第6話

彩葉いろは、これ美湖みことちゃんとお兄さんにお渡ししてね」

 おかあさんが、手土産を持たせてくれる。洋菓子店で買った美味しい焼き菓子の詰め合わせだ。


 土曜日の今日は、美湖ちゃんと遊びに行って、そのままお泊りするんだ。


 美湖ちゃんは、数年前に福岡から仕事のために上京したお兄さんと一緒に住んでいる。年の離れたお兄さんはアラサーで、パリッとスーツを着こなしていてかっこいい大人、って感じ。


 着替えはあるか、忘れ物はないかおかあさんにしつこくチェックされる。準備していると、弟の莉朋りともがソワソワとリビングに入ってきた。


「莉朋、どうしたの?」


「いや、べつに……」


 私の準備する様子をきょろきょろと伺っている。美湖ちゃんが、お兄さんの運転する車で私の家まで迎えに来てくれると知っているので、落ち着かないみたい。そりゃ、推しが自分の家に来るなんて異常事態だよね。


 もちろん、「私的交流はしない」莉朋は会わないつもりだけど。それでも緊張するのはわかる。


 美湖ちゃんとは家が近いのもあって、レッスン以外の日に遊びにいくことが多い。


 研修生は全国から集まってきているものの、デビューが決まらない限りはみんな上京しないでそれぞれの家から通うのが一般的だ。レッスンは東京だけじゃなくて、大阪・愛知・福岡でもやっていて、家から通えるところで受ける。東京に全員が揃うのは、ライブ前だけ。


 しかし、美湖ちゃんは違った。


「時間がないから、できるだけ多くのレッスンに通いたいしチャンスを掴みたい」


 美湖ちゃんは、デビューできるかわからない中で、覚悟して高校を転校してまで東京に引っ越した。東京近郊に住んでいると、イベントやユーチューブ動画の撮影があった際は呼ばれることが多いんだ。


 私は一番事務所に近いところに住んでるのに全然呼ばれないけど、美湖ちゃんは頻繁に呼ばれている。


 美湖ちゃんが引っ越してくれたお陰で、たまたま事務所近くのおうちに住んでいて私とは車で十分程度の距離に住んでいるご近所さんになったんだよ。


 ピンポーンと、家のインターフォンが鳴った。


 画面の向こうに、美湖ちゃんがいる。莉朋の方を向くと「推しのプライベートを見てはいけない」とブツブツいって目をぎゅっと閉じている。可愛い弟だ。まあ、至近距離で見ちゃったら、興奮して倒れちゃいそうだもんね。


「莉朋、行ってきます」


「いってらっしゃい!」


 莉朋は目を閉じたまま、ぶんぶん手を振った。


 おかあさんと一緒に玄関を出て挨拶し、そのまま美湖ちゃんちの車の後部座席に座る。


「お兄さん、こんにちは! 今日はよろしくお願いします」


 私の挨拶に、お兄さんは運転席から振り返って満面の笑みを見せてくれた。


 美湖ちゃんのお兄さんだけあって、モデルみたいなスラっとしたスタイル。芸能関係の仕事は一切していないというのが信じられない!


「こちらこそよろしくね。美湖の遊び相手になってあげてね」


「もう、兄さんたら」


 後部座席に座る美湖ちゃんは、なんだか恥ずかしそうに自分の指先をもじもじいじっている。


「彩葉ちゃんはいつも元気で明るいね。これぞアイドル! って感じ」


「ありがとうございます! 明るいだけが取柄です」


「明るいだけじゃないよ。彩葉ちゃんの魅力は他にもあるよ」


 真顔で、美湖ちゃんが言ってくれる。


「ありがと!」


 実際、歌もダンスも全然だし、今のところアイドルとしては明るさしかないんだよね……という悩みは、今日は封印。


 せっかく美湖ちゃんと遊べるんだし、暗い話題はしたくない。


「美湖は人見知りなところがあるから、彩葉ちゃんみたいに元気でぐいぐい引っ張ってくれる子がいると助かるよ」


 お兄さんは、上機嫌に車を発進させた。


 普通、妹の友達の送迎をアラサーの男性が好んでするとは思えない。それでも積極的にやってくれるのは、「極度の心配性だから」らしい。


 だからレッスン場へのお迎えも、可能な限りやってくれているんだって。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る