず、出ることができない」
「そうだね。出れない。もう一つはこの世界には普通の行動だけをする
「その、もう少しわかりやすく頼む」
「僕と青宿さん、祈鈴は人間。他の人たち、つまり学校のその他の生徒や教師たちはロボットみたいなイメージかな?」
「ロボット、」
「そう。ロボット。朝起きて、学校に行って、授業やって、それから帰って寝る。普通の行動を、決まりきった流れでのみ行う人たち。だからロボット。だから普通じゃない」
なるほど。よくわからないが、なんとなく理解した。すると起こる根本的な疑問が一つ。
「いつの間におかしな世界になってしまったんだ?」
「いやいや。世界のほうが変わったんじゃないよ。祈鈴や青宿さんが不可思議な世界に迷い込んだんだ。そして、ここにいる僕らはその謎と元の世界への戻り方を探している。ここはいわば秘密基地のような場所さ」
「秘密基地」
そうだよ、と六合東と呼ばれた彼女は言う。彼女でいいんだよな?
「改めまして、
「
「じゃあ、青宿くん。よろしく」
黒髪短髪な美少女と握手。
「そうすると……戀風、祈鈴だっけか。この間の仕事の話と透明少女の話はこの不可思議に関連しているんだな」
「ええと、仕事のことはそうだよ。透明少女の話はまた別。引き受けてくれると嬉しいかな、な。金庫にお金あったよ気がするから、お給料は払えるかな、な?」
「待ってくれ。透明少女の噂話は違うのか?」
「うん。それは学校の友達から聞いたの」
「友達?」
「さっきのロボットの人たちだよ。戀風は友達だと思っているみたいなんだ」
「普通におしゃべりできるよ、よ?」
「そうか……なるほどな。うん、仕事、か。ちょっと、考えても」
二人同時に頷く。その仕草は、なぜだか可愛く見えた。
さて、不可思議の方はだいたい掴めてきた気がする。どうやら出口のない世界に迷い込んだこと。ロボットのように生活をする人たちが住んでいること。それとは別の人間、つまり意志を持って行動する俺や祈鈴は不可思議な世界に迷い込んでしまった人間であるということ。ここをアジトに脱出方法を探しているということ。仲間が他にもいること。……そういえばあと誰がいるんだ?
「いないのは神北さんと、ヒトデちゃんだね。僕と祈鈴を合わせて四人だったから、悠人を入れて五人になるね」
「神北……神北水桜」
「あれ、神北さんとも知り合いなのかい?」
「ああ。表の通りでらーめんを作ってもらってな」
水に桜で
「祈鈴の店か。なんでも、迷い込む前の世界にも同じような店で働いていたらしいよ」
「神北が?」
「いや、祈鈴の方だよ。看板娘と言うやつだね」
「ふーん」
祈鈴は照れたようにしている。恥ずかしそうに手を後ろにやって、なよなよと体をさせている。
「ただいま〜。って、あれ? お客さん?」
そこに現れたのは、絶賛噂中の神北水桜本人であった。
「お邪魔してます、神北さん。ちょうど六合東さんからメンバー紹介をされていたところで」
「ふーん、じゃあ祈鈴のボディーガードやるんだ」
「あっ! 水桜ちゃんヤキモチだな、な?」
べしっ! と神北が祈鈴を叩いて突っ込む。いい音がした。良いツッコミだ。
「誰がよ! あんたの保護者役ができたんならそのほうが楽でいいわよ! ふん!」
「あいたぁ……ふぇぇ」
残り三人が声を上げて笑う。
こんな雰囲気は初めてだった。こんな人間関係は初めてだった。なんか、いいな。そう思った俺は、斯くして新たな仕事と生活を仮にも手に入れ、不可思議から脱出のための仲間と拠点を構えたのだった。
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