君
君は、電車の中で、ヘッセの車輪の下を読んでた。もう外は真っ暗で、終電の電車の中、ガラガラなのに、座りもせずに、つり革に左手を絡ませ、右手で、器用にペラペラページを1枚ずつ捲ってゆく。
(こんな時間まで、高校生が何してたのかなぁ?)
私は、私も高校1年生だという事をすっかり放って置いて、そう思った。ん?なんで、私がその人を高校生だと分かったかって?
制服が、同じだったから。グレーのブレザー、赤と薄青のストライプのネクタイ、緑と紺のチェックのズボン。そして、黒縁のメガネ。
君は、地味だった。人の事言えないけどね。
その時の私は、腰まであるロングの黒髪をただ後ろで束ねて、ネクタイはみんな緩めているのに、私は、ちゃんと締めていて、君と同じ、メガネ。黒縁じゃなかったけどね。でも、地味なメガネだったよ。スカートは、女子はみんな膝上15㎝くらいなのに、私は、膝が隠れるくらいの長さ。別に、太ってるからとか、恥ずかしいからとかじゃなくて、何をするにも、自分に自信が無かったの。
だから、『運命だ!』って思ったのに、どうしても、話しかけられなかった。
そっと、車両のぎりぎりまで近づいて、そぉっと、君を見てた。それなのに、君は、私にまったく気づかず、車輪の下を読み続けてた。
でも、びっくりしちゃった! 降りる駅まで同じなんだもん。でもって、向かってゆく方向も同じ。
(なんで? 何処まで一緒なのかな? もしかして同じマンションだったりして……なんてね)
私は、君の後ろで、ペロッと舌を出した。なのに……、本当に同じマンションなんだもん。びっくりしちゃった。
私は、少し躊躇ったけど、一緒のエレベーターに乗った。
ドキドキしたなぁ……。君は、なーんも感じない、みたいに、って言うか、感じてなかったんだろうね。本当に。私なんか、眼中になかったよね。私だけドキドキして、恥ずかしかったな……。恥ずかしい、って思ってる私も、恥ずかしかった。
エレベーターに入ったら、君は、当たり前のように言ってくれた。
「何階ですか?」
って。
嬉しかった。とーっても、嬉しかった。
「あ……きゅ、9階です」
そう私が言うと、
ポチ。
と、9階のボタンを押してくれた。君は、12階だった。見えちゃった。ごめんね。まるでストーカーみたいだな……って思ったよ。
ずーっと、ドキドキしながら、エレベーターから降りるとき、ちょっと酸欠になるくらい、息が出来なかったなぁ……。君のせいだよ?だって、そぉっとドアに手を当てて、エレベーターの扉が閉まらないように、押さえてくれてたから。その優しさに、どうしても、言いたかった。
「あ……、ありがとうございます」
(言えた!)
「いえ」
君は、そう言っただけで、顔色一つ変えなかった。どうでも良かったんだよね。私の事なんて……。分かってたけど、分かったけど、それでも、君が、どこからどう見ても、地味な君が、その時、私の、スーパースターになったんだよ。
ウィーン……。
エレベーターの扉が閉まった後、私、こんな小さな事で、ガッツポーズしたんだよ。それってやっぱり、馬鹿みたいだよね。
でもね、君。それ、君が馬鹿にしちゃだめだよ? だって、これは、大切な、大切な、私の、初恋だったんだから――……。
「あ!
「?」
君の名前を、私は、思いっきり叫んだ。君は、訳が分からない。一体、お前は誰だ? って顔で、私を見たね。でも、それで良し。まずは、第一印象、元気で、明るくて、あけっぴろげな自分を、演じてみたかった。
髪型も、バッサリ切って、君は……どっちが好みだったか、分からなかったけど、ボブにして、カラーもして、明るい茶色にした。メガネも、コンタクトにして、お化粧も、スマホで覚えた。眉毛整えて、まつげパーマして、怖くならないように、ブラウンのマスカラにして、チークも入れた。リップも、可愛いピンクを塗って、スカートも、膝上にした。ちょっと、恥ずかしかったけど。救いだったのは、私が入学して、まだ、半月も経っていなくて、ほとんど、通っていなかったから。イメチェンが、そう難解な事ではなかった事。
私が、橘哩玖と叫んだのは、初めて会った時の電車の中だった。電車の窓に、私と君の顔が映ってたね。君は、とりあえず、こう私に尋ねた。
「だ……誰? 君……」
「えー!! 憶えてないのぉ!? 薄情者!!」
「会った事、あったっけ?」
とんでもなく、君は、驚いていた。
「君、憶えてないの? 本当に?」
「……う……うん」
「3日前の終電の電車の中、君、つり革につかまったまま、眠ってたよね?」
「あ……あぁ……」
何やら、君は思い出しかけていた。
「その時、降りる駅で、起こしてあげたの、誰?」
「え……あ……あ! あの時の!?」
3日前、私は、何とか、変身に間に合っていた。だから、君を、起こすことが出来たんだよ。そんな事も知らないで、忘れてるなんて、信じらられない!……なーんて。怒る気なんて、まったくない。だって、思った通り、君は、私を思い出してくれたから。
「あ、あの時は、ありがとう」
君は、笑顔も作らず、言った。
「何? そのお礼」
「え?」
「もっと心込めてよ! 私、自分の駅、通り越してまで起こしてあげたんだよ?」
「……な、なんで、僕の降りる駅、知ってたの?」
しまった……。恋なんてした事の無い、男の子慣れなんて全然してない私に、嘘は無理だったみたい。でも、そこは、頭の良い私。すぐ、解決策を思いついた。
「1週間前、ちょっと君の降りる駅より先の駅に用事があってね、その時、君が下りる駅を知ったの」
「そうだったんだ……。てか、同じ高校なんだね。何年生?」
「1年生!」
「え!? 俺、2年なんだけど!」
「だから?」
「だからって……、なんで……名前呼び捨てで、ため口? てか、名前、なんで知ってるの?」
「ため口駄目?」
「駄目って……。一応、年上なんだし……敬語くらい……」
「敬語ぉ~? 何言ってんの? 私、恩人だよ? ここは、都会なんかじゃないんだから、1個、駅降り損ねれば、一駅歩くなんて無理だよ? それを、助けてあげたんだから、君に、私が敬語を使う必要なし!」
無茶苦茶な理由だ。
それでも、君の、記憶に、鮮明に残るには、まずは、第一印象がすんごく大事なんじゃないかって、思っちゃったんだよね――……。
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