きっかけ

―3日後―


「このくらい治れば、もう学校、行けそうだね」


君は、私の口元に絆創膏を張って、言った。


「うん。やっと、また高校生に戻れる。喧嘩した野良猫だったから!」


「あはは! 燈は、本当に野良猫みたいだもんな!」


君は、この4日間で、とてもよく笑うようになった。本当に、とても。私が、それをどれだけ嬉しく思っているか、君は、知らないだろうな。知ってもらっちゃ困るんだ。君への想いが溢れてしまうから。


「野良猫って! その野良猫のおかげで、君は狂犬病から逃れられたんだよ!?」


「分かってるって! ありがとう!」


君は、あれ以来、私に、ひっきりなしに『ありがとう』を言う。もう、お腹いっぱいだよ。ありがとう。


「さ、学校行こう!」


君の方から、私を先導する。君って、そんなに活発だったっけ?時間だって、まだ十分始業時間まであるのに、駅まで私をせかす。


「ねぇ、学校、楽しい?」


「うん!」


「そっか。そっか」


君が、余りに上機嫌だから、私も、上機嫌。


「終電まで、時間潰すの大変だったし、下手したら補導されちゃうし、そうしたら、あの人(母親の事らしい)に、また殴られるし…。もう、逃げ場が本当になかったんだよ。でも、燈が、本当に、燈を灯してくれた。ありがとう!」


まただ。『ありがとう病』。こんな、嬉しい病気にかかってくれて、本当に良かった。君のありがとうは、『好き』より、嬉しいかもしれないな。でも、やっぱり、ちょっと、聞きたかった。君の口から、ちゃんと。


「……ねぇ、君、一つ、聞きたいんだけど」


「何?」


「私は、君の、『友達』になれた? 『友達』って、思ってもいい?」


「…………」


君のあまりに長い沈黙と、その表情に、私は、らしくもなく、ちょっと、怖かった。


「……何言ってるの? 友達でも何でもない人に、僕は笑顔なんて見せない。『ありがとう』なんて言わない。一緒に登下校したりしない。好きな人を打ち明けたりしない。一緒に……暮らしたりしないよ!」


君が、初めて怒った。とても、優しい怒りっぷりだったけど。


「……そっか。良かった! 私、君の友達なんだね!」


「当たり前だろ? 友達より、ランク、大分上だよ!!」


「ランク? 友達以上のランクって何?」


「『スーパーマン』!!」


君は、これ以上ない褒め言葉を、私にくれたつもりなんだろうけど、それは、心底分かったけど、ちょっと気に喰わない。だから、そのまんま、訂正した。


「こら! それを言うなら、『スーパーウーマン』でしょ!? こんなに可愛い女の子を、男呼ばわりするな!!」


「あ……ごめん……」


「ふっ……」


「くっ……」


「「あははははは!」」


私と君は、駅までの15分、大笑いした。通勤通学の時間に、こんなに朝から馬鹿笑いしている2人を見て、他人ひとは、どんな風に見るんだろう?


『楽しそう』? 『朝からうるさいな』? 『何がそんなに面白いんだ』?


何でもいいや。君といれば、君と、少しでも、長くいられれば、そして、その時間のほとんどを、笑顔で過ごせるのなら、これ以上の幸せはない。




私の、が、この時間を、奪う、その時まで、少しでも長く、少しでも多く、君の隣で笑っていたい――……。








「香葡! 行ったよ!」


「オッケー! はい!!」


ドスッ!


相手側から叩きつけられたスパイクを、香葡さんは、楽々とレシーブして見せた。


これは、君と私が一緒に暮らし始めて、1週間後の放課後の風景。体育館では、バレー部と、バスケ部が、スペースを半分ずつにして、練習をしていた。この高校の女子バレー部は、名門として名高く、香葡さんは、そのエースだった。サウスポーで繰り出される多彩で、ダイナミックなスパイクは、目を見張るものがある。それだけではない。リベロ並みのレシーブセンスも持っていて、170㎝くらいで、その体を、柔軟な体で支え、低く構えると、あらゆるスパイクを、難なく拾って見せる。


「格好良いね、香葡さん」


「……うん……。……ねぇ、回廊にいるのやめようよ……。目立つ……」


「目立ちなさいよ! 香葡さんに好印象与えるには、まずは交わらないと!」


「ま! 交わるってなに! 無、無理だよ? 話すとか、近づくとか、絶対無理だからね!」


「……この腰抜け……」


「……」


君は、少しムスッとしたね。




「ねぇ、良い加減教えてよ。香葡さんと何があったの? 何で香葡さんを好きになったの?」


「……どうしても……言わなきゃダメ?」


「ダメ! 君、恩を着せる訳じゃないけど、君は、大分、私に救われたよね? 君の為に、私は、この可愛い可愛いお顔やお体を、無茶苦茶にして、闘ったわけだ。その私に、大事な大事な『友達』に、隠し事をする気? こんないいアドバイザーに、『秘密』を作るの? しかも、私の得意分野、『恋』に関する事で。言わなかったら、もう私が、告白してきてあげるよ?」


「うわー!! 分かった!! 分かった!! 言う!! 言うから!!」


「ふ。やっと腹をくくったか。遅いんだよ、君は。本当に往生際が悪いよね」





そして、君は、やっと、朝比奈香葡さんとのなれそめを話し始めた。




「一年生の時、僕と朝比奈さんは同じクラスだったんだ。僕は最初、特に朝陽杏さんを意識していた訳じゃなかった。でも、ある日の放課後、僕は、体育の先生に言われて、体育倉庫の片づけをクラスの数人で手伝ってたんだ。その時――……」


「その時?」


「朝比奈さんのスパイクが、体育館を歩いてた僕の顔面に直撃して……、僕、気を失っちゃって……」


「へー……、災難だね……」


「うん。でも……」


「でも?」


「気が付いたら、朝比奈さんが、僕の頭を膝上に抱えてくれてて、おまけに、ハンカチで、ずーっと冷やしていてくれてたんだ……。後で聞いたんだけど、その時ちょうど、保健の先生がいなくて、でも、朝比奈さんが、的確に処置してくれたから、僕は、大事には至らなかった……っていう…それだけだよ…」


「それで、恋に墜ちた、と」


「……う、うん……まぁ……」


「素直で、可愛い理由だねぇ……。まるで中学生みたい。でも、その膝の感触、忘れてないんでしょ?」


「あ、それはもう……! もごっ!!」


「君は、見かけによらず、スケベだね」


「そ! そうじゃないよ!!」


「柔らかい、とか、いい匂い、とか、思ったんでしょ?どうせ」


「う……」


君は、図星だったみたい。


「それで? その後はどうなったの?」


「……」


私がからかったせいで、少し、君は話の間を開けた。


「……ごめんね……って。こんな気絶させるような事してごめんね、って。私がもっと周りを気にしてれば、って。橘君にこんな痛い想いさせちゃってごめんね、って。朝比奈さんは、泣いて謝ってくれたんだ…。こんな、クラス一緒だって知っててもらってただけでも驚いたのに、名前まで、知っててくれたから。なんて、優しい人なんだろうって、本当に、思ったんだ。すごく、痛かったけど、嬉しかった……」


君は、そう言うと、鞄の中から、何かごそごそしだした。


「?」


私は、不思議そうに、一体何が出て来るのか、眺めていた。すると――……。


ごそっ……。


「……ハンカチ?」


「うん。その時、朝比奈さんが、これ、お詫びにもならないけど、良かったら、もらってって、言って、渡してくれたんだ。……僕の、宝物で、お守り……みたいなもの……かな?」


君は、今まで、私に見せた事の無い、微笑みを浮かべた……。


「へー……。君らしい、可愛いきっかけだったんだね……」






私は……そう、言うしか、無かった。


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