雨音と共に

丸井まー

雨音と共に

 しとしとぴっちゃん。しとしとぴっちゃん。

 ルディは木窓の桟に肘をつき、降りしきる雨音に耳を傾けていた。今は雨の季節だ。雨が降ると、農作業ができないので暇になる。ルディは暇潰しに、窓から雨が降る外を眺めていた。

 雨音が奏でる音が心地よくて、思わず眠くなってしまう。ルディが大きな欠伸をしていると、細い木枠に油紙を貼った傘を差した男が此方に向かって歩いてくるのが見えた。三つ隣の家のイルファンだ。イルファンはルディが顔を出している窓の側に来ると、穏やかに笑った。



「暇そうだな」


「暇だよ。やることがない」


「そうだろうと思って本を持ってきた」


「やった!読んでおくれよ」


「そのつもりで来たよ」



 イルファンが楽しそうに笑って、玄関の方へと向かっていった。


 ルディが暮らす村は、国の隅っこにあるド田舎で、読み書きができるのは、村長の家の人間くらいなものだ。ルディは読み書きができない。イルファンは村長の家の次男なので、読み書きができる。

 イルファンはルディよりも二つ年上の二十歳で、幼い頃からとても頭がいい。読み書きも計算もできて、必要以上に出しゃばらずに、父親の村長や長男の兄をよく助けている。


 イルファンは、幼い頃からルディのことを可愛がってくれていて、たまにこうして本を読み聞かせに来てくれる。ルディはイルファンが本を読んでくれるのを聴くのが一番大好きだ。イルファンの落ち着いた低い声が奏でる物語は、同じものでも何度聴いても楽しい。本は高価なものだから、イルファンもそんなに持っていない。数冊しかない本を、何度も何度も読んでくれる。一度、イルファンに読み書きを教えようかと言われた事があるが、ルディは断った。読み書きを習っても使うことがないし、イルファンに本を読んでもらう事が無くなったら寂しいからだ。雨音と共に、イルファンの声が奏でる物語を聴くのが楽しいのである。


 ルディは部屋から手拭いを片手に玄関へと向かった。イルファンがちょうど玄関から家の中に入ってきた。

 少しだけ肩の辺りが濡れているイルファンに手拭いを渡すと、イルファンが穏やかな笑みを浮かべてお礼を言った。イルファンはとても穏やかな優しい顔立ちをしている。背がとても高いが、物腰が柔らかいからか、威圧感等はまるでない。イルファンが居間にいたルディの家族に簡単に挨拶すると、ルディの部屋に移動した。ルディの部屋といっても、弟二人と共同で使っている部屋だ。ルディは五人兄弟の次男だ。弟二人は居間で両親と一緒にまったり白湯を飲んでいたので、暫くは部屋に来ないだろう。

 ルディは、胡座をかいて座ったイルファンに、早速本を読んでほしいとねだった。


 半刻程かけて、イルファンが本を読んでくれた。今日の本は、ルディが一番好きな「救国の英雄の物語」だった。大昔に大きな戦があり、自国の勝利へと導いた英雄がいる。その物語だ。何度も聴いた物語だが、何度聴いても楽しい。ルディはワクワクしながら、イルファンの声に聴き入った。



「はい。おしまい」


「ありがとう。やっぱ、この本が一番好き。ワクワクする」


「ははっ。俺も好きだなぁ。格好いいよね。英雄って」


「ねー」



 本を静かに閉じたイルファンが、少しだけ困ったように眉を下げた。



「ルディ」


「なに?」


「近いうちに、近くの街に働きに出ることになったんだ」


「えっ!?」


「うちに出入りしてる商家の人から声がかかってね」


「えー……やだなぁ。寂しくなる。いやでも!すごいじゃないか!イルファンは頭がいいし、きっと商家でもしっかり働けるよ!」


「ありがとう」



 イルファンが擽ったそうに笑って、少しの沈黙の後、口を開いた。



「ルディ。一緒に来てくれないか?」


「へ?」


「あー……その、お前と離れるのが嫌なんだよ」



 ルディはキョトンとして、まじまじとイルファンを見つめた。イルファンは何故か日焼けした頬を赤く染めていた。



「俺が行っても役に立てるかな」


「ルディは手先が器用だし、割となんでもできるだろ」


「農作業とか、家の事しかしたことがないよ」


「俺が一緒だから、きっと大丈夫。ルディにも必要なら読み書きを教えるし……嫌かな?」



 ルディはこてんと首を傾げて考えた。

 ルディは次男だ。兄夫婦と、下に弟が二人と妹が一人いるから、家の人手は心配ない。ルディは継ぐものが無いので、このまま村にいても、多分嫁はもらえない可能性の方が高い。それだったら、イルファンにくっついて、近くの街に行って働いた方がいいのではないだろうか。もし、給料に余裕があれば、多少の仕送りもできるかもしれない。なにより、イルファンと離れたくない。イルファンがいるのが当たり前なので、イルファンがいない生活を想像することもできない。イルファンと一緒なら、きっと何処へ行っても大丈夫だ。

 ルディはそう考えて、どこか緊張している様子のイルファンに声をかけた。



「一緒に行くよ。いつ出発するの?それまでに少しでも読み書きを教えておくれよ」


「本当にいいのか?」


「うん」



 イルファンがふわっと嬉しそうに笑った。



「俺と一緒に生きてくれないか」


「いいよ。イルファンが一緒なら何処へ行っても大丈夫だし」


「ははっ。そうか」



 イルファンの穏やかな笑みを見ながら、ルディはニッと笑った。



「雨の季節が終わったら出発するから、その間に読み書きを教えよう」


「うん」


「一緒に頑張ろうな」


「うん。イルファンが一緒だし、きっとなんとかなるよ。二人で助け合っていけば大丈夫」


「そうだな。……ルディ。ありがとう」


「俺、イルファンが大好きだから、イルファンが近くにいないと嫌だし」


「ははっ。俺もルディが好きだよ。ずっと一緒にいような」


「うん」



 イルファンが穏やかに笑いながら、手を伸ばして、ルディの手をやんわりと握った。イルファンの手は温かくて、なんだかほっとする。

 雨が奏でる音を聴きながら、ルディは早速イルファンに読み書きを教えてくれるようねだった。


 それから、雨の季節が終わると、ルディはイルファンと一緒に村を出た。

 近くの街へ向かって、荷物を背負って歩きながら、イルファンがルディの手を握った。ルディはなんだか子供の頃に戻ったような気がして、擽ったくて、小さく笑って、イルファンの手を握り返した。

 これから、二人での新しい暮らしが始まる。楽しみで、ワクワクして堪らない。イルファンが一緒なら、きっと大丈夫だ


 ルディは、少し照れたような顔で笑っているイルファンに、手を繋いだまま、ぴったりくっついた。




(おしまい)

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雨音と共に 丸井まー @mar2424moemoe

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